マスターの最大の敵

                * * *



 数日前に千代を出たマスターは、始まりの街付近の森の中を彷徨っていた。

 もちろん。その体には傷一つなく、多くの敵と遭遇したものの。彼のことだ――圧倒的な強さで瞬殺したのだろう。


 夜の森の中をひたすら歩いて行くと、その先の大樹の前に何者かが凭れ掛かりながら待っていた。移動する月の明かりに照らされ、彼の前に映し出された人物。


 それは、白いマントに白を基調とする白銀の甲冑を身に纏った男性だった。

 某アイドル事務所に所属していそうなほどに整った容姿をしていて、白をテーマカラーとした知り合いに、マスターは一人しか心当たりがない。


「やあ、久しぶりだね。ギルマス……」

「……デュラン」


 短い言葉の後、2人は互いの目を見据えながら全く動かなかった。

 ここは千代ではない。始まりの街の近くの森の中だ――本来ならば、すでに陥落した始まりの街の近くに2人がいるのはおかしな話だろう。


 もうここには、守るべき街も人も残ってはいない……。


「――デュラン。要件はなんだ? おぬしのことだ。ただ世間話をしに、この場所に呼んだわけではあるまい」

「いやー、さすがはギルマスだ。全てお見通しだねー。でも僕は世間話をしに、ここに君を呼んだんだよ?」


 人を小馬鹿にしてはぐらかすような彼の物言いに、マスターの眉は不快感を露わにするように動く。


 そして今度は、デュランの口元が不敵な笑みをもらす。


「ギルマス。僕に何か言いたいことはあるかい?」

「……いいや。ただ一言――儂はおぬしを信じておるぞ? デュラン」


 そう言い残して、マスターはその場から姿を消した。


「――――信じてる。か……僕はそんなに殊勝な人間じゃないよ……」


 デュランもそれを見送ると、息を吐いてゆっくりとその場から離れた。



 彼と別れたマスターは向かってくるモンスターを次々に撃破しながら、森の中を駆け抜けていた。

 向かってくるモンスターは武装したリザードマンやゴブリン達だが、その手には漆黒に輝く武器が握られている。


 漆黒の剣は間違いなく『村正』だ。レベルを最大値まで上昇させるこのアイテムだが、マスターにはそんな小細工は通用しない。目を血走らせて向かってくるモンスター達を、マスターの拳が容赦なく貫いていく。


 森を奥へと進む度に、次第に敵の抵抗が強まる。ざっと見て、十万の部隊がいるように見えた。

 しかし、この数は不自然だ――本来ならば、もうプレイヤーのいない始まりの街にこれだけの数のモンスターを配置する必要がない。

 

 今までもそうだが、モンスターを指揮する狼の覆面を被った彼は執拗にプレイヤーを撃破することを重視している。

 そんな彼が、この場所に多くのモンスターを遊ばせておくとは考えにくい。っと言うことは、この場所に隠しておきたい何か大事なものがあるとしか考えられない……。


 一撃で数十体の敵を吹き飛ばしながら、マスターは更に足を速めた。

 っと、そこに巨大な山の中にぽっかりと開いた洞窟を発見する。どうやら、その周囲は不可侵領域らしく。まるで半円を描く様に、それ以上はモンスター達も入ってこようとしない。

 

 洞窟の入り口はギザギザの歯の様になっており。まるで生き物が息をするように、大きな洞窟の中を風が行き来していた。


 吹き荒れる風の中、突如目の前に白衣姿の狼の覆面を被った男が現れる。


「ご機嫌いかがですか? 拳帝。いや、キャラネームはマスターでしたっけ? 大道龍二さん」

「――フンッ……結局、儂の全ての名を口にしておるではないか! どうして一思いにモンスターを焚き付けてこないのだ! 10万も居れば儂一人くらいは倒せるかもしれんぞ!!」


 声高らかに叫んだマスターを見下ろし、彼は不気味な含み笑いを浮かべると、次の瞬間には天を仰ぎながら笑い出す。


「ふふふっ…………あーはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ!!」


 身体中の空気を吐き出しているかの様に笑い続ける彼を、マスターは目を細めながら睨みを利かせている。


 すると、やっと笑い終えた覆面の男が項垂れるように下を向きながら脱力し、再びゆっくりと息を吸い込んで顔を上げた。


「その手には乗りませんよ? 貴方ならば10万のモンスター程度は余裕で全滅させられる。違いますか?」

「………………」


 無言のまま覆面の男を見上げ、マスターは苦虫を噛み潰したように歯を食いしばる。


 そう。彼の言葉ははったりではなく、マスターならば十万のモンスターの大群すら、一人で撃破できただろう。しかし、それは彼一人ならだ……。


「――貴方は自分の力で周りを巻き込むのを避けた。イヴが居なくとも、貴方なら一人で30万のモンスターすら撃破できるポテンシャルがあった……しかし貴方は全力を封印してでも、仲間を守ることに固執した。そんなに仲間が――いや、愛弟子が大事ですか?」

「――――ッ!?」


 覆面の男の放った『愛弟子』という言葉に、今までにないほどにマスターの目が大きく見開いた。


 それを察した覆面の男が追い打ちを掛けるように言葉を続ける。


「――全く、哀れな娘だ。両親に捨てられ、自分の殻に閉じこもり友達も作らず。挙げ句の果てに親友すら守れない――貴方もそんな彼女が哀れだったから拾ってやったのでしょう? どこぞの河川敷に捨てられた小汚い仔犬をッ!! 彼女は本当に無価値で哀れな粗悪品だ!! 所詮は主人の寂しさを紛らわせる為の愛玩動物とも知らずに、愛嬌を振りまくだけの存在でしかないというのに……まるで、自分は価値がある存在だと勘違いしている!! 貴方を葬った後で彼女の装備をひん剥き、たっぷりと生まれてきたことを後悔させながらモンスターで嬲った後に、泣き叫び貴方の名を呼ぶ彼女に絶望を植え付けて最後には羽虫の様に潰して差し上げますよ! まあ、雑種の雌犬でも、メインディッシュのイヴを食すまでの前菜にくらいはなるでしょう……まあ、モンスター達の体液と土に塗れた体は、良くて切り干し大根の胡麻酢あえと言ったところでしょうがね!」

「…………好き勝手言うてくれるな……」


 俯き加減にマスターは全身を震わせ、感情を抑える様に拳を握り締めている。

 その様子から、その言葉に彼が相当頭に来ているのは明らかだ――しかし、心は乱されても思考までは乱されはしない。


 現にマスターの瞳は、一瞬たりとも覆面の男を捉えたまま動いてはいない。

 それは、まだマスターは彼を最悪最強の敵であると仮定しているということの表れでもある。


 覆面の男は、マスターの顔を見つめてゆっくりと口を開いた。


「……しかし、正直な話。私でもこのモンスターでも貴方を倒すことはできない。私が調べたところ、貴方には弱点と呼べる弱点がない。ただ、私にとって貴方は邪魔なんですよ……攻略方法のない貴方が……」

「フンッ……ならば、あの娘は攻略可能ということか? 随分とお前はあの娘にご執心なようだが」


 そのマスターの問いに、彼は全く間を空けずに答える。


「当然。既にイヴは攻略済みですよ。もう複数のシミュレーションでも結果は同じ、私の完全勝利です……欠陥のあるシステムでは意味がない。彼女はもうすでに僕の物だ!! しかし、シミュレーターではお前は最大の障害にして、最悪の不確定要素なんだよ! だから………………僕の為に消えて下さい」


 冷静な口調から一転、狂気染みた奇声を上げたかと思うと、静かになりマスターを睨む。


 その瞳は憎悪と嫉妬に溢れていた。だが、そんな彼の瞳を受けてもマスターは冷静に言葉を返す。


「お前の言葉は矛盾ばかりだな……儂には弱点がないと言った。ならば、どうやってその儂を倒すと言うのだ!」

「……ふふっ、私が倒すのではありませんよ。貴方は勝手に倒れるのです……」

「――勝手に倒れる……だと?」


 不可解なその言葉に、マスターも首を傾げるしかなかった。

 それもそうだろう。彼の言った『勝手に倒れる』という表現は他のゲームならまだしも、このゲームでは通用しないのだ。


 何故なら、このゲームの異常状態ではHPを減らし切ることはできない。つまり、彼の言う様に勝手に死ぬということは絶対に起こりえないのだ――。

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