黒い刀と黒い思惑

 星達が手を繋いで部屋に戻ると、そこには慌ただしい空気が立ち込めていた。

 ピリピリとした空気の中、カレンとマスターが忙しなく出立の準備を始めている。その顔は真剣そのもので、それを見ただけで不測の事態が起きたことを察するには余りあるほどだ――。


 眉間にしわを寄せながら、エミルはマスターに尋ねた。


「マスター。何か合ったんですか?」

「うむ。先程メルディウスから連絡があってな。どうやら街で一斉に、村正を持った者等が暴れ出したらしい。……こちらが手をこまねいている間に先手を打たれた。すでにメルディウスとダークブレットの奴等が対応していると言う話だ、儂もカレンと共に様子を見てくる」

「マスター。俺も行きます!」


 話に割り込むようにしてデイビッドが声を上げた。その表情は真剣そのものだが、彼の瞳の奥には怒りの炎がふつふつと燃え上がっていた。


 彼の瞳を真っ直ぐに見つめていたマスターは、デイビッドの決意を悟ったのか力強く頷いた。


「よし。なら行くぞ!」

「はい師匠!」

「了解!」


 2人は返事をするやいなや、勢い良く部屋を飛び出していく。


 廊下を駆ける彼等の足音が部屋に響き、マスターも部屋の外に出ようとした瞬間、それをエミルが止める。


「マスター、私達は……」


 不安げに尋ねるエミルの後ろで隠れている星を見て、マスターは表情を和らげながら告げる。


「案ずるな。こうなった以上、急いでも仕方ない。お前達は儂の連絡を待て、必要になったら呼ぶ……それではな!」


 それだけ告げ、マスターもカレン達の後を追って部屋を勢い良く飛び出す。


 徐々に小さくなる3人の背中を見つめ、エミルも星も不安そうな表情のまま部屋に入った。

 部屋の中では、イシェルがテーブルに乱雑に置かれた食器を片付けている。だが、そこにエリエとミレイニの姿はなかった。


 不思議に思った星が首を傾げると、頭の上のレイニールが身を乗り出し気味に声を上げた。


「なんじゃ? エリエは居ないのか?」


 自分が言うよりも早く言葉にしてくれたレイニールにほっと胸を撫で下ろしながら、食器を持ってキッチンに向かおうとしていたイシェルがその問いに答える。


「ああ、エリエちゃんなら向こうで休んどるよ~。なんや2人共、ぎょうさんホットケーキ食べとったからな~」


 苦笑いを浮かべつつ、ゆっくりと隣の寝室を指差すイシェル。


 星はレイニールに促されるようにトタトタと駆けると、ドアをそっと開けて中を見る。すると、イシェルの言っていた通り、布団に包まって2人が苦しそうにお腹を抱えていた。おそらく。いつもの悪ノリで競うようにホットケーキを食べた結果、許容範囲を超えてしまった。と言ったところか……。


 それを見た星は、以前のエリエとの出会いを思い出して表情を曇らせた。あの時は、エリエの作った激甘の朝食を食べて気分を悪くしたのだ。


 今思い出しただけでも、気持ち悪くなる。それだけ、エリエの作った料理は強烈だった。その出来事を知らないレイニールは、顔を青くしている星を見て首を傾げていると、そこにエミルが星達を呼ぶ声が聞こえた。


 汗を掻きながら、寝言で「もうホットケーキは……」とうなされながら、苦しそうな表情を見せるエリエ達を見て星はそっとドアを閉める。

 エミルに促されるままに、レイニールを頭に乗せたまま椅子に着くと、そこにはたっぷりの生クリームの乗ったホットケーキが置かれていた。


「おぉ~」

 

 歓喜の声を上げたレイニールが我先にとテーブルに舞い降り、ナイフを持ってホットケーキを切り分けてそれをフォークで自分の口に含んだ。


「むぐむぐ……これは美味い!」


 生クリームをべったりと口の周りに付け、幸せそうな笑顔を見せたレイニールの顔を、星はハンカチで拭う。


「おお、さすが主。気が利くのじゃ!」

「うん。気をつけて食べてね」

「うむ」


 星の言葉にレイニールは大きく頷くと、フォークで生クリームの乗ったホットケーキを口に運び、また顔にべったりとクリームを付けたが、今度は星が拭き取る前に舌で口の周りを器用に舐め取った。


 その様子を見て星もほっとしたのか、自分も目の前にあるホットケーキにナイフを入れる。

 練習してお腹が空いていたこともあり、自分でも驚くほどに素早く切りわけてそれを口に運ぶ。


「おいしい」


 思わず口から出た言葉に、向かい側に座っていたエミルがくすっと微笑む。


 星は薄く頬を赤く染め、黙々とホットケーキを食べ進めた。

 いつものことながら、エリエの作るお菓子は甘さも丁度良く、何と言うかお菓子を知り尽くしていると言わんばかりの出来栄えで、見た目以上に味も最高だ。


 彼女がどうしてここまで美味しいお菓子を作れるのか?という謎はあるものの。それ以上に、どうしてこれだけ美味しい物が作れるのに普通の料理が絶望的なのかが不可解でしょうがない。


 だがそれは、向かいに座っているエミルにも言えることだろう。何故か、彼女がキッチンに立つと必ず爆発が起きる。

 それもどう考えても爆発しそうにない食材でだ――どうも、この2人はそう言うところは抜けていると言っていいのかもしれない。


 そんなことを思いながらホットケーキを食べていると、エミルが驚いたように目を見開き。その後、険しい表情で指を動かすと、すぐ隣にいたイシェルの方を見た。


 星はすぐにエミルの変化を察して、真っ先に先程のマスターの言葉を思い出す。


『案ずるな。こうなった以上、急いでも仕方がない。お前達は儂の連絡を待て、必要になったら呼ぶ……』


 その言葉通り、不測の事態に陥ったと考えるのが自然である。


 エミルとイシェルは星達に聞こえないように短く何か会話を終えると、エミルが星に向かってあからさまににっこりと微笑んだ。


「星ちゃん。ちょっと出掛けてくるけど、イシェと一緒に待っててもらってもいい?」


 彼女の口から出たその言葉で、星の予想は確信へと変わる。しかし、俯き加減に表情を曇らせながら星は首を横に振って、そのエミルの申し出を拒む。


 エミルは少し困り顔のまま、もう一度今度はゆっくりと、星に言い聞かせるように告げる。


「――もう隠さないで言うけど……今、マスターから連絡があって、ちょっと、思っていたより状況が良くないみたいなの……だから、私も行かないといけないの。分かるでしょ?」


 星はそれを聞いても、激しく首を横に振った。


 それを見たエミルは困り果てたように大きくため息も漏らす。


 だが、ここまで頑なに星が拒むのも珍しい。星本人も上手く説明できないが、何か物凄い胸騒ぎを感じているからだった。

 この感覚は富士のダンジョンで、がしゃどくろとの戦いの前にも感じたものだ。あの時もギリギリで勝てたが、エミルは致命的なダメージを受けて戦闘不能にまで追い込まれた。


 しかしそれを直接エミルに伝えれば、きっと今よりも強く星を置いていこうとするのは分かっていた。

 俯きながら、星が必死に思考を回して導き出した答えは「また、ライラさんが来たら……」だった。

    

 咄嗟に出た言葉に内心ひやひやしながら、そっとエミルの顔色を窺う。

 星の口から突然出た『ライラ』という言葉を聞いた瞬間、エミルは驚愕しながら目を見開いていた。


 そんな彼女の様子から、エミルが今までにないほど動揺しているのが見て取れる。

 次の瞬間、今までの言動が嘘のように「そうね。ライラが来たら危ないものね」と深く頷く。


 エミルは星に向かって、もう一度にっこりと笑みを浮かべる。


「それじゃ、一緒に行きましょうか。ううん、一緒の方がいいわね!」

「……は、はい」


 彼女のあまりの変わりように、言った星の方がぽかんと口を開けたまま面食らってしまう。

 それもそうだろう。こんな子供騙しの様な口車に乗って来るなんて、言った本人ですら思っていなかったのだ。


 だが、一つ分かったことは、エミルにとって彼女の存在がそれほどの脅威だということだろう……。


 そこにホットケーキを食べ終えたレイニールが胸を張って叫ぶ。


「はっはっはっ! 我輩が一緒なら、なにも心配する事などないのじゃ!」


 自信満々に言い放つレイニールだったが、その手に握られている自分の体程の大きさのフォークのせいで、まるで金色の小さな悪魔が高笑いしているようにしか見えない。しかも、ほっぺたには飛び散った生クリームが付いている。


「レイ。生クリームが付いてるよ?」

「うむ。主、取ってほしいのじゃ!」


 星に指摘されたレイニールは目を瞑ると、星がハンカチでレイニールの顔を拭く。

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