アジトへの潜入2

          * * * 



 大型のモニターの前で何やら忙しなく作業をしている覆面の男。


 星は無言のまま、作業するその姿を見つめていた。だが、それは逃げるのを諦めたわけではなく。どうやってこの状況を抜け出すか考えていたからだ――。


 しかし、逃げ出すと言っても、両手足を金属の枷で検査台に固定されている今の状況では、とてもじゃないが筋力補正程度の力でなんとかできるものではない。


 だからと言って、このまま捕らわれているつもりも、星には微塵もなかった。


(……このままじゃ、何をされるか分からない。早くこの金具をなんとかしないと……)


 そう考えた星は、自分の手足を台に固定している枷を見た。


 男に気付かれぬように、何とか手を引き抜こうとするのだが、案の定びくともしない――足の方も同様に、いくら力を入れても外れる気配すら見せない。


 まさに絶体絶命とはこのことだ――。


(……どうしよう……)


 困り果て小さくため息をつく星の脳裏に、突然母親の顔が浮かぶ。 

 おそらく。父親の話を聞かされたのが原因だとは分かってはいても、その心配そうな表情の母親の顔が妙にリアルで、星の胸を痛いほどに締め付けられた。


 勝手にこんな事件に巻き込まれ、現実世界に戻れないということになれば、もう目も当てられない。

 星の心の中に『何としても帰らなければ』という思いが沸き起こり、今までにないほどに身を捩らせた。


 その時、けたたましい音とともに部屋全体が大きく揺れた。


「――な、なんだ!?」


 モニターの前で操作盤を操作していた男が驚き、慌てて事態の把握に努める。


 大きなモニターに監視カメラだろうか?いくつもの映像が表示された。その中に、土煙りを上げて突入してきた黄金の巨竜の姿が映し出されている。


「――レイ!?」


 映像を見た星は驚きを隠せないといった表情で目を丸くさせた。

 それもそうだ。今の星には、自分の目に映るそれが真実だとは到底認識できなかったのだ。


 あの時エリエと別れ、1人で囚われの身となった時に、一緒に全てを切り捨てたつもりだった。しかし、今自分の瞳に映るのは紛れもなくレイニールの姿だ――。


「ほう。侵入者が入ってきたようだ。まあ、私には関係ないがね……」

「――待ってください!」


 星は大声で叫ぶ。


 モニターを見ていた男が突然振り向くと、一瞬驚いた顔をしたが、すぐに不気味に笑いながら徐々に星の方へと向かってきた。


 狼の覆面の男は低い声で星の耳元で呟く。


「……イヴ。あのドラゴンと他の者を助けたいかね?」

「――他の者……?」


 その言葉に、星はもう一度モニターを確認すると、そこには人間状態のレイニールとオカマ達、エリエの姿に変わっていた。


(エリエさんにサラザさん達も……)


 画面の向こうで戦っている仲間の姿を見て、星の頬を涙が伝う。


 その瞬間、星の頭の中には現実世界に帰りたいという感情が一切なくなって、どうしたら皆を無事に逃がせるかに変わっていた。


「はい! 私はどうなってもいい。だからあの人達は助けて下さい!!」


 星は涙ながらに男に訴えた。


 その星の潤んだ瞳を見て、狼の覆面の男は深く頷くと優しい声で言った。


「そんなに大事なのかい?」

「はい! だから、あの人達には危害を加えないで下さい!」

「そうか、そんなに大事なんだね?」


 星は上から見下ろしている狼の覆面の男に何度も頷いて見せた。


 すると、男は星の涙を拭うと徐に告げる。


「――イヴ。泣くのは止しなさい……この私が君の悩みを取り除いて上げますよ」

「本当ですか!?」


 星は希望に満ちた眼差しで、彼を見つめる。その直後、覆面の隙間から男の微笑む口元が見えた。


 何故か、男の手には注射器が握られている。それを見た星は小刻みに体を震わせながら怯えた表情で尋ねた。


「……あの、それは……その……」

「分かるだろ? 君は賢い子だからね」


 星は表情を曇らせながらも、その言葉に無言のまま頷くと覚悟したように瞼を強く閉じる。その直後、腕にチクリとした鋭い痛みが走る……。


 注射は苦手な星だったが、この時ばかりは拒むわけにはいかない。拒めば間違いなく、レイニールやエリエ達は殺されてしまう。そう思ったからだ――。


 腕から痛みが消え、星はほっとして瞼を開くと、男の手の平が頬を撫でる。


「君は本当に賢い子だね。理解の早い子は嫌いじゃないよ?」

「……はい。なら約束通り……」

「……そうだね。約束通り、君の悩みの種である彼等を、この世から完全に消してあげよう……」

「――ッ!?」


 ほっと息を吐いた星の耳に、彼の衝撃的な一言が飛び込んできた。


 動揺を隠しきれず、目を丸くさせた星がもう一度尋ねる。


「冗談です……よね? だって約束が……」

「……そうだったね。でも私は君の悩みを取り除くとしか言ってないけど……何を勘違いしたんだい?」

「そ……そんな……」


 確かに覆面の男は『悩みを取り除く』としか言っていない。


 だが、そんな言い回しをされれば、誰でも希望を持ってしまうのは仕方がないことだ。しかも、それがまだ小学生の女の子なら、なおのことだろう……。


 星の瞳から涙が一気に溢れ出し、今までの思い出が走馬灯の様に頭の中を駆け巡る。

 皆に迷惑が掛からないように覆面の男に捕まった星にとって、それがなかったことにされるのが何よりも怖かった。


 すがるような瞳で、なおも必死に訴える星。


「……私はなんでもします! だから……だからみんなには……私の友達には手を出さないで下さい!!」


 だが、彼から返ってきた言葉は、あまりにも残酷なものだった。


「……ダメだよ。君はもう僕の所有物なんだから……君の心も体も……僕に――」


 突如としてそう呟く男の声が徐々に聞き取れないものへと変わり、星の視界が大きく揺らぐ……。  


 おそらく。彼がさっき注射した薬剤によるものだろう。視界が蜃気楼の様に揺らぎ、その直後、星の全身が焼ける様に熱を帯び始めた。


「ぐっ……あああああああああああッ!!」


 その苦痛から逃れるように、星は体を反り返らせた。

 今までに味わったことのない激痛が星の体を包み、それが徐々に火山が噴火する寸前の様に上の方へと痛みの根源を押し上げてくる。


 それを見て男は満足そうに「フヒヒッ」と不気味に笑った。


「このゲームではプレイヤーへのシステムを介入してのアクセスができない。君に注入したのは個体データ解析用の液体だよ」

「……えき……たい……?」


 全身から滝の様に汗を流しながら、星が男に熱を帯びた瞳を向けた。


 男は星の頬に手を当てながら、耳元でそっとささやく。


「……そう。君は言わば、今は亡き博士の忘れ形見……それがこの世界に居るというのは、不可思議なことだ。だが、それが偶然ではなく必然ならばどうだい? 君はメモリーズを開く鍵じゃないか……そう、僕は考えていた。だから、ダークブレットに捕獲を依頼したんだよ。彼等の犯罪を容易にするシステムの改正を入れるて言う条件でね……」

「……それって……」


 その話を聞いた星はこの世界に来た時に初めて襲われた時と、ディーノと出会った時のことを思い出す。


 そう。それは間違いなくPVPの認証スキップのことだ――。

 

 本来はPVP時にお互いの人数が等しい時に許可される対戦システム。それは相手の了承なく、無差別に攻撃を掛けることを許可し、更には相手の生命を脅かすものだった。


 実際に何度もエミル達が対策に困った事象でもあり、そのせいで何人もの罪のない犠牲者が生まれたのも知っていた。

 それを目の前にいるふざけた狼の覆面を被った男が行ったことだと分かり、星の心になんとも例えがたい怒りが沸き起こってきた。


「……あなたは! じ……自分がなにをしたか……分かってるんですか!!」


 苦痛に言葉を途切らせながらも、男に向かって怒りに満ちた瞳を向けた。


 すると、男は突如として笑い声を上げる。

 

「ははははっ! イヴ。君は本当に素晴らしいね……この状況で、そんな言葉が出るなんて、本来なら大人でも発狂するほど苦しいだろうに……フフッ、そんな君にもう1つ。特別なプレゼントを上げよう……」


 そう男が告げてモニターの側の操作盤を操作すると、検査台から拘束具が星の腹部をがっしりと固定する。


 その直後、荒く息を繰り返す星に再び注射器を握った男が迫る。


 男は持っていた注射器を星の腹部に刺し、迷うことなく中の液体を注入する。


「――うっ!」 


 眉をひそめると、横目で男を鋭く睨む。


 男は不気味に高笑いすると、次の瞬間には平静を取り戻し、星の耳元でそっとささやく。

 

「……今の薬は記憶を消す効果を持ったものだよ」

「――ッ!?」

「いくら【メモリーズ】で記憶を塗り替えられると言っても。君の今の記憶は障害でしかない。いずれバグになりそうなものを早めに取り除く、目的を完遂する為には多少の不安要素であっても取り除いておく。これは当然の処置さ……」


 彼の言っている意味が星にはすぐには飲み込めなかった。

 いや、飲み込めるはずがないのだ。彼は自分のこれまでの記憶を完全に消し去ろうと言うのだ。それは、今まで生きてきた証を奪われることに等しい行為。


 男は身を翻し操作盤の前に戻ると、忙しなく操作しながら言葉を続けた。


「そうそう、イヴ。君の大事なお友達だけど……私の計画では邪魔でしかない。君の泣き顔も笑顔も全ての表情もその感情も全てが僕だけのものだ……僕だけに向けられなければならないものだ!」


 男は「ヒヒヒッ」と笑みを漏らすと、狂気に満ちた声で告げる。


「そう。これは、僕からのあの女への復讐なんだよ……僕から大切な博士を奪ったあの女の大切な物を、今度は俺が奪って壊してやる! そして、あいつは思い知るんだ。世の中は自分の思い描いたようにはいかないって事をねッ!!」

「……うぅ……あぁ……やめて……みんなを……たすけ……て……」


 まるで体を煮えたぎる溶岩の中に投げ込まれたかの様な激しい熱と激痛が星を襲い。


 徐々に意識が遠退いていくのを感じた。


 そんな中で意思とは関係なく閉じそうになる瞼を必死に見開きながら、男を見つめる。しかし、なにかを訴え掛ける瞳の星に、男は無慈悲に言い放つ。


「……大丈夫。心配しなくても、君に関わった人間全てを始末しておくよ。次に目を覚ます頃には、この世界は僕とイヴだけのものになっているから……君は安心して人形になるといい。そう、僕の……僕だけの操り人形マリオネットにね……」

 

 男はそう言い残して笑い声を上げ部屋を後にした。

 それを最後まで見つめると、糸が切れたように星は意識を失ってしまう。


 意識がなくなった星だけを残し、すっかり静かになった研究室には機械音と換気扇のカラカラと回る音だけが虚しく響いていた。


 

          * * *

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