名御屋までの道中4

 テントの中には、木の板が敷き詰められた地面の上にタオルとバスタオルが入ったかごが置かれている棚が配置してあり、簡易的な脱衣所になっていた。


 最初は遠慮がちにしていた3人だったが、檜の浴槽から立ち込める煙に、お風呂には当分入れないと思っていたのが、それがお風呂に入れるということへの実感が湧いてきたのか。


 徐々にテンションが上がってきて、彼女達は上機嫌で身につけていた衣服を脱ぎながら、ふと我に返った紅蓮が呆れ顔で小さく呟く。


「――何をやってるんでしょうね。別にコマンドから装備を外せばいいだけなのですが……」

「いいえ、紅蓮様。確かに外せば早い話ですが、それを実際に脱ぐことに意味があるのです」

「……どんなですか?」


 不思議そうに小首を傾げた紅蓮は、隣で下着姿になって人差し指を立てている白雪に尋ねる。


 紅蓮の質問に白雪は難しい顔で唸ると、ふと思いついたように目の前の棚とかごを指差した。


「そう! 今はこの世界も現実と変わらないのです。つまり、今はここがリアル。それを伝える為にというギルマスの配慮なんですよ!」

「……はぁ~、白雪は買い被り過ぎですね。あの人はそこまで考えてませんよ。きっと雰囲気が出るから……程度にしか考えてません」


 紅蓮は眉をひそめ、呆れながら大きなため息を漏らす。


 その会話を横で聞いていた少女が紅蓮に問いかけた。


「紅蓮ちゃんってさ、あの人のことが好きなの?」

「……何を言ってるんですか? メルディウスとは腐れ縁です。もう長い間一緒に居るんですから、彼の考えそうな事は大体予想がつくだけです」


 紅蓮は無表情のまま淡々と答えると、少女は少しつまらなそうな顔で「そうなんだー」と呟く。


 浴槽の横に置かれた桶でお湯を掬うと、3人は体を洗い始める。


 白雪は言っていた通り、タオルを手に持って紅蓮の背中念入りに洗う。


 普通ならくすぐったがってキャッキャウフフな展開になるのだが、この2人の場合はそんなこともはありえないのだろう。落ち着いた様子で、瞼を閉じた紅蓮が白雪に背中を洗ってもらっている。まあ、白雪の方は顔はにやけていたが……。


 その姿を見ていた少女が口を開いた。


「そういえば、2人は本当に仲良いですよね。姉妹なんですか?」


 彼女のその言葉を聞いて、白雪が直ぐ様それを否定した。


「姉妹だなんてとんでもないです! 私は紅蓮様をお護りするだけの存在ですから!」

「……お護りする?」


 あたふたしながら白雪がそう答えると、その返答に少女は首を傾げた。


 そんな彼女に向かって紅蓮が口を開く。


「そうですね、姉妹もいいかもしれません。そうなると、私が姉になるわけですね。白雪」

「……えっ!? いやいや紅蓮ちゃんは絶対に妹でしょ? どう見たって、白雪さんがお姉さんじゃないの?」


 紅蓮の言葉に対しての彼女の素早いツッコミに、穏やかだった紅蓮が一瞬にして凄まじい殺気を放ち。


「……やはり。貴女にはおしおきが必要なようですね……」


 手に持っていたタオルをゆっくりと絞り上げながら、紅蓮は抑えきれない憤りを露わにすると俯き加減に小さく呟く。


 咄嗟に身の危険を察知した白雪は慌てて話を切り替える。


「あー。紅蓮様! そういえば、私達が会いに行く四天王の方はどんな方なのですか?」


 どうやら白雪の作戦は成功したらしく、紅蓮の放っていた殺気が消えた。


「ああ、バロンですか? 彼は一言で言えば、効率を重視するタイプ……ですかね。固有スキルは『ナイトメア』数千という兵士を一瞬で召喚し、周りの敵を駆逐します。しかも彼いわく、まだまだ出せるとか――世界のテスターと呼ばれるプレイヤーの中でも、間違いなく上位に入る固有スキルの持ち主です」

「そんな方と今から戦うんですか……」

「マスターはメルディウスだけで……と言っていましたが、彼だけでは不安ですし。私も付いて行こうと考えています」


 その話を聞いた2人が急に険しい表情になった。


 まあ無理もない。話だけ聞いていても、勝ち目があるような相手には思えない――しかも、個体が強化されるのではなく周囲に数千もの兵士を召喚する固有スキルの持ち主。


 そんなチート持ちの相手に、手練とは言え。紅蓮、メルディウスだけで挑むなど自殺行為としか思えない。


 彼女達の心配を察してか、紅蓮が優しい声で白雪に語り掛けた。

   

「大丈夫です。私とメルディウスは彼にとっての天敵みたいなものですから」

「……それはフリーダムがゲームだった時の話です!」


 紅蓮がそう言うと、白雪は拳を握り締めて震えたような声で叫んだ。


 その声に驚いたように目を見開いている紅蓮に白雪が言葉を続ける。


「確かにギルマスと紅蓮様のコンビは、この世界では最強かもしれません……でも、今は違います! 紅蓮様も不死の能力が今まで通り発動するか分からない。ギルマスも同じで、周りを巻き込み自爆する『ビッグバン』を使えません。こんな状況では数千の兵を動かす四天王と、まともな戦闘なんてできない事は、紅蓮様も気がついているはずです!!」

「……そうですね」


 紅蓮は俯き加減にそう答えると、ゆっくりとした口調で話し出した。


「あなたの言う事は正しいですよ白雪。この状況下で、私もメルディウスも固有スキルは発動するか試していません。ですが、危険な状況だからこそ、あなた達にはお願いできないんです。これは同じ四天王と呼ばれ、ギルドを率いる私達がやらなければいけないんです。毒を持って毒を制す――四天王の相手ができるのは私達、四天王だけです……大丈夫。私達を信じて下さい」

「紅蓮様……分かりました。ですが私もお供致します!」

「……なッ!? それは――」

「――ダメと言われても付いて行きます!」


 紅蓮が言葉を返す前に、白雪が割り込んで叫んだ。


 彼女のその真剣な眼差しは、とても冗談で言っているわけではなさそうだ。紅蓮は困ったような表情で、そんな白雪を見つめていた。 


 そんな2人のやり取りを見ていた少女が、言い難そうに口を開いた。


「私が言えることじゃないけど……白雪さんは紅蓮ちゃんの事が心配なのよ。そのバロンさんと、戦わない方法はないの?」


 少女の言葉を聞いて紅蓮は少し考えたが、すぐに諦めたように小さくため息をつくと。


「はぁ……難しいですね。彼は集団で行動する事を嫌いますから……」

「そう……なら無理に仲間にしなくてもいいんじゃないかな? それとも。どうしても、その人を仲間にしないとダメなの?」


 何食わぬ顔でそう言い放った少女を、呆然と見つめた次の瞬間には紅蓮の視線は湯船に向いていた。 


「……とりあえず湯船に浸かりましょう。マスターも待ってますし」

「そ、そうですね!」


 白雪もその言葉に従うと、湯船から桶でお湯をすくって、紅蓮の背中に付いている泡を洗い流した。

 その後、そそくさと浴槽に入る2人を見て、少女は不機嫌そうな顔をしていたが、仕方なくその後に続いてお湯の中に浸かった。


 湯船に浸かると「ふぅ~」と3人は息を吐き出し、ぼーっとテントの天井を見つめて全身を脱力させ深い息を吐く。


「温かくていいですね~。やっぱり日本人はお風呂に入らないとダメですね……」

「全くその通りです。さすがは紅蓮様……」


 2人が気持ち良さそうな声を上げてお湯に浸かっていると少女が再び尋ねる。


「それで、どうして仲間にしなくてはいけないんですか?」

「「……はぁ~」」


 2人は何度も尋ねてくる少女の顔を見ると、呆れながら同時にため息をついた。


 なおも興味津々な様子で聞き返してくる彼女に、仕方なく白雪が説明を始める。


「それはですね。今このゲームは、外部から完全に切り離された世界になっています。言うなれば、大きな牢獄の中とでも例えれば良いでしょうか……その中では法もなく。好き勝手に振る舞う者が横行していて、日々数え切れない人数のプレイヤーが消滅しているのです」


 白雪は淡々と話すと、深刻そうな顔をして眉をひそめる。


「そしてフリーダムを誰よりも早くプレーし、その開発に協力した方々。それをベータテスターとでも呼びましょうか、それが日本では紅蓮様達『四天王』なのです」

「なるほど……」


 少女が頷くと紅蓮は少し恥ずかしそうに俯きながら、白雪の話に耳を傾けている。


 まあ、四天王なんてだいそれた呼び名を付けられれば無理もない。


「その人達はオリジナルの固有スキルを持っていて、もし。その方々が悪い方に力を貸すことを阻止しなければならないと、私達は千代から旅をしているのです」


 拍手をしながら「おー」と歓声を上げると、少女は不思議そうに首を傾げ徐ろに口を開いた。


「――それで、どうしてその人を仲間にするの?」


 そう首を傾げて尋ねる彼女に、2人は最初よりも大きなため息をつく。

 おそらく。彼女にはまだ、今のこの『ログアウト不能』という現状がはっきりと理解できていないのだろう。


 もちろん。漠然とは理解はしているだろうが、バロンを勧誘することは、ひいては現実世界に帰れる日が早くなるということだ。

 このまま長期間ゲーム内に閉じ込められた状態が続くというのは、閉じ込められているプレイヤー達の精神的なダメージとなる。


 彼等のストレスが溜まるということは、犯罪が多くなり街の治安が悪化することに繋がるのは言うまでもない。また、健全な精神ではない彼等を遊離しておく場所も必要となるが、今のままではそれも足りなくなる。


 紅蓮達は千代のトップギルドであり、治安維持も引き受けているギルドだ。このままでは治安維持に人手を回し過ぎて、脱出の手段を探すどころではなくなってしまう。

 今はのんびりと時が流れている気がしているが、この安定している時にどれだけ現実世界への帰還に近付けるかが重要となる。


 ゲーム内で四天王と呼ばれるベータ版からプレイしている者達は、他のプレイヤーからも羨望の眼差しを受けて一目を置かれる存在だ。

 その四天王がバラバラでは、プレイヤー達もまとまることはできないだろう……何より今は、皆の象徴となる者達が必要なのだ――。


 それから彼女が納得するまで淡々と白雪が説明を試みたが、結局少女は理解できなかったらしく、白雪が折れるかたちでその話は終止符を打った。

 確かに初心者に四天王や、ベータテスターなどの専門用語を多く用いる白雪が今の状況を説明したところで理解するのは難しいだろう――。


「それじゃー。もうそろそろあがりましょうか……って紅蓮様!? だ、大丈夫ですか!?」

「うぅぅ……」


 白雪が紅蓮の方に目を向けると、浴槽の縁に倒れ込んでいた。

 いつもの冷静な彼女の姿はそこにはなく、弱々しく項垂れながら湯船の縁を支えに目を回している。


 慌てて紅蓮の小さい体を抱き上げると、バスタオルで体を覆って服を脱いだかごの下の板の上に彼女を寝かせ、うちわで仰ぐ。すると、ぐったりしていた紅蓮の表情が少し和らいだ。


 どうしてゲーム内なのにのぼせるのか……それはお風呂から上がる湯気に理由があった。

 湯気によって視界が歪むと、ゲーム内のシステムが視野を合わせようと小刻みな修正を行う。


 それは本来なら人間には感知できないほど微小な動きなのだが、紅蓮はそれを感じ取ってしまうタイプらしい。

 少しの時間なら問題はなかったのだろうが、長時間湯船から立ち上がる湯気を見続けたことが要因だろう――つまり。これはのぼせたのではなく、小刻みに動く視界に酔ってしまったのである。


 白雪はうちわで仰ぎながら小さく呟く。


「無理なさらずに言ってくだされば……」


 横たわっている紅蓮がそれを聞いて、徐に口を開いた。


「――い、いえ……話の腰を折ってはと……思いまして……」


 弱々しい声でそう告げた紅蓮に、白雪は少し呆れ顔で「そうですね」と相槌を打つ。


 その時、心配そうに顔を覗かせていた少女が言った。


「これってアイテムでなんとかならないんですか?」


 そう尋ねてきた彼女に、白雪は眉をひそめながら重い口を開く。


「……こういうのにも効けばいいんですけどね。元々海外で開発されたゲームなので、回復アイテムは戦闘によるダメージや毒などの効果などしか効果がないんですよね……」

「……それだと紅蓮ちゃんは治せないんですか?」

「無理でしょうね。しかし、おそらくはのぼせただけなので、しばらく休んでいれば良くなると思います」


 白雪がそういうと、少女は安心したようにほっと胸を撫で下ろした。


 するとそこに、テントの幕の外から小虎の呼ぶ声が聞こえてきた。


「おーい、姉さん達。いつまで入ってるんだって兄貴が言ってたよー」

「あ、小虎。ちょうど良かった。ギルマスに紅蓮様がのぼせたので、少し休んでから行きますと伝えておいてもらえますか?」

「わ、分かった!」


 小虎はそう叫んだ直後、慌てて駆けて行く足音が聞こえた。


 その数分後。外で揉めてる声が聞こえたかと思うと、物凄い疾走音の直後テントの幕が勢い良く開き。メルディウスが飛び込んできた。


「――紅蓮!! 大丈夫かッ!?」

「「……えっ?」」


 しかし、メルディウスが目にしたのは、バスタオルだけを体に巻き付けたまま驚いた表情で自分を見つめている2人の姿だった。


 彼と目が合った彼女達は驚いた表情で、微動だにせずにその場で固まっている。


 メルディウスは「すまん!」と叫んだ後。血相を変えてテントの外へと飛び出していった。


「あの人は……本当にしかたない人ですね……」


 紅蓮は呆れたようにため息混じりに言うと、瞼をゆっくりと閉じた。


 マスターと小虎が焚き火の前で座っていると、ため息をつきながらメルディウスが戻ってきた。

 意気消沈した様子に大体のことを察したのか、マスターが落ち込んだ様子の彼に声を掛ける。


「どうやら、心配いらなかったようだな。だから心配ないと言ったであろう」

「うるせぇー。もしもがあったら大変だから見に行っただけだっ!」


 メルディウスはそんなマスターの横に腰を下ろすと、小さな声でそう吐き捨てる。


 落ち込んでいるくせに強がっているメルディウスに小虎が口を開いた。


「あのさ、兄貴。女性にあまりしつこくすると嫌われるって、前に誰かが言って――」


 小虎がそう言おうとした直後。メルディウスの拳が小虎のこめかみの辺りをグリグリと締め付けた。


「なんだと~。いつからお前は俺に意見できるようになったんだ? こ~と~ら~!」

「いたたたたたっ! ち、違う僕じゃなくて、誰かが言ってたんだってば~!!」


 小虎は瞳を涙で潤ませながら必死に無実を訴えたが、頭に血が上っているメルディウスには、その訴えは聞き入れられなかった。その様子を見つめながら、マスターは大きなため息を漏らしている。


 それからしばらくして、紅蓮が白雪に支えられながら戻ってくると、メルディウスは慌てて彼女の元に駆け寄って行った。


「紅蓮。大丈夫か? 倒れたと聞いたから心配してたんだぞ!」


 頭を抑えて支えられている白雪を遠ざけると、フラフラしながらもゆっくりと歩き出す。


「……大袈裟ですね。倒れてないですし、もう大丈夫です」

「そ、そうか? 無理しない方がいいんじゃないか?」


 メルディウスは普段の彼からは想像できないような優しい声で言った。


 紅蓮がマスターの隣に座り、その向かい側に白雪が座る。メルディウスはその隣に、面白くなさそうに白雪の横に腰を下ろした。


 焚き火を中心に、マスターと向かい合うように座った。

 すると、白雪が徐ろに立ち上がり、地面に置かれていた鍋へと向かって歩き出した。


 白雪は釜の中のご飯をよそうと、鍋の中のカレーをその上にかけた。


「小虎。運ぶのを手伝って下さい」

「了解!」


 小虎はその声にビシッと背筋を伸ばして立ち上がると、白雪の手からカレーの皿を受け取った。


「おぉ~、うまそ~。はい。どうぞ!」

「うむ。すまんな」


 頻りにくんくんと鼻を動かし、カレーの匂いを堪能した小虎がマスターにカレーを渡した。


 次に紅蓮にカレーを渡そうと小虎が腕を伸ばした。


「はい。姉さんの分」

「ええ、ありがと――」

「――ッ!? 紅蓮!!」


 そのカレーを受け取ろうと紅蓮が手を伸ばした直後、彼女の体が前に倒れそうになり、それを慌てて座っていたメルディウスが支える。

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