疑惑のディーノ5

 エミルは昔のことを思い出す様に遠い目をしながらその話を終えると、デイビッドは嗚咽を堪えながら大粒の涙を流していた。


「そうか、そんな事があったなんて……何も知らずに偉そうなことを言ってすまん。エミル」


 もう顔中涙と鼻水でぐしゃぐしゃにしながら服の袖で顔を擦っているが、デイビッドの顔は更に見ていられないほどに崩れていく。


 エミルはそんな彼に落ち着いた様子で告げた。


「いいのよ。あなたは正しいわ……でも、もう私は大事な人をもう失いたくないの。それだけは分かってちょうだい……」


 彼女自身もわがままを言っているのは分かっていた。


 だが、それ以上に頭の中では、星が敵に敗れ消えていく姿が鮮明に見えていた。だからこそ、こればかりは誰に何を言われようと譲るわけにはいかない。


「ああ、俺も子供の星ちゃんを戦わせるべきだなんて、今考えればどうかしてたんだ。忘れてくれ」


 デイビッドが頭を掻きながらそう言うと、エミルはほっと胸を撫で下した。


 その時、2人の様子を黙って見ていたディーノが口を開いた。


「なんだか無関係な話をしているところ悪いんだけど、1ついいかい?」


 ディーノは顔色一つ変えずに瞳を潤ませている2人に尋ねた。


 そんな薄情なディーノに、憤ったデイビッドが叫んだ。


「……無関係だと? おい! 一応お前も話を聞いてたんだろ? なら、少しは言い方があるだろうが!」

「言い方か……ならこう言えばいいのかい? 『辛かったね。きっと天国から見守っているよ……』とか言わないといけないのかな。くだらないな……過ぎた事を言ってても仕方ないし。そんなもの、なんの役にも立たないだろ? その場の感情に流されていては、物事の本質を見失うだけだ――」


 ディーノの話が終わる前に、彼の頬をデイビッドの拳が捉える。


 大きな音が部屋中に響き、椅子と共に彼の体は床に転がった。


「……痛いじゃないか」


 鬼の様な形相で床に転がったディーノを睨みつけているデイビッドに向かって、彼もまた睨みながら殺気を放っている。

 部屋の中に緊迫とした空気が流れた。建物内が非戦闘区域でなければ、今頃はディーノも剣を取り出して戦っていただろう。


 このゲーム【FREEDOM】の中での戦闘とは武器、またはアイテムの使用を言う。

 だが一部例外として、ヒールストーンと製作用のアイテムの利用は屋内でも許可されていた。


 何故なら非戦闘区域内での戦闘行為とは、攻撃力のある武器などや効果のあるアイテム『麻痺、毒、睡眠』などは使用できないだけで、小競り合い程度の戦闘は許可されている。

 簡単に説明すると、武器による殺傷などの明らかな戦闘行為以外は原則OKなのだ。


 そしてプレイヤーの持ち物であるマイハウスや、ギルドの持ち物であるギルドホールではその設定を個別に選択できる。


 だが、忘れてはいけないのがゲーム内の最低ダメージ値が『1』であること、そうなれば、プレイヤーが睡眠時にそこらにあるオブジェクトで殴り続ければいいと思うが、そう都合良くはいかない。


 ベッドなどでの睡眠時、体力とHPが回復自然回復している。それは与えるダメージより遥かに大きい為、最小値のダメージでは永遠に殴り続けてもHPは0にはできないのだ。

 なおも睨み合いを続けている2人の間にエミルが割って入ると、眉を吊り上げながら叫んだ。


「あなた達! ここは私の家なのよ? 何より今はPVPは禁止! どうしてもやりたいなら、このゲームが正常な状態に戻ってから別の場所でやってちょうだい!」

「だけどエミル。こいつは人として許せない。その根性を修正してやる!」


 憤りを押さえられないデイビッドは「歯を食いしばれ!」と拳を握り締めると、エミルがその拳を両手で強引に下げさせ再び声を上げた。


「だからダメって言ってるでしょ! 横の部屋にはエリエ達も居るのよ!?」

「……くっ!」


 デイビッドは渋い顔をして仕方なく拳を下ろすと、エミルは床に倒れていたディーノを起こした。


「ごめんなさいね。でも彼も悪気があったわけじゃないの。ただ、正義感が人一倍強いだけなのよ。許してもらえるかしら?」

「それはもちろん。そんなことより、あなたには話がある」

「……なに?」


 優しい声でそう言ったエミルに、ディーノは真面目な顔をして答えた。


 その表情でことの重大性を察したのか、エミルの表情も自然と厳しくなる。直後、ディーノは重い口を開いた。


「……実は、あの子を助ける時に敵の大将を1人、キルしてしまってね。もしかすると、あの子がまた襲われるリスクを高めたかもしれない」

「「………えっ?」」


 デイビッドとエミルは状況が読み込めずぽかんと口を開けたまま、ディーノを見つめている。

 まあ、エミル達が驚くのも無理はない。PVPでは基本的に相手のキルはできないのだが、既存の石や木の枝などで攻撃することで『1』だけ残したHPを削り切ることができる。


 これはフリーダムのシステムが最低ダメージを『1』に設定しているから起こることなのだ――。


 しかし、普通ならばそこまでする必要はない。いや、良識のあるプレイヤーならば、この危機的な状況下で相手を故意に殺す必要などない。


 時間が止まった様に静寂に包まれる室内。


 その静寂を破るように、隣の部屋から血相を変えてエリエとカレンが飛び出してきた。


「ちょ、ちょっと! あんた何してくれてるのよ!!」

「そうだ! お前は自分が何をしたか分かっているのか!?」


 2人は部屋に入るなりディーノを指差しながら、大きな声でそう叫ぶと彼を睨みつける。 

  

 突然飛び出した2人のその後ろで、星があたふたしながら小さな声で言った。


「あ、あの……出て行ったらダメです。話を聞いてたことがエミルさんにばれちゃいますよ」


 その言葉を聞いたエミルが思わず大きな声を出した。


「ちょっと! どこから聞いてたの!?」


 エミルが叫んだ直後、2人はヤバイと思ったのか、お互いの顔を見て誤魔化そうと苦笑いしている。


 呆れ顔でため息を漏らすと、エミルはそんな2人を放っておいて、星の目の前に歩いていってにっこりと微笑みながら尋ねた。


「それで、どこから聞いてたの? 星ちゃん」

「えっと……あの、病院が……その……」


 星は口籠ると、そのまま俯いて黙ってしまう。まあ、この中で最も自白しやすいのは星だとエミルは分かっていたのだろう。


 落ち込んだ様に肩を落とした星に、エミルはそんな頭を撫でながら。


「星ちゃんが素直な子で助かったわ」


 っと呟き、気まずそうに俯き加減で立ち尽くしている2人を見た。


 睨んでいたエミルが、今度は呆れ返った様子で息を漏らす。


「……要するに、最初から最後まで聞いていたのね。はぁ~。そうやって気にすると思ったから言いたくなかったのに……でもまあ、考え方を変えると、もう話さなくて言い分。良しとしましょう!」


 エミルはそう頷くと、表情を曇らせていた3人もパァーっと表情を明るくする。


 その表情を見て笑みを浮かべたエミルだったが、すぐに険しい表情でディーノの方を向き直す。


「……それで、どうするつもり? ダークブレットはブラックギルドの中でも、最もきな臭い噂が絶えないギルド――噂では、この短期間に多くのギルドから被害者が出ているって話だし。しかも、その全てで例外なくキルされてるって話よ……」

「さすがは『白い閃光』と名高いエミルさんだね。情報もそれなりに調べているようだ」

「――ッ!? なるほど。あなたもそれなりに古参のプレイヤーさんなのは確かのようね」


 ディーノが彼女の通名を口にしすると、一瞬は驚いた顔をしたエミルだったが、すぐに冷静にそう言葉を返した。


 そんな2人のやり取りを聞いていた星の表情が曇った。

 いくら星でも話の内容から、自分を襲ってきた者達がダークブレットという組織の人間なのは察しがつく。


 そしてこのゲーム内での死は、現実世界での死に繋がる可能性があるという事実。

 おそらく。あの者達の狙いは元々『竜王の剣』という名の剣だったレイニールだろう……。


 しかし、今のレイニールは小さなドラゴンの姿で星の側を、片時も離れず飛び回っている。どう考えても、レイニールをダークブレットに渡すことはできない


 星は頭の上にちょこんと乗っているレイニールを見上げた。

 主の不安そうな表情にレイニールは首を傾げながら、星の顔を見下ろしている。


 それを見て、星が険しい表情で顔を伏せた。


(レイを相手に渡せない。きっと今日襲ってきた人達は、まだ私が剣を持っていると思っている。このままだと皆に迷惑をかける。やっぱり、私はここに居ない方が……)


 星がそう心の中で思っていると、エリエの訝しげな顔が飛び込んできた。


 エリエの青い瞳が星の紫色の瞳を見据え、彼女の顔が更に接近する。


「――わっ! あっ、危ないです!」


 驚いた様に身を仰け反らせる星の心を、エリエは見透かす様に目を細めながら呟く。


「……星。また良からぬことを考えてるでしょ?」

「えっ!? べ、別に何も……」


 核心をつく様な彼女の質問に、星は思わず視線を逸らす。だが、そんなことはエリエにはお見通しなようで……。


 あからさまに慌てる星を見てエリエが「やっぱりね」とため息を漏らし、言葉を続ける。


「どうせ、自分のせいで大変な事になったから、何かが起こる前に、また私達の前から姿を消そう……なんて考えてるんでしょ?」

「あの……それは……ち、ちがいます……」


 また核心に迫る言葉に星はドキッとしながら、小さく掻き消えそうな声で言った。


 エリエは悪戯な笑みを浮かべると、俯いている星に尋ねた。


「星は自分が皆の迷惑になってると思ってる?」

「……はい」


 少し間を開けて小さく頷いた星に、エミルはもう一度尋ねる。


「ならさっ、星はどうしたら迷惑にならないと思うの?」

「……そ、それは……」


 その質問の答えに、黙って2人のやり取りを見守っていたエミルも聞き耳を立てている。


 エリエが星の口元を固唾を呑んで見守っていると、星はしばらく考えた末に重い口を開く。


「……それは、やっぱり私が居なくなるのが一番だと思います」


 星はそう呟くと、まるで全てを悟ったかのような表情で再び口を閉じた。


 それを聞いて「エリエはやっぱり」と大きなため息をつく。その直後に口を開こうとしたエリエよりも先に、エミルが話し始める。


「全く。星ちゃんの逃走癖にも困ったものね……あなた自身は私達に迷惑をかけないようにと思っての事だとは思うけど、それからあなたはどうするつもり。もちろん行くあてはあるのよね?」

「……それは、他の街に――」


 星がそう口にする前に、エミルの言葉がそれを遮った。


「――他の街? なら、他の街の人達に迷惑をかけてもいいのね?」

「……それは……ダメです」


 しょんぼりとした様子で、星は自分の足元を見つめながら呟いた。


 危険な状況に自分が置かれているのは、星にも理解できている。だからと言って、このまま周りを巻き込むことはできない。しかし、今の星には逃げる意外には何も解決策が浮かばなかった。


 エミルはそんな星を追い込むように言葉を続ける。


「確かにあなたの命だもの。あなたがダークブレッドにやられようが、モンスターにやられようが、私達には関係ない。でもこれだけは覚えておきなさい? 子供がどんなに大人の真似事をしても結局は何もできないの。大人になりたいなら、少しは今の自分の立場と今居る状況を考えなさい」

「うぅぅ……」


 普段の彼女からは想像もできないような、その冷たい声音にショックを受けたのか、星は紫色の瞳を涙でいっぱいにして、長い黒髪をなびかせながら寝室に走り去ってしまう。


 突然走り出したその勢いに付いていけず、頭の上のレイニールは空中に放り出された。


「――ッ!? 全く。しょうがない主様じゃ……」

「レイニールちゃん。ちょっと待って!」


 レイニールは呆れ顔でそう呟くと、パタパタと翼をはためかせながら、後を追いかけようとした瞬間にエミルに呼び止められ、ビクつきながらゆっくりと振り返る。


「……ごめんなさいね。星ちゃんが落ち着くまで側に居てあげて、なにかあったら、すぐに私に知らせてちょうだい」


 深刻そうな表情で眉をひそめながらお願いする彼女の顔を見つめ「分かったのじゃ」とこくりと頷き、レイニールは星の後を追いかけていった。


 出ていく後ろ姿を見届けると、エミルは大きくため息をつく。


 そんな彼女に、エリエが言い難そうに声を掛けてきた。


「エミル姉。ちょっと言い過ぎたんじゃい? 確かに何も言わずに出て行ったのは悪いと思うけどさ。星にも、星なりの考えがあったんだと思うし――」

「――分かってるわ。でも、たまには叱っておかないと、あの子の為にならないし。それに、ここからの話はあの子には聞かれるわけにはいかないのよ……」


 彼女のその口ぶりから何かを察したのか、エリエはそれ以上は聞かなかった。


 エミルは覚悟を決めたような表情で、ディーノの顔を見つめると彼に問い掛けた。


「あなたほどのプレイヤーが、何も言わずに捕まったって事は、何らかの目論見があるんでしょ?」

「目論見? なんの事だい? 僕はただ、あの子の仲間を見たかっただけだよ。おかげで面白いものを見させてもらったしね」


 ディーノは口元に微笑を浮かべ、淡々と語った。

 エミルの言うのもことも一理ある。いくら高レベルプレイヤーが多くいるとは言え、無抵抗で捕まるのは、あまりにも不自然過ぎる。


 なおも真実を口にしようとしない彼に、エミルは更に言葉を続ける。


「別に隠す必要はないわ。もう私はあなたを敵のスパイだと思っていない。あなたは偶然を装っているけど、敵のリーダー格の人物を狙って殺した。逃げようと思えば逃げられたのに、わざわざ私達の到着を待ってから大人しく捕まっている。でもさっきのあなたのスキルの能力から察するに、広域的なスキルなのは間違いない。だってそうでなければ、5人を相手にして星ちゃんに傷一つ付けずに済むはずがないもの」


 エミルが自論を展開していると、横からデイビッドが口を挟む。


「エミルちょっと待て! 何を言ってるんだ? どうして、こいつがダークブレットのスパイじゃないと言い切れる。ただの厄介払いの為にリーダーを殺したとも考えられる。それに、PVPではHPは必ず残るはずだ。一対一ならともかく、敵が複数いて『0』にできるなんてありえないだろ!?」

「いいえ。可能よ、普通の武器なら無理だけど……トレジャーアイテム……そう。彼の武器なら、おそらく可能なのよ。そうでしょう?」


 エミルはディーノにそう問い掛けると、ディーノは「ふふふっ」と笑みを浮かべて、その後に口を開いた。


「君の考えている通りだよ。僕のダーインスレイヴは敵のHPを奪い取る。少量だけど、プレイヤーのHPを『0』にすることは造作も無い。君なら、僕の計画を話しても乗ってくれそうだ……いいだろう話してあげるよ。もちろん話したからには協力してもらうけどね」

「ええ、星ちゃんに危害を加えないと約束してくれたならね……」


 エミルは相手の思惑を探るように言葉を返した。


 すると、彼女の言葉を聞いたディーノは瞼を閉じて少し考える素振りを見せると、ニヤリと不敵な笑みを浮かべ。


「了解した。僕はあのダークブレッドという組織が嫌いでさ、君達には、その撲滅に協力してもらいたいんだよ。もちろん彼等の持っているアイテムと金銭は成功報酬として全部僕が頂く。彼等は皆殺しにするからね……君達への見返りはあの子の身の安全くらいになるけど……」


 本来は取引条件としては雲泥の差がある申し出だが、エミルは首を縦に振った。


「ええ、それでいいわ。でもその代わり、私達は誰も殺さないわよ?」

「それも承知してるよ。汚れ役を買って出るのは得意だ」


 やり取りを聞いていたデイビッド達が納得した様子の2人に声を上げた。


「ちょっと待ってくれ! リスクが大き過ぎる。そんな事を勝手に……」

「そうだよ、エミル姉! どれだけの勢力かも分かりきってないんだよ!」

「そうです! 第一に今はマスターもいません。そんな状況で不可能です!」


 デイビッド、エリエ、カレンが声を大にして叫んだ。


 まあ、当然だろう。ギルドでもない少数のパーティーでしかない人数でサーバー内で最も危険な犯罪集団を相手にするにはあまりに無謀と言えた。しかし、エミルはその声に耳を傾けることなく、ディーノに向かって深く頷いた。


 ディーノはそれを見ると「交渉成立だね」とほくそ笑んだ。

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