お風呂2

「ほな、エミル。食材出して、すぐに料理作るから2人はゆっくりしててな~」


 イシェルはエミルから肉を預かると、エプロンを着けてキッチンへと向かった。


 それを見送ると、エミルはため息まじりに星に告げる。


「はぁ……星ちゃんも早く着替えなさい。そんな格好を、マスターやデイビッドに見られたら大変よ?」


 しかし、星は表情を曇らせてぼそっと呟く。


「……でも、私の服は下着まで濡れちゃってて……乾かさないと……」

「えっ? それって戦闘で?」


 エミルにそう尋ねられると、星は全力で首を左右に振った。

 それを見てエミルはほっと胸を撫で下ろす。先程の星の表情を見る限りは、もっと重大な事態に陥っていると感じていたからだ。


 まあ、それ以外にも心配性な性格の星は、せっかくエミルが選んだ服を濡らしてしまったことを気にして、表情が暗かったのかもしれない。


 そう感じた彼女は、星に向かって先程よりも優しい声音で言った。


「なら、装備を外して再装備しなおせば元通りになるわ。このゲームでは、特定のモンスター以外は、戦闘終了時に武器や盾以外の装備の外見が元通りになるの。VRワールドでも体があるんだもの。服が破損したままだと、女性プレイヤーは不利益を被るから、その仕様も当然といえば当然なんだけどね!」

「そうなんですね! なら……」


 星はそう言って、装備を取り出そうとした時、今まですっかり忘れていたあることを思い出す。


 そう。あの時、星の装備はシャワーを浴びるのに服を脱いだ際、イシェルが持っていってしまった為、今は星の手元にはないのだ。それを思い出した星が慌てていると、エミルが不思議そうに首を傾げた。


「それで、服はどうしたの?」

「あっ……服は今、イシェルさんが持ってて……」

「えっ? どうしてイシェが、星ちゃんの服を持っているの?」


 星のその言葉に、エミルは驚いた表情で尋ねた。


 彼女の問に、俯き加減に星が答えた。


「イシェルさんに濡れた体を温めた方が良いって言われて、シャワーを浴びたので……」


 星の話を聞いたエミルがキッチンで料理をしながら、鼻歌を口ずさんでいるイシェルに向かって叫ぶ。


「――ちょっとイシェ! 星ちゃんの服はどうしたの!?」


 イシェルは思い出したように、手の平をぽんっと叩くと「ああ、忘れとった! かんにんして~」と慌てて服を棚から取り出すと星に差し出した。


 こういうところを見ていると、彼女も別に悪気があってやっているわけではないのだろうと思ってしまう。


「ごめんな~、かんにんしてな。うち、物忘れ激しいんよ~」

「い、いえ全然……こちらこそ、服を貸していただいて……あっ、ちょっと着替えてきます!」


 イシェルから服を受け取った星は、ワイシャツの下には何も身に付けていないことに気付く。


 さすがに人前で着替えるのは恥ずかしいのだろう。星はイシェルから服を受け取った後、脱衣室へと足早に駆けていった。


 脱衣室に入った星は服と下着を叩いて濡れていないか確認したが、まだ多少湿っている。コマンドから装備欄を開いて装備し直すと、エミルの言った通り服はすっかり元通りに乾いている。どうやら装備し直せば、濡れた服も乾くという話は本当らしい――。


「へぇー。本当にもう濡れてない。そっか、ここはゲームの中なんだから普通じゃないんだ……」


 星はそう思うと、この世界が現実の世界でないことを実感し。急に胸の辺りを締め付けられるような感覚に襲われ、持っていた服を胸に強く押し当てた。


 星がゲームの世界に閉じ込められてもう一週間。しかし、未だに外部とは交信はできていない。

 フリーダム内でも多くのプレイヤーは、ブラックギルドのプレイヤーによるPVPでの奇襲を恐れ、マイハウスに立て籠もっているか宿屋から一歩も出ないという者も少なくはない。だが、決して彼等を責めることはできない。


 それもそうだろう。未だに多くのプレイヤーは初日のモニターの演説で、ゲーム内の死が現実世界での死を意味すると聞かされ、それに恐怖し外部からの救援を待っている状態なのだ。


 実際に、マスターのように外の世界に戻る為、積極的に行動しているプレイヤーの方が少ないのが現実だ――。


「……本当に元の世界に戻れるのかな?」


 不安からか、星の口からボソッと本音が漏れた。


 しかし、すぐに迷いを振り切るように首を振ると「きっと大丈夫!」と両手を握りしめ、持っていた服を着た。


 気持ちを切り替えて星が部屋に戻ると、キッチンの方から美味しそうな匂いが漂ってきた。


「――くんくん。なんだか美味しそうな匂いがしますね!」

「あら、星ちゃん。いい匂いでしょ~。イシェルは料理が上手なのよ」


 何故か自分のことのように、自慢気に答えるエミルを見て星は悟った。


『だからエミルさんは料理が下手なのだ』と……。


 そうこうしているうちに、エリエとデイビッドが楽しそうに話をしながら帰ってきた。

 そんな2人の様子を見たエミルは「良かった。仲直り出来たみたいね」と安堵の声を上げる。

 

 エリエは部屋に入ってくるなり、鼻をひくひくさせてキッチンに向かって歩いてきた。


「いい匂い……この匂いはハヤシライス?」

「ふふっ。残念、ちょいちゃうよ。これはビーフストロガノフって料理なんやよ?」

「へぇ~。イシェルさんさっすが~。早く食べたいなぁ~」


 エリエは鍋の中でぐつぐつと煮えたぎっている具材に熱い視線を送っている。

 すると、イシェルは火を止めそれに蓋をすると、手を合わせてにっこりと微笑んだ。


 ゲーム内での料理の方法は2種類ある。その一つがゲーム内にある料理スキルを利用して作る方法。

 これはレベル制ではない生活スキルである料理スキルを使用している為、誰でも指定した分量の食材と調味料を使って同じ味が作り出せる。


 だが、これはVRゲーム。実際にゲーム内でアバターを思い通りに動かせる以上、料理が得意な人間にとっては少し物足りなく感じてしまうのも仕方がないことだろう。その為、実際に料理を作れば個人個人で味に違いが出るような工夫もなされていた。


 しかし、このやり方だとレシピを作成しなければ二度と同じ味を作り出すことができない。

 それに所詮はゲームの中での食事に、それほど思い入れを込めている者も多くはなかったが、このように寝起きを行うような状況になれば違う。


 今イシェルがやっている料理方法は、まさに後者だった。


「ほな。皆揃った事やし、お風呂に行こうか! ちょい冷ました方が具に味が染みて美味しくなるんよ~」

「えぇ~。私お腹空いたよ。すぐに食べたい~!」

「あかんよ。それに空腹は最大の調味料って昔から言うし、楽しみは後にとっとかな」


 仕込みを終えたイシェルはエプロンを外し、エリエの手を引いてキッチンからリビングへと出てきた。


「ほな、エミル。横の部屋で寝とる子も起こしてきてもらえる?」

「――寝室で? でも寝室に誰が……って! そういえば、マスターとカレンさんがいないじゃない!!」


 エミルは先に戻っていたはずの2人が居ないことにやっと気が付き、驚きの声を上げた。


 そんな中、イシェルはエミルに微笑み返すと「そん話はまた後でな~」と言ってエリエの手を強引に引いて歩き出そうとした時、エミルがそれを呼び止めた。


「イシェ。お風呂に入るなら、皆で入れるように大浴場に行きましょう」

「おぉ~。そらええ考えやね~。ほな、皆で大浴場に行こか~」

「えぇ!? もしかしてイシェルさん。私と2人で入るつもりだったの!?」


 驚いたようにエリエがそう尋ねると、イシェルは「あははは」と笑って誤魔化しているが、エリエは怯えた様子でその場に立ちすくんでいる。

 彼女のその様子から、どうやらエリエはイシェルのことが苦手らしいということは察することができる。


 イシェルは元々エミルやデイビッド、エリエ達とギルドを組んでいた。この事件が起こる前に解散したエミル達のギルドだが、それ以前に何かイシェルとエリエの間にトラウマになるような出来事があったのだろう。


「それじゃ、星ちゃん。先にイシェ達と行っててもらえる? 私はカレンさんを起こしてから行くから」

「……えっ? いえ、私は後で一緒に――」


 普段ならその言葉に従うであろう星が、珍しくエミルの提案を拒んだ。

 正直。星はどうもイシェルのことが、嫌いとまでは言わないまでも苦手な部類であると判断していた。


 だが、星がそう言い終わるよりも早くイシェルが星の手を掴む。


「――えっ!? あ、あの……イシェルさん」

「心配しなくてもええよ~。大浴場の場所は、うちが知っとるからな~」


 そう言っておどおどしている星とエリエの手を引いたイシェルは、そのまま2人の手を強引に引いて大浴場に向かって歩き出す。


 イシェルにがっしりと掴まれた手を引かれ、星とエリエは部屋を後にする。



 階段を降り、廊下を歩いていた3人は、城の1階にある大浴場の入口の目の前まで来た。入口には青と赤ののれんに、大きな『ゆ』の一字が掲げられている。


 温泉街の旅館のような建物ならまだしも、西洋のお城の中には似つかわしくないと星は感じた。


 中はさらに旅館の脱衣室といった感じの造りになっていて、木目がいい味を出している大きな脱衣室の壁に備え付けられた鏡の前にはカウンターテーブルと木製の椅子があり。部屋の中央には木製の棚に竹で編まれたカゴが数多く並んでいて、部屋の隅には扇風機と体重計が置かれている。


 今まで旅館に来たことのない星のテンションは一気にMAXまで上がり、イシェルの手を放すと物珍しい脱衣室の中を見て回る。


「凄い凄い! これがお風呂なんですよね? 私こういう場所に来るの初めてです!」


 瞳をキラキラと輝かせながら、部屋を一通り見て回ってきた星が興奮気味に言った。


 エリエとイシェルはそんな星を優しい眼差しで見つめている。

 そうこうしていると、少し遅れてエミルとカレンが脱衣室に入ってきた。


「あれ? デイビッドは?」


 エリエがそう言って首を傾げると、エミルがため息をつきながら少し呆れた表情で聞き返した。


「はぁ~。エリー。ここはどこかしら? ……デイビッドなら、隣の男湯の方に行ったわよ」

「あっ。そっか……そういえばここは女湯だったね」


 エリエはそう呟くと、頭を掻いて苦笑いしている。


 その時、カレンがイシェルに声を掛けた。


「イシェルさん。あの、師匠はいったいどこへ……?」

「まあ、お風呂に入ってからにしよか~」

「……分かりました」


 イシェルにそう言いながら服を脱ぎ始めると、カレンも強く言うとができずに仕方なく頷いた。


 星はそんなイシェルの豊満な胸を食い入るように見つめている。目の前に現れた大きな膨らみは、小学生の星とは比べ物にならないほど大きかった。


(すごくおっきい……エミルさんよりも大きいかもしれない)


 そう思いながら無意識に自分の胸を触る。


 しかし、星の胸は寄せても掴めるか掴めないかくらいの大きさしかない。いや、正確には掴めない。寄せればいくらか目立つくらいしかなかった。


 星は大きなため息をつくと、それに気がついたレイニールが声を掛けてきた。


「主、どうした? 胸を押さえてため息なんかついて、胸が痛いのか?」

「……ううん。ちょっと自分に自信が無くなっただけだから心配しないで……」

「ふむ、難しいお年頃というやつだな」


 そう言って腕を組みながら、頷いているレイニールに驚いたのか、星は身を仰け反らせて叫んだ。


「――って! レイ! どうしてこっちにいるの? レイは男の子でしょ?」

「なにを言うか! 我輩はオスではないぞ!!」

「……女の子なら自分の事を我輩って言わないと思う……」


 星はそう言って、レイニールに疑いの眼差しを向けた。


 レイニールは困った顔をして、そんな星の顔を見つめると深く頷いた。


「……分かった。なら、証拠を見せれば良いのだな? まったく疑り深い主様じゃのう」

「証拠?」


 そう言ったレイニールは空中でくるくると前転しはじめると、徐々に高速回転になり。その直後、空中でレイニールの体が光り出し、よりいっそう強い光を放つ。


 光にその場に居た全員が目を瞑ると、次の瞬間。眼前に1人の小学校低学年くらいの女の子が立っていた。

 金髪をツインテールに結んだ青い瞳の女の子が全裸のまま、自慢げに腰に手を当て胸を張って堂々たる姿で仁王立ちしている。


 星はその姿に言葉を失った。


「――ふははははっ! 驚いて声も出ないのか? 主。どうじゃ? 隅々まで見てみー。なんなら、触って確認しても構わんぞ? まあ、どんなに調べたところで、我輩がオスではない事は明らかじゃがな!」


 そう自信満々に言い放ったレイニールは、また胸を張って「はっはっはっ」と高笑いしている。

 まあ、胸どころか大事な部分も全てさらけ出しているわけだが……どうやら、羞恥心などはないのだろう。というか、今まで全裸で飛び回っていたレイニールに羞恥心というものがあるのかというのが謎だが……。


 だが、星はそんなレイニールに素朴な疑問をぶつけた。


「レイ。ちょっといい?」

「どうした? 主」

「……レイはいつも服も着ないで、裸で動き回ってたの?」

「当たり前じゃ! 我輩が服など着ているところを見たことがあると言うのか? 主よ」


 星の問にレイニールは迷うことなく返した。


 そんなレイニールに星は、少し軽蔑にも似た感情を覚えたが、学校で『ノーパン女』という不名誉な呼ばれ方をしている自分がそれを感じてはいけないと、首を横に振る。


「はっはっは。それにだ、よく考えてみろ! 布を体に巻き付けておっては、動きにくくて仕方ないであろう? 我輩はもしもの時に、主を守らねばならぬからなっ!」

「はあ、そうですか……」


 自慢げに話すレイニールの姿に呆気に取られた星は、呆然と笑っているレイニールを見つめていた。

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