ログアウト不可2

 衝撃の会見の後。星はただただ呆然と暗くなった画面を見つめていた。

 心中にはもしかしたら、もう一度なにか新しい情報が流れるのではないか……という淡い期待があったのは事実だ――。


 しかし、無常にも時は流れるだけで、あの会見以降モニターが再び映ることはなかった。


「もう夜中の2時よ……星ちゃん。これ以上ここに居ても仕方ないわ。行きましょう……ねっ?」


 心配したエミルが肩に手を置くと、星の頬を涙が止めどなく流れ落ちた。


「――うっ……でも……ひぐっ……また……なにか、映るかも……しれませんし……」


 おそらく、星はもう二度と母親には会えないかもしれないという行き場のない思いが、涙という形になって溢れているのだろう。


 星は今更ながらに、自分の軽率な行動を悔いていた。


 今日、学校を休まなければ……。

 あの時、街でこのブレスレットを貰わなければ……。

 好奇心で、このゲームを起動さえしなければ……。

 母親と喧嘩をしていなければ……。


 そんなすでに意味のない後悔だけが脳裏を過る。


 もう悔いても仕方ない――そんなことは分かっていても、考えてしまうのが人の悪いところかもしれない。


 後悔と自責の念から、自己嫌悪に陥っている星。


「星ちゃん。気持ちは分かるけど……とりあえず状況を整理しないといけないし。一度帰りましょう?」


 エミルが声を掛けると、星は我に返った様に潤んだ瞳で彼女を見上げた。


「――ぐすっ……でも、どこへ……?」

「そうねぇ~。星ちゃんはこっちに来たばかりだから、マイハウスにも生活に必要な物。何もないだろうし……よし! 私の家へいらっしゃい。少なくとも生活するのには困らないわ!」


 すすり泣いている星の手を握ると、エミルは自分の家のある方向へと歩き始めた。


 夜になってライトアップされ、昼とは異なり綺羅びやかになった街の繁華街をしばらく2人で歩いていると、星はある重要なことに気が付く。


「エミルさんの家って、私の家と真逆の方向なんですね……」


 だが、その質問も最もだ。この世界に来た時に用意された星の家の近くには、他にも多くの家が立ち並んでいた。


 この世界では限られた空間を有効に利用する為、接続した時に取得するマイホームを複数プレイヤーが使用できる様になっている。


 もちろん。それでは他のプレイヤーが家に自由に出入りしてしまうことになってしまう。


 だからこそ、ここでいう他のプレイヤーが利用するのは家ではなく家が立っている番地の方だ――簡単にいうと、立体駐車場をイメージしてもらえれば分かりやすいだろう。プレイヤー全員に個々に設定されているシリアルナンバーを検知して、そのプレイヤーのマイハウスを呼び起こすというシステムだ。


 そのシステムがあるからこそ、プレイヤーがゲームを始めたと同時にマイハウスを与えることができる。なら、普通に考えてエミルの家もその一角にあると考える方が自然だろう。


 しかし、今は明らかに街の出口に向かって歩いているように感じる。 


 その質問に答えるようにエミルが口を開いた。


「いや、なんていうか……私の家は特別な場所にあるからね。でも、星ちゃんみたいなファンタジー好きな子はきっと気に入ると思うわよ?」


 嬉しそうにそう話す彼女の顔を見上げ、星は小首を傾げた。


 だが、彼女の『ファンタジーが好きな子は』という言葉の意味が、星にはいまいちピンとこない。

 しかし、にこにこと微笑んでいるエミルを見ていると、だんだん自分まで楽しい気分になってくるから不思議だ。

 

「良かった。テレポートは無事みたいね」

「テレポート?」


 星の目の前には、魔法陣の書いてある祭壇のような建造物が建っていた。

 2人がその上に乗ると魔法陣は青く光輝き出し、その光りが一気に空へと向かって立ち上がる。


 星はその眩い光りに驚いて目を閉じる――次に目を開いた時には、2人は森の中の祭壇の上に立っていた。


「……ここは?」


 辺りをキョロキョロと見渡したが、漆黒の闇と森の木々に阻まれて遠くまでは見ることができない。


 エミルは辺りを興味津々で見ている星を尻目に、すたすたと歩き始めた。


(はぁ~。また歩くのか……)


 星は心の中で愚痴をこぼしながらも、エミルの後を追って歩く。


 森の中をただひたすら歩き続けていると、星は疲れからか強い睡魔に襲われる。

 それもそのはずだ。この頃には現実時間で深夜3時を回っていた。いつもの星ならとっくに夢の中に落ちている時間だ――。


 しかし、現実世界に戻れないこの状況では、そう贅沢も言ってられるわけもない。


 星はところどころ飛びそうな意識の中、ふらふらと体を揺らしながらも懸命に歩みを進めた。すると、ふと前を歩いていたエミルが足を止めて徐に振り返り。


「――星ちゃん。もう眠いんでしょ? ごめんなさいね。もう少しだから……」


 エミルの申し訳そうな表情からみて、彼女はだいぶ前から星の様子に気が付いていたのだろう。


「あっ! ちょっと待っててね」


 何かを思い出した様に彼女はコマンドを操作しながら、アイテム欄にある何かを探し始める。

 エミルが「あっ、あった!」と嬉しそうな声を上げたかと思うと、今度はエミルの目の前に古い巻物の様な物が現れた。


 星は眠い目を擦りながら、不思議そうにエミルの手に握られたその古びた巻物を見つめている。


「ちょっと危ないから離れててね?」

「は、はい……」


 エミルはそういうと、地面にその巻物を開いて置きその場を離れた。


「さあ、いらっしゃい。デザートドラゴン!」


 エミルがそう叫ぶと、巻物を巻いていた紐の先に付いていた笛を吹いた。

 すると、巻物から煙がもくもくと立ち昇り。次の瞬間、1匹の地竜が2人の目の前に現れた。


 その体は赤く背中にはごつごつとした角が4本生えていて、赤く分厚い表皮はとても硬く分厚い鉄版の様だ。


「星ちゃん。この子に乗って移動しましょう。見た目はあれだけど、乗り心地は意外といいわよ?」

「えっ? これに乗るんですか?」


 星は不思議そうに口から白い息を吐く赤い竜を見た。強がってはいるものの、その鋭い瞳をしたドラゴンに星の足は小刻みに震えている。


 エミルは「ええ、そうよ」と言うと、星の体を持ち上げ地竜の背に乗せた。星はおっかなびっくりしながらも、覚束ない足取りで地竜の背中をよじ登る。


 その地竜には下からは見えなかったが背中の中央には少し窪みがあり、そこに白いもこもこのクッションが置かれていた。


 おそらく。硬い表皮の上で乗り心地を良くする為にエミルが置いたものなのだろう。


「どう? 意外といい感じでしょ?」

「えっ? は、はい」


 エミルはまだ少し体を強張らせている星の隣に座ると、緊張を解そうとしてくれたのかにっこりと微笑む。


「さあ、レッツゴー!!」


 手綱を持ったエミルがバシンッ!と勢い良く手綱をしならせると、地竜は猛スピードで走り出した。


 それからしばらく地竜の背中に揺られていると、星はまた何とも言えない不安に襲われた。


「あ、あの……これから、どうなるんでしょう……?」


 星はその不安を率直にエミルにぶつけてみる。


 その質問に、難しい顔で唸るように考え込むエミル。

 

「――う~ん。私にも分からないけど、とりあえず。あの覆面男の言っていた現世の扉っていうのを探しにいかないとかな? あいつの話を全て鵜呑みにするわけじゃないけど……でも、このまま閉じ込められてるのに、何もしないわけにもいかないしね~」

「そうですね……なら、私はお留守番……ですね」


 それを聞いた星は少し残念そうに俯き加減に小さく呟く。


 だが、それも仕方ないと言えるだろう。エミルは最高のLv100。星とのレベル差は99――Lv1の星が一緒に行けないということは分かりきっていた。そしてあの覆面の男の話が本当に事実なら、この世界での死は現実世界での死にも繋がる。


 星としてもせっかく仲良くなったエミルと本当は一緒に行きたい。だが、HP15の星がエミルに付いていけばすぐに敵にやられてしまうだろう。足手まといになるのは、火を見るより明らかだった……。


「星ちゃん……」


 唇を噛み締め、悲しそうな顔で俯いている星に向かってエミルが優しく話し掛けた。


「星ちゃんは、早く帰りたくないの?」

「帰りたいです。でも、あの人の話だと、帰れるのは同じパーティーの人だけで、私は邪魔になるから……仕方ないですよね……」


 それを聞いて、エミルは呆れたように大きなため息をついた。


「はぁ~。星ちゃんってさ……今までわがままとか言った事ないでしょ?」

「……えっ?」


 エミルのその真に迫る発言に、星は困惑しながらも少し考え込んだ。


 確かに今までの人生の中で、わがままといえるわがままを言った記憶がない。それどころか、いつも人の顔色だけを窺って生きてきた気もする。だが、星にはそれが日常的になり過ぎて、しない方が不自然に感じるほどだ――。


 星はエミルのその言葉に静かに頷く。


「……はい。その通りかもしれません……」


 その返答を聞いて、エミルは「やっぱりね」と再び大きなため息をつく。


 隣に座っている星の方を向いたエミルが告げた。


「星ちゃんがまだ幼いのは、身長を見たら一目で分かるわ。この世界ではシステム上。身長と性別は変更できないからね。ゲームと現実の肉体に違いがあると、ゲーム内ではよくても、現実での日常生活に支障が出る可能性があるからね……だから、街で泣いていたあなたを見かけた時に声を掛けたのよ?」

「なるほど……」


 相槌を打つ星の顔をじっと見つめ、エミルが落ち着いた声音で告げる。


「でも、あなたは私が思っていたよりも大人びてるから、私はそれが心配なのよ……」


 星はその言葉に不思議そうな顔で「どうしてですか?」と首を傾げた。


 神妙な面持ちで隣りに座っている星の肩を掴むと、エミルの青い瞳が真っ直ぐに星の紫色の瞳を見つめた。そのエミルの瞳はどこか悲しそうに見えた。


「――さっきも言ったけど、ゲームをしてる人の中には悪い人も多い。それに、ここではレベルが全てなの。装備もそれなりには重要だけど、それは、個人の技量でどうにでもできる――この世界では、あなたみたいな子供のプレイヤーは珍しいから、興味本位で近付いてくる人間もいるだろうし。あなたは善悪関係なく、そういう人にもきちんと接してしまうでしょ?」

「いえ、それは……」

「……ないと言えるの?」


 言葉を遮られ、エミルにそう言われた星は、すぐに否定しようとした口を噤んだ。


 それは本心では、エミルの言っていることが正しいと感じていたからに他ならなかった。

 もしも、自分に悪意を持って近付いてくる人間がいるとして、星はそれを拒むことはできないだろう。


 現に、この世界にも見知らぬ男性に渡されたブレスレット型のハードを使用してきてしまったのだから。


 言い返す言葉もなく。無言のまま口籠る星に、エミルは言葉を続けた。


「別に画面の中だけの世界ならいいの……でも、このゲームはゲーム世界にも体があるでしょ? って事は、誘拐される事だってある。もし、そこで体を縛られたら?」

「それはゲームを止めれば……」

「まあ、普通はそうね。でも、コマンド入力は指を使わないとできないから武器も取り出せない。そして今はログアウトできないのよ? そんな状態でどうやって逃げるって言うの?」

「うぅぅ……」


 星はエミルに言い負かされ、ただただ俯いたまま口を閉ざすしかなかった。


 だが、エミルの言うことは最もだ。この世界には警察もいなければ親もいない。

 助けが来ないこの世界で、もしも星が誘拐されればひとたまりもないだろう。

  

「とにかく。もうログアウトも出来ないんだから、星ちゃんが一緒に行動できるレベルになるまでは、私が付きっきりで指導してあげる。でも、ダンジョン探しもあるからレベルも一気に上げるわよ?」

「はい……」


 エミルにそう言われ星は表情を曇らせる。


 それを見ていたエミルが小さく息を漏らし、星に微笑む。


「大丈夫よ。言うほど難しいことはしないから。それにこの世界にいる間は私が守ってあげるから、星ちゃんはなにも心配なんてすることないの。私の事は本当の姉だと思って甘えてくれていいからね?」

「でも……それじゃ、エミルさんに迷惑がかかりますし……」

「何言ってるの。今の状態でも十分迷惑かけてるじゃない」


 エミルに笑いながら言われ、星は「うぅぅ……」と唸りながら、申し訳なさそうに俯く。


「私は戦い方を教えるだけ、後は星ちゃんが思ったように行動すればいい。もし1人できないことがあったら私に遠慮しないで言いなさいね?」

「はい!」


 星はにっこりと微笑んで、嬉しそうにこくんと深く頷いた。   

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