第39話 修業の日々

 あけぴょんのようになってほしい。それが美久の願いだった。

 だからといってこんな場所に来る必要があるのだろうか。

 結菜が美久に連れてこられたのは、いつもの採石場……によく似た場所だった。

 ここで修業というのをするらしい。

 麻希は誘わなくていいのかと訊いたら、これは勇者の修行だからと答えられた。

 地面を触って何かの準備をしていたらしい美久が顔を上げて手を振ってくる。


「では、結菜様。そこから走ってください」

「走ってくださいと言われても」


 そこは現場に入る下りの坂道になっている。あけぴょんが怪人に向かっていった場所によく似ている。

 あの時は爆発していたが、今は少し風が吹いているだけで静かなものだ。

 辺りには砂利が多いが、通り道になっているここは固められた地面だった。


「さあ、結菜様。ゴーです」

「うん」


 こんなものが何の練習になるかは分からなかったが、結菜は自転車をゆっくりと漕ぎ出すことにする。

 少し進んだところでいきなり横で爆発がした。


「うわあ!」


 結菜は戦争でも起こったのかと思って慌ててブレーキを掛けて足を踏ん張った。

 美久が怒鳴ってくる。


「ちょっと、結菜様! なんで止まってるんですか!」

「だって今、ばく……爆発が……」

「そんな物にびびって、あけぴょんのようになれますか! さあ、もう一度走ってください!」

「ええー」


 結菜は仕方なくもう一度走った。だが、爆発のたびに驚いて止まってしまう。そのたびに美久の怒声が響いた。


「もう! 結菜様、本当に勇者になる気があるんですか! もう一度!」

「もう一度と言われても」

「さあ、早く! あけぴょんはこれぐらいのこと普通にこなしているんですよ!」


 そう言われても結菜は困ってしまうのだが。

 今の委員長には逆らえそうにないので従うのだった。



「もう自転車でトランポリンはこりごり……」


 あれから数日の修行を経て、帰宅した結菜はぐったりとしてリビングのソファに身を投げ出した。

 爆発の中での走行を終えてからも、美久が山の上から投げ下ろしてくる岩(発泡スチロール製)を自転車で避けたり、美久が構えるクッションの壁に向かって自転車で突っ込んだり、トランポリンの上を自転車で跳ねたり、もう散々であった。


「美久が厳しいよお」


 あけぴょんはこの修業を全部やっているらしいが、本当にやっているのか疑わしいものである。


「頑張っているようだな」


 声を掛けてきたのは悠真だった。結菜はびっくりして顔を上げた。


「お兄ちゃん、帰ってきてたの?」


 悠真は前から大学の寮の方によく泊まっていて自宅にはあまり帰ってなかったが、事件の後では遅れを取り戻さないといけないとその回数はさらに減っていた。

 自宅にいるなんて今では相当珍しいことだった。

 悠真は言う。


「うちのサークルでもお前達の勝負を取材することになってな。その準備をしに来たんだ。バニシングウェイだったか、あれは何か特別な道らしいな。伝説の勇者と翼さんが勝負するとなって、結構大きな騒ぎになってるようだぞ」

「え? そうなの?」


 結菜にはいまいち実感がない。知っている人同士で走るだけのことだと思っていた。


「で、勇者としては勝負への意気込みはどうなのかな?」

「もうお兄ちゃんはまた他人事のように」

「今回は本当に他人事だからな。あ、姫子さんの応援はもちろんするけどな」

「わたしの応援もしてよ」

「もちろんしてるぞ、頑張れよ」

「誠意がなーい」


 言葉だけの応援を掛けられて結菜は憤慨した。

 気を落ち着けてから言う。


「わたしなんかで翼さんに勝てるかなあ」

「勝てると思うぞ」

「本当に?」

「ああ、翼さんは文武両道に優れていろんな賞を取ってるけど、自転車は未経験だからな。それにまだ高校生だ。自転車に関しては葵の方がずっと速いぞ」

「あんな人と比べられても」


 葵とは兄と同じ大学で同じサークルに所属する男前らしさを感じさせる年上の少女だ。

 結菜は前の事件の時の葵のスピードを思い出してみた。あっという間に距離を離されていく。とても勝ち目は0だった。


「魔王や天使もかなり速かったな。お前はお前が思っているよりずっと速い人達と走ってきたんだから、もっと自信を持っていいと思うぞ」

「うーん、そうかなあ」

「あの人達に比べたら、翼さんなんてただの高校生のお嬢様じゃないか。学校だって姫子さんと変わらないんだぞ」

「そりゃ、お兄ちゃんから見たら高校生なんて小物かもしれないけど」


 その時、兄の携帯が鳴って、悠真はそれを取った。


「姫子さんからメールだ」

「姫子さん、なんて?」

「ん」


 悠真が画面を見せてくれる。そこには、


『助けて、苺ちゃんが厳しいの』


 と書かれてあった。

 悠真は気楽に笑っていた。


「向こうにもスパルタの先生がいるようだな」

「お兄ちゃん、助けてあげないの?」

「俺も姫子さんには頑張ってほしいからな。『頑張って、応援してくれるから』っと」


 返信はすぐに来た。


『うん、頑張る』

「姫子さんは可愛いなあ」


 悠真はだらしなく鼻の下を伸ばしていた。


「お兄ちゃん、そんな変な顔を姫子さんに見せないでよ」

「ああ、俺は姫子さんの前ではかっこいい男子を演じているからな」

「もう」


 結菜は兄と姫子の仲を応援していたけれど、姫子は騙されているのではと心配になったのだった。

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