27-2
荒野の真ん中にある人工物は、高さ二メートルほど、以前少女が破壊したギャラルホルンの中心部、巨大なエーテルライトが埋め込まれていた装置だった。そこには今、エーテルライトの代わりに、少女の妹が――リサの体が収まっている。
そして丁度、装置を挟んだ反対側にも、五人分の人影が並んでいる。両端には男、それぞれ少女から見て右にウィリアム・J・コグバーン、左にブッカー・フリーマンが、間に三人の女性を挟んでいる。更にコグバーンの隣にジーン・マクダウェル、ブッカーの隣にマリア・ロングコーストが立っており、中央には一番背の低い女性――初めて見るけれど、間違いない――少女の母、サカヴィアが立っていた。
「……アナタの野望もここまでよ、ブランフォード」
「成程、成程、ブランフォード……私はそんな名前だったのか」
男はさもどうでも良いという調子で、母のほうへとゆっくりと振り向いた。
「なんとか、あの男……何という名前だったかな? あの、許されざる魂の……まぁ、最早、奴のことなどどうでも良いが……ともかく、奴の目論見から外れるため、私は一番肝心なものだけを残すことに専念し、後の記憶は切り捨てたのだよ」
話の流れからすると、あの男とはパイク・ダンバーのことだろう。ブランフォードの魂は消滅し、後は器としてのリサの体だけが残ると、スコットビルが言っていた。そして、あの男にとって一番肝心なもの、それはやはり神の国を作るという使命なのだろうが――。
少女が思考していると、今度は気だるそうに、男はくるり、と辺りを見回した。そして今度は自分の方を、怒気のこもった視線を送ってくる。
「しかし……あぁ、まったく、まったくもって、忌々しい連中だ……神の愛を拒絶するなどと……」
男の言葉に対して、ジェニファーが一歩前に出て応える。
「貴方も分かっているはずです。聖典の神など、この世にはいない……聖典の記述は嘘っぱち、貴方が言ったことですよ?」
「ふん……だから、それを本物にすることが、私の使命だったのだ。だが、そう……私は、記憶が薄れ往く中で、ずっと考えていた……この、大いなる意志とやらを、更にその上位の存在たる聖典の神が御作りになられたということを、誰が否定できる?」
ブランフォードの妄信に、ジェニファーは顔をしかめ、一歩引いてしまった。それは、相手に威圧されたのではなく、相手の異様さに――もはやどんな言葉も届かないという、男の常軌を逸した言動に引いたのだろう。その代わりに対岸で、コグバーンが面倒くさそうに耳の穴に指を突っ込みながら口を開いた。
「それなら、最後にして最高の預言書である聖典に、そう書いてなけりゃ可笑しいだろ? それとも、でけぇ耳クソ詰まってて、正論も聞こえねぇのか?」
「旧教の総本山にとって、都合の悪い預言書は封印されている……本来は、ここの存在も記載されていたのやもしれんだろう?」
今度はコグバーンのほうが、やれやれ、といった調子で肩をすくめた。もう、話し合うことも無いかもしれない。ここで有無を言わさず決着をつけたほうが早いのは分かっている。
それでも、少女は男の魂と対話することを選んだ。
「……なぁ、おま……」
少女はそこで一回言葉を切った。相手は、この大陸の悲劇に関して、裏で手を引いていた張本人。だから、ライトストーンでは引き金を引いた――しかし、この人は、母にとってはやはり大切な人であり、自分の名前を忘れてすら、少女の名前を覚えていたのである。
それはきっと、普通通りの親子愛では無かっただろう。それでも、彼にとって自分は、一種特別な存在であったのだから――少女は始めて、相手を自分にとっての血縁と認めることにした。
「父さん、アタシは、違うと思うよ」
父、と呼ばれたことに驚いたのか、ブランフォード・S・ヘブンズステアの魂は、眼を見開き肩を揺らした。
「……何が違うというんだ?」
「アタシは物心付いた時には、修道院に居たから……ついこの間まで、神様の存在を疑ってなかった。それは、今、大いなる意志の存在を知った後だって、あんまり変わってないんだ」
そこで少女は自分の右手を目の高さまで上げ、うっすらと見える自分の魂の形を見つめた。
「アタシは引き金を引くときに……誰かの魂を送るときに、心の中で祈りを捧げてた。でも本当は、アタシは神様に許してもらいたからじゃなくて、自分の為に……自分の罪を、自分で許すために、自分の中の神様に、お祈りをしてたのかもしれない」
そして、腕を下げ、再び父を真っ直ぐに見据える――相手も何かの答えを期待しているのか、遮ることなく、話に耳を傾けている。
「父さんの言うとおり、もしかしたら聖典の神様は、大いなる意志よりも一個上に居るのかもしれない。それは誰にも確認できないから、否定も肯定もできない……でも、大切なのは、きっとそこじゃない。アタシの中に、間違いなく神様は居るんだ。でも、それはアタシがアタシなりに解釈した神様で、父さんの中の神様と違う……同じ本の中に書かれている神様でも、人はみんな、受け取り方が違うから……」
自分の中の神様と、相手の中の神様は、同じようで別物――自分で言っていてそこに気づき、少女は自分の中にあった相手との軋轢の謎が氷解した。しかし、相手側としては期待していた答えではなかったのだろう、男は眼を瞑り、静かに頭を振った。
「……愚鈍な娘だ。神は神、それは確かに……」
「馬鹿で結構、でも、そう……神様って、みんなの心の中に、確かに居るんだ。でも、アタシが言いたいのは、もっとその先だよ。人が今まで争ってきたのは、自分の中の神様を、勝手に人に押し付けてたからだ。もっと言えば、自分の考えって言っていいかもしれない」
「……ならばこそ、全ての人の中に同じ神が降りれば、人は真に平等になれる」
「いいや、そんなことしなくたって、人はきっと分かり合えるよ。だって、今日、この大陸中の人々は、確かに同じ想いを抱いて、力を合わせたんだから」
そう、今日、ジェニーが見せてくれた奇跡。それがあれば――自分は、人間の心を信じられる。自分は蔑まれてきたかもしれない、何気ない言葉に傷つけられてきたかもしれない、しかし今宵、大陸中の人たちが、同じ想いを抱いて、自分の足で歩いていくことを決めたのだから――やはり、自分と他人との間には確かに溝があっても、それを越えて繋がる事だって、きっと出来ると思うから。
「……それは、一瞬の出来事だったかもしれない。明日になれば、心を束ねた事だって、忘れてしまうかもしれない……でも確かに、人間には分かり合える魂があることが、証明されたんだ。だからアタシは、神様に頼らなくたって、人は分かり合えるんだって……そう、確信したんだ」
少女の答えに、男はやはり頭を振った。そう、この男は、自分の望む答え意外は、全て認めないのだから。
「いいや、それは無い。何故ならば、ネイ、お前は私を嫌っているはずだ……そう、もっと根源的なところに眼を向けろ。分かり合えない相手が、絶対居るという事実にな」
「確かに……アタシを、お母さんを、リサを、大陸中の人々を傷つけた父さんを、簡単に許すことはできない。でも……」
少女は自分の両手に視線を落とした。元々、黒い文様が刻まれていた自分の右腕、誰とも触れられなかった右手、本当は寂しくて、誰よりも人の温もりが欲しかったのに、失うのが怖くて、ただ遠巻きに暖かい世界を見つめることしか出来なかった。それでも――。
「……アタシは、誰とも手を繋げないって思ってた。それでも、アタシの手を、必死になって引いてくれる人が居た……それで、思ったんだ。世界のどこかには、自分のことを認めてくれる人が居るんだって。アタシは、父さんのことを許せなくても……でも、父さんにも……父さんの手を引いてくれる人は、絶対に居るんだよ」
「……分かった風な口を利くな!!」
そこで初めて、男は怒りを顕にした。きっと、今までは人の心のあり方についての話だったから良かったのだろう、対して今度は、ブランフォード・S・ヘブンズステアの心に踏み込んだのだから、仕方の無いことだったのかもしれない。
「そんな人間居るものか……私は、ずっと孤独だった…………いや、最早、過去の思い出などほとんど思い出せぬ。それでも……誰も私のことを、わかってなどくれなかった、その孤独感だけは、確かに魂に刻まれている」
もしかすると、すでに自分の使命と、少女と母のことしか、明確には覚えていないのかもしれない。しかし、少女の予測でしかないが、男の言っていることは恐らく半分は正解で、半分は間違いなのだろう。
ヘブンズステアという巡礼の使徒の血を継ぐ一族の末裔、そしてその者が聖者の写し身として生まれてきたのならば、一族の期待も大きかったはずだ。特に、熱心な聖典の支持者である両親からは、当代で神の国を実現するようにと、過大に期待され――つまり、ブランフォードという本人は見ず、その背後の神の国を押し付けるという、歪んだ愛情を注がれた可能性は高い。誰もブランフォードという個人を見てくれなかったから――彼は、誰も信じられなくなってしまったのかもしれない。
そして、少女の推理の裏打ちを取るように、男は虚ろな目で、少女に対して反論を始めた。
「人間など、皆利己的な生き物だ。損得勘定でしか、人は誰かと居られない……お前等が今、私の前に立ちはだかっているのだってそうだ。私という共通の敵を打ち倒すために、一時的に手を取り合っているに過ぎない。だから、そう……この世に普遍的な愛があるとするなれば、それは神の愛しか有り得ないのだ」
「いいや、父さんは、やっぱり間違ってる」
「……なんだと?」
思い返せば、意外と自分は、相手の図星や、本当は言って欲しくないところを攻めてしまう悪癖がある気もする――しかし、それはきっと、向こうで自分と父の対話を、熱心に聴いている母から受け継いだ一つの資質だ。
ともかく、少女は改めて、父の間違った信仰心に喝を入れるため、胸に浮かぶ自分の想いを言葉にして紡ぎだす。
「神様って言うのは、自分の中に居る……それに従うということは、ある意味自分のことしか愛してないのと同じ。つまり、父さんの言ったように、人間って言うのは利己的で……自分のことしか考えてないってことになる。でも、それ自体は、きっと間違ってないよ。自分を守れるのは、自分だからさ。でも、自分以外を愛するって、そういうことじゃないんだ。人を好きになるのは簡単だよ……何かを与えてくれるかもって、期待すればいいだけだから。でも、人は自分勝手だから、期待してた通りには、自分に何かを与えてはくれないんだよ」
元々は、自分もそうだったかもしれない。何となしに親切にしていれば、相手も返してくれるんじゃないかって――しかし、それは本質ではなかったのだろう。何せ、自分の親切は、どこか一方通行だった。ネッドに始めてあった時だってそう、お金を渡せば、相手は自分に親切にしてくれる、そんな風に期待していたのかもしれない。
でも、それは相手の立場に立ってなかった。相手の欲しいものを考えていなかった。きっと本質は、そこにある。
「だからさ、愛されたいんだったら、人はまず、自分の大切な物を差し出さなきゃいけない。ぶたれても、苦しくっても、それでも相手を許し、想い……何より、相手のことを認めること。相手が欲しいものを、与えることなんだよ」
そこで一息ついて、少女は息を吸い、自らの父を見た。その魂は、その碧の瞳は、どこか不安そうに揺れていた。
「……ブランフォード・S・ヘブンズステア。お前が求めるばかりで、何も与えないから、誰もお前を愛してくれないんだよ。もっと言えば、愛し方を知らなかったから……自分が愛されていることにも、気づけなかったのかもしれない。でも、自分から与えるられれば、相手もきっと返してくれる……愛って、そういうものなんじゃないかな」
「……お前も、サカヴィアも、どうして……生意気な口ばかり利く」
「そういう父さんは、言ったこと全然聞いてないよな? 自分に優しい言葉だけを求めてるから、誰からも理解されないって言ってるんだよ、アタシは」
少女はそう言いながらも、この男は、本当は心の奥底では、少女が言う前から理解していたのではないかとも思った。何故ならば、それこそが父が母に固執している理由なのではないかと――自分や母は、父に思ったことを何でも言い返してきた。だから、本当の意味で分かり合えるのは、自分か母か、どちらなのかではないかという期待が、彼の中にあったのかもしれない。
しかし、彼の自尊心と自己愛とが、それを認めることを許さなかっただけだろう、父は表面上だけ仰々しく頷いていた。
「あぁ、分かった、分かったよ……ネイ、お前の言いたいことはな。だが、お前の言っていることは、論点を摩り替えているに過ぎない。お前は私の話をしているが、話の根本はもっと大きな話だ。人類の魂を、神の元に救済しようというのだぞ、私は」
「話を摩り替えているのはそっちだよ。アタシは、さっきちゃんと、そこに対する答えも言った。人は、神様に頼らなくっても、手を取り合っていけるって。人は、手の届く範囲しか、どうこうすることは出来ないけれど……でも、それでいいんだ。まず、大切な人と、手を取り合って往けばいい。そして同時に、誰かに自分の勝手を押し付けたりしなければ、きっとそれで上等なんだよ。誰も傷つけることなく、人々の輪が広がっていけば、きっといつの日か……神様っていう概念にすがらなくても、人々は互いを理解できるようになる」
再び少女は息を吸って、真っ直ぐに父の方を視線で射抜いた。父の並び立つ機材、リサの収まる容器の奥には、夜中に浮かぶ太陽の様に、大いなる意志が淡い光を発していた。まるでそれは、自分が辿ってきた道を――胸に浮かぶ想いを、肯定してくれているようだった。
「……そう、人々の明日は、神様の向こう側にある。人の心が幼い時には、人より上の存在を考えて、心の拠り所にする必要があったのかもしれない。そして、それはまだ、今も変わらないのかもしれないけれど……でも、人はいつまでも、子供のままじゃいられない。父なる神を乗り越えて、自分の足で立って、歩んでいかなきゃいけないんだ」
少女の決意に、男の魂はゆらゆらと揺れ――次第に、再び怒りを顕にし、とうとう腕を振りかざしながら叫びだした。
「……そんな風に言われて、はいそうですか、と納得できるものか! 私は、私は神の国を建設するために、今まで生きてきたんだ……それを否定するのはな、ネイ……私の人生を、魂を否定するのと同義なノだゾ!」
語尾が段々とぶれていき、男の魂も霞み始め――いや、それは正確ではない、父の魂は徐々に、足元から這い上がってくる無数の意志に、飲み込まれようとしているのだった。
「ふっ……そう、だ。別ニ、貴様ラに理解しテモらおうナどと、はナから思ってはイなイ……まダ、策ハあるのだ、ソれは……!」
そこで大地が唸り始め――リサの体が捉えられている機材が、下からどんどんとせり上がっていった。灰色と黒との中間の色をした人工物は、幹の部分が細大問わずに幾重もの回路や導線からなっており、下層部には根のように張り巡ぐらされた太いパイプから構成されているその姿は、まさしく大樹を思わせた。
そして、父の魂――いや、無数に重なり合った魂の集合体が、再びリサの体を覆い――妹の目が開け放たれ、しかしそこには碧の瞳ではなく、青白いような、焦点の定まらない虚ろな瞳孔があった。
「貴様ラを屠ッてカら、ゆっクリと実践スれば良イィイイ!!」
リサと父との声が重なり、魂の荒野に黒い衝撃波が、根の部分に該当するパイプから吹きだした。少女は仲間達の前に出て、母もコグバーンたちの前へと進み――仲間を護るように右手を翳し、黒の衝撃を無効化した。少女と母の背後は扇状に護られたが、それ以外の部分は大地が崩落を始め、だがすぐに大いなる石の自浄作用なのか、激しく風が吹き荒れ、徐々に大地が戻っていった。
「くっ……ネイさん、ありがとうございます」
「あぁ……でも、今のがもう一発きたら……」
少女はジェニーの礼に言葉を返しながらも、大樹の上を見上げていた。散開している時に今のをやられたら、自分と母以外はどうすることもできないだろう――しかし、力を一気に放出した反動なのか、細い導線に両腕を取られて、リサの頭はぐったりとしており、その美しいブロンドを垂らしていた。だが、それでも防衛機能が働いているのだろう、割れた大地から顕れた浮遊城のパイプが、イカやタコの脚のように蠢き、次第に暴れ始め――人工物の大樹が、魂の荒野を揺らしていた。
少女は荒野に聳え立つ、人工の大樹を見上げ、幹の上部に囚われている妹をじっと見つめた。
「……次の一撃が来る前に……全部を終わらせよう。皆は、アタシがリサの元にたどり着けるように、援護を頼む」
少女が一旦振り向くと、背後の仲間達は頷き、視線を前に戻すと、幹の向こうでコグバーンたちも頷いてくれた。
そして少女はグローブを擦り上げ、エーテルシリンダーを起動させ、ポンチョの前を方のほうへと回し、拳銃を抜き出して眼を瞑り、その銃身に自らの額を当てた。だが、十字は切らず、少女はその銃口を、父親の魂へと向けた。
「リサをこっちへ、父さんをあっちへ……あるべきモノを、あるべき場所に還す……アタシにできるのは、それだけだッ!!」
言葉と共に、少女は前へと駆け出した。背負っていたライフルを左手で抜き、正面でリボルバーと繋げて、六連の突出剣を精製する。左右から襲い掛かる大型のパイプ、その片方を少女の銃剣が切り払い――もう片方を、銀の一閃が切り裂いた。
「……こうやって、背中を合わせて戦うことになるとはね!」
少女の背中に銀の長い髪が触れると同時に、太い幹が大地へと滑り落ち、土煙が舞った。
「頼りにしてるよ、ジーン!」
「あぁ、任せな! お前はリサを!!」
ジーン・マクダウェルは口元を釣り上げながら、後方から迫り来るパイプを切り伏せた。この場はジーンに任せ、少女は再び人口の大樹を目指す。今度は、上部から三本の太い根が振り下ろされる――しかし、それは同時に発射された三発の銃弾に切り開かれ、勢いのままに少女の後方へとすっ飛んでいった。
「遅くて大きいだけなら、私の弾丸のイイ的や!!」
背後を見ると、ブッカーのデスペラードの後ろで、ジェニーが口元を釣り上げながら、右手に持ったリボルバーから硝煙を上げていた。そして女が地面を踏み抜くと、大地が勢い良く隆起し、重い鉄の函が宙を舞った。
「……これが終わったら、長い暇を許可するわ!! だからッ!!」
「人使いが荒いことでッ!!」
得物に繋がれた鎖を宙で取った褐色の従者が、その巨大な鉄塊を器用に振り回し、迫り来るパイプを弾き返した。そしてすぐに暴れる別のパイプの上に着地し、跳ね回っていることなど物ともせず、函を取って下部からミサイルを発射した。直後、少女の上で爆発が起こり、こちらへ襲い掛かっていたパイプが弾けた。その隙に、少女は機械の麓付近までたどり着いていた。しかし、悠長に導線を掴んで、昇っている暇など無い――少女はブッカー・フリーマンに
「ふっ!!」
「ホアチャ!!」
掛け声と共に、金髪の男と赤黒い髪の女が、少女の目の前で交差し――男は拳で、女は脚で、それぞれパイプを弾き返し、蹴り飛ばしていた。
こうやって、仲間が進むべき道を切り開いてくれる――だから、自分は自分の道を突き進めばよい。少女が枝のように突出した部分に飛び乗ろうとすると、今度は細い先端の導線が、少女を突き刺さんとこちらへ襲い掛かってきた。しかし、未来は視えている――それは、あの男も同じはずだ。少女は一番、男の負担が少ない軌道を選んで跳び、そしてすぐさま、少女の近くで無数の火花が舞った。すでに、コグバーンの弾丸が、導線を撃ち落すのは分かっていたのだが、ソリッドフレームのリボルバーで、何故三十発もの連射が可能だったのか――少女は宙返りする一瞬で、養父の外套の裾を掴んでいるポワカの姿を見た。つまり、ブラウン博士の能力をポワカが使い、コグバーンはそれを利用してリロードした、そういうことなのだろう。
「コグバーンのオッチャン、スゲーです!! そんな年代物で、正確に当てるなんて!!」
「ま、全部まるっとお見通しってことよ」
実際、コグバーンと別れてからも、自身も銃の腕は磨き続けてきた。それでも、早さ、正確さ、度胸、全部合わせて早撃ちとは、あの男の言葉で――今までもたくさんの銃士を見て、撃ち合ってきたが、
「ネーチャーン!! 頑張ってくださいー!!」
「ネイー! 頑張ってー!!」
追撃を逃れながら飛び舞う枝の途中で、ポワカとマリアが並んで応援してくれているのが見えた。そして、皆が自分を支えてくれている――遠い大物はブッカーが、中距離の大物はジェニーが、下からせり上がってくる枝はジーンとグラントとクーが、近くで避けきれない細い導線はコグバーンが撃ち落してくれている。きっと、遠くから見たら、大樹の周りで花火が打ちあがっているように見えるんだろうな――少女は一瞬だけノンキにそう思い、鞭のようにしなり来る導線を、右手の銃剣で切り落とした。
そしてもうすぐ、リサの元のたどり着く――だが、それよりも早く、再び妹の目が見開かれた。
「ウヒャヒャヒャヒャ!! 次デ、貴様ラ全員終ワリダァッ!!」
その声は、やはり妹の声帯と、男の魂とが重ね合わさって聞こえた。下を見ると、残ったパイプが規則正しく円状に伸びている。マズイ、このままだと、下に居る皆が全滅する恐れがある。だが、相手にとって、少女の懸念など知ったことではないはずだ、リサの綺麗な顔、その口が、裂かれんばかりに開け放たれた。
「ヒャァ!! ワール……ぉ……!」
男の魂が言い切るよりも前に、少女の胸の奥にある魂の炎が、一瞬だけ強く灯る。それと同時に、大樹がその活動を止め――正確に言えば、パイプや回路はピクピクと動いているのだが――リサの瞳が、一瞬だけ少女の知る、綺麗な碧に戻っていた。
「……おねぇ……リサ、キサ、マ……ちゃん……!」
「……リサッ!!」
リサが力を振り絞って、父の暴走を抑えている――だけど、このままでは、リサの魂もすぐに取り込まれてしまいそうだった。あと少し、もう少しでたどり着くのに――今でさえ、薄氷の上を走るような、僅かな足場で昇ってきている。既に下とは百メートル以上の差が出来ており、しかし上には足場が無い。なんとか、一足飛びに、妹の下までたどり着くには――。
「ネイ!! 足場に使えッ!!」
グラントの声が耳に入ってくるとすぐに、少女には往くべき道が視えた。躊躇せず、細い枝から跳び、グラントが投げた盾を足場にし、少女は一気に妹の前まで飛び上がり――それと同時に、ジェニーとコグバーンの弾丸が、妹の両腕を縛っていた導線を撃ちぬいた。そして少女自身も、妹の胴体に巻き付いている鉄の糸――ネッドが紡ぐ暖かな糸とは違う、妹を苦しめているだけの拘束具――を刃で斬り、そのまま武器を宙へと投げ捨てた。
「……お姉ちゃん!!」
「リサ!!」
父の支配を克服せんと、必死に差し出された妹の左の手を、少女は右の手で強く握った――後は、自分の本質を使って――。
「……ハァッ!! オロカナ娘メ!! ワタシノ狙イハ、最初カラオ前ダッタノダ!!」
妹と紡いだ手から、黒い影が噴出してくる。少女が手を引いても、影は自分の手を喰らい付いて離さず――恐らく、様々な魂と同化してしまった結果なのだろう、何百も、何千も、何万もの魂が、ブランフォード・S・ヘブンズステアの意識を飲み込み、すり潰し――だが、それでも我が父は、自身のエゴをギリギリまで保って、少女の体を乗っ取ろうと、全ての魂を隷属させて、こちらへ襲い掛かってくる。
「オマエノ、繋ガルトイウ本質ヲ利用シテ、地上ノ魂、掌握シテクレル!!」
少女は、父の戯言を横に流して、先に落下していく妹を見ていた。その先には、キチンと受け止める相手がスタンバイしている――それならば、後はこちらだ。前を見ると、顔も無い、黒く蠢く塊の一部が、人間の口のように釣りあがった。
「ハハ、愚カナ娘、最後ノ最後ニ、ワタシノ役ニ……」
「……いいや、アタシは最初っから、こうするつもりでここまで来たんだ」
「……ナニ?」
そもそも最初から、リサの体から、この男の魂は引き抜くつもりだった。そして、その後のことは――確信がある訳じゃない。どうすればいいのか、自分でも良く分かってないのだが――でも、きっと、そう、いつだって、自分の無茶に、我がままに、応えてくれる人が居るから。
「父さん……お手本を見せてあげるよ。これが……」
少女は自らの体が落ち往くに任せ、茜色の空を見つめた。直後、黄昏の一部がガラスのように崩れ去り――そして、荒野に響き渡る自分の名を、大好きな人の声を聞いた。
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