26-8


 ◆


 音も無く後ろから忍び寄ってきたポワカが、機材の小さなレバーを引き上げ、目元を拭いながら口を開いた。


「ジェニー、お疲れ様です」

「えぇ、貴女もね、ポワカ。それで……どうやった?」


 女が振り向いても、ブッカー・フリーマンは何も応えてくれなかった。頭は力なく俯き、脚を広げて、両の手は冷たい床の上に放り出されていた。ジェニファーは、これを覚悟していた。先ほど、階段を降りている時に、なんとなしに――いや、十年間ずっと一緒にいたのだから、直感的に、彼が死期を悟っているのには、こちらも感づいていたのだ。

 だが、実際に覚悟が現実として目の前に現れると、やはり女の心は揺れてしまった。さまざまな感情が沸いてくる――哀しさ、寂しさ、喪失感、どれもネガティブな感情――だがそれよりも、女の胸に湧き上がった一番の想いは、どちらかというとポジティブな物だった。

 だから、ジェニファーは歩き、ブッカーの亡骸の前で膝を付き、本当は先ほど握るはずだった褐色の右手を両の手で取って、強く握り締めた。


「……貴方も、お疲れ様、ブッカー……ここまで来れたのは、人々の心に、少しでも何かを残せたのは、ライトストーンが炎に包まれたあの日、この大きな手で、私の小さな手を強く引いてくれたから……だから、ありがとう」


 そう言いながら、俯いてしまっている顔を覗き込むと、眼こそ閉じられているものの、しかしきっと自分がこうすることすら予想していたのだろう、口元に変わらぬ笑みを浮かべており――殊勝なことですぜ、お嬢、こりゃ明日は槍でも降るか――とでも言っているようだった。


「はっ、うっさいでブッカー。でもどうか、ゆっくりと……」


 ジェニーが皮肉を返そうと思った瞬間、突然浮遊城が大きく揺れた。そのせいか、ポワカの癖っ毛も、やたら激しく上下していた。

 

「ななな、何デスか!?」

「……恐らく、ヘブンズステアでしょう。リサの中に僅かに残った自我が、神の国が遠のいたことに、怒っているのかもしれません」


 そうなれば、ここでぐずぐずなどしていられない。折角、自分の夢に向かって、大切な第一歩を踏み出せたのだ。あの男の魂に好き勝手やられて、再び人々の心に不安の影を落とすわけにはいかないのだから。

 そこで、女は再び視線を男の亡骸に戻した。今、このタイミング、しかもヘブンズステアの周囲は、例の如く魂の荒野に通じているのなら――。


「悪いが、休暇申請は却下やブッカー。最期に賞金稼ぎのハリケーンとして……もう一暴れしてもらうで!!」


 ジェニファー・フィッツカラルド・キングスフィールドは男の手をゆっくりと置いて立ち上がり、振り返ることもせず、最期の戦いに向けて全力で走り出した。

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