幕間

四角く切り取られた空の外側


 ◆


「はっ……はっ……」


 どこまでも続く平原、浅黒い雲の下、隻眼の男は自身の胸から流れ出る鮮血を予見した。つまり、ここに居てはやられる――男は片目で前方を見て、射線の重ならない位置に、自分の体と背後の小さな体とを避難させた。銃声が平原に響き――相手の銃は先込め式の小銃、弾丸は三発、つまり追っ手は三人、そして――。


「くっ……そがぁ!!」


 男は幼子の手を振りほどき、相手が弾を込めなおすよりも早く、振り返りながら腰から拳銃を取り出し、そのままファニングで追っ手に撃ち返した。しかし、怪我のせいか、それとも片目で距離感が掴めなくなっているせいか、照準がややぶれてしまい、急所を外してしまう。


「や、やめて!」


 男の背後から、甲高い叫び声が聞こえ、男の追撃を止めた。いや、止めることなど無かったのだが――無視して撃てば良かったのだが、五月蝿い餓鬼め――男はトリガーに指を預けながらも、後ろの抗議に応えることにした。

 

「……駄目だ、奴らはここで殺す」

「だ、だめだよ……おねがい、もうひどいことしないで……」


 後ろを振り向いている暇など無い、しかしそれでも何故だか無視することが出来なかった。


「……分かった、それなら、お前さんが先に向こうに行け。そうしたら、殺さないでおいてやる」

「……ほんと?」

「あぁ、本当だ……だから、さっさと走っていけ!!」


 幼子が平原を走っていく音を聞きながら、男はゆっくりと、倒れている三人の方へ歩き始めた。向こうは血を流しながらも銃に弾を込めなおし、こちらを狙っている――男は敢えてゆっくりと進み、傷ついた体でも銃弾を避けられる距離を保った。

 そして、三発分の銃声が鳴り響くのに完全に合わせ、男は追っての命を撃ち抜いた。


「……悪いが、俺は酷い大人なんでね……」


 誰に言うわけでもなく、男は独り言を吐き捨てながら、弾の再装填のために銃倉を横に出した。しかし、実包は残り一発――これ以上追っ手が来たら、それこそ最後だ――男は近い未来は見えるが、数分先のことすら分かりはしない。普段は何でも分かったら面白くないなどと思っていたはずなのに――最高の厄日に、男は自嘲気味に笑うしかなかった。


 そして幼子の走った道を早歩きで追っていくと、すぐに女の子が、膝を抱いて蹲っていた。ここまで来るのにも、大分走らせたから、すでに体力も限界なのだろう、先ほど別れた地点から二百メートルも無い地点で、動けなくなっていた。


「……ひどいこと、したの?」


 そう言いながら、顔を青白くさせて――それは疲労からなのか、恐怖からなのか、それとも怒りからなのか――女の子は男の方へ顔を上げてきた。


「……だったら、なんだってんだ」

「だめ、だよ……ひどいことしたら、天国にいけなくなっちゃうんだよ」


 あぁ、苛々する――そんなことを言ったら、自分はすでに地獄行きが確定している。ここまでで、さんざ人の命だって奪ってきた。一人殺せば人殺し、百人殺せば英雄とは言ったものだが――南部では英雄扱いでも、コイツの主張から見れば、自分は立派な殺戮者になってしまう。別に愛国心で戦ってきたわけでもない、ただ成り行きで南軍に加担して、しかしそういう時代だから、自分は戦ってきただけに過ぎない――いや、最初の頃は武勲を上げるのに快感を感じていたし、南軍の猛将と呼ばれて、少々浮かれていたのも確かだ。名家のパーティーに呼ばれ、武勇伝を話し、周りからチヤホヤされることに生きがいを感じ――。

 だが、そう、この反抗的に自分を見つめてくる碧の瞳が、そんな小さな自分を断罪しているかのようで、癪に障ったのだ。


 いや、思い返そう――そう、自分は確かに、最初の内こそ、自分のために戦っていた。だが、戦果を上げる快感など、すぐにどこかにいってしまった。緒戦こそ押していた南軍は、すぐに数と武器、そして術式の勝る北軍に圧され、防戦一方になってしまったのだから。

 今にして思えば、鞍替えをすべきだったのかもしれない。自分は愛国心に燃える忠義の使徒でもなんでもないのだから、時勢を見て、勝ち馬に寝返ればよかったのかもしれない。それでも自分が踏みとどまったのは、やはり戦場で、友ができ、故郷で、自分の活躍を待ってくれている人たちが居たから――。


 そう、そうだ、そもそも、こんな禍々しい、赤い包帯を巻いた化物、こいつ等が居るから――もちろん、あの修道院の皮を被った実験施設の被害者だというのは理屈の上では理解していても――自分達は、苦しい戦いを強いられてきたのだ。

 それだけではない、此度の襲撃で、男は信頼できる部下達を全員失った。南部が術式研究の遅れを取り戻すため、たった一人でもいいから、被験者を連れ出し――そう、こいつのせいで、こいつのでせいで――。


「……てめぇに何が分かるッ!!」


 男は、自分を見つめてくる碧の瞳に耐えかねて、思わず銃を抜き出し、幼子の額に銃口を突きつけていた。こんなもの、まるでどちらが子供か分からない――それでも、男は自身の右目を失った、部下を失った悲しみを、自分の怒りをどこにぶつけていいか分からず、ただ目の前の断罪者に対して、暴力に訴えることでしか自分の心を護れなかったのである。


「……てめぇ、コイツがなんだか分かるか?」

「……なまえはわかんない。でも、こわいものっていうのはわかる」

「そうだ……俺が指を引けば、お前の頭はグチャグチャになるんだ」


 男は右手で銃を持ち、左手で失った片目を抑えながら、幼子の顔をじっと見続けた。命乞いでもしろ、震えろ、そうすれば、自分の気持ちだって少しは晴れる。そうだ、いっそ別に、コイツの命をここで奪ったって構わない。部に逃げ帰って、失敗したことにしたっていいし、そもそももう戦争だってコリゴリだ。いっそここで自分も死んだことにして、身分を隠して西部にでも逃れて、後は酒でも飲んで、自堕落に破滅に向かって往くのも良いか――。


「……ごめんなさい」

「……あぁ?」


 まったく文脈を無視した幼子の一言に、男は頓狂な声をあげてしまった。


「……なんで謝る」

「右目、わたしのせいで……あたまグチャグチャになる前に、あやまっておきたくって……」

「死ぬのが怖くねぇのか」

「こ、こわい、よ……でも……」


 幼子の震えは段々と止まっていき――その碧の眼が、ただずっと、男の顔を見つめていた。コイツは、何を思っているのか――死ぬのは怖い、それでも自分よりもこちらの心配をしてきている。この少女の願いは何なのか、怒りの陰に、興味の芽が沸いて出てきた。


「……もし、修道院に戻れるってんなら、そうするか?」

「わかんない……リサやジーン、マリアといっしょにいたいけど……あそこにいる大人の人たちはこわいし、いたいこともされるし、それに……もう、どうぶつさんたちがわたしの右手でうごかなくなるの、いや……」


 そこで一旦、少女は視線を自分の落とし、赤い包帯の巻かれる右手を見つめた。その小さく、細い腕にはあまりに長く、幾重にも不恰好に取り付けられている包帯――成程、この少女の能力は、触れた者を死に至らしめる能力で、それで能力を封じているのか――男はそう察し、先ほどこの子を連れ出すとき、無意識にその右手を取ったことが浅慮だったと自身を攻めた。

 いや、本当にそうだろうか。この子はきっと、碌に誰かに手を引いてもらったことも無いのではなかろうか。こんな、こんな小さい子なのに――それこそ、自身だって今、大変な混乱と恐怖の中に居るはずなのに、誰かをおもんばかれるこの子が――。

 そこまで思考し、男は今一度、下を見た。少女も視線に気づいたのか、再び男の顔を見上げてきた。


「……あそこにいたら、わたしはもっとひどいことされる。うぅん、ひどいことさせられる。それなら……うん、わたし、天国にいきたい」


 そう言いながら頷く少女を見て、男はやっと気がついた。この子は、途中から自分の顔を見ていたのではなく――その後ろを見ていたのだと。先ほどまでの曇天はいつの間にか晴れ上がり、空には星々が燦然と輝いていた。


「……こんなひろいほしぞらを見たの、はじめて。いつも、しかくい空しか、見えななかったから……なんだかここだったら、たくさんひどいことしたわたしでも、天国にいけそうな気がするの」


 その言葉を聴いた瞬間、男は体から一切の力が抜けてしまった。怒りの炎はどこかへ消え失せ、ただ無気力が体を駆け巡り――男は銃を引くと、そのままその場にしゃがみこんでしまった。

 なんだ、自分は何をやってきたのか――いや、大人達は何をしでかしてきたのか。大人たちがエゴを押しつけているその後ろで、こんな小さな子が、人生を悟って死を受け入れている。こんな世界のあり方が、どうして正しいといえるだろうか。そう思ってしまったが最後、男は今までの自分の生き方が、酷く間違っていたように感ぜられてしまったのである。

 しかも、コレだ――先ほど忌々しく思った碧眼が、なんとも美しく、自分を心配そうに見つめていた。


「お、おじちゃん……だいじょうぶ?」

「おじちゃんじゃねぇ……いや、もうおじちゃんって歳か、チクショウ」


 男は自分に対して悪態を吐き、ようやっと落ち着きを取り戻した。胡坐をかきなおし、ポケットから包帯を取り出し、取り急ぎそれで自身の右目を覆った。だが、出血量は問題ないが、手当てをするのには少々遅かったかもしれない――いや、戦争に出てここまで生きてきたのだし、いっそ自分は今日、死んだことになった方が丁度良い。最後の未練は――こんな世界を作り上げてしまった贖罪は、残りの時間でしていけばいいだろう。

 少女は、男が応急処置を済ませるのを、ただ心配そうに見つめていた。処置が終わり、男は改めて、残った左目で少女を見つめなおした。


「……お前、名前は?」


 もしかすると、実験施設に居たのだ、被験者番号などが与えられるだけで名前など無いのかもしれないが――いや、あるはずだ、この子は先ほど、他の被験者の名前をあげていたのだから。男の質問に、少女はきょとんとして、しかし控えめな調子で、小さく口を開いた。


「……ネイ」

「そうか、ネイか」


 冷静に少女を見ると、黒い髪に少々色づいた肌、成程、この子はハーフブリードか、それならばネイティブ風の名前なのかもしれない。ただ、ネイという名の響きは、今日のような満天の星空に相応しいように感じられた。

 だがしかし、この子の能力は、果たして死を招く能力なのだろうか。術式開発の遅れる南部ではあるが、その能力は、その者の性質に近いものがあるのではないかという評判は聞いている――いや、別に、そこは問題の本質ではないかもしれない。ネイの親だって、まさか死を象徴する、陰の意味で夜を匂わす音を名づけたのではなく、星の輝きを意識して、この子に名前をつけたに違いない――それに、別にこの子のことは、これから知っていけば良い。

 そうなれば、こちらも自己紹介をしておかなければならないだろう。いつまでもおじちゃん呼ばわりされるのは、男の望むところではないのだから。


「ネイ、俺はおじちゃんじゃない。コグバーン……ウィリアム・J・コグバーンだ」

「こ、コグバーン」

「そう、そうだ……それでだな、知ってるか? 早死にする悪い子は、天国にいけねぇんだってことをよ」

「そ、そうなの!?」


 先ほどまで暗かったネイの表情が、一気に驚き一色に変わった。我ながらなかなか適当でもあったのだが、聖典には自殺は罪と記述されているのだから、それならば、まぁ嘘でもあるまい、男はそうやって自分を納得させた。


「あぁ、そうさ……さっき、お前に銃を突きつけたことは謝る。すまなかった……アレは、無かったことにしてくれ」


 今度は、ネイは何度も首を縦に、それこそ真剣な面持ちで振っていた。成程、この子は素直で面白い子だ。なかなか、色々と教え甲斐がありそうである。


「だから……もう少し、生きてみないか?」

「えっ……」

「俺がテメェに、生き方ってもんを教えてやる。それこそ、一人でも生きていけるようにな……」


 恐らく、今この子の中で、様々な思いが駆け巡っているのだろう――修道院で育ち、神様を信じて生きてきたこの子は、せめて死んだ後くらいは幸せになりたかったに違いない。しかし、すぐに死んでは天国にいけないとなると、どうしたものかと――しばらくの間、ネイは呻きながら目を回しており、そしてやっと一つ答えを出したのだろう、控えめな上目遣いで、男の方を見つめた。


「……もう少し生きたら、天国にいける?」

「さぁなぁ、そりゃあ分からんさ。神様は、お前の行動を、ぜーんぶ見てるんだからな……ただ、今死ぬよりは、ずっといいはずだ」

「うん、それなら……もう少し、生きてみる。コグバーンさん、よろしくおねがいします」

「けっ、さん付けなんていらねぇよ」

「そ、それじゃあ、コグバーン」

「あぁ、それでいい」


 男はそう言いながら立ち上がり、右手を差し出すと、少女はしばらくその手を真剣に見つめ、しかし微笑を浮かべながら首を振って、自分の足で立ち上がった。


「わたしにふれたら、あぶないかもしれないから……」

「……そうか。それなら、少し歩けるか?」

「うん、わたし、がんばる!」


 少女は男の右に並び――恐らく右手が触れないようにとの彼女なり処置なのだろう、距離を少々空けて、男の歩幅に合わせて一生懸命ちょこちょこと歩いていた。それでも、こちらだって万全ではないので、なるべくゆっくりとは歩いているのだが。


 しかし、ここが砂地でなく、平原であったのは幸いだっただろう。短い草は、多少踏んでも後が残りにくく、向こうもこれ以上の追跡は出来ないはず。その上、こちらは既に立ち向かえる武器など無い――馬のところに戻ろうかとも思ったが、それは敢えて捨て置くことにした。こちらは幼子一人連れ出すのに時間を取られていたので、すでに足は取り押さえられていると考えるべき――。


 などと考えていると、いつの間にかネイが、こちらを見上げていた。


「そういえば、あのひとたち、どうなったの?」


 銃声は完全に合わせていたから、「弾切れで逃げて行った」としらを切ることも不可能ではなかった。しかし、見上げてくる純粋な瞳が、それを許してはくれなかった。


「……アレで、酷いことは最後だ」

「そっか……うん、そうしてね?」


 しばらく歩くと、結局ネイが歩けなくなってしまい、少し休憩している間に眠ってしまった隙をついて、男は少女を抱えて月の下を歩き続けた。


 痛む体と右目が、命の砂時計の砂が落ちていくのを早めているのを感じる。しかし願わくば、胸の中で眠る幼子が「天国に行きたい」ではなく、「生きていたい」と言える様に――誰かが何時の日か、自分の代わりにこの子の手を引いてくれる誰かが現れることを、男は普段はあまり信じていない神に祈った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る