幼少期の終わり -End of the Innocence-

第22話 幼少期の終わり 上

22-1


 青年、ネッド・アークライトは、ゆっくりと木の幹を背に腰を下ろした。一方でネイ・S・コグバーンは馬の手綱を引き、木漏れ日の差し込む小さな池の淵に向かっている。


「よぉーし、ホーちゃん、お水だぞぉ」


 そのホーちゃんという名前、結構こだわりがあったんだな、青年は心の中でそう呟きながら、この一ヶ月間のことを思い返した。

 指名手配され、賞金稼ぎたちからの追撃を逃れながら場所を転々としつつ、一向は敵の所在を探っていた。こちらにはヴァンという敵の中枢に居た仲間が居るのだが、それでも大陸は広し、虱潰しにするにも移動だけでも時間がかかるし、あまりにも効率も悪い。追っ手から逃れつつ移動がてらに当たれる的の拠点は当たり、しかしそれは徒労に終わっていた。


『結局、私は真の祈士ではなかったからな。本当に重要な拠点は、知らされていなかったのだろう』


 そう言って自虐的に笑うヴァンの顔が脳裏に浮かび――ともかく、皆移動にも疲れてきていた所であり、療養がてらに現在はクラウドホース州の片田舎に潜伏中、実を結ぶかは分からないが、主にジェームズ・ホリディを頼り、情報収集続けているところだった。


「なぁーに黄昏て……って、いつものことか」


 声に青年が顔を上げると、少女が膝に手をあてながら、青年の方を覗き込んでいた。見れば、すでに馬を木に繋げて休ませているようだった。


「そうそう、いつまでも悩めるお年頃なのさ……ところで、乗馬には慣れてきたかい?」

「うん、おかげさまで……ホーちゃん、いい子でよく言うことを聞いてくれるから……よっと」


 少女が左隣に腰掛けてきたので、青年は少し右にずれることにした。これで二人で木の幹を背もたれにすることができる。


「えへへ……ありがと、ネッド」


 いいながら、少女は頭を青年の肩に預け、右手で青年の左手を握った。

 クラウドホース州に逃れてから、少女が乗馬を教えてくれとせがんできたので、青年はその願いに応えることにした。少女は右手の力を完全にコントロールできるようになったので、生き物に触れて殺めてしまう不安から解消された――元々は、生き物が好きな子だから、馬に安心して触れられるようになって嬉しくもあっただろう。


「いやぁ、それでも君の上達は早いよ。これなら、俺の補助が無くても、すぐに自分で乗れるようになるだろうし、馬車も引けるようになるさ」

「ふふっ……アタシがちゃーんと馬に載れるようになったら、今度はネッドが荷台でのんびりしてていいんだぞ!」


 得意げな笑顔を浮かべる少女の真の狙いは、自分を完全にヒモにすることらしかった。もちろん、一行の移動はもっぱら車であるし、街中の移動には確かに馬車を使うが、それでも少女よりもジェームズの部下に引いてもらうほうが安全なので、少女の乗馬スキルが役に立つことはあまりないだろう。

 それでも、単純に――この子のお願いを聞いてあげたいつもりもあったし、何より、少しでも何か残してあげたいから――青年が少女に乗馬を教えている主な理由は、結局そこだった。


「……ダメだよネッド」


 その声のしたほう見ると、少女は子供をたしなめるかのような柔らかい笑顔を浮かべていた。


「今、暗いこと考えてたでしょ?」

「いやぁ、そういう訳じゃ……」

「そうじゃなくても、寂しいこと考えてた」


 そう言えば、この子には隠し事が出来ないのだった。しかし、なかなか以前のように感情があまり表に出ることはなくなっているのだが――。


「……顔を見れば分かる?」

「アタシレベルになると、空気で分かる」


 なるほど、それでは隠しごとのしようも無い。青年は納得するしかなかった。しかし冷静に思い返せば、パイク・ダンバーだって感情が顔に出ていなかっただけで、なんとなくだが彼の気持ちだって読み取ることが出来たではないか。


「……気になる人のことは、よく分かるようになるのかもしれないな」

「うん……でも、分かりたくても分からないこともあるよ……体の調子はどう?」


 少女の柔らかな笑顔が真剣な表情に変わっていった。


「うーん、一月前と変わらない感じかな」


 ここ最近は、青年自身は大きな戦闘はしていない。追っ手が来てもネイとヴァン、ブッカー、クーの四人で大体片付けてくれるし、移動の計画や物資の補給はジェニファーとジェームズ――ジェームズは原則別行動だが――がやってくれる。武器や機材のメンテナンスはポワカと博士がやってくれるし、雑務などはジェニファー以外の女集とブッカーがやってくれるので、ともかく青年はやることが無かった。やることと言えば、師匠に言われたように、なるべく寝て、消耗を抑えることに集中していたくらいのもので――。


「いかん、本物のヒモ野郎になってしまった……」


 なんだか自己嫌悪に苛まれ、青年は空いている右手で顔を覆った。今まで散々冗談でヒモだヒモだ言ってきたが、やはり口は災いの元というか、嘘から出た真と言うかべきか、青年がそんな風にあれこれ考えていると、ふと隣で少女がもぞもぞと動きはじめた。


「……えい!」


 繋いでいた手が離れた瞬間、少女の右手が青年の頭を引き寄せて、そのまま青年は横に倒れる形になった。とはいえ、頭には固い衝撃はなく、代わりに柔らかいものが側頭部に触れた。


「いいんだよ。今のネッドは、皆に守られるのが仕事なんだからさ」


 青年は首を回し、少女の太ももを後頭部に置いて見上げると、少し頬を上気させたはにかむような笑顔があった。そしてすぐに青年の額に少女の右手が置かれ、そのまま頭を優しく撫でられた。


「……そんな風に自己嫌悪に陥ってる暇があったら、あとでしっかりとお返しをしてくれればいいの」

「そうだな……」


 簡単に消えると諦めてはいけない、そう約束したから――青年は悲しいことに後ろ向きなので、やはり「絶対に生き残ってやる」などとは言えなかったものの、それでも少女に頭を撫でられて、だんだんと気持ちが良くなってきて、ウトウトしてきてしまった。


「……ちょっと一眠りする?」


 女神の誘惑に、青年は抗うことができなかった。というより、抗う必要も無いか、悲しいほどに後ろ向きな青年は物理的に横向きになって、すばらしい寝心地の枕を堪能することにした。


「……それじゃ、お言葉に甘えて」

「ん。おきたら、また練習に付き合ってね……ちょっとごめん」


 上から声が聞こえてくるのと同時に、少女がまた少し動き――少しすると、青年の体に毛布を敷いてくれた。ネイ自身も毛布を羽織ったようだった。


「それじゃ、お休み、ネッド」


 言葉と共にまた頭を撫でられ、青年は静かに意識を落とした。


 ◆


 少女は青年の静かな寝息を聞きながら、しばらくはあたりの風景を見ていた。頼りになる仲間に囲まれているのだから、そうそうやられはしないのはもちろんのことなのだが、それでも逃亡者として生活を続けなければならないので、ここの所は心休まる暇も少なかった。そうでなくとも、絶賛自分の膝の上で眠っている彼のことだけでも、本当は一杯一杯になってしまうほどの悩みがあり――それでも、今日は結構リラックスできた。自分の傍に彼がいてくれれば安心だし、彼もまた安心してくれているのだから、それは素直に嬉しいし、せっかく想いを伝えたのに、なかなか二人でのんびりする時間も無かったから――。


「……いつか、ネッドの口からも、ちゃんと告白の答えを聞きたいけど」


 少女はもう一度彼の頭を撫でて、再びあたりを見回した。すでに年の最後の月が目前に迫り、最近は冷えるのだが、今日は陽気がよくて比較的暖かかった。風は穏やかで、日差しがあれば、毛布一枚あれば暖かくしていられるほどでそのせいか、いつの間にか馬も足をたたんで眠っていた。ただ冬のせいなのか、あたりに虫の気配もなく、ただはらはらと舞い落ちてくる葉が、時期の物悲しさを語っていた。


 周りも眠ってしまっているので、いっそ自分も少し眠ろうか――しかしその前に、ゆっくりと考え事もしたい。厳密に言えば『相談』なのだが――少女は息を静かに吸い込み、と意識を繋げた。


『……あら、あらあらあら! ネイ、こんないい場面を見せてくれるなんて、サービス精神旺盛ね!』


 真っ先に聞こえたのはマリアの声だった。しまった、視覚まで共有してしまった――少女は急いで向こうからの視覚を遮断した。


「ち、違うんだよ、これは不可抗力でこうなって……」

『ダメよネイ、うるさくしたらネッドさんが起きてしまうわ』


 次に聞こえてきたのは母の声だった。というか、母と養父にこんな場面を見られてしまい、恥ずかしいことこの上ないのだが――言われてみれば彼を起こすわけにもいかないので、少女はなんとか早打つ心臓の鼓動を収めようと試みた。


『……別に、さんざ手ぇ繋いでぴったりくっついてるところを見せ付けられてきたんだから、膝枕の一つくらい、今更だけどな』

『おうオッサン、そういう割には娘を取られて寂しい親父みたいな面してるじゃないか』


 コグバーンの少々震えた声と、ジーンの楽しげな声が聞こえてくる。なるほど、多分今頃あちらでは、コグバーンがいじけて、その後ろでジーンがけらけら笑っているのだろう、そんな姿が少女の脳裏に浮かんだ。


「と、とにかく、会議だよ、会議」


 唇を尖らせながら、少女は全力で話を逸らしにかかった。こんな感じで一日に一回、多いときは三回ほどは会議をしている。向こうも暇なのだろう、ネッドから大いなる意志の麓の話も聞いているし、その内容を聞く限りでは、ずっと魂の荒野に居るのも退屈そうだった。


『……とは言っても、現状だとやれるこたぁねぇやな』


 五年も退屈そうな所で自分を待ってて居てくれた養父が、恐らく頭でも掻きながらそう言ってきた。しかし言う通りで、やれそうなことは一通りやった。とは言っても、自分の能力を使い、大いなる意志とネッドの魂を繋げようとしたくらいなのだが――他にやれることも無い上に、今まで嫌っていたはずの「あの世と魂を繋げる」が出来ないのが歯がゆくもあり、悔しくもあり、そしてとんでもない皮肉に感じられた。


『ネイの能力よりも、大いなる意思の方が上位の存在だから……もう一度ネッドさんの魂をグレートスピリットに繋げるには、相応の力が必要でしょうね』


 俯く少女に気づいたのか、今度は母からフォローが入った。


「……具体的には、どーすればいいのかな?」

『えぇっと、それは……』


 少女のすがる様な声に、母を困らせてしまった。ネッドが寝ているから、今なら弱い気になっても、大丈夫――それでも、なんとか泣かずにおいた。落ちた雫に反応して、彼を起こしてしまうかもしれないから。


『……お前には私たちが居るからさ。対してネッドは、まぁ、別に仲間もいるけど、色々と不安だろうし……お前がしっかりしないとダメだよ、ネイ』


 諭すようなジーンの声に、少女は心の紐を締めなおした。再開した当初こそ刃を向け合ったが、やはりジーンは頼りになるお姉さんである。


「うん、ジーン、ありがと」

『……ま、会議はいつもどおりの結果で終わっちまったが、話や悩みはいつでも聞くからさ』

「うん、うん」


 少女は体を揺らさぬよう、小さく頷いた。少しの間沈黙が続き、それをマリアの声が遮った。


『それに、リサのことも……』

「うん、結局アレから、どうなっちゃったか……」


 少女は青年の頭から右手を離し、改めて意識を集中させ、自分と繋がっている魂の存在と繋がる糸を手繰る――変わらず、弱弱しい魂が一つ、なんとか消えずに残っていてくれていた。


「……うん、まだリサも消えてない」

『そう……』


 マリアの声は、どことなく安心しているような、そんな調子だった。結局、マリアも人がいいのだ。そう思うと、少女は不安に思っていた気持ちが少し和らぎ、代わりに小さく笑みをこぼしてしまった。


『あら、私、何か変なこと言った?』

「うぅん……アタシの周りの人たちは、みんなお人よしだなって、そう思っただけ」


 自分のことをずっと待っていてくれた人たちに感謝し、自分の口元がほころぶのを感じながら、少女は一番のお人よしの頭を再び撫でた。


『……ふぅ、しかし、俺の予想だとそろそろ……』


 コグバーンの声が聞こえてくるのと同時に、何者かの足音が聞こえてきた。


「……すまん、邪魔をしたか」


 足音の主は金髪の美男子、マクシミリアン・ヴァン・グラントだった。仏頂面だがどこか気まずそうに、機械仕掛けの両腕を組んでいる。


「べっつにぃ……」

「別に、という感じは、全然しないがな」


 少女は、どうにもこの男に苦手意識というか、どうしても好ましくない感情を抱いてしまう。ネッドを傷つけたのもそうだし、リサのこともそうで――しかし、ネッドにとって大切なともがらなのは理解しているし、あまり人のことを嫌うのもよろしくない。そう自覚していても、どうしてもつっけんどんな対応をしてしまう。


 しかし、そんな少女の気持ちを悟ってか、グラントは眼を瞑りながら静かに笑った。


「ふっ……私も、以前は貴様のことをいけ好かないヤツだと思っていたが、成る程、このままでは同レベルになってしまうな」

「な、なんだとぉ!? ……っと」


 大きな声を出してしまい、少女は思わず左手で自分の口に蓋をした。下を見ても、どうやら寝返りを打ったらしい、青年は自分のお腹の方へ頭を向けただけで、眠ってくれているようだった。


「いや、お前には左腕の礼もあるというのに……気に障ることを言ってしまい、すまなかった」


 そう言いながら、男は深々と頭を下げてきた。その態度には、一切の悪意は感じないのだが、ここまで大真面目にやられると、かえって皮肉めいたものを感じてしまうのは、自分がひねくれているからか。


『ケッケッケ。そこで不機嫌になってちゃ、成長してないなぁ、ネイちゃんよぉ』


 今度は、脳内から皮肉が飛んできた。少女は口を押さえていた左手で、今度は痛む頭を抑えた。


「はぁ……そういやコグバーン、そろそろとかなんとか言ってたな。それって、このことか?」

『ばっか言っちゃいけねぇ。こんなくだらねぇことを読むほど、俺の目は衰えちゃいねぇよ』


 この前全力で娘のあられもない姿を覗き見ようとしたくせに、そんな声が後ろから聞こえてきたが、コグバーンはそれを無視して続けた。


『……相手も結構無茶な強攻策ばっかやってきたんだ。そろそろ無理がたたってきてんじゃねぇかと思ってよ』


 その言葉に、少女は顔を上げてグラントの方を見た。まだ深々と頭を下げていた。


「お前、用があって来たんだろ?」


 少女が声をかけてやっと頭を上げ、変わらぬ仏頂面で男はコートの内側から紙の束を取り出した。


「あぁ、そうだ……これを」


 グラントが足音を極力殺しながら近づいてきて、少女に新聞紙を一面を渡してきた。


「何々……『大統領暗殺の真相』……?」

「あぁ……ところでネッド、そろそろ狸寝入りは辞めたらどうだ?」


 グラントの言葉に、膝の上のネッドが寝返りを、もとい、顔を男の方に向けた。


「……てめぇが来たせいで眼が覚めたんだろ? 折角きもちよーく寝てたのによ」


 少女の膝元から声が上がると、青年は頭を起こして少女の膝から離れた。

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