18-8


 ◆


 ジェニーの周りの水晶が、壇上の男の咆哮に共鳴している。舞台の上に視線を奪われて注視していると、ネッドにリサ・K・ヘブンズステアは蹴り飛ばされ、舞台の袖でうずくまってしまった。


「ね、ネッドが……暴走体に……!?」


 ポワカが声を震わせている。そうだ、なんだか急展開で、ジェニーは事態が飲み込めていなかった――だが、そう、そういうことなのだ。ネッド・アークライトは、この現状を打破するために、文字通り命を賭けて、その身を化け物にすることを選んだのだ。

 水晶を身に纏った化け物は、煙を巻き上げながら体を再生させ、ブランフォードの方へ向き直った。


「そ、ソイツを止めろ……アンチェインド!」


 男の言葉に、ジェニーたちを囲っていた黒服達が、一斉にネッドに襲いかかった。対して鼈甲色の化け物は、飛びかかってきた男どもを拳で潰し、足で粉砕した――その威力が尋常でない故か、何度も再生していた黒服達は、見る見るうちに灰になり――ついには、全滅した。


「ひっ……た、たす……!?」


 ブランフォードのセリフは、最後まで紡がれることは無かった。暴走体が一瞬で間合いを詰め、手にした繊維の刃で、その男の首を跳ね飛ばしてしまったのだから。


「お、お父様……!? 貴様……きさま……ぁ……!」


 最後まで言い切ることなく、リサ・S・ヘブンズステアは舞台の袖に沈んだ。ブロンドの少女は先ほどのダメージで気絶したようだった。


 しかし、なんとも呆気ない幕引きになったと思う。自分たちがあれこれ計画を練って倒そうとした男は、まったく予想もしない形で、その命を散らせた。しかし、この場で命を散らせては、あの男も暴走体になるのではないか――そう思う前に、ネッド・アークライトだったモノが、男の体を八つ裂きにしてしまった。きっとああなっては、もはや再生するのも不可能であろうレベルまで――。


「うっ……うぅっ……」


 近くで、ポワカが泣きながら口元を手で押さえていた。気持ちは、良く分かる。ハッキリ言ってやり過ぎたし、それ以上に――そう、ネッド・アークライトは、そんなことをするような人間ではなかった。冷静を気取っているが、結構情にもろいタイプで、非道なことには憤って見せる心の持ち主だった。それが、あんなになるまで変貌してしまった事実もまた、ポワカを哀しませているのだろうし、また眼の前で行われている惨状は、ジェニー自身も目を背けたくなる光景だった。


 暴走体は男の体に対する攻撃を止めると、今度は巨大シリンダーの方へと向き直った。手にした刃をそのまま縦に一閃すると、舞台がそのまま真っ二つに割れ、少女を蝕んでいた機材も紙のように一刀両断された。


「……失敗か。だが、アレを放置する訳にもいくまい」


 パイプを吸いながら冷静に、シーザー・スコットビルが構えを取った。確かに、アイツならば、あの暴走体とも五分以上に渡り合うかもしれない――だが、それは青年の師匠、パイク・ダンバーが制止した。


「弟子の不手際は、私が取る……貴殿は、万が一に備えてくれ」

「……分かった。この前の借りを返してやろうとも思ったのだが……ここは譲ろう」


 そして、巨刃を持った男が、暴走体の前に立ちはだかった。水晶の化け物も、その男が何者か、分かっているのか――その気迫に呑まれているのか、手を止めた。


「……そうか、ネッド。お前の気持ちは、分かった……ならば、望み通りに……!」


 パイク・ダンバーは剣をステージに突き刺し、右の手の親指を左の胸に押し当てた。そしてマッチを擦るかのような感じで胸をなぞった。直後、男の体が黒い焔に包み込まれ――焔が秋の空気を燃やし、壇上が蒸気で一杯になった直後、鈍色の一閃が煙を吹き飛ばした。


 そして煙が晴れた先には、顔まで赤黒い影を纏ったような人型の怪物が、剣を構えて立っており――水晶に包まれた化け物と対峙していた。


「この魂を燃やし、お前を止めてやる!!」


 その言葉の直後、赤黒い異形、パイク・ダンバーの一撃が放たれた。男の振るった一刀が、非常に硬いであろう暴走体の腕を、いとも簡単に両断した。しかし、ネッドの方もそう簡単には終わってくれない――切断された腕の切り口から糸や紐のような何かが伸び、主を失った腕を中空で捕まえたかと思うと、すぐさま引き寄せ、そのまま綺麗に接合面が縫い合わされ、化け物の腕が元に戻った。そして今度は、暴走体の攻撃――同じく繊維の刃で、ダンバーの右腕が断裂された。だが、ダンバーも負けてはいない――少し呻いたと思うと、断裂部から煙が噴出し、黒緋の腕が再生した。

 しかし、腕ごと得物が離れた隙を、鼈甲色の化け物は見逃すはずも無い。低姿勢で一気に間合いを詰めてダンバーに懐に入り込み、尖鋭の拳を叩き込もうとするのだが――。


「甘いッ!!」


 赤黒い影がステージを踏み抜く勢いで震脚し、一瞬よろめいたネッドの頭に、ダンバーの肘が振り落とされた。その威力はシーザー・スコットビル物に匹敵するか、ややもすればそれ以上なのか――化け物の頭部が半壊し、ネッドの体はステージに沈んだ。

 だが、勝負は終わっていなかった。頭を失い、本来なら活動を止めてもおかしく無いのに――ネッドの体から繊維が伸び、パイク・ダンバーの体を拘束しようとする。それを予め読んでいたのか、ダンバーはすぐさま間合いを離し、元々自分のモノだった右の手から再び刃を拾い上げ、オーバーロードの追撃を切り払った。

 頭部が潰れた状態でネッドが立ち上がり、低い呻き声のようなものがあたりに響いたかと思うと、辺りの水晶が共鳴し始め――ネッドの背後から繊維が伸び、それが頭を覆ったの後、繊維と水晶の体とが融合し、暴走体の頭部が再生した。


「……この場の怨嗟に満ちた魂を、全て喰らい尽くすつもりか……」

 

 オーバーロードの追撃をいなしながら、パイク・ダンバーは静かにそう言った。


 その後も、二つの影が激しくぶつかり合った。何が恐ろしいかと、互いに普通なら既に何回も死んでいてもおかしくないような攻撃をその身に受け、しかしすぐさま再生し、なお闘い続けていることである。一撃放てば、こちらまで届く程の衝撃が、辺りを駆け巡る。斬り、穿ち、粉砕し――生前の能力は残っているのか、ネッドは繊維の力を使って、武器を作り、傷を縫い、闘い続けている。

 対する、パイク・ダンバーは、これもまた恐ろしくもあるのだが、こちらの方がまだ幾分か人間らしかった。繰り出す攻撃は地を裂き、怪物の四肢を切断し――しかし、何故だろうか、どことなく手心が感じられてしまう。赤黒い影で顔が塗りつぶされてしまっており、その表情は分からないが、どことなく、苦しんでいるようだった。

 ジェニーも、周りの仲間たちも、異次元の力のぶつかり合いに割って入ることも出来ず、ただただ二人の化け物の戦いを見守り続けるしかできなかった。

 スコットビルは下がり、ウェスティングスは命からがら死地から逃げ出し、グラントもなんとか舞台から這い出たようだった。あの、舞台の上に居るのはもはや三人――今だ恐ろしい力をぶつけあう師弟と、その奥で、戒めを解こうと、必死にもがく少女――。


 二人の化け物が、一旦距離を離した。かなり力を取りこんでいるのだろう、辺りの水晶のほとんどが、灰に還っている。だが、ネッドの側はまだ幾ばくか取りこむ力がある。対してパイク・ダンバーは何をその恐ろしい力の糧としているのか、全く謎だが――だが、まだその力が果てることは無いらしい。

 それでも、互いに埒が明かないと判断したのだろう。もちろん、ネッドの側は本能なのだろうが――極限の緊張感、次の一撃で全てが終わる、そんなピリピリした空気が、女の頬を叩いた。


「……次の一撃で極めてやる。私に送られることは、貴様としては不満もあるだろうが……お前にその業を背負わせた一端を担った罪は、この魂がついえるまで、背負って往こうぞ……!」


 ダンバーが剣を腰の高さで構える、それと同時に男の闘気が一気に噴出した。対するネッドは、大きく咆哮し――辺りの輝石の力を全て使おうと言うのか、辺りの大気が振動し、水晶の海から力を吸収し始めた。


「人の想いの残滓をかき集める……苦しかろう……今、終わらせて……」

「ま、待って!!」


 ダンバーが息を吸い込み、黒い光を纏った刃を振りかざさんとしたその時、奥から拘束を解いた少女が走ってきて、二人の間に割り込み――二人の怪物の動きが止まった。


「お願い! もうネッドを傷つけないで!!」


 少女は、パイク・ダンバーに嘆願した。それに対して、ダンバーは首を小さく振った。


「……そいつは、既に死んでいる」

「そんなの分かんない! もしかしたら、元に戻るかもしれない! それに、アンタはネッドの師匠なんだろ!? それなのに……」

「だからこそ、私の役目なのだ。捨ておけば、ライトストーンの街を、ソリッドボックス州全体を……いや、下手すれば南部一帯を、コヤツは死地へと変えてしまうだろう」

「でも……でも……!」

「それに……ネッドは、止めて欲しがっているのだ」

「……えっ?」


 少女の戸惑いに、パイク・ダンバーはゆっくりと答える。


「純度の高いエーテルライト……激戦と虐殺のあったこの場に生成された輝石は、苦しんで死んだ者達の魂の残りカスだ。それを自らのうちに直接取りこむというのは、身を裂くような怨嗟をその身に取りこむのと同義……今、君が思っている、それよりもその更に何倍も、ネッドは苦しんでいる」

「そ、そんな……」

「それに、コヤツはお前を救うためだけに魔道へ落ちた。君の命が救われたのならば……あとは、速やかに終わらせてやるのが、せめてもの……」

「……分かった」


 ダンバーが言いきる前に、少女は男に背を向けた。そして、少女の方を赤い眼で見つめて止まっている、鼈甲色の化け物の方へと向き直った。


「……ネッド、お前は嘘つきだ。全部終わったら、言いたいことがあるって……言ってたのに」


 少女の顔には微笑があった。きっと、これからすることに対して――少しでも、彼を安心させたいから、必死で浮かべているその表情はどこか傷ましく――あんなに瞼に涙を溜めていたら、笑顔の意味など無いだろう。


「でも、もういいよ……苦しまなくって、いいから……」


 言いながら、ゆっくりと――少女は、青年の左手を、その右手で取った。


「もう、痛い想いも、苦しい想いも、しなくって、いいから……!」


 青年の体が、淡く光り始め、その灯りは段々と天へと昇って行き――ガラスの割れるような音が響き、ネッド・アークライトの体が水晶から解放された。


 衣服はボロボロだが、体に傷一つない。それでも、顔には血の気は無く――生命が終わる、ジェニファーは、ただ壇上の二人を見つめ、そんなことを想った。


 青年は、少女に対して、力なく――だが、優しく微笑みかけた。


「……ありがとう……でも、泣かないで……」


 そこで、手が抜け落ち――青年の体が壇上に倒れた。少女は、ただしばらく呆然と立っていて――その背後で、パイク・ダンバーを包んでいた闇が消え、元の壮年が姿を現した。しかし、膝をついてしまい――すぐさま、スコットビルが駆け寄った。


「……大丈夫か?」

「正直、かなり……しかし、まだ消えんよ」

「……そうか」


 青年の師は、少しの間ネッドの体を黙って眺め――目を閉じ、天を仰いで後、スコットビルに肩を借りて、パイク・ダンバーは壇上から姿を消した。

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