18-6


「……さぁ、それでは始めようか。ネイ……私の愛しい娘。我が悲願を叶えておくれ」

「い、いやだ! 誰が、お前のいいなりなんかに……」

「……構わん、我侭大いに結構。だが、それなら親として躾が必要だな」


 ブランフォードは、娘同様の左手のグローブにはめているシリンダーを起動し、少女の顎を左手で持ちあげた。


「あ……ぐぅ……!」


 少女の口から、呻きが漏れる。強化された力で無理やり立ちあがらされているのだ、かなり痛いはずだ――青年は、なんとか立ち上がろうとする。しかし、どうやら足の腱を切られているようで、普通には動けそうになかった。


「……だけど、これで……!」


 少女の目が、僅かに力を取り戻した。そして、右の拳を枷で繋がれている左手ごと父親に対して突き出し――だが、それはブランフォードも同じく右手で制止した。


「そんなにあの世に御執心なら、今送って……」


 そこで、少女の表情が困惑のそれに代わった。恐らく、いつも感じているような手ごたえが無かったのだろう――事実、ブランフォードは健在で、口元に笑みを浮かべている。


「……私の能力、聖餐の秘儀【サクラメント・コムニオ】は、他者の能力を我が物とする……これは、お前の母親の能力だよ、ネイ」

「えっ……?」


 これというのは、少女の右手に触れられて


「サカヴィアの能力は、相手の能力の無力化だった。もしスプリングフィールドの実験で、手が付けられない能力者が出てきた時には、有効かと思って飼っていたのだが……こともあろうに、サカヴィア本人が私に反逆してきたからね。だから……」


 一旦男は話を切り、何か思いつきでもしたのか、口元を吊り上げた。


「そう言えばネイ、知っているかい? お前の母親を殺したのが、誰かということを」

「な、何を言って……お前が、お前がお母さんを殺したんじゃ……?」

「いいや、違う……サカヴィアを殺したのはネイ、お前だよ」


 嬉しそうな男と対照的に、少女のほうは驚愕に目を見開いた。


「そ、そんな……嘘だ。だって、そんな記憶、アタシは……」

「無いのは仕方が無いさ。お前が二歳か……いや、一歳だったか? ともかく、それくらいの時の話だ、覚えていないのも仕方が無い」


 男の顔が、どんどん歪んでいく――狂気の笑みで。


「私の能力は、言っての通り相手の能力を我が物とする……サカヴィアの能力を私が奪った後に、お前がちょうどトドメをさしたんだよ」

「う、嘘だ、嘘……」

「嘘なものか。まぁ、信じるも信じないも勝手だが……しかしそう、お前が始めて殺したのは実験用のマウスなどではなく、自分の母親なんだよ!」


 ブランフォードはそこで一回大きく笑い出し、しかしすぐに詰まらなくなったのか、冷たい視線で娘を見つめる。


「母を殺め、その上父まで手にかけようなどと……浅ましく、卑しい、大罪人……大淫婦マザーハーロットととでも呼ぶべきか。しかし、大丈夫……神の身元では全てが救われる」


 少女の目から光が消えていく――母親を殺めてしまったという事実が、少女を苦しめているようだった。だが、それでも男の言うことは聞くものかと、最後の抵抗で、ブランフォードの手を振りほどこうとしている。


(クソ……! 動けってんだよ、俺の体ッ!!)


 ネイが、泣きそうな顔をしてるじゃないか――青年は、ともかくそれが一番嫌なのだ。このクソッタレた世の中で見つけた、一番大切な物。それを、奪われる訳にはいかない。

 しかし、仮に手足が動いたとて、どうだろうか。自分一人で、この状況が覆せるものだろうか。スコットビル、リサ、ウェスティングスに黒服のアンチェインズ共、それにパイク・ダンバー、一人相手ですらどうにもならない様な相手が何人も居る。凡夫たる青年がこの状況をどうにかするには、奇跡などでは足りないほど、なお足りないほど絶望的だった。


 ふと、渇いた音が聞こえた。抵抗していた少女の頬を、父親が平手で殴ったようだった。


「言う事を聞け! ……いや、済まなかった。つい、カッとなってしまった」


 ハッキリ言って、あの男は不気味だ。実際、リサとの血を感じさせてくれる――感情の起伏がおかしいのだ。殴った時など激昂していたのに、今は落ち着いている――いや、無理に落ちつこうとしているのか、口元はやや歪んでいた。


「しかしだな、ネイ……いいかい、よく聞くんだ。私達の悲願が成就された暁には、この国の平和が実現されるんだ……でもそれには、お前の協力が必要なんだ。わかるかい? ネイ……」

「うっ、うぅ……」


 少女は少女で、表情が引きつっている。実際に、逆にあの立場だったら、もう何が何だか分からないだろう。目の前の男は異常で――いや、全てが異常だ。あんな所に居て、毅然として居ろ、という方が難しいだろう。


「……我が娘ながら、愚鈍だな。なんだか、面倒になってきた……うむ。言葉が通じないのなら仕方があるまい」


 男は少女を無理やり、やや乱暴に引きずって機材の中心にまで運んだ。そして、ニヤ付いている白衣の片眼鏡の方へと向き直った。


「ウェスティングス。これはこのまま使えるのか?」

「ひひっ……はい。これ程のエーテルライトを機械に積むのは難しいですからね。辺りの輝石が勝手に反応するように作っております」

「成程、上出来だ……流石は、黒の祈士だ」

「あ、ありがたきお言葉……!」


 普段は軽んじられているせいか、ウェスティングスとやらは褒められて感激しているらしい――いや、眼鏡の男などどうでもいい――ブランフォードはネイの体を引きずっていき、少女を機材に取りつけられている椅子に座らせて、枷を外してすぐに、椅子に備え付けの拘束具を少女の腕に取りつけた。

 少女は、もはや抵抗する気力も残っていないのか、ぐったりとしてしまっている。ブランフォードはしゃがみこんで、少女の顔を覗き込みながら、笑った。


「少々手荒にしてしまったが……愛しているよ、ネイ。お前のおかげで、永遠の王国が築かれるのだから」


 そして一歩、二歩と男は娘から離れると、白衣の男のほうへ手で合図を送った。機材が動き始めると、辺りに電流のようなものが走り――一面の水晶が一斉に共鳴し始め、それと同時に機材がウルサイ音を立ててうなり始めた。


「うぐっ……あぁ……っ!」


 歯車の回る音、機材の唸る音の中に、一切鮮明なうめき声が青年の耳には届いた。機材の椅子に括り付けられた少女が、苦悶の表情を浮かべ――顔中、汗がびっしり浮かんでいる。


「な、なんだ!? 何が始まるってんだ!?」


 青年の叫びに、ブランフォードが振り返って答えた。


「……ネイの能力は、死を操っているわけではない」


 青年の叫びに、ブランフォードが振り返って答えた。


「厳密に言えば、魂を大いなる意思の元へ送り込んでいるのだ。それが結果として、現世での死になっているだけに過ぎない。そこで、この能力を使えないかと私は考えた。この子がグレートスピリットとの繋がりが非常に強いのならば、逆に大いなる意思を現世に引きずり出すことも出来るのではないかとね、そして……」


 ブランフォードの講釈に、青年はだんだんと集中できなくなっていた。少女が心配なのはもちろんなのだが、それ以上に――あたりの風景が、歪み始めていて、そちらに気をとられてしまったのだ。


「あぁ……やはり、目論見どおりだ……!」


 ブランフォードの上ずった声が聞こえる。辺りの風景がおかしくなり、草原と荒野とのビジョンが混ざり合い、夜の闇と赤い空とが解け合い――確かに、現世ではない何かが、降りてこようとしている。ここは今、この世とあの世と境界線上に位置しているということが、青年にも直感的に理解できた。


「こ、これは……まさか、本当にこんなことが可能なのか!?」


 青年の隣で、ヴァンが驚きの声を上げている。そして、機械の中で苦しむ少女を見つめて――ヴァンだけでない、この場にいる全員が、辺りの様子と少女とを交互に見つめている。

 水晶の海と交錯する二つの世界、美しいような、しかしどこか破滅的な光景。そして、その現象を引き起こしている少女と悲鳴――凄惨で、ただしばらくは皆唖然と――リサとスコットビルですら半信半疑だったのか、どこか驚いた表情をしている。ことの成り行きをただ冷静に見つめているのはパイク・ダンバーのみで、ブランフォードとウェスティングスだけが嬉しそうにしていた。


「ちょ、ちょっと待て!? なぁ、ネイは、ネイはどうなるんだ!?」


 青年の叫びに、今度はブランフォードは答えなかった。代わりに、パイク・ダンバーが、どことなく哀しそうな目で、青年を見つめてきた。


「……およそ五万を超える魂によって、今彼女はその魂に相当な負荷をかけられている。肉体的には死すなずとも……廃人になることは免れまいな」

「そ、そんな……!?」


 廃人になる、心が消える――それは、死と何が変わるというのだろうか。少女が、何も言ってくれなくなる、はにかんでくれなくもなる、もう笑わなくなる――そう考えただけで、青年の中に冷たい物が走った。半分は冷静でいられなくなるほどの怒り、また半分は「それだけは避けなければならない」という焦燥感。


(どうする……どうする!?)


 もはや神の国だとか、そんなことはどうでもいい。青年にとって少女がいなくなることは、人生の色彩を失うことと等しかった。あの日列車で出会って、荒んでいた自分の心を蘇らせてくれて――もはや、とか、神だとか、そんなことはどうでもよかった。ただただ、少女を助け出さねばと――だが、体が動かない。あの子の元に駆けつけたいのに、足が動かない。

 焦る青年をよそに、事態は進んでいってしまう。少女の悲鳴は止まらない。世界はどんどん黄昏色に染まっていく――それを見て、ブランフォードが嬉しそうに笑っている。


「しかし、反抗しなくなることは良いことだ……アンチェインド共のように言うことを聞く素直な娘に仕立て上げ、最後の祈士、真のペイルライダーとして、黙示録の日に死を振りまいてもらおう」


 心を潰した挙句、あの男は優しい少女をまだ利用しようと言うのか。もはや死を悼む気持ちも無くなった少女は、確かに最上の殺戮兵器と化すだろう。しかし、そんなこと、許せるものではない。

 そんな青年の心など知る由も無く、ブランフォードは苦痛に呻く少女を眺めながら、ただ一人で昂ぶっていく。


「あっはっは! お前は実に良い子だよ、ネイ!! 私の! 私の悲願に!! これほど役に立ってくれるのだからなぁッ!!」


 笑い終わって、一度頭を垂れ、顔を上げ、そして暗い瞳で、男は娘を見た。


「あー……愛してるよ、ネイ」


 その一言で、青年は完全に吹っ切れてしまった。あの男は、絶対に許せない。自分に都合の良いモノだけを愛するなどとのたまう、独善的な男。


(……てめぇが愛なんて口にするんじゃねぇぞ!!)


 心の中で天を貫くほど叫び、だが思ったところで何も現状が変わるわけでもないことも承知できるくらいには冷静にはなり、青年は現状をどうにか打破できないか――思案し始めた。

 まず、辺りを見回した。ジェニー達はどうか――辺りの光景に呆気を取られていたものの、何かしなければ不味いということは分かっているのだろう、青年と同じように、何とか立ちあがろうとしている。しかし、やはりダメージのせいか動けなそうだった。ポワカと博士は――スコットビルが睨みを聞かせている。下手に動いても、すぐに対応されて終わりだろう。


(万策尽きたか……いや、一つだけ手はある……な)


 賭けは賭けだが、成功すれば一気に状況を変えることが可能だろう。しかし、青年の目論見通りの展開になってくれるかは分からないし、何より――。


(……いや、残念ながら運命に逆らえなかった……それだけの話か)


 青年は、今まさしく少女の力によって一層に輝いている水晶の海を見た。そして、少女を見る。仮に上手くいったとして、果たしてそれが正解なのかは分からないが――しかし、もう青年の腹は決まってしまっていた。

 やるべきことは、何個かある。他の祈士や雑魚の妨害を掻い潜りながらブランフォードを倒し、機械を破壊し――いや、きっとそんな風にあれこれ考えている余裕は無いだろう。


 あの男は殺してやりたいほど憎い。だが、それだって青年にとって二の次なのだから。


(それなら、ただ一つだ……ネイを助ける。それだけを強く思い描いて――)

「……ネッド?」


 自分の異変に察したのか、旧友が語りかけてきた。


「なぁ、ヴァン……後の事は、色々と頼むわ」

「お、おい、お前、何をする気で……!?」


 応えている暇などない。青年は幸いにも起動し続けていた輝石の力を使って、身に纏っている物全体に電流を流した。これなら、である。



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