17-7
◆
帰り道は、来た道をまるまる引き返すことにした。二人とも土地勘があるわけでもないし、何よりも――すでに日も短くなってきており、丁度黄昏時の並木道が朱や黄色に染まり――また何とも言えない情感を出していたので、新鮮な気持で歩くことが出来た。
昼間は街の中央の方で働いているのであろう、家路につく人たちがちらほらと、二人の対面からすれ違う事が多かった。しかし逆に、仕事で疲れてくれているおかげなのか、人々は別段二人のことも気にせず、ただただ道を歩いている。
「……信じてもらえるか、分かんないんだけどさ……」
ふと、青年の隣から声が上がった。気がつけば、やはり右手の袖が握られており――多分、不安なのだろう、しかし少女は息を吸ってから、静かに続きを紡ぎ出した。
「アタシが手をかけた相手は、ネズミを十匹、そのほかの実験用の動物十五匹――犬が二、猫が二、魚が三匹にトカゲ、イモリ、ウサギ、牛、鶏に名前も分からない鳥がそれぞれ一ずつ。馬は、アタシがスプリングフィールド内で二頭、外でも間違えて触っちゃったせいで、計三頭……それに暴走体は二十八体……これは、お前と最初にやった、サソリの子供も含めてだ」
「え、えぇっと……」
唐突な独白に、青年は驚いてしまった。思ったよりも多いような、少ないような――しかし暴走体に関しては、サソリの子供まで含めるとなると、実際二人が出会ってから、セントフランでもかなり倒していたし――恐らく、青年と出会う前に仕留めた相手は八体ほどか。というより、青年自身、もう数などあやふやになっているのに、この子はそれをいちいち記憶しているというのだろうか。
「……いや、よく数を覚えているな」
「うん……アタシが送った生き物だからさ。もっと、生きたかったかもしれない、そんな命だから……忘れないようにしててさ」
少女の方を見降ろしても、ネイは真っ直ぐ前を見ていて――しかし、言ってしまって恥ずかしかったのか、照れ隠しの様に笑ってこちらを見上げてくる。
「なんて、こういうのは自分で言っちゃうと、あんまり意味も無い気もするんだけど……なんとなく、ネッドには知ってて欲しくてさ」
そして、今度は視線を落としてしまい――もちろん、ここまでも少女にとっては大切な告白だったのだろうが、多分ここからが本番なのだ。
「それで……人間は、三人……コグバーンとジーン、マリアの三人だけ。勿論、アタシが物心つく前とか、意識が無いうちに実験されてたりしたら別だけど……ともかく、アタシの意思で命を奪ったのは、ホントにこの三人だけだ」
それは、意外なようで、至極納得もできる話だった。優しい少女のことだ、自分の意思で誰かの命を奪う事など絶対にしないだろう――それでも少々意外だったのは、もしそうならば――。
「……多分、お前はこんな風に考えてる。そんなだったら、もう少し誰かと今までに仲良くできたんじゃないかって。それでもやっぱり、アタシが混血児だから西部では疎まれやすかったし、かといって北部にいたら危ないし、前も言ったけど仕事も出来ないし……でも、そう、やっぱり多少は仲良くなる人も、いたんだよ。そもそも、アタシみたいなガキが、暴走体を倒したって賞金に引き換えも出来ないし……短い期間でも、協力者は必要だったから」
そう、だからストーンルックで、少女は自分を誘ったのだ。馬も殺めてしまうかもしれない恐ろしさから怖くて乗れず、賞金の引き換えをしてもらうため――だから、この子は実際、言うほど裕福な暮らしはしていなかったのだ。当座で組む相方に多めに賞金を渡すことでやりくりしていたのだろうから。
「でも、やっぱりさ……アタシが暴走体を倒すとさ、みんな、怖がっちゃって……まず、この右腕は、見た目だって不気味だし……コグバーンの言いつけを破って、少し一所で落ち着いてみても、やっぱり馴染めなくってさ……」
「大佐の、言いつけって?」
「うん……最後の遺言だったんだけどさ。ホントに信頼できる奴が出てくるまで、ずっと旅を続けろって。俺には、それが見えたから……って。細かく聞く前に、息を引き取っちゃったけど……」
少女が、青年の袖を掴む力が強くなるのを感じる。きっと――いや、今でもそうなのだろうが――不安なこと、イヤなこと、それを思い出し、向き合おうとしているのだろう。
青年がそんな風に思っている間に、少女の口が再び開かれた。
「……セントフランで、ルイスに人殺しって言われたのは、やっぱり結構辛かった。もちろん、アイツが言ってたことは嘘じゃないし……何度か、言われたことでもあったから。アタシが人を殺していなくたって、それだけの力はあったし、何かと《見た目》で魔女扱いされたし……」
そこで、少女は青年の袖を手放し、早歩きで青年の前に出た。少女は青年の前でスカートを翻してくるりと周り、今度は両手を後ろで組んで――西日で赤く頬が照らされて、そして笑顔を浮かべた。
「もうちょっと、こういう格好してれば、怪しまれなかったかもな」
「あぁ……フードを深くかぶってるせいで、怪しさが増してたってのは、あるかもな」
「でも、ネッドは気にしないでくれた」
そう言って、少女は青年の横に戻ってきた。今度は、袖を掴まずに、ただ隣を歩いてくれていた。
「……俺も、一旦は怖がったじゃないか」
「それでも、助けに来てくれた。ストーンルックでも、ビッグヴァレでも、セントフランでも、辛い時、励ましてくれた……傍に居てくれた。グラスランズで、アタシが酷いことしても、カウルーン砦まで追い掛けて来てくれて……」
少女の話は、そこで止まってしまった。何かと思ってみれば、なにやら俯きつつ、自嘲的な笑みを浮かべている。
「……こうやって自分のこと話してるとさ。アタシって、イヤな奴だなぁって思うよ。ホントは構って欲しいくせに、つっけんどんな態度を取ってさ。きっと、ネッドのことを置いて行ったときだって、心の奥底では、追い掛けて来てくれることを期待してた……リサの言う通りだと思う。アタシは、面倒くさい奴だよ。いつだって逃げ回って、ホントは捕まえて欲しいんだから」
そう言われてみれば、よく少女は自分の所から離れようとしてきた――だが、なんやかんやで、青年にとっては、そこも少女の魅力だった。
「そこは、需要と供給の一致ってやつかもしれないぞ? どうやら、俺は追うのが好きみたいだからな」
「しかも縛るのも好きとか、なかなか救えないよな」
少女にはまったく悪意は無い、ただの冗談のつもりだったのだろうが、今のはさすがに誰かに聞かれていたらマズイ。
「……そこは、お互いさまなんじゃないかな」
青年は周りを見渡し、誰もいないことに安堵の息を吐き出しながら、二重の意味を込めて皮肉を返した。
「あはは、うん、そうだと思う……でも、とにかくさ、ネッドと出会う前は、辛いこと、哀しいこと、たくさんあった。もちろん、お前と出会ってからも、大変なことはあったけど……でも、それでも、こんなに楽しくて、嬉しいのは、今までなかった」
そう、俯きながらに言う少女の声は、何かを愛しむような、そんな調子だった。だから、青年もおのずと嬉しくなり――少女の左手を、その右手で取った。
「……ついでに、今はドキドキしてる」
「まぁ、そうさせたくてやってますし」
「……ばか」
言葉とは裏腹に、少女は青年の手を握り返してくれた。
「こんな話をしたのはさ……さっき、行く時にも話したけど……もう、これで右手の能力を使うのは最後にしたいから。実際、三人以外にも、一度はリサに殺意を向けたし、スコットビルも倒そうと思った訳だから……アタシはある意味で、五人は殺してる」
「……殺意だけじゃ、人は死なないよ」
「でも、殺意があるから人は死ぬんだよ。引き金を引くのと、そんなに変わらない」
それは、青年が一度は思ったことだった。少女の能力は、あくまでも相手の命を奪いやすいと言うだけで――人は結構簡単に死ぬのだ。そう考えれば、詭弁なようであっても、少女の言い分には正しい所もあるように感じられた。
「一週間後、アタシは六人目を殺す。でも、それで最後。人を殺しておいて幸せになりたいなんて、おこがましいかもしれない。人殺しは、幸せになんかなっちゃいけないのかも……それでも……」
最後は、消え入るような声になっていた。それを励ますように、青年は繋いでいる少女の小さな、震える手を、力強く握った。
「……君を恨む奴だっているかもしれない。もっと言えば、君自身が自分を許せないかもしれない……」
例えば、ルイス――ベルがきちんと説明してくれてれば、後悔してくれているかもしれないが――他にも、少女の言う六人目を殺してしまえば、確実にリサから恨まれるだろう。だけど、それだけではなく、心の優しい少女は、今まで命を奪ってきた自分を、きっと許せないのだ。
「でもそれなら、俺だけは、何があっても君の味方だからさ」
思えば、遠くまで来たものだった。ジーン・マクダウェルの墓標に誓って、色々なことがあった。それでも、あの時の想いのままに、青年は走ってこれた。それがなんだか誇らしかったし、生きている実感になっていた。
「それに……他の連中だって、君が泣きそうだったら、ほっといちゃくれないさ」
「うん、そうだね……その通りだと思う。アタシは、結構幸せなんだな……」
その言い方は、深く、噛みしめるように――。
「……でも、アタシはやっぱりイヤな奴だよ。いっつも、ネッドに甘やかして欲しいんだ。弱い所を見せれば、きっと慰めてくれるから……それでも、やっぱり不安で、それで、つい甘えちゃうんだ」
言葉の内容が少々自虐的な内容になっても、少女の声の調子は穏やかなままだった。
「だから、今言ったろ? 君がどんなに自分の事が嫌っても、残念ながら俺は君を嫌いにならないんだよなぁ」
「……うん、嬉しい」
「それに、そうだな……俺が君を甘やかしてるって言うなら、今度は君が俺のことを甘やかしてくれればいいんじゃないかな?」
「な、成程……でも、どうすればいいんだ?」
「そうだなぁ……うーん……」
そう言われて、青年は返答に窮してしまった。自分ではなかなか良い提案だったような気がしたのだが、しかし冷静に考えてみれば、自分も結構甘やかしてもらっている気もする――何せ自分はヒモ野郎なのだから、これ以上なく少女に甘えてると言ってもいいだろう。
「いやぁ、やっぱ今のままで丁度いいかな、うん」
「むぅ……そーなのか?」
「それに、アレだ……俺がこうしてくれ、なんてことをそのままやるだけじゃ、意外性も無いだろ?」
「た、確かに……そうだな。自分で色々考えないと駄目だよな」
青年の右手をしっかりと繋いだまま、少女は何やら考え込んでいるようだった。どう甘やかしてくれるのか、青年はそれも楽しみであったけれど――。
(……今、この時間だけでも、十分贅沢なんだよな)
茜色に染まる街を、郊外の街路から眺めながら歩く。日が傾いて、吹く風も冷たくなっているけれど、右手の温かみが――互いに手袋をはめていても、それでもなお暖かかった。
「……駄目だ、思い付かないや」
「はは、まぁ、そんなすぐにじゃなくたっていいじゃないか……それより、寒くないかい?」
「うぅん、大丈夫……あったかいよ」
見上げてくる少女の顔は、やはり西日に照らされて赤くなっていた。こんな時間がいつまでも続けばいいのに、青年はそう思ったが、その時は終わりに向かっていた。何のことは無い、そろそろジェームズのホテルに着きそう、それだけのことなのだが。
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