エピローグ
青年達は一応スコットビルが生きていることを想定し、撃退してから数時間は警戒していた。しかし、何時間経っても現れることも無く、その後東洋人達による捜索隊が出された。荒野のどこまで飛んで行ったのかも分からないが、ともかくどうやら付近にスコットビルはいないということだけは確定した。そのため、現在は既に夜の帳が下りており、二番目に高い建物の最上階――ここは元々クーの実家らしい――で、一時の戦勝の宴が催されている。
とはいえフェイ老師を筆頭に、ジェニー、ブッカーと結構な怪我を負っていたため、医師の心得のある博士が診断している、というわけだった。現在青年はブラウン博士に診察してもらっているところであった。
「……この前も思っておったのだじゃがな。ネッド、お前さんの回復力は、少々異常じゃ」
簡易診療所と化した一室で互いに木製の椅子に座って、博士が青年に告げてくる。ちなみにジェニーとブッカーは既に診察を終え、意外と元気が残っていたらしい、すでに隣室の宴の方に参加しているようであった。
「えぇっと……まぁ、すぐ怪我が治るってのは、ドンパチやる分にはマイナスの能力じゃないと思うんだけど」
「それも、そうなんじゃが…………お前さん、まさか体内に輝石が流入しているのではあるまいな?」
そう言われて、何かそんなことがあったか思い出す。もちろん、高価な輝石を食べたりはしないし、誰かに無理やり刺されたこととかも――いや、思い当たる節はあった。
「……なぁ、それ、マズイのか?」
「心当たりがあるんじゃな?」
「あぁ……ネイと出会ってすぐ、ジーン・マクダウェルと輝石の鉱脈でやりあったんだが……その時、体にぶっ刺さったことがある」
「ふむ……成程な……」
意味深長に博士は呟き、そのまましばらく黙ってしまった。
「な、なぁ、なんかマズイのかって聞いてるんだぜ」
「いや、一応ワシが実験に加担している間にも、マウス実験で多少の効果は確認していたんじゃ。じゃが、理屈までは確実には分からん。だからあくまでも、あくまでも仮説じゃが……お前さんの体の中の輝石が、お前さんと一体になり、能力を発動させるたびに反応しておるのかも、などと思ってな。その副作用として、以前に比べて力も増し、回復速度も増しているのかもしれん」
そう言われて、青年は心当たりを手繰ってみた。考えれば、ヴァンと戦った時、最後にアイツを殴ろうとした時は、意外な力が出ていた気がする。更に、なんやかんやでスコットビルも撃退できた――博士のいう仮説が当たっているのなら、確かに以前より自分は強くなっているかもしれない。
しかし、なんだか妙な感じがするのも確かで、なんだか、まっとうに強くなったのとは別な感じ。禁忌に触れようとしているんじゃないかという、漠然とした不安が青年を襲ったのも確かだった。
「ともかく経過を見て、打てる手を打つしかないじゃろうな。もしかすれば、悪影響も無いかもしれんし……」
「そうであることを祈ってるよ……しかし博士、アンタ結構分からないことだらけだな」
自身の不安のせいか、ついつい悪態づいてしまった。少々大人げないとも思ったが、相手の方が余程年上なのだ、機械の鼻が自嘲気味に鳴った。
「ま、その通り……ワシの知識など、既に化石なのやもしれんなぁ。技術は日進月歩、日々進化しておる。それこそ、アヤツの言っていたように……進化し続けることこそ、人の本能なのかもしれん」
アヤツ、シーザー・スコットビル――実際の所、青年は全然倒せている気がしなかった。勿論、手前味噌ではあるものの、あの一撃に倒されない様なのは本物の化け物だ。しかし事実、あの男は本物の化け物の親戚なのであるし、何より、最後に見せた表情、笑っていたのだ。予想外の一撃を喰らわされ、追い詰められていることに歓喜しているような、そんな表情。つまり、死に際に見せる絶望の表情ではなかったということである。
しかし、折角の戦勝ムード、それを変に壊すのもなんだし、青年はそれ以上に、博士に聞きたいことがあった。
「……アンタ。パイク・ダンバーを知ってたんだな」
「うむ……むしろ、驚くべき運命のいたずらよな。あの男の弟子が、コグバーン大佐に連れられたエヴァンジェリンズと出会い、なんやかんやでこんな形になっておるのじゃから」
博士は、ふと隣室の方に目を向けた。隣からは、騒がしい声が聞こえる――とはいえ、ブッカー以外は今向こうに居るのは女ばかりなので、主にポワカとクーとジェニーのせいで、文字通りに姦しかった。
それはともかくとして、やはり恩師のことは知っておきたい。青年は博士に質問してみることにした。
「なぁ、アンタから見て、師匠はどんな人だった?」
「……真面目すぎる男じゃったわい。弱きを助けを地で行く男じゃった。それ故に、ミレニオンを作ることに一度は賛同したのじゃが、やはりその過程には心を痛めておった。ワシを実験から逃がしてくれたのも彼じゃ……まぁ、ジェニーには言ったんじゃがの」
「はは、アイツ、そこだけ綺麗に名前を忘れてたんだよ。後で聞こうと思ったら、カミーヌ族が襲われてて……ま、何にしても聞けて良かった。やっぱり、俺の知ってる師匠は師匠だったみたいだからさ」
そこで、青年は立ち上がった。確かに肩の骨は砕けていて、かなり痛むのだが、ヴァンにやられた時の方が怪我そのものは酷かった。多分、一週間もすれば元気になりそう――それはそれで、化け物じみているようで嫌でもあったのだが――ともかく、少し外の風を浴びたくなったので、宴が催されているのとは逆の扉に手をかけた。
「……主役がいなけりゃ、みんな哀しむぞい」
「いや、ちゃんと後で行くよ……ちょっとだけ、黄昏たい気分なだけさ」
「ふむ……成程な。ワシも若いころにはそんな時分があったわい。まぁいい、ともかく、しばらくは安静にじゃぞ」
「あぁ、了解」
そして、外へ出た。比較的高所にあるこの場所は、なかなか風が強く――しかし、折角なら見晴らしの良い所へ行きたい。青年は左手でボビンを引き抜き、先ほど東洋人達がタダでくれた輝石を仕込んだ踵を擦り、屋根の上にあるとっかかりに紐を巻き付けて登った。
屋根の上に登ると、冷たい風が吹きつけてきた。そういえば、もう九月も終わる。いつの間にか夏は過ぎ、秋の到来がそこまで来ているのだ。満天の星空の下、しかしコートを着ている青年には、これくらいが心地よかった。
まず、青年は胡坐をかいて座り、少し先ほどのことを思い出す。スコットビルを撃退した青年たちは、しかし半分は歓迎されなかったのだ。それも仕方のないことで、自分たちがいたからスコットビルが襲ってきたと考える者たちも少なからずいたのだ。だが、意識を取り戻したフェイ老師の説得――いずれ、スコットビルは自分たちを駆逐しに来ていただろう――それに賛同してくれた者たちも多く居た。そのため、輝石を恵んでもらえたりもして――ともかく、やりきったのだ。
しかし、結局不安なことだらけだった。本当にスコットビルは倒せたのか、倒せていたとしても残りの黙示録の祈士を倒せるのか――ヴァンは味方らしいから、意外とどうにかなるか――しかし一番は、やはり自分の体のことだった。別に違和感があるわけでもない。博士に言われるまで、意識もしていなかった。だが、何となしに、例の言葉が青年の頭をよぎる。
『お前、死に魅入られてしまったようだな』
なんやかんやで、ここまで生きてこれた。しかし、もしこの預言が的中するとなれば――自分の体の中の輝石が、どんな反応を示すのか。それは――。
「……皆、寂しがってますよ?」
座ったまま首だけ回すと、屋根の上へジェニファー・F・キングスフィールドがよじ登って来ていた。
「なんだよ、お前かよ……」
「私で悪かったですね……まぁ、博士に聞いて、ちょっと先に行かせてくれって、彼女に頼んだんですよ。色々と、伝えたいことがあって……お仕事の話は、先に済ませたほうがいいでしょう?」
恐らく、今後の予定についての話だろう、あとでゆっくり出来るように、気を使ってくれたようだった。
「はは、その通りだ。お前、結構気が利くんだな……というか、お前さっきのアレはなんだ? 遺言のつもりだったのか?」
「そんなわけ無いでしょう? ただ、一応最悪のことも考えてるだけで……隣、失礼しますよ」
言いながら、ジェニーは青年の隣に座った。改めて見れば、腕や頭に包帯を巻いていて、どことなく痛ましいのだが、しかし表情は凛としているので、悲惨な感じは全然しなかった。
「……怪我、大丈夫か?」
「えぇ、おかげさまでね。私は見た目は派手に怪我していますけど、ブッカーのおかげで割と軽傷ですから」
こちらに視線を返してくれて、ジェニファーはにこり、と笑った。こう見れば、コイツも結構美人で――などと一瞬思ったのだが、なんだかその先は全然思い浮かばなかった。
「……ねぇ、ネッド。私、貴方の事好きですよ」
「……はぁ?」
いじわるっぽいその笑顔に、青年は素っ頓狂な声を上げてしまった。いや、むしろいった内容に単純に呆気に取られた、という方が正しい。
「でも、多分今、私と貴方は同じことを考えている。私たちは、結構、いや大分似てますから。ある意味、私は貴方がどう動くか、何を考えているのかよく分かるし、逆に貴方もそうだと思います」
風に肩まで伸びた髪をなびかせながら、女は荒野の向こうを見やった。
「だから、私たちは……そういう関係には絶対になれないとも思うんですよね。ある種の同族嫌悪もあるし、あまり埋めあえる所もありませんから。好きだって言ったのは、別に異性愛的な意味じゃなくて……そうね、本当に信頼してるって意味で」
「……成程なぁ。それなら、同感だよ。お前、全然女って感じしないもんな」
「そう言う貴方は、かなり女々しいですからね」
皮肉を言い合って、お互いに鼻で笑った。だが、コイツとの関係はこれで丁度いいのだろう。先ほどの言葉も間違いなく本心だろうし、また青年も本当に納得だった。
「……ともかく、私の予想通り、貴方は追って来てくれました。そして、昼間にクーが言ってたことですけど……私も、同意なんですよ」
果たして、どのことを言っているのか、青年が疑問に思っている間に、ジェニーが柔らかな表情で続けた。
「……私たちは、頓珍漢な集まりですよね。でも、それを集めたのは、やっぱり貴方なんです。ネッド・アークライトに紡がれて、私たちは出会って、そして手を取り合う事が出来た。だから、御礼がしたいと思って」
「お、おい、やめてくれよ。俺は別に、全然そんな偉い奴じゃ……」
青年の言葉に、南部女はくすくすと笑った。
「そう、貴方は全然偉くなんかない。ただ、あの子のことに一生懸命なだけの、ただのヒモ男で……でも、不思議なんですよね。それだけなのに、いえ、きっとそれだからこそ……人って、誰かのために、こんなに一生懸命になれるんだって。それに、気付かされたと言うか……」
今度は、ジェニーは上を見上げた。
「……思えば、私は上ばっかり見て歩いて来てたんだと思います。でも、貴方とネイさんと出会って……近くにあるモノの大切さを、学べたような気がするんです」
「ふぅん……それじゃ、俺たちは結構違う所もあるんじゃないか? お前は上、俺は足下を見てる……でも、多分さ、お前みたいなやつも必要なんだよ、世の中にはさ」
「ふふ、同じ言葉を、そっくり返すで」
最後だけ素を出してくれて、そしてジェニファー・K・キングスフィールドは、やはり凛々しく立ち上がった。
「さて、ここまではオマケ……ここからが本番です。三週間後、南部のソルダーボックス州にて、何やら重大な演説が行われると言う事です。クー曰く、いえ、背後にいるグラント曰くですが、そこに普段は姿を現さない、彼らの中心人物が現れると。フェイ老師は怪我が酷く、作戦には参加できませんし、此度の襲撃のせいでこの砦の戦力もかなり減らされて……結局、クーがついて来てくれるだけですが、それでも幸いスコットビルが落ちています。更に、ウェスティングスのゴーレムも倒していますから、絶好のチャンスです」
そう言われれば、黙示録の四祈士の内、完全に健在なのはリサだけということになる。以前は辛酸をなめさせられたが、スコットビルを撃退したメンバーが揃っており、なおかつヴァンの助力も仰げるのだ。こうなれば、確かに戦力的には大チャンスに違いなかった。しかし――。
「……俺は、どうにもイヤな予感がするんだけどね」
「はぁ……慎重なのもいいですけど、それで二の足を踏んでたら何もなせませんよ? もっとも、確かにスコットビルの幕引きは呆気なさすぎた感はありますし、ウェスティングスが別の兵器を投入してくるとも限らないです。警戒はするに越したことはないでしょうけれど」
そして、ジェニーが青年に背を向けて、今度は屋根を降り始めた。ただ降り切る前に、ちょうど顔だけこちらからも見える状態で、最後に一言付け加えてくる。
「……ともかく、ひとまずお疲れさまでした。多分、貴方が居なかったら私たちはスコットビルにやられていたでしょう……だから、自信を持ちなさいな、ネッド・アークライト」
それだけ言って青年の返答も待たぬまま、ジェニーは下へと戻って行った。
「……そうねぇ。でもま、結局俺一人の力じゃないけどね」
誰に言う訳でもなく、青年は荒野の先を見ながらひとりごちた。
しばらくすると、また青年の後ろから物音が聞こえた。
「……隣、大丈夫?」
「あぁ、どうぞ。さっきちょうど空いたんだ」
そう返すと、もぞもぞと、何者かが青年の横に座った。しかし、やや距離があった。
「……怒ってる?」
「割とね」
青年の答えに、隣の人物は委縮した気配を感じた。ともかく、今はまだ目を合わせるべきじゃない、そんな風に思い、青年はただ、真っ直ぐ前を見て続けた。
「……自分の弱さにさ。俺が強ければ……こんなことにはならなかった」
「ち、ちがっ……」
「違わない。君に気を使わせちまったのは、俺が至らなかったからだ。だから正直、随分と荒れたよ。自分が、ほとほとイヤになってさ」
あの情けない姿は誰にも見せられないだろう。あんな風に術式の使えない連中に喧嘩を吹っ掛けたり――しかし、アントニオのヤツは大丈夫だろうか、このカウルーン砦で暴れていた賞金稼ぎ達はみな捕まえられ、後は簀巻きにして荒野に放り出された。まぁ、荒野の無頼漢の生命力はなんとやらなので、青年は深く考えないでおくことにした。
「しかも……俺一人じゃ、結局決断できなかった。師匠に背中を押されて、それでようやく決心がついて……」
そして、青年はやっと横を向いた。そこには、帽子は外して、風に三つ編みをたなびかせて、不安そうにこちらを見つめているネイが、例の膝を抱えるポーズでこちらその碧眼で覗きこんでいた。
「ともかく、そうだな……完全に君のことを怒ってないと言えば嘘になるけど。でも、一回距離を置いたおかげで、色々と見える物もあったしさ……だから、結果オーライだよ、うん」
なんだか曖昧な答えになってしまったが、だがそれが可笑しかったのか、少女は目じりを下げて笑ってくれた。
「なんだよ……全然、意味がわかんねー」
「まぁ、俺っていつもこんな感じだろ?」
「あはは、うん。そう、その通り」
「そうそう」
お互いに笑った。そしてようやっと少女をゆっくりと見る。気付けば、どうやらいつの間にか、ポンチョを以前の、青年が初めて作った物に代えているようだった。
「あぁ、着替えたんだな」
「うん……これ、あったかいから」
言いながら、少女はだぼだぼになっている首周りを触ってはにかんだ。そして、ふと、少女の脇から、何やら不細工な人形が躍り出てきた。
「うん? なんだ、その人形」
「これ? ネッド・アークライト人形。ポワカのお手製」
なんと、こんな人形が自分だと言うのか。青年は、改めて人形をまざまざと見つめて見た。どう控えめに見ても、やはり愛嬌など微塵にも感じられない、そんな人形だった。人形をじっと見つめていると、何か可笑しかったのか、少女が小さく笑った。
「正直、割と似てると思う」
「……マジで?」
「マジマジ」
流石に不格好な人形に似てると言われて、青年は肩を落としてしまった。その様子を、少女は面白そうに見て笑っていた。しかし、人形はとことこと歩いて行き、気がつけば屋根の下、どうやら一人で屋内の方へ戻って行ったらしかった。
「……成程? あぁいう空気が読めるとこが、似てるってことだな?」
「いや、見た目が」
「ガビーン」
「お、使い古されたネタだな? アタシは満足しないぞ?」
そう言いながらも、少女は嬉しそうで――ふと、顔が赤面した。
「……ねぇ、もうちょっとそっち、行っても大丈夫?」
「なんだ、寒いのかい?」
「そう、寒いんだ……これは、温かいけど、もうちょっと、ね……」
すすす、と、少女が青年の右肩の方へと寄って来た。はにかんでいたのも束の間、改めて青年のサポーターで支えられている肩を見て、少し曇ってしまった。
「……肩、大丈夫?」
「あぁ、なんせ不死身だからな。ほっといても、すぐ治るよ」
どうやら少々自分の体がマズイことになって来ているようだったのだが、それでも治りが遅ければそれだけ少女を心配させてしまう。そう考えたらこれも悪くないのかもしれない、青年はそう思った。
「うん……そうだな。不死身のヒモヤローだもんな」
「そうそう……ヒモ野郎なもんで、寄生先が必要なんですよ」
「まったく、しょーもない奴だよ、お前はさ」
しかし、少女の表情は満更でもない。きっとこういう子が、悪い男にだまされるのだ。しかし、青年は自分が優良健康男児だと信じて疑わないことにして、これまた深く考えるのはやめておくことにした。
少しの間、沈黙が続いた。だが、心地の良い夜の
「……アタシもさ。ネッドがいない間、結構色々考えさせられた」
声が聞こえ、青年は視線を夜空から少女へと移した。一方で少女は、天を仰いでいた。
「それで……なんだか、駄目だった。ずっと、調子が出なくってさ……でも、アタシ、ネッドに酷いことしたから……もう、会ってくれないんじゃないかって、そう思ってた」
「いや、だからこう、寄生先がだね……」
なんだか青年は気恥かしくなってきてしまい、冗談っぽく返してしまった。しかし、相手はなかなかの意地悪のようで、ただ、ゆっくりと青年の方を向いてきて、碧の瞳でじっと見つめてきた。
「うん……嬉しかった。凄く……もちろん、大変な時だって分かってたんだけど、それでも……なんだか、ネッドの顔を見た瞬間、何にも考えられなくなってた」
そこで少し黙って、少女は右腕をポンチョの下から出した。その赤をしばらく見つめて――。
「な、なぁネッド。アタシさ……右腕、こんなだけどさ。でも、頑張ればさ、もしかしたらリサみたいに、ちゃんとコントロール出来るようになるかもしれないし……」
少女は今度は息を吸い込んで、そして意を決したかのような神妙な顔で、再び青年の顔を見つめてくる。
「……別に、可愛げも無いし、全然女っぽくないし……全然、その、駄目だなって、分かってるんだけど……でも……その……!」
そこが、少女の限界だったらしい、なんだか頭から湯気でも出るんじゃないかという勢いで、顔が真っ赤になっている。
「あーもう……なんていうか、お前が悪いんだぞ!?」
「いや、そんな責任転嫁されてもなぁ」
しかし、流石に青年も分かった。マリアの言っていたことは、本当だったのだ。女としての本能はあると――少女は、自分の右腕を克服しようと決心したのだ。それならば、もはやきっと遠慮することも無いし、追って来た甲斐があったというものだった。
「うー……というか、アレだぞ? ネッド、お前も色々言いたいことがあるって言ってたよな? 仕方ないから、先に言っていいぞ?」
少女はすっかり縮こまり、また顔を膝に埋めてしまっている。しかし、左目はしっかりこっちを見ているし、何より上気した頬は隠し切れていなかった。
「あー……まぁ、やっぱり後に取っておこうかなって」
そう言うと、今度はすごい勢いで少女は面を上げた。
「は、はぁ!? いや、すっごい気になるし、出来れば今……」
「いや、今話しちゃうとさ……なんか満足しちゃう気がするんだよ」
そう、今だって十分満ち足りているが、その先に行ってしまったら、きっと満ち足り過ぎて――。
「多分、後に取っておいた方がさ。こう、絶対に死ねるか! って感じになる思うんだよ」
「うぅ……それは、そうかもだけど……」
再び、顔を埋めてしまう。まったく沈んだり浮かんだり、また沈んだり、忙しい限りである。
しかし、青年としては、これはなかなかに妙案のつもりだったのだ。実際、危険な思いもたくさんしてきたし、自分の力が足りなくて悔しい想いもたくさんしてきた。だが、なんとかここまでこれた。次を乗り越えれば、青年はかつてワナギスカ酋長に切った啖呵を実現できる、そんな確信もあった。
だから、今は言わないことにする。目の前にずっと横たわってきた死を乗り越えるまで――この胸の内は、きっとそのまま内に納めておくべきなのだ。
「じゃあ、こうしよう。全部が終わったら……大変なことが終わったらさ。俺の気持ち、全部話すから」
「……ホント?」
少しだけ顔を上げ、左目だけで少女がこちらを見て来た。そこには不安と期待、半々という色があった。
「ホントホント。だからさ……ともかく、お互い頑張ろうぜ」
「うん……分かった。それじゃあ、約束だよ?」
「あぁ、約束だ」
そこで、少女の顔がもう少し上がった。まだ安心していないと言う調子で、じっと青年の目を見つめている。
「……嘘じゃない?」
「嘘なもんか。俺が嘘ついたことがあったか?」
「……いっつも、息を吐くように適当なことばっか言ってる癖に……」
もう少し顔が上がり、今度は不安の代わりに呆れた目になった。もちろん、青年には御褒美である。
「ともかく、約束だし、嘘じゃないし、絶対に言うからさ」
「……うん、絶対だぞ?」
「あぁ、絶対だ」
そこで、やっと少女が笑顔になってくれた。そう、自分はこの笑顔を見るために、追い掛けて来て――本当に良かった。青年はそう思った。
だが、今度は一転して、少し怒った顔になる。もちろん、それも可愛いのだが。
「でも、無茶は駄目だからな? 今日だって、まったく、自分が弾になるとか、意味分かんないことして……」
言っているうちに急に元気が無くなってきて、今度は暗い顔になってしまった。多分、あまり役に立たなかったことを後悔しているのだろう。
「あのさ。俺個人の意見を言えばさ。これで良かったんだよ。俺は君に、絶対に人を殺して欲しくないから……」
青年の言葉に、今度は驚いたような顔になり、しかしすぐにまたはにかむような笑顔になってくれた。まったく一人百面相で、本当に見ていて飽きない子だ。
「……お前は、やっぱりせこいよ」
「いいじゃんいいじゃん。ま、ともかくそろそろ下に戻ろうか?」
あまりずっと外に居ると、またしんみりした空気になってしまいそうだ。もっと言えば、あんまり雰囲気が良くなりすぎると、我慢できなくなってしまいそうである。
「……アタシは、もうちょっとこうしてたいんだけどな」
いけない、青年はそう思った。そんな風に言われては、なんというか、気持ちが盛り上がってしまうではないか――しかし、ふと静かになったおかげか、青年は何か違和感に気付いた。それは、少女も同様のようで、何やら神妙な表情をしている。
「……あれ? 静かになっちゃったデス?」
「ばっ……! 声が大きいですよ!?」
そう、何やらこそこそと、下で喋る声が聞こえているのだ。少女はバツの悪そうな表情になり、そして鼻で笑って、音も無く立ちあがり、扉側の屋根の縁へゆっくりと歩いて行き、そして飛びおりた。
「……お前らッ!! こそこそ聞き耳立ててんじゃねーよッ!!」
「ひぃ!? ネーチャンが怒髪天ボンバーなのデス!?」
「あちゃー……いい所だったのにネェ」
姦しい声が聞こえ、もうムードもへったくれもない、青年も一人で笑って、少女の隣へと飛びおりた。
「その、全部聞いてたわけじゃないんですよ? 来るのが遅いから、様子を見に行こうってなって……」
ジェニーは顔を抑えて少々申し訳なさそうな顔をしている。
「まぁ、今のでワタシをほん投げたのは不問にしてやるアル。ゴチソーサマデシタ」
胡散臭いイントネーションで、これまたクーもニヤニヤしていた。
「もー! 確かに、色々と話したい気持ちも分かりますけど、二人が居ないと盛り上がりきらねーデス! さっさと降りてくるデスよ!」
ポワカは悪いことなどしたなど微塵にも思っていないのか、いや、思っていてもムードメーカーなのだ、ぴょんぴょん跳ねて自己主張している。しかし、流石に博士はいないか――そう思ったのだが、きっちりポワカの足元にいた。
「……違うんじゃよ、これは」
表情は動かないものの、言い訳がましい声を出して博士が弁明している。それがなんだか面白かった。
「分かった分かった……みんな、俺が居なくてさびしかったんだろ? まったく、うい奴らめ」
青年がそう言うと、みんな一転して微妙な顔になった。いや、ブッカー・フリーマンだけは、やはりニヤニヤしている。こいつはホントにぶれないな、青年はそう思った。
「……あれ? それ……」
ふと、ネイがポワカが抱きかかえている人形を見た。先ほどの不細工な人形なのだが、何やら覇気が無い。
「えーっと、ここに来たら下に倒れていたのデス。どうやら、自分の役目は終わったと思って、中の魂は成仏しちゃったみたいデスね」
ポワカの表情は、なんだか不思議だった。哀しい様な、しかし優しい様な、いつくしむような――それを一緒くたに表現できるのだから、まったく女ってのはすごい。幼いながらに、魂の在り方を彼女ながらに考えているのだろう。
「そっか……短い期間だったけど、でも随分励まされたよ」
「うん、それなら良かったのデス! まあ、荷物の中に入れておくので、寂しくなったらいつでも取り出してください!」
「あぁ、ありがとう、ポワカ」
言いながら、二人の少女が笑いあった。そしてすぐ、ポワカが踵を返し、顔だけ青年と少女の方へ向けてくる。
「それじゃ、早く降りて来てくださいよー! 待ってるデスからねー!」
ポワカが言い残し、みんなまたぞろと屋内へ戻って行ってくれた。後に残ったはやはり静寂で、後ろを見れば少女はまんざらでもなさそうな顔をしていた。
「まったく……アイツら、ホント馬鹿」
「あぁ、そうだな……馬鹿ばっかりだ」
二人顔を見合わせて笑いあって、そして中へ戻った。
その後、宴は遅くまで続いた。こんなに楽しい時が、何時までも続けばいいのに――青年はそう思った。
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