第14話 東方中央遊戯 中
14-1
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雑多で狭い路地を、二人の少女、ポワカ・ブラウンとネイ・S・コグバーンが歩いていた。雑多というのは文字通りで、人が多く、壁と壁の間、幅三メートルという路地に、所狭しと人や物が溢れかえっているのだ。人々の大半は黒髪で、何やら知らない言葉をしゃべくりまわしている。
ジェニファーの提言で、四人と一匹はこのカウルーン砦へと逃げ込んだ。ここは旧大陸の東の端から流れてきた東洋人たちが、荒野の真ん中に作った集合住宅地である。迫害された東洋人たちがこの荒野に集まり、ちょうど地下水の湧くここに居を構えて、新しい入居者が来れば、隣に上にと住居を広げていった結果――ポワカもここを見た時には驚いた物だった。遠くから見れば、まさしくそびえ立つ砂上の楼閣、本当に今にも崩れそうな絶妙なバランスで高層化しており、中はこのような雑多な住宅街なのである。
『カウルーン砦は法の真空地帯。ここならば、司法の力は及びませんし、何より狭い中に人がたくさんいますから……木を隠すには森、隠れるには人の中、ということですね』
というのがジェニーの意見だった。しかし確かにここに来てからは、誰かに狙われずに生活できている。もっとも、異国の言葉が飛びかい、何よりこの人口密度なので、ポワカにとっては少々息苦しいのも確かなことだった。勿論、あこがれの外に出れたのは嬉しいし、悪いことばかりではないのだが――しかし、ただいま絶賛詰まらない理由が、女の子の目の前にあった。
「……ネーチャン、またボーっとしてるデス」
「あ……ごめん、ポワカ」
そう、ネイは生返事を返してくるだけだった。ポワカが詰まらない理由はいたって単純、本来自分を一番甘やかしてくれるはずの人が、ここのところずっと上の空なのである。もちろん、ポワカにもその原因は分かっていたし、気持ちは分からないのではないのだが――ともかく、元気になって欲しいのは本音だった。
「まぁ……ヒモヤローがいなくてツマンネーのは認めるデスよ? でも、過ぎちゃったことはどーしようもねーデス。だから……」
「うん……どうしようもないんだよな……」
ぼう、としていた表情が、一転暗い物になってしまった。
(ネーチャン、元気出すデスよ!)
「ひぃ!? ネーチャンめんどくせーデス!」
思っていることと言うべきことが逆になってしまい、ポワカは思わず口を手でふさいだ。しかし、もう遅かった。
「……うん、ごめん……」
なんだか影が重くなって見える程、ネイが落ち込んでしまった。まぁ、今のは自分が悪いのではあるが――ともかく、面倒くさい感じになってるのは間違いなかったし、きっとこのままではどんどん沈んで行ってしまうのだから、年下ながらにもビシッと言うべきかもしれない、そう思い、ポワカは頑張ることにした。
「ネーチャン……その、さっきのは言葉が過ぎたデス。でも、ネーチャンが決めたことデスよ? そもそもジェニーは、一緒に行くべきって言ってたじゃないデスか」
そう、ジェニーはネッドを置いて行くことに反対していた。こうなることが分かっていたからなのだろうし――勿論、ポワカだって親しい人が苦しい目に会うのはイヤであったし、ネイの気持ちだって十分に理解できる。それでも、別れることを決心したのならば、もう少ししゃんとしてもらわないと困る、という気持ちの方が大きかった。
そうこう考えているうちに、いつの間にか隣にあったネイの気配が無くなっている。どうやら、立ち止まっていたらしい、振り返ると、ネイが帽子を深くかぶって立っていた。
「うん……分かってる。でも、アタシも、その、正直……自分がこんなになるとは、思ってなくて……」
「まぁ、そりゃそうでしょうけど……」
ここまでヘコむと分かっているなら、こんな選択はしなかったかもしれない。
「それじゃ、後悔してるデスか?」
「……半分半分かな。ネッドには、もう辛い想いをして欲しくないし……でも……」
段々と、声が震えて来てしまっている。人も多いこんなところだから、耐えているのだろう。
「あーもう! その先は言わなくていいデスから!」
最後まで言わせたら、本当に泣きだしてしまいそうである。しかし、何を言っても逆効果というか――何か打開策は無いものか、ポワカが周りを見回した時、露店に並んでいる有るモノに目が止まった。
「おっちゃん! これ、いくらデス?」
ポワカがしゃがみこんで、その商品を指差すと、並べた品の前に胡坐をかく白髪の男がにやりと口の端を釣り上げた。
「那个是千九龍」
「かー! おっちゃん、ポワカに分かる言葉を喋れデス!」
異国情緒の香るこの町で、大陸標準語を聞く機会は少ない。しかし、実際ここの年配者は、多くは大陸資本の下で働いた経験があるし、もっと言えば商魂たくましい者が多いため、実際は拙いながらにも、標準語が喋れる人間が多い事を、この数週間でポワカは既に学んでいた。
「だから、千クーロンアルよ」
クーロンというのは、このカウルーン砦でのみ通用する通貨単位である。勿論、ボルとの兌換も可能で、一ボルがだいたい千クーロンになる。
「またまたぁ……こんなブッサイクな人形デスよ? それこそ、百クーロンがいいとこデス!」
大体において、ここの商人たちは、最初法外な価格を突きつけてくる。物の価値が分からない人間は、騙されて終わり――だから、値切りの交渉が必要となる。ポワカの見立てでは、多分実際は五百クーロンくらいと見てるので、その下を提示してみたわけだ。
「馬鹿言っちゃいけないアル! この人形、見た目はブサイクかも知れんが、なんと中に機械が入ってて、背中のネジを回すと動く一品!」
言いながら、男はネジを回し始めた。そして地面に置くと、人形がとことこと歩き始める。それはポワカには元から分かっていた。中に機械仕掛けがあるから買おうと思ったのである。
「それを、千クーロンだって、お嬢ちゃんが可愛いからまけてるというのに……」
「ま、ポワカが可愛いデスって!? いやぁ、おっちゃん見る目あるデスねぇ!」
そう言われて気分が良くなり、言われてみればなかなか値が張る人形なような気がしてきて――いや、やっぱり不細工だった。現状でも一応稼ぐ手段はあるのだが、それでもそう裕福でない生活をしているわけだし、これを買うのは完全に自腹――というより、博士より賜ったお小遣いを切って買おうというのである。全財産を投げうてばギリギリ千クーロン捻出できるが、それはやはり厳しい。
「うぬぬぅ……でも、やっぱり千クーロンは高いデス」
「それじゃ、諦めるアルねぇ」
冷たく冷ややかな視線が返ってくる。だが、ここで弱気を見せると相手が付け上がる。ここは、心を強くもたなければならない。
「ふーんだ。それじゃ、いいデスよ! こんなブッサイクな人形に興味を示した、ポワカが馬鹿だったデス」
そう言って立ち上がり、振り返ろうとすると――後ろから、やはり商人の声が聞こえてきた。
「うん、お嬢ちゃん、仕方ない……八百でどうアルか?」
「だから、ボクは百クーロンだと思ってるデス! それ以上は……」
「うぬぬ……六百!」
もう一声。ここが正念場である。
「……二百なら出すデス!」
「ご、五百ならどうアル!?」
ポワカの狙う適正価格まで落とせたので、一瞬そのまま買いそうになるが――だが、もう一声いけそうなので、粘って見ることにした。
「三百デス!」
「ふふ……お嬢ちゃん、なかなか買い物上手アルね……分かった、おっちゃんの負けアルよ……」
頭を垂れて、震えながら――そして、男がばっ、と面を上げた。
「三百五十アル!」
「よっしゃ! 買ったデスッ!!」
なんと、予想より百五十クーロンも安く買えてしまったではないか。ポワカは自身の商才に震えながら、男と固い握手を交わし、そして三百五十クーロンと人形とを引き換えに、ネイの所へ戻った。
「ポワカ、なんかすっごい白熱してたな」
ずっと後ろで見てたのだろう、なんだか感心したような顔で、ネイがポワカの方を見つめていた。そう、ネイに買い物を任せると、相手のいい値でどんどん買わされてしまうので、買い物に行く時は基本は誰かと一緒に――もちろん、一番適切な役はジェニーなのであるが――行くことになっているのである。
「ふっふーん、見てたデス? 多分この人形、本当は五百クーロンだと思うんデスけど……なんと、お安く買えてしまったではないデスか! もしかしたらボク、発明以外にも商売の才能もあるのかも……あぁ、自分のことながら末恐ろしいデスよ……」
「あ、それ、本当は五十クーロンアルよ?」
悦に浸って気持ち良くなっている最中に、背後から先ほどの男の声が聞こえてきた。振り向くと、すでに男は風呂敷を背中に背負って――。
「ま、小さいながらになかなか頑張ったアル。三百クーロンは勉強代だと思っておくとヨロシ」
「なっ……!?」
ポワカが反論する前に、白髪の男は凄まじい速度で人ごみを掻き分けてい消えて行った。そう、ここの住民の少なからずは、クンフーだとかなんとか、謎の力を使い、輝石の力なしでもなんだかすごい力を発揮できる――だから、追い掛けても追いつけそうも無かった。
「ガビーン……さ、三百クーロンあったら、うんまい棒ちゃんが三十本は食えたデス……」
うんまい棒ちゃんは、このカウルーン砦で売られるお菓子の一つである。味に能力を全振りしました、と言わんばかりの不健康そうな物体なのだが、ともかくうんまいのでポワカの好物だった。
「まぁまぁ……あとで、アタシが買ってあげるからさ。元気だしなよ」
「わーい! ……あれ? なんだか立場が逆転しているような気がするデス?」
自分がネイを元気づけるために買いものをしたはずなのに、逆に元気づけられてしまった。
「えっと、そうだ。ポワカ、何を買ったんだ?」
そう言われて、ポワカはとっさに買った人形を後ろに隠した。とっておきの秘策があるのだ――思い付きなのにとっておきとは奇妙な感じだが、ポワカにとってはとっておきなのである。
「それはですねぇ……見てからのお楽しみなのデス!」
「いや、見ようと思ったら隠されちゃったんだが……」
「へっへー……ともかく、ここだと何ですから、ちょっとひと眼の無い所へ行きましょう!」
ポワカはネイの左手を取り、どこか丁度いい場所を見つけて歩きだした。最初こそ戸惑っていたものの、ネイもそのうちしっかりと握り返してくれた。
「……ポワカの手、温かいな」
「ネーチャンの手は冷たいけど、気持ちいいデスよ?」
振り返ると、ネイの笑顔があった。これなら、無駄に人形など買わなくても良かったかもしれない――しかし、折角買ったのだから有効活用しよう。
人ごみを掻き分けて進むと、ちょうど戸建と戸建の間に、幅一メートルといった狭い隙間を発見した。どうやら住人の物置としても使われているようで、ゴチャゴチャ散乱している場所だが、少し入り込めば、喧騒から離れられそうである。ポワカが奥へと入り込むと、ネイもしっかり後ろからついて来てくれた。
「……それで? 何を見せてくれるんだ?」
「それはですねぇ……じゃじゃーん! これデース!」
見えないように隠していた人形を取り出して、ネイに見えるように掲げた――身長差はそこまででも無いのだが、せっかくなので大仰に持ちあげて見た。ネイの視線が、その人形へ注がれる。
「えっと……それが?」
「ふっふー、よく見てください? この、死んだ魚の様な目! 誰かに似てると思いませんか?」
そう言われてネイが少し考え込んだと後、合点して笑い始めた。
「あぁ……ちょっと、アイツに似てるかもな」
「でしょう? それでデスねぇ……こいつに……」
ポワカは人形に、自らの額を押し当てた。おでこが、少し熱い――そして、不細工な人形のゼンマイを回して、ネイに手渡した。
「はい、ネーチャンにプレゼントデス」
「あぁ、ありがと……うん?」
渡すと同時に、ゼンマイからポワカの手が離れ、機械仕掛を内包した人形が動きだした。とは言っても、すでに人形はポワカの特別製――魂を持つ人形である。それ故、普通なら単調な動作しか出来ない人形が、とことこと器用にネイの腕を歩いて行き、そして肩の所で座った。
「ネイー、ネイー」
勿論、人間の魂でない上に、声帯に該当する機構も無い人形は喋ることが出来ない。なので、今のはポワカの似てないネッドの声真似だった。
「あはは、全然似てないぞ?」
「いいんデス。むしろあんなのに似てたらショックです……ともかく、そのネッド人形をプレゼントするから、元気になってください」
そう言われて、ネイは左肩に乗っている人形を見つめた。その視線は、半分は温かかったが、半分は暗かった。
(……逆効果だったデスかねぇ)
思い付きでやったはいいものの、返ってアイツを意識してしまうのではないか――ともかく、もう一押し、何か言わなければ。
「ともかくデスよ? さっさと謎の組織をぶっ飛ばしてですね……それで、ボクたちの無実をなんとか証明して、それから本物に堂々と会いに行けばいいんデス」
「そっか……うん、そうかもな。でも……アタシ、もう嫌われちゃったんじゃないかなって……」
そう言われて、ポワカは吹き出してしまった。
「な、なんだよ……アタシは、結構真剣に悩んでるんだぞ?」
「い、いや……というか、もしかしてそれが一番の悩みだったんデス?」
てっきり、会えない寂しさで駄目になってるのかと思ったのだが――いや、それも勿論そうなのだろうが、どうやら一番の悩みどころはポワカの考えていたことと少しずれていたらしい。
「うん……だから、もう会ってくれないんじゃないかって……」
「絶対それはねーデス。断言します。違ったら、うんまい棒一年我慢します」
「いや、それは凄いことなのか?」
「何を言うデスか!? 一日に十本食べるとして、一年で三六五〇本! ボルに換算しても三十ボル以上になるのです! これは、ボクのお小遣い三年分に該当する……それくらいの覚悟なのデスよ!?」
「えぇっと……」
ネイは何やら指折り数えはじめた。多分、ポワカの計算が本当に正しいのかどうか計算し始めたのだろうが、どうやら計算は苦手らしい、全然分かっていないようだった。
「ともかく、ボクの三年分の覚悟で断言するのデス。間違いないデス……ヒモヤローはネーチャンのこと、嫌いになんかなる訳ねーんデスよ」
どちらかと言えば、今頃見捨てられたと勘違いして、やけ酒でもしているのではないか。そちらの方が余程的確で、余程現実的で、余程心配なことだった。
「え、えぇ……なんで、そんな風に言えるんだ?」
「……ネーチャン、前々から思ってたデスけど、アナタは青少年向け小説の主人公並に鈍感デスね? 普通逆デスよ?」
ポワカの言っていることの意味を、ネイは全然理解していないようだった。困惑した顔でこちらを見ている。
「ふぅ……しかたねーデスね。犬もくわねーような情事を、このポワカ・ブラウンが解説して……」
「……待った、ポワカ」
唐突にネイの顔が真剣な物になった。何事か――だがすぐにポワカにも事情が分かった。
「へへ……ネイティブのガキども、金を置いて行くヨロシ」
「痛い目にあいたくなければなー」
ネイの背後に、男が二人程立っている。それもそうだ、こんな法の及ばぬ無法地帯、それもここでは二人はむしろ異邦人――先ほどの買いものを見られたら、格好のカツアゲの的だろう。
「……アンタらこそ、今なら見逃してやるぞ?」
ネイの顔が、今度は好戦的な物になっている。それは、当然背後の男たちには見えていないだろう。そう、この人は命のやり取りこそ好まないが、意外と喧嘩は好きで――ネイが、ネッド人形をポワカに手渡してきた。
「はっ! ガキが調子に……うごっ!?」
ネイはシリンダーを起動させ、何かの端を踏みつけるのと、どうやらモップだったらしい、男の顎に木の棒の端っこがぶち当たった。
「こ、こい……アイヤッ!?」
そのまま起こした棒きれを左手に、棒の先端を鋭く突き出し、もう一人の男の眉間を打ち抜いた。そう、買い物にまったく役に立たないネイが同伴している理由がこれだ。治安の悪いこの場所で、変なのに絡まれても追い返せるように、護衛のために着いて来ているのだった。
「……さて、どうする? まだやるか?」
ネイが棒を突き出したまま、男たちに問うた。しかし、大したダメージにはなってなかったのだろう、というかここで退き返したら男としての沽券に関わる問題なのだろう、二人ともなにやら奇妙な構えを取り、ネイと対峙した。
「ふふ、さっきのはちょっと油断しただけアルよ?」
「そう、帝国四千年の歴史を今見せて……アルァ!?」
喋っているうちに、ネイの飛び膝蹴りが男に刺さった。顔面を蹴られた男はそのまま大路の方へと吹き飛んで、奥の露店の商品をぶちまけながら気絶したようだった。
「こ、こいつ、なんてらんぼ……ホゲェ!?」
もう一人の男の顔面に、着地したネイの左の裏拳が綺麗に決まった。後ろ髪を三つ編みに束ねた男は、鼻血を出しながらその場に倒れた。
「……それで、何の話だったっけ?」
暴れて少し気が晴れたのだろう、なかなか爽やかな笑顔でネイがポワカに話しかけてきた。
「えーっと……ともかく、ネッド人形あげるってことデス! さぁ、食べ物を買いに行かないと、ジェニーに怒られちゃうデスよ?」
どうやら、犬も食わない情事は話さずに済みそうだ、そう思って、ポワカも満面の笑みで人形を手渡した。
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