13-4


 予告通り、青年は昼に叩き起こされた。しかし、体の調子は悪くない。恐らく、気持ちの問題で、自身にもやる気があったおかげか、寝不足でも気分は明瞭だった。


「……てっきり、もっと眠そうな面をしているかと思ったぞ?」


 街の外、輝く太陽の下、赤茶けた大地が広がる荒野のど真ん中で、パイク・ダンバーが笑った。


「折角指導してもらうってのに、欠伸するほど無礼じゃねぇよ」

「ふっ……そうだったな。意外と真面目な奴だったな、お前は」


 師匠の言葉に、一瞬気恥かしくなったものの、すぐに気を引き締めて、青年はダンバーと向き合った。


「それじゃあ師匠……よろしく頼む……と、言いたい所なんだが、早急に効果のあるやつを頼みたい。ずるしたいって意味でなしにさ……」


 そう、すぐに仲間に、そしてヴァンに追いつかなければならない。だから、何カ月も、下手をすれば何年もかかる様な訓練は望めない――しかし、その気持ちはしっかりと通じていたのだろう、ダンバーは頷き返してくれた。


「うむ……とはいえ、一朝一夕で効果のあるようなものとなると……」

「そうだ、昨日のあの技! アレ、クンフーってやつだろ? すぐに使えないかな?」


 青年は「ほぁちょぉ!」と言いながら、それっぽいポーズを取ってみた。師匠は、東洋の武術に精通している。一緒に居る頃にも何度か見せてもらったこともあった。三年の間は術式と座学が中心だったのであまり教えてもらえなかったが、いつかは倣おうと思っていたのである。

 しかし、青年の期待とは裏腹に、師匠は大きくため息をついた。


「ふぅ……功夫というのは、本来修練の蓄積を指す言葉。それこそ、一朝一夕で身に着くものではない。長い時間をかけて練り上げていく物なのだ」

「そ、そっか……」


 そう言われてはぐぅの音も出ない。そもそも、ダンバーと今の青年の体躯は互角――もう五十も過ぎているはずだが、背筋は張っており、ややもすると姿勢の良くない青年の方が小さく見えるやも、という身長に、無駄の無い引き締まった筋肉が、衣服の上からでも見える。つまり、単純な計算で言えば、自分と師匠は体格にそう差は無いはずなのだ。そうなれば、昨日見せたあの技は、単純に修練の違いということになる。


「……いや、待てよ。千里の道も一歩から……そう考えれば、功夫というのも、意外と悪くないやもしれん」


 悩む青年を余所に、ダンバーは何やら勝手に納得し始めた。


「あぁ? でも、時間がかかるんだろ?」

「急がば回れというだろう? 目先ですぐさま効果が出ずとも、繰り返し行っていけば、必ず目が出る。お前の仲間と合流するころには、まだ微々たるものかも知れんが、それでも鍛錬を続けていけば、そうだな……お前も体の基礎は出来ているのだ。数カ月もすれば、昨日の技くらいは出来るようなるだろう」

「えぇっと、それは……」


 それは、どうなのだろうか。史上最高額の懸賞金を求めて、それこそ大陸全土の賞金稼ぎに狙われるようになるのだろうし、そもそもとやり合わなければならないのだ。そうなれば、数か月かかると言うのも微妙だし、果たしてそれでどの程度役に立てるようになるか。もっと言えば――。


「ヴァンに勝てるようになりたい、そう思っておるのだろう?」

「……あぁ。正直な」


 やはり、あそこまでコテンパンにされて、悔しかったのは本音だった。それこそ、ヴァンが黙示録の祈士であるというならば、それに勝てる位の実力さえあれば、絶対に役に立てる――そういう確信があった。


「ハッキリ言おう。それは無理だ」

「な、なんでだよ? だって、元々は……」

「最後まで話を聞け。すぐには、と付け足そうと思っていた所だったのに……」


 ダンバーは一度小さくため息をつき、続ける。


「元々はお前の方が強かった、そうかもしれん。しかし、それは性格的な問題があった……ヴァンは、温厚な子だったからな。誰かを傷つけるようなことはしたくなかったのだろう。しかし話を聞く限り、ヴァンは戦う覚悟を決めた。そうなれば、後は術式の才能の差で勝負が決まると思われるが……」


 ダンバーはそこで一旦言葉を区切った。


「……ハッキリ言ってくれ。俺とアイツ、どっちが上だ?」

「術式の才能は五分。これが何を意味するか分かるか?」


 正直、意外だった。むしろ、それは青年にとっては悲報だったのかもしれない。師匠に、才能は向こうが上と言われれば、言い訳も出来たのだ。しかし、五分と言われたら、それはつまり――。


「……俺と別れている間に、アイツは血のにじむような研鑽を積んできた」

「その通り。それが、お前とヴァンとの差だ。それを一瞬で飛びこえようなどと、ムシの良い話だろう?」

「はぁ……そうだな。その通りだ」

「そもそも、お前だって常人と比べれば才能は有る方なんだ。むしろ、お前の周りに居た連中が例外過ぎる……エヴァンジェリンズ達に、おそらくブッカー・フリーマンは万人に一人の才能の持ち主……ジェニファー・F・キングスフィールドは?」

「……俺よりはやると思うけど、戦法次第ではいい勝負が出来ると思う」

「だろう? そもそも、自分をあの子たちと同じ軸で考えるな。そうなれば、後は修練の差だ」


 そう、自分はそこそこやる方だった――最近、どうにも恐ろしい世界に居過ぎて、考え方がおかしくなっていたのかもしれない。


「……追いつけるかな?」

「お前が、ヴァンの進む速度よりも早く成長すればな」


 そう言われて、愕然としてしまった。あの真面目男は、きっと隙間の時間は修練に当てているだろう。寝る間も惜しんで修練すれば、とか、そういう問題では無い。必死にやって、なんとか同じ速度。それならば、この差は――五年という時間は、すでに埋めがたい溝になってしまったのではないか。


(……それじゃあ、諦めるか?)


 自分に問うてみた。しかし、やはり答えはノーだった。ともなれば、その差をどう埋めるべきか――そもそも、そのために師匠に頼んだ訳だが――堂々巡りになってしまう。だが、ふと青年の頭に少女の横顔が浮かんだ。そのおかげか、青年は思考のループから抜け出すことができた。


「……アイツとの差は、簡単には埋まらない。それは分かった……でも、何もしなければ、どんどん差が広がっちまう。それも分かった……だから、修行する。それで足りない分は、他のもんで補う。それでいいんだろ?」


 我ながら適当なことを言ってしまった、青年はそう思ったが、他に言いようもやりようも無い。そして何より、師匠はそれに納得してくれたようだった。


「そうだ。常に向こうの土台で戦う必要などありはしない。ある程度の実力差は、機転や戦法で覆せる。そもそも、勝つ気がなければ絶対に勝てん。さぁ、それでは始めようか」

「あぁ、頼むぜパイク・ダンバー」


 青年の言葉に男は頷き、そして距離を取った。白昼の太陽が照らしつける中、ダンバーは目を瞑り――きっと、意識を集中させているのだろう、少ししてから目を開けて、口を開いた。


「それでは……まず、私の動きを良く見ておけ。一回しかやらんからな」


 青年の返答など待たず、ダンバーは何やらおかしな体操の様な物を始めた。しかし、無意味なことをする男でないことは重々分かっているので、青年はその動きを凝視して――。


「……って、結構長いな」


 師匠の演武は数分間に及んだ。正直、青年は覚えきれていなかった。


「文句を言うな。さぁ、私の動きの真似をしてみせろ」

「せんせー、その前に質問です!」

「うむ、一つだけ許そう」


 ダンバーは無意味なことをやらせる男ではないし、割と体育会系なのは否定できないが、やらせることには根拠がある。向こうも、青年の質問を待っているはずだった。


「その動きをやると、どんな効果があるんですか?」

「あぁ、お前に発勁を教えてやろうと思ってな」

「……ハッケイ?」


 聞き慣れない言葉に、青年はおかしなイントネーションを返してしまう。それが可笑しかったのか、ダンバーは小さく笑った。


「さっきのは東洋拳法の基礎動作でな。しかし、基礎と言う物は全てに繋がる物……発勁というのは、体の動きの力、引く力、押す力、そういった物を、無駄なく、効率よく運搬する技法だ。それこそ、私の様な半端モノでも勁を使えば……」


 喋りながら、ダンバーは近くにある赤岩の傍へと歩いて行った。そして深く息を吸い込み――昨晩同様、力強く地面を踏みしめると同時に上半身を捻り、右の裏拳を岩に叩き込んだ。すぐさま岩に亀裂が走り、固いはずの物体はいとも簡単に真っ二つに割れた。


「……こんなことも出来る」

「いや、全然出来そうにないんですけど!?」


 師匠の滅茶苦茶っぷりに、青年は叫ぶしか無かった。


「だから、一朝一夕では身につかんと言っておるだろう? この境地に辿り着くには、お前でも数年、下手すれば十年はかかる。だが、曲がりになりにも勁を身に付ければ、術式による身体強化と、お前の繊維を操る能力を組み合わせ……」

「そ、そうか……岩は割れずとも、今より強くなれるって寸法か!」


 自分に決定的に足りていない物は二つ。決定力と早さである。しかし発勁を使えば、少なくとも攻撃力は上がりそうだし、なんだかよく分からないがスピードも上がりそうだ。だって、拳法だし――そんな根拠のないことでも、青年は俄然やる気が湧いてきた。


「うぉっし! それなら、やってやるぜ!」


 言いながら青年は上着を脱ぎ捨て、さっそく鍛錬に取りかかることにした。


「うむ。お前のそういう単純な所は、なかなか長所だと思っているぞ」

「え、何? 唐突な皮肉? というか、まさかいい加減なこと教えようとしてるんじゃないだろうな?」

「そんなことはない。さぁ、それでは先ほど見せた動きをやってみせろ」

「了解! そんじゃ……」


 青年は一応真剣に見ていたので、それっぽく体を動かしてみた――しかし、すぐに行き詰まった。


「あの……申し訳ないんですが、もう一度やっていただけませんでしょうか……?」

「はぁ……仕方のない奴だ。それでは、よく見ておけよ?」


 それから太陽の下、二人の男がゆっくりと踊る様な動きを続けた。きっと傍から見たら相当アホみたいに見えるんだろうな、青年はそんなことを思いながらも、強くなるために必死に師匠の動きを真似し続けた。

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