エピローグ


「……再三言うようですが、貴方方のおかげで、我々は生き延びることが出来ました」


 緑の外套のヒマラーが、ジェニーに熱心に頭を下げてきた。あれから三日ほど経ち、ネッドの治療のため、カミーヌ族のキャンプに世話になっている所だった。


 不幸中の幸いに、ブラウン博士は医師の免許も持っているし、何よりネッド・アークライトはしぶとさだけは一級品である。未だ目を覚まさないものの、どうやら命に別条はないらしい――それにしても異様に頑丈であるが――後は起きるのを待つだけで、特別な処置は必要なと言う事だった。なので現在、月の下、キャンプ地の外で、博士とポワカ、その他屋敷にいた蒸気人形たちがゴリアテの修理をしているのを、ジェニーはなんとなく眺めていた所だった。


「それで、私たちはやはり、この国の中に残ろうと思います」

「……それは、に滅ぼされるのを、持して待つ、というおつもりですか?」


 ジェニーの質問に、ヒマラーはかぶりを振った。


「生き延びるためです。いいえ、生きることを勝ち取るため、というべきでしょう」

「……どういう意味ですか?」

「思ったんですよ。貴方達は、おかしな集まりだ。白人、褐色肌、ネイティブ、ハーフブリード、それに、機械まで……」


 そう、気がつけば随分と頓珍漢な集まりになったものだった。ヒマラーも自分も、星空の下に座っている巨人の方を眺めている。退屈だと言う事で、ブッカーも修理に参加――とはいっても、物を運ぶのを手伝っている程度だが――だが、その光景はなんとも珍妙で、だがどことなく温かかった。


「……そんな人たちが集まって、そして大きな力と戦っている。それならば、我々も逃げるだけではなく……他の部族の様に、ただ白人に立ち向かう訳でもなく、もっと他に出来ることがあるんじゃないかとね。だから、我々も何か出来ることを探すつもりです。この生まれ育った大地を去るのではなく、ただ、我武者羅に戦って命を散らす訳でもなく……他に生き残る道は無いのか、それを考えるために、この国に残るつもりです」

「そう、ですか……」


 正直、生返事になってしまった。勿論、ジェニファー個人としては、その意見に賛同だった。しかし、彼らに今何が出来るのか。の力は強大だ。それこそ、この三日間、ずっと悩んでいた。自らの夢のため、避けては通れぬ壁だと分かっているし、しかしそれでも、大きな奔流に巻き込まれ、そして自分は何もできずに死んでいくのではないか――ただ、そんな恐怖が漠然と続いていた。


 しばらくジェニーが考え込んで黙っていると、ヒマラーは少々バツの悪い様な笑顔になり、そっと口を開いた。


「……とりあえず我々は、この州の奥地、レッドストーン山脈に身を隠すつもりです。高く険しい山脈で、果たして、冬が越せるかどうか……しかし、何かあったら協力したいと思います。私たちの力は、非常に小さいですがね」


 きっと、自分の不安が伝わってしまっていたのだろう、どうやら気を使わせてしまったようだった。提案そのものは有難いのだし、信頼してもらえているのだ、戦った価値もあった――そう思い、ジェニファーは手袋をはずして、男の方へと手を差し出した。


「……えぇ。然るべき時が来たら、お願いしますね」

「はい。仮に多くの人たちが貴方達を責めようとも、私たちは知っています。優しく、強い方々であることを。どうか、誇りを捨てないでください」


 男はジェニーの手を取り、そして互いに強く握りあった。


「……あー! まな板女がヒマラーのおっちゃんとよろしくやってるデス! ボクも混ぜろデス!!」


 巨兵の膝から飛びおりて、ポワカがこちらへ走ってきた。ヒマラーはジェニーから手を離し、今度は身をかがめてポワカの頭を撫でだした。ヒマラーも子供が好きなのだろう、この三日間、なんやかんやで二人は仲良くなっていた。


「へっへー……おっちゃん、やさしーから結構好きデスよ」

「はは、そういう君はなかなか面白い子だ……しかし、ずっと思っていたんだが、君はアバッチ族のようだね」


 そう言われて、ポワカの顔にはてなが浮かんだ。きっと、自分のルーツなど知りもしなかったのだろう、その名に覚えがなくとも、致し方なかった。


「アバッチ族って?」

「……勇敢な部族だったよ。だが、少々勇敢過ぎたんだろうな……」


 ヒマラーの目が、どことなく遠かった。過ぎる、という過剰な表現は、否定的な意味合いで――それで理解できたのだろう、ポワカの顔が一瞬陰った。

 しかし、すぐに気丈な笑顔をヒマラーに向けた。


「……ネーチャンが言ってたデスけど、何何族とか、肌の色とか……そういうの、あんま関係ねーと思うデス。優しい人は好き、イヤな奴は嫌い。それでいいんだと思います」

「はは……成程、その通りだ。ポワカは賢いな」

「そうデース! ポワカは賢くていい子なのデス! だから、もう少し撫でる栄誉ある権利をオメーにやるデスよ」


 甘え上手なのだろう、ポワカは満面の笑みでヒマラーに甘えている。きっと、大人の手が懐かしいのだ――そう思って巨兵の方を見ると、狼とゴリアテがポワカを見つめていた。勿論、悪い意味では無しに――きっと我が子が星空の下、誰かと絆を深めてくれたことを喜んでいるに違いなかった。


「……それに、最近ネーチャンが甘やかしてくれねーデスから……まぁ、気持ちは分かるんですけど……」


 ポワカの小さな声に、ジェニファーはやるべきことを思い出した。


「ねぇ、ポワカ。ゴリアテの修理は?」

「うん、もう大丈夫デス……何時でも発てるデスよ」


 曰く、修理した左腕のドリルで地中を進んで、自分たちを追跡してくれるらしいとか何とか――なんとも滅茶苦茶だが、まぁ心強い戦力なので、とやかく突っ込まないでおくことにした。


「それじゃあ……準備をしてください」

「……ホントに、本気なんデス?」


 この子だって、口ではなんとか減らず口を叩いていたものだが――むしろ、生意気を受け止めてくれるからこそ、あの男のことを気に入っていたのだろう。それは、自分も分かるし――だけど、話しあって決めたことだった。


「えぇ、何よりあの子が決めたことですから。それを、尊重しましょう。ヒマラーさん、彼の目が覚めるまで……」

「あぁ、分かっている。彼が一番、多くの同胞を護ってくれたのだ。手厚く看護しよう」


 それを聞いて安心し、ジェニファーは彼と少女のいるテントを目指した。


 ◆


「……修理、終わった様ですよ」


 背後から、声をかけられた。それは、夢のような時間の終わりを告げる声だった。


「……うん、分かった。でも、ちょっと先に行っててくれないかな?」

「分かりました……」


 ジェニーはそう言ってテントの簾を下ろし――しかしまだ入り口に居るようだった。


「……本当に、貴女はそれでいいんですか?」

「うん……むしろ、今の内に出発しないと……正面切ってじゃ、きっと言えないから」

「そう、ですか……そうでしょうね。では、先に行っていますよ」


 今度こそ、ジェニーはテントから離れていったようだった。


 そして、改めて見つめる。自分の前で、包帯でぐるぐる巻きにされて、コートを布団代わりにして眠っている男の姿を。丁度、エーテルライトが切れてしまったようで、シリンダーを左手で取り、輝石を入れ替えて、そしてまたコートの上に置いた。身体能力の向上で、代謝も良くなっているので、傷の治りも早くなるということでの処置だった。


 しかし、これで最後――自分が看護できるのも、この顔を見るのも――。


「……ごめんなさい。凄い勝手で……一人にしないでって、言ったの、アタシなのに……」


 伝えたいことはたくさんある。それを、一つ一つ言葉にしていく――意識が無いのだ、独りよがりだっていうのは分かっていた。それでも、止められなかった。


「でも、でも……ネッドは、まだ引き返せるから……もう、こんな痛い想いを、しないでいいから……」


 痛痛しく巻かれた包帯を、改めて見直す。戦って、傷ついて、それでも自分の傍に居てくれた。少女は左の手袋をはずし、そして恐る恐る、青年の頬に触れた。自分の手は、誰かを癒せる訳ではないけれど――それでも、触れたかった。


「……ありがとう、ネッド。アタシの傍に居てくれて……凄く、頼もしかった。そんな風に言われても、きっと否定すると思うけど……本当、なんだから……」


 気がつくと、目頭が熱くなっていた。きっとこんな姿を見せたら、余計に心配をかけさせてしまって――だから、これでいい。相手の意識が無いうちに去るのが――自分は、勝手にこの青年を利用して、いらなくなったら去っていく、そんな酷い奴――実際そうなのだし、そう思われた方が、自分も幾分か気が楽だ。


 少女は手袋を戻し、コグバーンの拳銃を肩から下げ、ネッドが作ってくれたポンチョを纏い、その上にマリアの十字架を下げた。ジーンの帽子を被って、ポワカが修理してくれたライフルの包みを持ち、テントの入口へと立った。


「……悪いけど、馬車は使わせてもらうよ。その代わり、お金は多めに置いてくから……勿論、そんなんで納得は、してくれないと思うけど……」


 最後にもう一度だけ、振り返り見る。別れたくない――そう、少女はやっと自身の胸の想いを理解した。自分と出会ってくれた人、優しくしてくれた人、一緒に歩んでくれる人――誰もかれもが、少女にとって大切な人だった。


 だけど、その中でも一つ異質な感情があることに、少女は気付いたのだ。優劣を付ける訳じゃない。それでも、やっぱり、凄く凄く大切で――でも、だからこそ、もう辛い想いをして欲しくないのも確かだった。


 とにかく、離れたくなくて、視線を外せなくて。


「はは……駄目だな。こんなんじゃ……」


 そう、一人ごちて、何とか振り向いて――。


「さようなら、アタシの大好きなネッド・アークライト」


 そう言い残し、テントの外へと出ていった。


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