9-4
リハーサルも終わり、既に夕刻。刻一刻と開演の時刻が迫っていた。今回は一番後ろの座席に座り、薄暗い照明と入口から差し込む西日に僅かに照らされるテントの中で、青年はショーが始まるのを待っていた。
辺りを見回すと、以前は無かった、特等席が舞台の上部に設置されていた。あのボックスシートに、北部のお偉いさん方が座っており――そこには恐らく、ヴァンも居るのだろう。
リハは近くで見たいとお願いしたのだが、それはネイとグレース、両方に止められてしまった。曰く、本番で見て欲しいとのことで――確かに、先に見ておいてしまったら、感動も薄れてしまうかもしれない。しかし、自分は一番後ろの座席、一介の野良犬に過ぎない。ここからでは役者の顔など、よく見えないだろう。勿論、座長からは前の方の席でも良いとは言われたのだが、なんとなく、自分にはこちらのほうが合っていると思ったのだ。
ふと、何か楽器の音が鳴る――以前もそうだった、これが開演の合図で、入口は閉じられ、照明も落とされた。
真っ暗なテントの中でスポットライトが動きだし、上がった幕の下で座長の挨拶が始まった。国の重要人物がいるというにも関わらず、以前と変わらず堂々と話しているのは、フレディの肝の太さの証明であった。
「では、皆さま、長らくお待たせしました。本公演最終日にして、最初で最後のショーになります……今宵の舞台は、当一座の歴史の中で、きっと最高の物になると確信しております。では、心行くまでご堪能ください」
座長が袖に引っ込むと、初回と同様に逆の袖から、水色のドレスを纏ったグレースが、いや、コーネリアが登場した。会場が息を飲む気配を感じる――彼女の美しさに、皆見惚れているのだろう。青年からはその可憐な顔は見えないものの、遠目に見ているからこそ、グレースの完成された所作が――動きを見ているだけでも素晴らしいと分かる。役者というのは、顔だけで売る物じゃない。全身で、己を、役を表現する。声で、歌で心を震わす。端的に言ってしまえば、完璧。そういう意味で、グレース・オークレイはまさしく役者として、天賦の才を与えられているに相違なかった。
だが、青年の心は上の空だった。主役の素晴らしい動きを、素晴らしいと分かっていながらも、なんとなく目で追っていた。グレースは素晴らしい、ただ、それだけだった。彼女は完璧だ。皆が魅入るほどの逸材だ。それでも青年は、ここから先に出てくる、自分にとっての真打の出番を待ち焦がれていた。
そして、来た。以前は、こんなシーンは無かったはずだった。もしかしたら、少女に合わせて多少脚本を変えたのかもしれない――コーネリアが一度舞台から消えと思うと、背景が夜のものに代わり、そして反対側から、青年が紡いだドレスを身に纏った少女が現れた。
♪ 夜の闇 煌めく星 あぁ 素晴らしき この世界 ♪
一小節の後に、スポットライトがオレンジ色のドレスを映し出す。客席が僅かにざわめいた――それはきっと、肯定的な意味で。
元より、WWCには先住民も多数在籍しているし、そうでなくとも化粧をして髪を整えた今の彼女ならば、単純にグレースに負けないほど可憐だから――いや、それも少し違うかもしれない。
グレースが完璧ならば、ネイはどうだろうか。少女は、かなりデコボコな存在だ。出来ることと出来ないことの区別が明瞭で、髪だって普段ははねっかえっているし、背は低いし、何よりその身に
それでも、役者は顔だけではない、ということの再証明のように、彼女の動きも素晴らしいのだ。完璧ではない。正直、グレースが役になりきっているのに対して、少女はまだメリルになりきれていない。しかし、伝わってくる物がある――彼女が、一生懸命だということ。劇を盛り上げるために、その小さな体で、精一杯動きまわっている。
♪ 皆の瞳はいつだって あの子を見ている あの子が太陽なら 私は月 ♪
最初は硬かった動きも、段々と柔らかくなってくる。それは、ネイがメリルになりきっているという事を意味している訳では無く――むしろ、逆だった。もちろん、役を食いつぶすほど、役者が前に出て来てしまっている訳ではない。しかし、きっと今――。
(……楽しいんだな、ネイ)
ここからでは表情は分からない。でも、きっと今、彼女は笑顔だ。手の動き、足の動き、全身全霊で、彼女は今、楽しみながら舞台に没頭している。青年には、それが分かった。
少女の動きに、段々と堂が入るのを、客席も感じているのだろう――緊張とは違うが、確かに舞台に全ての意識が向かっているのを、青年は確かに感じていた。
スポットライトを浴びて輝く少女。青年には、まるで世界に彼女しかいないように感じられた。暗闇の中で衆人に紛れている自分が、とてもちっぽけで、あたかも存在しないかのように思われて――なんだか、やはり生きるべき世界が違う事を再確認させられたようだった。
綺麗で、輝いていて、だから、皆舞台の少女に注目している。一方で、自分は――本当に、何でもない、ただのロクデナシに過ぎない。客席の中の一人、個性も何もない。何か秀でた所も無い、どこにでもいるような男。今までは、彼女のそばにいれるのは自分だけだった。そこには安心感もあったし、もっといえば、単純に、独占欲が満たされていたのだ。実際、彼女に劇に出て欲しくなかったのは、こっちが本音だったのではないか。なんて浅はかで、なんて愚かだったのか。彼女に味方をすると言いながら、自らの承認欲求を満たしていただけなのではないか――そう思うと、青年は劇を注視出来なくなってきた。
(……君の居場所は、俺の傍なんかじゃないのかもしれないな)
自暴自棄になっているのも分かっていた。先ほど旧友に冷たくあしらわれて、自分がどこにも居てはいけないのではないか、などという変な自己嫌悪に陥っていたのも間違いない。それでも、なんだかどうでもよくなってきて――自分の様な賤しい奴が、彼女の味方であろう、などというのもおこがましかったのかもしれない、そんなふうにすら感じ始めていた。
いつも触れられる距離に居たのに、触れられない少女。光の中で舞う少女との絶対的な距離は、どうしても埋めがたく感じられて――青年は、席を立とうとした。
『責任を、取ってもらわないとだしな……』
なんだか、そんな声が聞こえた気がして、視線を再び部隊に戻した。青年はそんなに目が良い訳では無いので、確信は無かった。それでも、今、なんとなくけれど――見据えた舞台の上から、彼女が自分を見てくれたような気がした。
(……そっか、そうだな。責任は、取らないとだよな)
今、少女が纏っているそれは、青年が確かに紡ぎあげた物だった。だから、きっと――もう少し傍に居たっていいんだ、そんな風に思って――今度は、座席に深く腰掛けた。
その後、柱が倒壊したシーンも問題なく終わり、劇はつづかなく続いた。
さて、一応脚色されている点をおさらいすると、以下のようになる。名士である父は、年を追うごとに
ちなみに、元々メリルが地元の他の名士に取り入るシーンが元々あったのだが、ネイが演じるにあたって削除された。端的に言えば、彼女は他人を触れないから――だが、そのおかげで青年もほっとしたのは、正直な所だった。
コーネリアはその後、遠方の名士に求愛を受けて、結婚した。しかし、ずっと父のことを想うコーネリア。ある日、父が街から追放され、荒野をさまよっていると言う知らせを受ける。すぐさま救助に向かおうとするコーネリアだが、これはある種の外交問題になりかねない――もし父を救いだして保護するとなると、メリルを刺激しかねないからだ。
さて、本来の筋書きは中世旧大陸風なので、王を追い出す不義、ということで挙兵しても問題ない。だが、こちらは現代新大陸風なので、そうもいかない――それ故、コーネリアはなんと、数人の護衛だけつけて故郷へと乗りだした。嵐の吹き荒れる荒野で父を助けるコーネリア。そして、父の、自らの敵であるメリルを倒さんと――ここが、この劇のクライマックスであった。
「来たのね、コーネリア」
コーネリアの足音に、メリルが静かに振り向いた。二人の姉妹が、静かに対峙している。
「えぇ、参りましたお姉さま。貴女を、偽りの王の座から引き下ろすために」
「偽りの王! そうね、コーネリア……私は、確かに王の格ではないのかもしれない。しかし、あの耄碌した、老獪な父よりは、余程聡明であると自負している」
「しかし、父は父です……私は、父を愛しています」
「……お前も、父と変わらない位盲目ね」
まっすぐなコーネリアに、メリルは銃を抜き出して応える。
「えぇ、私はそれでいいんです……たといそれが歪であっても、私は愛に殉じましょう」
コーネリアも銃を抜き、姉に対して突き出した。
静寂を、弦楽が静かに打ち消し、姉妹は銃を突き出したまま、円を描くように動き――互いに最初の位置が入れ替わった瞬間――管楽器の空を裂くような音と、火薬の炸裂する音とが劇場に鳴り響いた。
ネイもグレースも、互いにエーテルシリンダーは使っていない。しかし、元々の射撃の腕が良いのだから、きちんと狙って何もない所にへと弾丸をはずしている。景気良く六発撃ち、銃による殺陣が終わったの束の間、今度は互いに傍にあったサーベルを取り、今度は刃による激しい打ち合いが始まる。
♪ 本当に 貴女は愚かな子 対岸の火事を 眺めていれば良かったのに ♪
まず、メリルの激しい一撃。そう、ハッキリ言ってコーネリアの動機は常軌を逸している。姉の言う通り、隣国で得た幸せを享受し、過去など忘れて生きればよいのだ。
♪ それでも 私は 私の想いを貫きます ♪
姉の剣戟を軽くいなし、コーネリアが反撃に出た。しかし、父への愛とは言っても、ハッキリ言って父方にも問題はある。正当性だけで見れば、如何に冷血と言われようとも、いささかまだメリルに理があるように見えた。
♪ 本当に 本当に愚かな子 貴女は父を愛してなどいない ♪
妹の刃を受けて、今度はメリルの番である。その一言で、コーネリアが――いや、グレースが動揺したように見えた。
そこに続けざま、激しい音楽と共に、オレンジ色のドレスが翻る。
♪ 貴女が本当に愛しているのは自分だけ 手に入らないものを追い求め 傷ついて そして―― ♪
そこで、メリルに――ネイに、迷いが生じたようだった。きっと、グレースの異変を察し、戸惑ってしまったに違いない。
その隙に、今度はグレースの反撃が始まった。
♪ そう 私が欲しいのは いつだって 私の 手の届かぬ物 ♪
一瞬、演奏に迷いが生じた――舞台の袖から、フレディが顔を覗かせている。
だが、グレースは止まらない。
♪ 貴女が憎いわ お姉さま 私が持っていないものを 何でも持っている 貴女が ♪
演奏が止み、代わりに刃と刃が重なる音が激しくなる。何故、演奏が止んだのか、演出だろうか――多分、違う。アレは、アドリブだ。だから、演奏隊がどうしようか、悩んでいるのだろう。
しかし、グレースはそんなことお構いなしに、アカペラで歌い、刃と共に踊り続ける。
♪ 私がどれほど愛しても あの人はいつも 貴女を見ている ♪
まるで、本当に憎しみを込めているかのような激しい斬撃。しかし、ネイもやられっぱなしで癪に障ったのか、グレースの刃を思いっきりはじき返した瞬間、攻勢に周る。
♪ 貴女が憎いわ コーネリア 私が持っていないものを 何でも持っている 貴女が ♪
それは、今まで貯め込んでいたものを一気に放出するかのような鋭い一閃だった。
♪ 私がどれほど悩んでも 皆はいつも 貴女を見ている ♪
壇上で、水色とオレンジのスカートが翻り、その上で火花を散らしている。まさしく真に迫った演技に、観客もざわめいている。座長ももはやヤケクソなのか、演奏隊に何やら手で合図を送り、再び袖に引っ込んだ。すると、演奏隊は先ほどの荘厳な音楽では無く、とにかく激しい曲を奏で始めた。多分、曲までアドリブになったのだろう、青年はそう思った。
♪ 何よ ♪
♪ 何さ ♪
♪ 気に入らないんです ♪
♪ こっちだって ♪
一応リズムには合っているのだが、というより演奏隊が凄いのだ、二人の喧嘩に、見事に調子を合わせているのだから――そう、喧嘩だ。舞台の上で行われているのは、演技のようには見えない。今まで、ずっと貯め込んでいた、互いに対する怒りを、刃に載せてぶつけているだけのように見えた。
そして、曲が最高潮に達する所で、二つの刃がライトに照らされ、一段激しく重なり合った。
♪♪ 貴女が憎い! ♪♪
そして演奏が止み、二人は一旦間合いを離した。ネイもグレースも、肩で息をしている。それもそうだろう、輝石の助力も無しに、あれだけ大声で、激しく動きまわったのだ。疲労して当然だった。
「はぁ……はぁ……お前は……」
「ふぅ……ふぅ……お姉さま、貴女は一つ勘違いをしています」
「……何?」
「私の愛は、本物だと言う事。むしろ本当に我が身が可愛いのはお姉さま、貴女なのではなくて?」
「な……」
「貴女は、男をたぶらかす天才だわ……さも、自分が可哀そうかのように見せて、保護欲をかきたてているんですよね? 汚れ役を買って出ることで、悲劇のヒロインを演じて……そう、素晴らしい演技だわ。私なんかよりも、余程洗練されている」
「……やめろ……」
ネイが俯き、肩を揺らしている。一方で、グレースの攻撃は止まない。
「それに対して、私は……私は、どうなっても構わない。愛を勝ち取るためなら、たといこの身が破滅しようとも、何も恐れることは無いわ……貴女と違ってね」
「やめろ……やめて……!」
そこで、グレースが両の腕を広げて見せた。自らの愛とやらを、証明するために。
「それを、証明して見せましょう。さぁ……!」
「やめろぉおお!」
黒髪の少女が壇上を駆け、金髪の乙女をその剣で斬りつけた。
「あっ……」
ネイが、剣を落とす。グレースは膝をつき、その場に崩れ――もちろん模造刀なのだから、血が噴き出した訳でもない。そして、予想外の力で斬りつけてしまったこと以外、ここは台本通りなはずだった。
それでもきっと、ネイがグレースを斬りつけたのは、彼女の中では筋書き通りでは無かったのだ。怒りに身を任せて、その刃を振ってしまった――だから、彼女の今の動きは、演技ではない。倒れた妹の背中を見つめて首を振り、そして体を震わせて、舞台の袖へと駆けて行った。
青年は、そこで立ち上がった。早歩きで、テントの出入り口へと向かう。既に劇は終幕へと向けて動きだしており、青年の背中に父役の声がぶつかってくる。
「おぉ、コーネリア! 私が、間違っていた……一時の甘言にたぶらかされて、お前を信じてやれなかったばかりに……」
この陳腐な劇のテーマは、親子の愛。父を裏切ったメリルの凶刃に、父への愛を貫いたコーネリアが倒れ、そして、その亡骸を見た父が、真実の愛を知る――そんな筋書きだったのだ。
青年がテントを出て少し行くと、後ろから喝采の拍手が鳴りだした。観客はきっと、舞台の筋に満足したわけではない。二人の歌姫の素晴らしさと、最後の迫真の姉妹喧嘩に、心を奪われたのに違いなかった。
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