9-3
サーカスは、線とフランの街の郊外、海近くに面した広い空地を間借りしている。青年達が向うにしても、漁村から街の大通りを経過しなくても辿り着ける場所なので、ここ十日間の行き来も、そう苦ではなかった。
「……緊張してる?」
馬を走らせながら、青年は少女に声をかけた。ここ最近は、案外話題も少なかった。すでに三か月も一緒に居るのだから、互いに出せる新たな話題もそう多くは無い――だが、今日はそれにも増して静かである。あと十分も行けば到着してしまう。その前に、少しでも緊張を和らげてあげたい、青年はそう思っていた。
「……あぁ、ちょっと……いや、かなりかな」
「こんな風に言うのもなんだけどさ、安請け合いしたこと、後悔してる?」
「……うぅん。それは、してない」
ふと後ろを見ると、少女はローブを抱くように座っていた。
「戦う事くらいしか出来なかった自分が、他に何か出来るんじゃないかって……はは、ちょっと気取っちゃったかな?」
照れ隠しのように笑う少女。しかし、その言葉は、きっと真剣な物だ。
「それじゃ、これからは歌って踊って稼ぐかい?」
「いや、それは今日限りかな。見世物になりたくないって言うのは、本心だよ」
「わかんないぞー? ライトと拍手を浴びれば、案外病みつきになったりして」
青年の言葉に少女は少し笑い、しかしなんだか達観した笑みを浮かべた。
「そーかもな……ま、とにかく今日のショーは頑張ってやらないとな」
「あぁ、だからあんまり緊張してたら、固い動きで笑われちまうかもしれないぞ?」
「でもなぁ……なにせ、初めてだし……」
それもそうか、初めてというのは緊張するものだ――とかなんとか思っていたら、なんだか自分がいかがわしいことを考えているような気になって、青年は頭をぶんぶんと振った。
「ど、どうした? いつもよりちょっと変だぞ?」
少女からしてみたら、青年は普段から変な奴なはずである。そう考えると、いつもよりも変は、ちょっとでも重傷であった。
「まぁ、とにかくさ……とりあえず、今日限りって思ってるなら、それでいいじゃないか。君は一夜限りの舞台女優、旅の恥は何とやらって言うし、別人になったと思って、思いっきりやればいいのさ」
「別人……ね。うん…………うん? なんか変な音しないか?」
そうは言われても、青年の耳には蹄の音と車輪の音、あとは潮騒の音くらいしか聞こえない。
「いや、俺は君ほど目も耳も良くないからな……」
ネイは青年には聞こえない音の正体を手繰るためか、フードをはずして耳を澄ませている。
「ちょっと待ってろ……うん、こっちに近づいて来てる……」
そう言われて、青年も耳に神経を集中させる――すると、東の方から、微かに音が聞こえ始め――それは、どんどん近付いて来ているようだった。
「……おい、ネッド、アレ!」
少女が名前を呼んでくれたことに一瞬どきりとしたが、ネイの方はそんなことを気にしている様子は無く、どこかを指差している。それは、空の方を指していた。
「なんだ? 空に騒音を巻きあげる変な物でも……」
青年はそう言った瞬間、嫌な予感がした。もはや新たにマリアが暴走体を作っている訳ではないはずだが、今までに作っていたもので打ち漏らしが居た可能性がある。それが、まさか空を飛ぶ化け物だったら? そう思い、青年は馬車を止めた。
「おい、まさかオーバーロードじゃあるまいな!?」
「いや……違う、黒だ。黒色の、何かが……」
青年も少女が指差している方角を仰ぎ見る。最初は、空に点が浮かんでいた。だが、それも徐々に近づいて来て――青年は、荷物から望遠鏡を取り出し、謎の飛行物体の正体を見極めようとした。
「……なんだ、あれは?」
レンズ越しに映るのは、黒い鳥のような物体だった。しかし、かなり巨大、しかもその体は鉄で覆われているようで――つまり、明らかな人工物だった。
「な、なぁ。お前、結構物知りだろ? あれ、なんだか分かるか?」
「いや……初めて見るな。とりあえず俺の辞書に、アレは載ってない」
青年は知識としては気球というものは知っていたが、理屈は簡単、それはガス袋に軽い気体を貯め込むことに浮く、という乗り物だ。つまり、空気よりも余程重い金属が宙を浮くことなどあり得ない――相当な推進力があれば出来るのかもしれないが、少なくとも現在の科学でそんなことは出来ないはずだ。
そして
「……どうする? 無視するか?」
何時の間にフードを被り直していた少女が問うてきた。
「一応、何だか気にはなるな……まぁ、少し様子を見てみるか」
セントフランに襲撃をかけるつもりなわけでもなさそうだ。遠目に見る分にはそこまで危険もないだろう、そう判断して、青年は再びレンズに目を通した。
空から降りた鉄の塊の一部分が開き、中から人がぞろぞろと降りてくる。最初は、黒い服を着た男たち。恐らく、護衛なのだろう、みな背広の上からでも分かる程たくましい体躯をしている。
そして、一人の立派な髭を蓄えた男が護衛に紛れて現れた。青年はその顔を、新聞の写真で見たことがあった。
「……成程なぁ。分かったぞ」
「うん? 何が分かったんだ?」
「あぁ、あの機械がなんだかは分からないが、誰が乗ってたかは分かったってこと。彼は今日のVIP、つまり君のショーを見に来た、一番の上客だ」
「つまり……大統領閣下が、文字通り飛んで来たってことか?」
「そう言う事……いやぁ、しかし立派なお髭だな。ジェニーも大統領になりたいっていうなら、まずは髭をはやすことから……うん?」
しばらく髭の男を眺めていたのだが、まだ降りてくる者がいたらしい、青年は空飛ぶ船の昇降口に再び焦点を合わせ――。
「……まさか、そんなはずは。でも……」
青年は一旦レンズから眼を離し、落ち着いてから、もう一度望遠鏡を覗き見た。
「おい、どうした?」
「……アイツ!」
青年は望遠鏡を投げ捨て、馬車から下りて駆けだした。
「お、おい!? 待て、待ってよ!」
後ろから少女が引きとめてくる声が聞こえるが、今はそんな場合ではなかった。
頬が緩むのが抑えられない。生きているのなら、なんとか連絡を取ってくれれば良かったのに――いや、それはお互いさまか、とにかく――。
「……ヴァン!」
全力で走ってきて、息も絶え絶えだったが、青年は大きな声で友の名を叫んだ。
辺りの男たちが、一斉にこちらを見てくる。その視線は、冷たいものであったが――そんなものは全然気にならなかった。
「おい、ヴァンなんだろ? 俺だよ、ネッドだ。ネッド・アークライトだ!」
そう言われて、ヴァンと呼ばれた男が、青年の方を見てくる。青年も男を見返す――五年前とは結構変わっているが、確かに面影がある。端正で整った顔立ちは、以前はもう少し中性的だったが、今では年相応の落ち着きを見せ、なかなかの男前になっていて、肩までかかる金髪と合わせて、旧大陸の貴族を想わせるような気品を漂わせていた。だが、その厳格な目つきと、見に纏った立派な青い色の軍服と、何よりもその右腕――何やら光を跳ね返す銀色の機械仕掛けの金属で覆われている。そのおかげか単純な優男では無い、相応の覇気も見せていた。
男は青年の方を一瞥して、一瞬、眉を動かした気がしたのだが――だが、すぐに何事も無かったかのような表情に戻り、視線を逸らされてしまう。
「お、おい、何とか言ってくれよ。もしかして、忘れちまったのか? まぁ、俺も結構苦労してきたって言うか、割と老けこんじまったって言うか……」
青年は、だんだんと自信が無くなってきた。世の中にはよく似た人間が三人居ると言う。グレースの件だってあったのだ、もしかしたら面影があるだけで、全くの別人の可能性だってあるわけで、確かに以前のなよなよした感じは一切なく、隙の無い軍人風になってしまってはいるが――それでも、青年はなんとなくだが確信があったのである。
「ヴァンなんだろ? なぁ……」
「……クー」
男は青年を見ずに、傍らに居る女――どうやら、東洋人らしい、真っ黒な髪を軍人らしく、先住民とはまた少し違った幼い顔立ち、だが眼はぱっちりとしていて、男と同様に軍服に身を纏っている、そんな女がにやり、と頷いた。
「はいはいアルよー」
そんな間抜けな声が聞こえたと思った瞬間、クーと呼ばれた女は凄まじい速度で青年の方へと疾駆してくる。
「……がっ!?」
そして、腹部に鈍い痛みが走り――青年は、その衝撃に膝をついた。どうやら、蹴りが腹に刺さったらしい、女の機械仕掛けのブーツから蒸気が噴き出している。
「お前がどこの誰かは知らないアル。だけど、あの方はお前程度が気軽に声をかけてはならない相手。身の程をわきまえるヨロシ」
青年の上から、軽い調子で声が聞こえてくる。なんとか気を確かに持ち、青年は顔を上げる。
「ど、どういうことだ……?」
青年に答える訳では無く、女は後ろを振り返り、金髪の男の意向を視線で確認している。男が頷くのを見て、女は青年の方に向き直った。
「あのお方は、マクシミリアン……マクシミリアン・グラント大尉。国民戦争の英雄にして前大統領、ユリシズ・S・グラント様の御子息にして、将来陸軍元帥を約束されている御方。貴様のような一介の野良犬などと、縁もゆかりも無い御方だ」
ふざけた語尾をつけることなく、冷徹な声で言いきられた。
「分かったなら、ここで寝てればいいアル。別に、命までは取らないアルネ」
そして、今度はまたふざけた調子で言いながら、女は足を青年の腹から引き抜いた。ほどなくして、青年はその場に倒れ込んでしまった。
「ご苦労だったなクー」
「いえ、もったいないお言葉アル」
「……その変なキャラ付がなければ、もっと優秀なのだがな……」
そんな会話が、奥から聞こえる。だんだん、声が遠ざかっていき――青年はもう一度、なんとか顔を上げた。マクシミリアンと呼ばれた男とクーという女が、大統領の後ろに着き従っている。その、更に後ろに、もう一人、男が居る。なんだか、特徴の無い、捕え所の無い、そんな男が、こちらを――いや、その先を見ている。
「……おい!? 大丈夫か!?」
少女の声が聞こえる。そして、青年の背後を見ていた男は振り返り、列の最後尾から集団の後を追い始めた。列の先には、またしても青年の見たことの無い、煙突の付いた小型の機関車の様なものが置いてある。大統領、マクシミリアン、クー、そしてもう一人がそれに乗り込み、煙を立てながら、街の方へと走って行った。
「ね、ネッド?」
自らの名を呼んでくれた少女を安心させるべく、青年は上半身を起こして、手を振った。
「あ、あぁ、大丈夫だ……意外と、ダメージは無い。すぐに歩けるよ」
重要人物たちは去っていったようだ。しかし、この鉄の鳥を護るためだろう、黒服達がまだそこかしこに居て、こちらを真顔で見ているので、この場に留まるのは何とも居心地が悪い。
「とりあえず、馬車に戻ろうか」
「う、うん……」
ネイも途中から走ってきたのだろう、ローブが崩れている。一応、ドレスは劇に耐えられるように動きやすく作ったつもりなので、着崩れしていることはなさそうだった。
そんな風に少女を観察していると、心配そうな瞳で、こちらを見てきた。
「……なぁ、ホントに大丈夫か?」
「君は心配性だなぁ。元気に歩いてるだろ?」
「でも……辛そうな顔してる……」
「そんなこと……いや、正直、ちょっと辛いかも」
果たして、あのマクシミリアンと呼ばれた男は、ヴァンとは本当に別人だったのだろうか。青年には、どうしてもそんな感じがしなかった。だが、もし本人であるとするならば、むしろそう思っているからこそ、青年には辛いものがあった。
「でも、アイツが仮にホントに別人なら、俺の方が変なこと言っちゃったわけだし……」
「……蹴られたけどな」
青年の代わりに、少女が怒ってくれているようだった。それは嬉しかったが、青年には本当に怒りの感情は無かった。
「はは、そうだな……そりゃやりすぎだろって思うけど、まぁいいんだ。あのクーって女、なんだか不思議な力を使うみたいで、ホントにダメージは無いんだよ。それに、もしヴァン本人が、俺のことを知らないふりをしたんだとしても……生きてたって知れただけでも朗報だよ。ただ……」
「……ただ?」
「ただ……そうだな。生きる道が、互いに変わっちまったって……それだけのことなんだよ、きっと……」
青年は、なんだか自分の言葉が胸にすとん、と落ちた。ただ、それだけの話。人間、ずっと一緒に居る相手の方が、余程少ないし、ずっと同じ考えで生きている人間もほとんどいない。そう考えれば、これは当たり前のことだった。
しかし、少女の方は余り納得してくれなかったようだった。哀しげな瞳で、青年を見つめている。
「……そうかもしれない。けど、それじゃあ……アタシ達も、何時かは……違う道を往くことに、なるのかな?」
少女の揺れる翠は、余りにも真剣で、重かった。それでも、青年はそこから眼を逸らせなかった、というより、逸らしたくなかった。
しかし、いま答えを出すには早い気もした。恐らく拒絶される姿を見せてしまったせいだろう、少女も感傷的になっている。勿論、自分も――今の感情に身を任せるのは簡単だ。でも、それは違う気がしたのだ。
そしてちょうど、馬車の所へと戻ってきた。青年は先に荷台の先頭に跨って、手綱を持った。一方で、少女は立ったまま、青年をじ、と見つめている。
「まぁ、とにかくさ。今はそれどころじゃないだろ? まず、劇を成功させないとな」
「で、でも……」
「……君は、優しいからさ。俺が今、傷ついてるんじゃないかって、それで、慰めないとって、そう思ってるんだろ?」
「そ、それは……」
「でも、何度も言うけど、俺は大丈夫だからさ……それに、ショーに出てあげないと、今度は劇団の人たちを困らせちまうだろ? 君がさっき言ったことだ。戦うこと以外のこと、やってみようって。だから、行こうぜ?」
これは、本心だった。もし、ネイが何か新しい道を見つけられたら――もしその時に、道を違えることになったって、彼女が幸せなら、それでいい。
だから、青年はきっと、自然な笑顔を浮かべることが出来ている、自分でそう思った。
「……うん、そうだな。自分で決めた事だから」
どうやら、安心させられたようだ。ネイも小さく笑って、そして荷台に乗ってくれた。
しかしもし、今この場で全てを投げ捨てて、少女の手を取って逃げ出すのはどうだろうか。自分の過去も、少女の過去も、今の責任も投げ捨てて――確信は無いが、今なら少女は自分に着いて来てくれる気がする。そうしたら、自分はどれだけ救われるだろうか、報われるだろうか――だけど、それは違う気がした。
一方で、ネイと別れることになったら――それは今日なのか、明日なのか、もっと先なのか――それは、分からないけれど、そうしたら、また自分は一人になるのか――そう思うと、青年は胸が痛くなった。
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