7-2


 ◆


「まさか、あんな化け物に追われるとは……とにもかくにも、助かったよ! はっはっは!」


 中年の男が、青年と少女に豪快に笑いかけてきた。帽子から覗く髪は淡い金髪、口の周りには髭を生やしたい放題にしているが、不潔そうというよりも返ってこの男の快活さを表しているようだった。


「おぉ、すまん、紹介が遅れたな……私はフレデリック・ビル、フレディ。大陸を渡るワイルド・ウェスト・サーカスの座長だ。よろしくな」

「こりゃ丁寧にどうも。俺は、ネッド・アークライトです。聞いたことありますよ、WWC。一度、みたいと思ってました」


 WWC、大陸を渡って公演をする劇団と、青年は記憶していた。劇団とは言っても、雑技団としての側面も合わせており、西部出身者や術者を集めて行うアクロバティックな劇が好評だとか。


「いやぁ、君たちもなかなか珍妙な技を持ってるねぇ……えぇっと?」

「……ネイ・S・コグバーン」

「そうか、ネイか! いやぁ、君たちにも是非ウチの一座に加わって欲しいねぇ。ネッドにネイ、NNコンビ! うけるんじゃないかなぁ」


 そう言うフレディは、屈託の無い笑顔を浮かべている。おべっかでもなく、本心なのだろう、人当たりの良さが伝わってくる。いつものぶっきらぼうな自己紹介を返した少女も、一瞬は呆気にとられた表情を見せたが、すぐに男の快活さに微笑を浮かべた。


「いやぁ、ありがとうございます。でも、俺たちは俺たちで目的があるので」

「うん? そりゃあ、一体……」

「あのっ、先ほどは助けていただき、ありがとうございます」


 座長の言葉を遮ったのは、鈴の音のように美しい声だった。こんな声を出すんだ、きっと美少女に違いない、青年はそう思いそちらを見た――しかし、そこに立っている少女の美しさは、想像以上だった。

 陽の光を跳ね返して光るブロンドに、大きく丸い、利発そうな碧眼。もはや逆の意味で人の子か、と突っ込みたくなるくらいに整った顔をしている。身長は高すぎず低すぎず、やせ形だが貧相という感じもなく、ハッキリ言って完璧すぎた。まるで、精巧な作り物の様な――たたえている微笑すらも、人工的な物に感じられる程だった。


「……? えぇっと、大丈夫ですか?」


 金髪の少女がくりくりとした目で、青年を見つめてきた。そう言われて、青年は我に帰った心地になり――単純に言えば見惚れていたのであるが、何か違和感があって――その正体も分からないので、とりあえず笑顔を返すことにした。


「あ、あぁ。君があんまりにも綺麗だから、見惚れちゃってね」

「まぁ、お上手ですね……照れてしまいます」


 きっと、こんなことお世辞など、この子の美しさからしたら言われ慣れているはずだ。しかし、金髪の少女は手袋をはめた両の手を自らの顔に乗せ、上気した頬を隠してみせた。


「あ、血が出て……どうぞ、これを」


 金髪の少女はポケットからハンカチを取り出し、それを青年の頬に優しくあててくれた。先ほど妙な違和感を覚えたが、そんなのは失礼だったようだ。というより、こんな美人に優しくされて、青年はなんだかドギマギしてしまった。


「はっはっは! アークライト君、駄目駄目。ウチの看板娘に色目を使わないでくれたまえ! ……それに、お連れさんの前でそんなんじゃ、失礼なんじゃないかい?」


 座長の意地悪なニヤつきが飛んでくる。別にやましい気持ちを抱いているわけでもないのだが、確かに何時もならネイに「いやらしい目をしている」とか言われる所だし、そんなつもりだと思われたくもないので、先手を弁明するに限る、青年はそう思った。


「いや、違うんだよネイ、これには訳が……」


 自分で言っててこれには訳が、は余計に言い訳じみていて良くなかったのではないか、そんな風にも思ったのだが――青年の懸念はまったく的をはずしていた。というより、全然こちらの話など聞こえていなかったようで、ネイは真剣な面持ちで、金髪の少女を眺めている。


「……なぁ、お前さ、ぶしつけでわりーんだが、ちょっと左手、見せてくれないか?」

「……え?」

「いや、その、手袋をはずして、袖をまくってみて欲しいんだ」

「え、えぇ……構いませんけれど……」


 金髪の少女は困惑した様子だったが、ネイの真剣さを断るのも心苦しかったのか、右で左の手袋をはずし、そして袖をまくった。そこには陶器のような白があるだけだった。


「……これで、いいですか?」

「あ、あぁ……いや、悪かったな。なんでもないんだ、気にしないでくれ」


 そしてネイは帽子を深くかぶり、居心地悪そうに小さくなった。対して金髪の少女は袖を戻し、少し考え込んで、今度は少々意地悪そうな笑顔になり、ネイに話しかけた。


「もしかして今のは、貴方がたの旅に関係することなんですか?」

「……まぁ、そんな所だ」


 あまり下手に事情を話すものでもない。勿論、先ほどネイの戦いっぷりは見られてしまった訳だが、アスターホーンの攻撃力が凄いと勘違いしてくれているらしく、二人は化け物から一座を救った人物として好意的に受け入れられているのだ。ここで下手なことを言って、変に詮索されない方がいいだろう。

 しかし、ブロンドの少女は今度は少し憂い気な表情になって、だがすぐになんだか機械的な――いや、優しい微笑を浮かべた。


「でも、もしかすると、私は貴女の探し人なのかもしれませんよ?」

「……? どういうことだ?」


 少女が座長の方を向く。男は黙って頷き、そして再び少女が口を開いた。


「申し遅れました、私は現在グレース・オークレイと呼ばれております……というのも、半年より前の記憶が無いもので……自分が誰なのか、自分でもよく分からないんですよ」


 随分大層な自己紹介をされてしまったのだが、対してグレースと名乗った少女は、やはり笑顔を浮かべていた。





 目的地は、WWCと同じ方面であった。それならば一緒に、ということで、二人は一座と行動を共にすることにした。

 最初はこんな大所帯と一緒に行動するのは窮屈か、とも思ったのだが、ネイがグレースに興味があるらしく、嫌がる素振りも見せずに同意してくれた。


「……成程、荒野で倒れている所を、あのフレディってオッサンに拾われたと」

「えぇ、そうなんです。それで、拾われる前の記憶がまったくなくって……」


 現在、青年の引く荷台の上で、二人の少女が話をしている。しかし美少女二人を後ろに乗せているだなんて、何と言うか役得だな、青年はそう思った。


「あの、ネイさん。私が貴女の探している方に、似てるってことなんですよね?」

「あ、あぁ、うん……とは言っても別れたのも随分小さい時だったから、今どんなふうになってるかは分からないんだけど……でも、お前みたいに、綺麗な子だったよ」

「ふふっ……綺麗だなんて、なんだか照れちゃいますね……でも、お探しの方だったら、左腕に何かある、と。そういうことですよね?」

「……あぁ、まぁ、そんな感じだよ」

「その方のお名前、聞いてもいいですか?」

「あぁ。リサって言うんだけど……聞き覚えは?」


 青年はその名を聞いて、ふと思い出した。ネイの妹分で――ネイと同じように、腕に術式が刻まれている、と。だが、グレースにはそれが無かった。術式を体に刻むのは、刺青を彫るのと同じであり、それを完璧に除去するのは相当難しいはずだ。そう考えたら、この金髪の少女は別人と考えるのが妥当だし、ネイの記憶も古いものなのだから、面影がある、くらいでは本人と断定することはできないだろう。


 しかし、記憶喪失というミステリアスさに加えて、それでも何か感じる所があったのか、ネイは熱心にグレースと話をしている。


「……ごめんなさい。やっぱり分からないです」

「そっか……いや、いいんだ。ごめんな、お前だって記憶が無くって、その……」

「いいえ、辛くはないんですよ? だって、くよくよしたって何も良いこと無いですし、逆に哀しい想い出だってけし飛んでいますから! だから、気にしないで下さい!」


 きっと、ネイがまた申し訳なさそうな顔でもしていたのだろう、グレースが励ましている。だけどそれは無理やり、という感じではなく、本心から出ている言葉のようだった。


「そっか……お前、強いんだな」

「ふふっ、そういうネイさんは優しいんですね」

「ばっ、お前、アタシは、そんなんじゃ……」


 多分今頃、ネイは帽子のつばを下げているはずだ。しかも、顔を真っ赤にしながらである。


「お前じゃなくって、グレースって呼んでください! 私は、ネイさんの探し人じゃなかったかもしれませんけど、仲良くしたいんですよ?」

「ふ……あはは、そっか……うん、分かった。よろしくな、グレース」

「はい!」


 背中に、少女二人の笑い声がぶつかる。青年はふと空を見上げた。なんだかいつもよりも空が綺麗に見えた。


「それにしてもネイさん、お強いんですね! 私、びっくりしちゃいました!」

「い、いやぁ……それほどでも?」

「あ、ネッドさんもありがとうございます! 貴方が蛇の気を引いてくれなかったら、危なかったかもしれません」


 あ、というのが、ついで感が満載であったが、青年は素直に讃辞を受け取ることにした。


「いやぁ、まぁ、君みたいな美人を護るためだからね。つい頑張っちゃったよ」

「はぁ……また適当こいてらぁ。グレース、アイツの言う事をいちいち気にしちゃ駄目だぞ? メッチャ適当なんだからな」

「おっ、まさか君からも褒めてもらえるとはな。今日は良い日だ」

「ほめてねーし、調子に乗んなばーか」


 少女の言い方は柔らかい。それがなんだか嬉しいような、物足りないような、青年は絶妙な気持ちになった。


「くすっ……お二人は、仲がよろしいんですね」

「はぁ!? 大丈夫かグレース、お前の眼もフシアナか!?」


 そう言えば、ジェニーにもそんなことを言われた様な記憶がある。


「えぇ、節穴です。だって、見たまんまなんですもの」

「な、何!? フシアナってそういう意味だったのか!? 見る目が無いなって意味かと思ってたぞ!?」


 別段、少女の用法が間違っているわけでもないのだが、早くもネイがグレースによって手玉に取られているのが、なんだか面白かった。


「……おい、お前、今笑っただろ?」

「い、いやいや、まぁ、いつも通りだなって……」

「どーいう意味だよ、それ……」

「聞きたい?」

「……聞きたくない」

「それが賢明さ……ぷっ……!」


 また笑ってしまったが、今度は少女の方から罵声は飛んでこなかった。どうやら自分を無視して、女二人の世界に入ってしまったらしい。


「所でなんですけど、こう見えて私も結構やるんですよ?」

「へぇー……何が出来るんだ?」

「ふっふーん、見ててくださいね?」


 グレースに何が出来るのか気になり、青年は後ろを振り向いた。見ると手に死神絵柄のジョーカーを持ち、得意げな顔をしている。


「ネイさん、これを落としてもらえませんか?」

「あん? まぁ、いいけど……」


 ネイはカードを左手で受け取り、荷台の後ろに立った。


「そんじゃ、落とすぞ?」

「えぇ……いきます!」


 少女がカードを落とすのと同時に、グレースは腰にあてていた右の革袋から拳銃を素早く抜き出す。銃声が鳴り、荷台の過ぎ去った砂地に五つの穴が空いたカードが落ちた。


「ふふ……どうですか? 結構早いでしょう?」


 グレースは目を瞑り、口元を緩ませながら煙の吹く銃身で自らの頭を叩いていた。しかし持っている銃はなかなか変わっていて、年代物の様であるが――バレルの下に付いているレバーを落とすと銃身の下が割れて、銃倉がそのまま取れる仕組みになっているようで、グレースは慣れた手つきでリロードをしていた。


「ほぉ、やるな。それで食ってるってことか?」

「えぇ、そういうことです。早撃ちグレースってことで、WWCに身を置かせてもらってるわけですね」

「成程な……うん、凄いよグレース」


 やろうと思えば君の方が早いだろう、青年はそう言おうと思ったが、やめておいた。金髪の少女に微笑みかけている黒髪の少女の優しい笑顔を見て、変に横やりを入れることも無いか、そう思ったのだ。

 きっと、リサということネイとは、施設にいたころはこんな感じだったのだろう。構って欲しがって何かあっては嬉々として報告する金髪の幼子に、それを静かに微笑んで見守る黒髪の少女――。


「あ、それに私、歌も結構上手なんですよ? ネイさん、聞いてくれます?」

「あぁ、聞きたいな……グレースの歌、聞かせてくれよ」

「わぁ、やったぁ! それじゃあ、こんなにいい天気ですし、えぇっと……」


 青年は、先ほどグレースに何か冷たいものを感じたのを申し訳なく思った。人懐っこくて、イイ子じゃないか。そう思った。


「決まりました! それじゃあ不肖グレース・オークレイ、歌います!」


 グレースが歌い出した歌は、青年には聞き馴染みの無いものであった。ネイも同様だったのか、しかし安らかな表情で、聞き入っている。

 周りの馬車や騎乗の人たちも、グレース・オークレイの歌に耳を傾けていた。確かに、上手い――陽気なメロディに快活な歌詞、青年は歌の善し悪しなど分からないが、それでも今日という日に相応しい曲だ、そう思った。

 しかし、なんだか物足りなくも感じた――結局その答えが分からぬまま、グレースの歌は終わった。


「……どうでしたか?」

「うん、良かったよグレース……次は、一緒に歌ってみるか?」


 それを聞いて一番驚いたのはこの場に居る中で、ネッド・アークライトだったに違いない。人になかなか心を許さぬ少女が、こうまで早くグレース・オークレイに心を開いて――なんだか、ちょっと悔しかった。


「ホントですか!? じゃあ、曲は……」

「今のにしよう。大丈夫、覚えたから」


 それを聞いて再び青年は驚いた。まさか、一発で覚えたのか。この少女、天才なのではなかろうか――だが、本当かどうかも分からない。もしかしたら強がっているだけかもしれない。


「え、でも……」

「ホントだって。アタシ、結構歌は好きだからさ……あぁ、そっちは好きに歌ってくれ。アタシは、グレースに合わせるから」

「そ、それじゃあ、せーの、でいきますよ?」

「うん、りょーかい」

「それじゃあ、せーの……」


 ♪  荒野に唄えば  ♪

 ♪  空に唄えば  ♪

 ♪♪  あぁ なんて素晴らしい気分なんだろう  ♪♪


 本当に覚えていたらしい、一瞬にして見事なハーモニーが始まった。周りの人たちも、最初こそ驚いた表情を浮かべて――だが、すぐに呆けたような、そんな顔になる。砂の続く荒野と、青い空と、二人の少女の歌声が、美しくて、懐かしくて――。


 思わず、青年は馬を止めた。だが、それは周りの人々も同じだった。一座の中でいち早くフレディがギターを幌馬車から取り出し、二人の歌声に合わせて弦を奏で始める。さすが高名な劇団、というべきなのか、座長の心を汲んだのか、はたまた自分が参加したかっただけなのか、弾ける者たちが各々自らの楽器を取り出し、ちょっとした演奏会が開始された。

 歌う少女たちは荷台から飛びおり、そして楽器の音色に合わせて踊り始めた。

 しかし、ネイは踊れたのか――いや、リズムに合わせて、グレースに合わせて、直感で動いているだけなのだろう、しかなかなか様になっている。


 ♪♪  唄い 踊る  ただ この広い荒野の中で  ♪♪


盛りあがりどころになり、二人の声が合わさり――そして、青年は気付いた。先ほどグレースに足りていなかったモノに。


(……なんだか、心が籠って無かったんだな。でも、今は――)


 技はある、声量もある、だけど今、笑顔で、本当に楽しそうに踊って、歌っているグレースの歌声の方が、先ほどよりも余程素晴らしくて――それに、ネイも、楽しそうで――愛おしそうにグレースを見つめる瞳が、なんだかいつもからは考えられない位、本当にお姉さんのようだった。


 ♪♪  私は唄う  ただ  この広い荒野の中で  ♪♪


 砂漠の真ん中に、陽気な音楽が響き渡る。観客は、青年と空を行き交う鳥くらい、なんとも贅沢で、もったいないような午後だった。


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