海に唄えば -Singing on the Beach-

第7話 海に唄えば 上

7-1


「ふぅ……」


 青年、ネッド・アークライトの後ろから、少女の息を吐く音が聞こえてくる。別に色っぽいとかそういうのではなく――。


「暑いのか?」


 青年は言いながら少女、ネイ・S・コグバーンの方を振り向くと、ネイは馬車の荷台にねっ転がりながら、左の手に帽子を持ち、それを団扇の代わりにして煽いでいた。


「……ちょっとな」


 時期は六月、西部は西部でも、もうじきその果てに辿り着く。この辺りは夏が乾期で湿度は低い、日中でも過ごしやすい――というのは、きちんと適切な服装をしていればの話。降り注ぐ日は強いため、肌を傷めないために長袖の着用はいいものの、春先用の厚着をしていれば、暑いのは当たり前だった。


「なぁ、上着をとったらどうだ? この辺りなら、誰も見ちゃいないし……」


 西海岸、ロングコーストはもうじき、とは、この広い大陸の尺度で言えばの話であって、荷台を繋いだ馬車で向かうには、まだ丸一日はかかるはず。つまり、まだまだ荒涼とした大地のど真ん中に二人は居るのだから、少女の隠したい右腕の赤を見るのは、時折空を行き交う鳥くらいのものなはずであった。


「うーん……」


 ネイは煽ぐのを止めて上半身を起こし、ポンチョの首周りを触りだした。そしてしばらくして、開口一言。


「……脱がない」

「……なんで?」

「別に……深い理由はねーよ」


 そう言い返し、少女は再びごろん、と横になってしまった。

 青年は小さくため息をつき、さてどうしたものか、と考え始めた。自分で言うのもなんだか、少女は自分の作ったアレを、割と気に入ってくれてるのではないか。だから、脱がないと――だったらと、青年は一つの案が思い浮かんだ。


「……なぁ、新しいの、作ろうか?」

「ほ、ホントか!?」


 がば、と食い気味に、少女は再び上半身を起こした。だがはしたない、などと思ったのか、少女は左手に持っていた帽子を深く被り、表情を隠してしまった。


「……やっぱいい。お前のセンスで作られたら、トンデモなくダセーもんを着させられそうだ」

「ぬぐっ……それは否定できん……」


 青年に美的感覚が無いのは既に露呈してしまっている。少女が現在身につけているポンチョは、そもそもわりと洒落た生地をそのまま流用したものだ。一から作るとなると難しいし、かといって無地では味気なさすぎる。


「いや、待てよ……お前、紙と書くもん、持ってるか?」

「うん? あぁ、俺の荷物入れの中に入ってるぞ」

「そうか、それならちょっと借りるぞ……」


 少女が青年の鞄を漁り始める。勢いで言ってしまったが、何か見られて困る様な物を入れてはいなかったか――多分、大丈夫なはず。


「……うぉ!? あらってねー靴下とかぶっこんどくんじゃねーよ!?」


 見られて困るものは無くても、触られて困るものはあったらしい。少女は手に取ってしまったそれを荷台の床にたたきつけ、手をぶんぶんと振っている。


「……もう、変なもんははいってねーか?」

「いや、あるかもしれないから、俺が出すよ……こっちに渡してくれ」


 少女が投げてきた鞄を青年は片手でキャッチし、馬車は動かしたままm足の間で固定して中を片手で探る。そして袋の中から手帳を取り出し、白紙の一ページを破き、その後万年筆も探り出して、少女の方に差し出した。


「あったぞ、ほれ」

「おぉ、サンキュー」


 少女はそれを左手で受け取ると、紙を荷台の床に敷いて、万年筆を右手で持ち、何やら描きだし始めた。


「そういえば、前々から聞きたかったんだけど……君は、どっちの手が利き手なんだ?」

「あー? うーん、まぁ、元々は右利きだよ。ただまぁ、こっちも使えるように矯正しただけだ」


 言いながら、少女は左手にペンを持ち替えた。成程、変わらず器用に手先を動かしている。

 とはいえ、こんなガタゴトしていて描きにくくはないのか、青年がそう思っていると、少女は手を止めて、バツの悪そうな表情を青年に向けた。


「……なぁ、ちょっとホーちゃんを休ませてやらねーか?」


 やはり、描きにくかったらしい。しかし確かに、そろそろ休憩するのも悪くはないかと思い、青年は荒野の真ん中で馬を止めた。


「ところで、ホーちゃんってなんだ?」

「……馬の名前」

「……俺は美術的センスは無いかもしれないが、君はそっちのセンスが絶望的に無いな」

「う、うるせー! いいだろ、別に……」


 こうやって、キャンキャン吠える少女を見るのが、青年の小さな生きがいであった。

 

 馬車を止めて、青年が料理をしている間も、少女は黙々と手を動かしていた。


「なぁ、何を描いてるんだ?」

「うん? うん……」


 生返事が返ってくるだけだった。かなり集中しているらしい、青年の声などあまり耳に入っていないようだった。


「なぁ、飯、できたぞ?」

「うん……でも、もう少し……」


 普段なら飯が出来たとあらば、すぐに食いつくのだが、先に眼の前の仕事を片付けてしまいたいらしい。しかし、あと少しなら待つことにした。その間に馬にも水をやりにいくことにする。


「おい、ホーちゃん君、水だぞ」

「……ひん」


 やはり、ホーちゃんは気に入らないらしい。どことなく元気が無い。


「そうだよなぁ……さすがにホーちゃんは無いよなぁ……」

「ひひん……」


 何故名前にちゃんがついているのか、青年にはそれが分からなかった。そして何よりコイツ、オスなのである。


「……出来たぁ!」


 少し離れた所から、嬉々とした声が聞こえてくる。別に、ホーちゃんが喋った訳ではない。ネイが作業を終わらせたのだろう、青年は少女の所へと戻った。


「なぁ、これで作ってくれよ!」


 仕事を終え、満足した顔で少女が紙を手渡してきた。そこには何やら幾何学的な文様が書き込まれており、一瞬なんだか、と思ったのだが、成程、この柄でポンチョを作ってくれ、ということらしい。


「ふむ……色は?」

「そ、それは、お前が決めてくれよ。折角だし、さ……」


 そう言うと、少女は恥ずかしそうに俯いてしまった。センスが無い自分が作って満足させられるか、自信もあまりなかったのだが、決めてくれ、と言われたのだ、無い頭を捻って考えることにした。


「……そんじゃ、駄目でも文句は言わないでくれよ?」

「あぁ、言わねー……あ、もう一つ注文。首んところの穴、大きめにしてくれねーか?」

「……? あぁ、構わないが……」

「おっけー、そんじゃ、頼むぞ」


 青年は袋から何色かの綿糸のボビンを取り出して、踵を擦り、エーテルシリンダーを起動させた。そして手ごろな岩の上に座って、少女から手渡された紙を前に置き、それをしっかり脳裏に焼き付ける。なかなか複雑な模様なので集中しなければ編めそうになく、眼を瞑り、集中して能力を発動する――青年の手から数本の糸が巻き上がり、紡がれあい――そして一分くらい経っただろうか、一つの作品が完成した。かなり集中した証か、青年は額にかいた汗を手の甲で拭い、完成品を少女に手渡した。


「……どうだ?」

「うん、わるくねー……なかなか、涼しげじゃねーか」


 少女ははにかむような笑顔で、それを受け取った。そして、羽織っていた暑そうなそれをボタンをはずして腕に取り、渡したポンチョの代わりに左手で差し出してきた。


「あ、あのさ……それ、ほつれちゃった所……」

「あぁ、直しておくよ」

「う、うん……頼むぞ?」


 しかし、なんだか手渡されたのが青年にとっては嬉しかった。なんやかんやで、結構気を許してくれているのか――そうして少しの間手渡されたそれを見つめているうちに、少女の方から声があがった。


「ど、どーかな?」


 そう言われて、青年は顔を上げた。ベージュを基調にし、白で柄を描いた軽やかな外套を纏って、少女がひらり、と一回転して見せてくれた。


「……うん、悪くないんじゃないかな」

「な、なんだよ……良くもないのか?」

「ははっ、いや……君の流儀に倣ったつもりなんだけどね」

「うん? それって、どういう……」

「君が今身に纏っているそれを受け取る時、自分がなんて言ったか思い出して見ると良いんじゃないかな」


 そう言われて、少女はきょとん、とした顔をして――すぐにぽん、と音でも出たかのように真っ赤になった。


「ちちちちちがっ! あ、アタシはそんなつもりは……!」

「成程成程、あぁ、飯が冷めちまうぞ? いくら外が暑いっつったって、飯は温かい方が美味いしな」


 青年は自分の顔がにやけるのを抑えきれないのを自覚しながら、少女の傍らに置いてある皿を指差した。


「ち、違うし……そんなんじゃないし……」


 少女はぶつくさ言いながら帽子を深くかぶり、今度は黙々と料理を食べ始めた。しかし時折新たに羽織ったそれを見て、口元が緩んでいるのが青年の目からも見えた。何にしても、満足させられたようなので、青年はほっと胸をなでおろした。


 そんな安息の時も、遠くから巻き上がる砂埃といななく馬の鳴き声で吹き飛んでしまった。


「な、なんだなんだ!?」


 異変の正体を突き止めるべく、青年は騒音のする方へと向き直る。だが、まだ距離があり、青年の目からは確認できない。


「……どーやら、さっそく出番のよーだな」


 空になった皿を置き、少女は立ちあがった。ネイがポンチョを右肩の方へと引っ張ると、肩まで巻かれた包帯の留め具が露わになった。成程、ポンチョを脱がなくとも外せるようにするために、穴を大きめに作れ、とのことだったらしい。少女が左手で留め具を弾くと、ポンチョの下から赤い包帯が蛇の抜け殻のように流れ落ちた。


「って、君がそれを外すと言う事は……!?」

「あぁ、そういうことだ!」


 そして少女はライフルの包みを外し、短剣を銃口に込めて、右の手で十字を切った。

 

 ◆


 幌馬車を走らせる男の顔が、恐怖に歪んでいる。それもそのはず、鼈甲色の鎧に包まれた巨大な蛇に追い掛けられたら、普通はあのように助けを請うだろう。しかし、隊商なのであろうか、馬車は数台、馬に乗った男たちも数名と、結構な人数が居る。


 巨大な蛇が馬車を押しつぶさんと頭を上げる――ここからでは、まだ間に合わない――だが、少女のすぐ隣から、一筋の帯が伸びた。ネッドがリボン状の帯を蛇の目のあたりに巻きつけたのだ。


「うぉ、うぉおおおおお!?」


 当然、蛇はそれを外そうともがく。ネッドの力ではその怪力に抗う事も出来ず、足が浮き、蛇の頭の動きに合わせて青年の体も宙を泳いだ。


「ネッド!」


 相棒の緊急事態に、思わず名前が出てしまった。少女は地面を蹴り、青年と蛇の頭の中間、一人と一匹を繋ぐ帯を目指して跳んだ。そのまま右手の巨刃で一閃、繊維を斬ったことで、青年の体は重力に従って落ちていった。少女も左手で帽子を抑えて着地し、青年の方を見やった。


「い、いでで……」


 どうやら、落ちた時にすりむいたらしい。頬から血が流れている。だが、大したことはなさそうで――少女はほっと息を吐き、逃げていた一行も離れたことを確認し、今度は送るべく相手の方へと向き直って、背を向けたまま青年に指示を出すことにした。


「お前は、あいつらを安全な所へ!」

「あ、あぁ! そっちは頼んだぞ!」


 背中に馬車が離れていく音を感じながら、少女は巨大な化け物――暴走体オーバーロードと向き合い――。


「さぁ……送ってやるよ、あるべき所へ」


 少女の指の動きに誘われるように、蛇の頭が襲いかかる。だが、遅い――少女はそれを跳んでかわした。辺りに凄まじい砂埃が舞ったが、気にすることなく、そのまま少女は巨頭に着地した。


「……それじゃ、今度こそ安らかに逝けよ?」


 右手の力を解放し、押しつけた銃剣の引き金を引く。凶器から噴出する蒸気と共に、辺りに鼈甲色の水晶が舞い散った。少女が大蛇の頭から飛び降り、再び十字を切った。少女の背後で蒸気が噴出し――恐らく、元の小さな亡きがらに戻っているであろうそれを確認しようと、少女は振り向こうとした。


 だがその前に、一人の女と目があった。幌馬車の後ろから少女を見つめる二つの翠の美しい瞳。その眼は驚きでも恐怖でもなく、ただじっと、少女を見つめている。美しい金の髪、まるで人形のような――精巧な細工のように整った顔立ち。なんだか、それは遠い日の面影をそのまま映し出しているようで――。


「……リ……サ……?」


 そのつぶやきは、まるで他人の口から出たように感じられた。



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