6-5


 ◆


「くっ……お兄様、大丈夫ですか!?」


 この手にある木の棒を精製することで、今回のヤマで三つ目の輝石がその役割を終えてしまった。それでも兄を助けんと踏ん張り、鉄橋のきわで、なんとか杖を握りながら、ジェニーは兄に声をかけた。


「あ、あぁ……だが、ジェニー、お前は……」

「だ、大丈夫……今、ブッカー達が来るから……」


 だが、やはり女の細腕という事なのか――認めたくは無いが、自分の力で引きあげることが不可能なのは勿論、体が徐々に谷底の方へと引きずられていく。先ほどまでの連戦で、相当疲弊しているのもあるが、それにしても腕が、ちぎれそうな程重かった。

 歯を食いしばりながら下を見ると、そこには兄の笑顔があった。だけど、それは頑張れと、応援してくれているような笑みではなかった。何かを諦めた風な、そんな笑顔。


「お、お兄様……?」

「……大丈夫だ、ジェニー。俺は、罪を償わなきゃならないんだ……それは、生きて行わなければならない。そうだろう?」

「え、えぇ! そうや、だから……あう!?」


 諦めないで、は言えなかった。また、体が引きずられ――ブッカーとネッドが近づいてくる音が聞こえる。でも、まだ遠い。


 兄はポケットに片方の手を入れ、日の光を返す銀色の何かを取り出した。


「……これを、預けておく。絶対に、取りに戻る。もし、お前に助けが必要な時が来たら、必ず駆けつけるから」


 そしてそれをこちらに投げてくる。鉄橋のレールにぶつかったハーモニカが、渇いた音を立てた。


「ま、待って、おに……!」


 兄の手が、杖から離され――下は、深い深い緑――五月のもえる森林の中に、兄の優しい表情が吸い込まれていった。


「いやぁあああ! お兄様ぁああああッ!!」


 杖を落とし、なんとか兄に追いつかんと身を更に乗りだす。だが、それは足に巻きつかれた何かで制止させられてしまった。ネッド・アークライトが、ジェニーのくるぶしに、帯状の繊維を巻き付けたのだった。


「落ち着けジェニー!」

「お嬢、落ち着いてくだせぇ!」


 何か声が聞こえる。だけど、心がここに無くて、なんだか現実味も無くて――少しの間、下を見ていた。正午過ぎの空は青いのに、眼下の森林に水滴が流れ落ちていくのが見えた。それが自分の涙だと気付くのに、少し時間がかかった。しかしなんだかそのおかげで、我を取り戻すことができた。


「……ごめんなさい、少し取りみだしてしまいました。ちょっと、手を引いてもらえますか?」


 後ろに手を出す。握ってくれたのは、ブッカーだった――後ろを見ずとも分かる。この十年間、自分を護り続けてくれた、大きな手だから。


 立ち上がり、辺りを見回す。線路の奥では男たちが何名も列車から飛びだし、毛玉ボール、もといクェンティ・バーロウを取り囲んでいる。その奥で、パイプをふかしている初老の男と目があった。どうやら、向こうは笑顔のようで、気前よく右の手を上げて挨拶をして、そしてこちらへ向かって来た。


「……シーザー・スコットビル……」


 ぽつりとつぶやくジェニーの傍に、ネイ・S・コグバーンが近づいてきた。なんだかおろおろしているというか、どう声をかけていいのか分からないのだろう、心配そうにこちらを見ている。


「……その、大丈夫か?」


 心の中がぐちゃぐちゃだった。もう、哀しめばいいのか、怒ればいいのか、はたまた無気力にでもなればいいのか――だがその時、視界の端に銀色の何かが映った。ジェニーはそれを拾うべく、近づいて行き――。


(……そうやな。信じるで、お兄様)


 ハーモニカを拾い上げ、口に付けて息を吹き込んでみた。なんとも間抜けな音が、青空へと消えて行った。


「あ、あの……」


 少女が、再び声をかけてきた。ジェニーの行動に、どう反応すればいいのか分からないらしかった。


「えぇ、大丈夫ですよ……だって、お兄様は約束を守る性質でしたから」


 とりあえず、後で練習しよう。それで再会出来たら、上手に演奏して驚かせてやればいい。ジェニーはハーモニカを自らのポケットに入れて、少女と、他二名、こちらも心配そうな表情を晴らすため、強い笑顔で答えた。


「やぁ……君は、確か……キングスフィールド家の御令嬢ではないかね?」


 背中に、低く落ち着いた声がかけられる。我が宿敵が、すぐ後ろに居る――だが、今はその時ではない。ジェニファーは笑顔を崩さず、シーザー・スコットビルの方へと振り向いた。


「元、ですけれどね。まさか知っておいでになるとは、正直意外でした」

「いや、何……最近西部で名を上げている女賞金稼ぎ、それが南部出身と聞いて、興味を持ってね……恨んでいるかね? 私のことを」


 大離散を行った後のキングスフィール家の土地は、スコットビルに安く買いたたかれた。幼いジェニファーは、それを止めることなどできはしなかった。しかしそのおかげで、南部の綿花が鉄道により安く北部に供給されるようになったのだから、皮肉である。


「……恨んでいない、と言えば嘘になりますわ。ですが、あの時の私には、何の力もありませんでした。そして、それは今もまだ……貴方と戦うには、力が足りません」

「ほぅ……?」


 失礼になるかと思ったが、むしろスコットビルは嬉しそうに頬を釣り上げた。噂通り、好戦的――いや、物腰は柔らかいのだが、この男、戦う事が好きなのだ。それは決して、ただ暴力で、という意味では無く、知力、資金力、己の全てをかけて、相手と戦う、そういった類いの闘争を好む――だが、その実力が本物であったからこそ、この男は現在この国の最も偉大な資本家の一人となり、鉄道王とまで言われるようになったのである。


「ふふ……いや、素敵だキングスフィールド君。このごろ、私と競い合ってくれる相手は、なかなか居なくってね……」

「……私は、力が足りないと言ったのですが」

「いやいや、逆を言えば戦う意思はあるということだ。それで十分。君が良き好敵手になってくれることを、期待しているよ」


 そして、パイプを持つ手で挨拶をしながら、スコットビルはネッドの方へと歩いて行った。


「それで……ダゲットは、どうしたかね?」

「あぁ、それなら……ネイ、どうなった?」

「アイツなら、向こうの林の中で伸びてるはずだ……でも……」


 ネイは帽子を深くかぶって、俯いている。そして言いたいことが決まったのか、真っ直ぐに初老の紳士を見据えて口を開いた。


「フランク・ダゲットは悪い奴だ。でも、それでも、どうか殺さないでやって欲しい」

「……ふむ、では、どうしろというのだね?」

「軟禁……も、可哀そうだけど、仕方ないか……とにかく、アイツだって死にたくないはずなんだ。だから……」

「ふふ、お嬢さん、君は一つ勘違いしている」

「……え?」

「世の中には、自らの命よりも重いものを背負っている人間も居る。自分の命と投げ捨ててでも、戦う人間だって居るのだ……あの男は、果たしてどちらの人間であるか、君は理解できていないらしい」


 そこでスコットビルはパイプを一吸い、少女にかからないように、しかしやれやれ、という調子で、横を向きながら煙を吐き出した。


「で、でも、アイツは前、大ケガして逃げ出したんだぞ? それは……」

「……さぁ、どうだろうか。まぁとにかく、約束しよう。ダゲットは殺さない。このシーザー・スコットビルの名に誓ってな……これで、構わないかね?」


 そんな口約束など、破るのは簡単だし、仮にどうしたか処遇を聞いたって、「アイツは軟禁している、場所は言えない」の一点張りで処刑してしまうことだってできるのだ。

 だが、あの男が我が名において誓ったのだ。それは、何故だか何にも代えがたい説得力があるように見えた。それを少女も感じ取ったのか、少し安心したような表情を浮かべていた。


「あぁ、頼むぞ……それにしてもオッサン、強かったんだな。アタシ達なんか雇わなくたって、良かったんじゃねーか?」

「「ばっ……!?」」


 今の声は、ネッドとジェニー、二つが重なったものだ。あのスコットビルをオッサン扱いとは、この少女、侮れない。

 しかし、スコットビルは気にした様子も無く、むしろ笑って答えた。


「はは、いや……私が君たちに依頼したのは、フランク・ダゲットの捜索と捕縛さ。協力出来たら、とは言ったが、賞金首を掴まえてくれ、などとは頼まなかったはずだよ?」


 つまり、襲撃されたとて、自分一人でどうにか出来たと、そう言いたいらしい。確かに、この男ならばゴーレムなぞ素手で解体しそうであった。


 ◆


 その後、林の中から気絶したフランク・ダゲットが、スコットビルの部下に運び出され、汽車へと収容された。


「それでは、アークライト君。謝礼は、後でハッピーヒルの駅舎で受け取ってくれたまえ。三日で用意させよう」

「あ、はい。分かりました」


 青年が返事を返すと、スコットビルは颯爽と去って――いかなかった。思い出したかのように青年をよけて、後ろにいるジェニファーの前に立った。


「あぁ、そうだ。これを渡し忘れていたよ」

「……? なんですか、これは……」


 言って、ジェニファーの動きが止まった。両の手で持った紙をしばらく凝視し、今度は持つ手が震え始め、そしてなんとかといった様子で口を開いた。


「せ、請求書……?」

「いや、あの惨状をどうにかしないといけないからね……やったのは、主に君だろう?」


 そう言って、スコットビルが線路の向こう、汽車があるのと反対側の陸地を指差した。そこは、大地が抉られ、隆起し、様々な破片やら何やらがとっちらかっていた。多分、いや絶対に、向こう岸の線路は使いものにならなくなっているはずだ。


「ジェニファー・F・キングスフィールド……君、自分が何という風に噂されているか、知っているかね?」


 あぁ、そうか――青年にも、聞き覚えがあった。女の術者と、褐色肌の男の二人組の賞金稼ぎ。二人で地殻変動レベルの戦闘を繰り返し、周りに災禍を振りまく。その激しさ、唐突に現れ、過ぎ去っていくその様からついた二つ名が――。


「駆け抜ける嵐、ハリケーン、ハリケーン・ジェニーか。まさしく、その通りだな」


 青年は、笑ってしまった。


「で、でもですよ!? 賞金首から、橋を護ったのです! そこは是非考慮していただいて……」

「あぁ、分かっている……橋が壊れなかったのは重畳だった。だが、如何せんこんな山奥ではね、資材を運ぶのも、工員を連れてくるのも大変だ。それに何より、このままではこの列車も向こうへ渡せないし、他の列車も直るまでは運休せざるを得ない。これはかなりの経済的な損失だ。勿論、我が社に敵対するならず者を倒してくれたことは感謝しているし、その功績で差し引きして、その額だ」

「で、でもでも、十万ボルって……!?」

「ちなみに、えぇっと……そうだ、バーロウを掴まえたのは私だ。その賞金は、君にはあげられないな」

「うっそやろ!? ……ブッカー、貯金は!?」


 泣きそうな主の声に、ブッカーは肩をすくめ、苦笑いで答えた。


「……この前の銀刀の賞金だって、今までのツケでほとんど払っちまいましたからね。爆炎のやつの、一万ポッキリってとこでさぁ」

「んがっ!? ……これ、どーすんの!? どーするんや、私!?」


 政治資金を集めているとはなんだったのか。碌に貯金もたまらず、腕だけどんどん強くなっていく――しかし、最初に青年がジェニーに抱いた感想は、当たっていたと言う事だ。


「アイツからは、金が逃げていくと……」

「……おい、また一人で納得してんじゃねーよ」


 横から少女のツッコミが飛んできた。


「でも、その……お前さ、あれ、どーにかできねーかな? 暴れたのは、アタシ達もだし……」


 災害のメインはやはりあの二人なのであるが。そう考えると自分たちの能力はエコだなぁ、青年はそう思った。

 だが、自分たちが暴れたのも事実であるし、何より例の約束もある。後方に置いていた荷台――今回の馬はやはり偉い、逃げていない――から、金貨の入った袋を取り出し、青年はそれをスコットビルに渡した。


「この金は、キングスフィールドが稼いだものです。中に五万ボル入っています……あと、フランク・ダゲットの五万で、十万です」

「ね、ネッド!? そんな、憐れみは……」


 そこで、青年は人差し指を突き出し、女の言葉を止めた。そして渾身の得意顔を作った。


「物の価値を決めるのは、神の見えざる手ではなく……人間です」

「……くっそぉおおお! この皮肉屋のヒモ野郎、やめ、やめーやぁあああ!」


 まさか額面で五百倍返しをくらうとは思ってもいなかったのだろう、自分の言ったカッコいいセリフを犯され、女は顔を真っ赤にし、それを隠すために両手で顔を覆った。


「……いいのかね? それでは君たちの骨折れ儲けになってしまうが」


 黙ってしまったジェニファーの代わりに、スコットビルが尋ねてきた。


「えぇ、ドンパチ暴れたのは、俺達も同じですからね。その半額は、こちらにも責任がある、そういうことです」


 正直、路銀は心もとないので、結構苦肉の決断ではあった。だが、ここは五万、払う価値がある。その価値を決めるのは自分。それはまぎれもない事実だった。


「そうか……そう言うのなら、そういうことにしよう。それでは私は、ここで輝石を護らなければならないのでね……もう行ってくれて大丈夫だ。君たちの明日が良きものであるよう、祈っているよ」


 爽やかな微笑を浮かべ、スコットビルは汽車の中に戻った。社長自ら警護にあたるとは、しかし先ほどの実力を見る限り、それが一番安全なのも間違いなさそうだった。



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