3-5


 そして二人は雪の僅かに残る谷の底に到着した。確かに、残雪に所々、馬の蹄の跡が見える。だが、このまま先に進むのは危険だ。どこか見えにくい所から、仮面の男の狙撃を受ける可能性がある。


「ネイ、君の目が頼りだ……アイツが狙っていないか、注意してくれ」

「あいよ……つっても、アタシも万能じゃねーからな? いきなりズトン! とされても、文句言うなよな」


 そして、少々ペースを抑えて、警戒しながら進んだものの、どうやらこの渓谷では狙われていなかったようで、光が溢れ出る洞窟まで辿り着いた。


「……まさか、追ってくるとは、思ってなかったってことかな?」

「どーだろーな……しかし、馬がいねーぞ? まさか、中に連れて行ったのか?」


 確かに、付近に真新しい足跡はあるのだが、付近どこにも馬は繋がれていない。


「すでに、場所が分かったと言う事で、撤退したのか……はたまた罠か……」

「どっちにしたって、虎の、し……尻に手を突っ込まなきゃ、お宝はねーんだろ? コグバーンが言ってた」


 少々お下品な表現になってしまったせいであろうか、少女は顔を赤らめながら言っている。だが、恥ずかしいなら言わなければいいのに、しかし自分を追い詰めていくこのスタイルこそが、少女の可愛らしい所であろう。


「あぁ、その通り……ただし、尻じゃなくて穴な。虎の巣のことね。まあ、両方穴だけどさ」

「なっ……!?」

「はいストップ……油断してると、虎に食われちまうぞ? まぁ、虎というより禿鷹と鬼って感じだけどな」


 ネッドは馬を付近の適当な木に繋ぎ、洞窟の入口の横に体を張りつけ、ゆっくりと中をのぞき見た。中は、普通の岩壁になっているが、間違いなく奥の方から、琥珀色の光が溢れ出て来ている。


「……こんなに明るいなら、入口で張ってるってことは無さそうだな……」

「あぁ……まぁ、とにかく入ってみようぜ」


 ネイはライフルを背負い、左の手でリボルバーを抜き出しながら、青年の言葉に答えた。既に、いつでも戦う準備はOKということだろう。


 ゆっくりと、洞窟の中に足を運びいれる。どんなに足音を殺そうとしても、狭い空間で、音が反響してしまう。これでは、狙ってくれと言っているようなものであろう。


「……ネイ、あの男の狙撃には気を付けろよ。いくら南部式銃型演武の達人といえども、あの弾速は厄介だろう?」


 どうせ侵入したのがばれるのならば、こそこそ喋る必要も無い。恐らくあの男の能力は、物体運動の加速。引き金を引くのとほぼ同時に着弾する程の速度であるから、その運動力で、自らの防御を突破した――そのように青年は判断していた。あの長い銃身も、その特性を活かすため、狙いがつけやすいようにするために使っているのだと予測できる。ライフルだと一発ずつ装填しなければならないから、六発装填可能で、非常に貫通力の高い、狙撃向きのあのロングバレルのリボルバーが、奴にとっての最良の武器なのだ。


「りょーかい……むしろ、お前の方が気を付けろよ? 足が遅い上に、自慢の上着も役に立たないんだからな」

「……うっす」


 役に立たないと言われて、ちょっと傷ついてしまった青年がいた。


 しかし、道中何のことも無く、二人は少し開けた所へ出た。そこは、二十メートル四方といった広さで、壁や天井には鼈甲色に輝く水晶が辺り一面から突出している――それは、本当に突出していて、刺されば痛そうなほどであった。


「うわっ……輝石の鉱脈なんか初めて見たけど、凄いなコレ……」


 売れば、一体いくらになるのか、青年がそんな勘定をしようと思った瞬間、隣の少女が少しふらついた。


「お、おい? どうした、大丈夫か?」

「あ、あぁ……なんだか、一気に明るい所に来たせいか、ちょっと立ちくらみがしただけだよ。問題ない」

「ふむ。まぁ、無理はしないでくれ……うん、状況によっては、無理してもらうかもだけれど」

「だから、大丈夫だって。むしろ、テメーはテメーの心配をしていな」


 減らず口も叩けるようなので、確かに大丈夫そうだ。そして、改めて辺りを見回す。どうやら、この空間よりも、まだ奥の方までありそうである――その、奥の横穴を見つめていると、そちらのほうから足音が響いてきた。二人は、即座に身構える。


「来たね」


 その声は、青年にとっては先ほど聞いた声であったし、少女にとっては、昨日からずっと聞いていた声であろう――水晶の輝く空間に、ジーン・マクダウェルが姿を現した。


「……フランク・ダゲットは?」


 青年が、即座に質問する。無論、正直に返ってくるとは思っていないが――いや、あの女は嘘はつかなそうだ、青年はそう思った。


「気付いてたんだね……まぁ、私にはどうでもいいことさ。アイツなら、鉱脈の場所が分かって退いて行ったよ。私は、お前らがここに来ると踏んで、待ってたんだ」

「どうして来ると思ったんだ?」


 そこで、銀髪は美しい顔の口元を、僅かばかりに引きあげて答える。


「女の勘」

「……確かに良く当たりそうだ」


 自信満々に答えられてしまったので、青年も納得するしか無かった。そして、そのままジーン・マクダウェルは表情を引き締め、青年の隣に立つ少女を見つめる。


「そう、お前との関係に……過去にケリをつけるために、ここで待ってたんだ。なぁ、ネイ」


 それに対し、少女は無言だった。横を見ると、何か考えているようで――だが、すぐに決意を顔に浮かべて、口を開く。


「分かった。ただし、私が勝ったら……色々、聞きたいことがある」


 それを聞いて、ジーンはすぐに笑った。それは、先ほど見たような狂喜の笑いというよりも、どこか優しい笑顔だった。


「はっ……勝つつもりだと言うだけでも可笑しいのに、私を殺さず止める気か?」

「あぁ、そうだよ……アタシは、そのつもりでここに来た」


 そして、少女はズボンのポケットから、オルゴールを取り出した。


「こいつで、決着を付けよう。ルールは、さっき見たから大丈夫だ」

「さっきは邪魔が入ったけどな……」


 そう言って、ジーンは青年の方を向いた。どうしたものか、手助けするべきかしないべきか――少し悩んでいると、少女が声をかけてくる。


「頼む、手出しはしないでくれ。これは、アタシと、アイツの問題だ」

「……勝つんだな?」


 青年の心配を吹き飛ばすように、少女は笑顔で青年に応える。


「とーぜんだよ! だって、アタシ達には、明日があるんだから……そうだろ?」


 そう言われて、青年は心配してしまったのを申し訳なく思ってしまった。これ程の決意があるのだから、青年に出来ることといえば、少女の勝利を信じることくらいである。


「さ、こいつを持って、立会人ごっこでもやってくれ……今度は、本気で行くから」


 青年に機械細工を渡し、少女はポンチョのボタンに手を掛けて、そのまま外套を脱ぎ棄てた。そして、今度は包帯の金具を外し、ライフルに銃剣を差し込み、シリンダーを起動させ――そして、巨大な銃剣を手にした。


「分かってると思うが、死にたくないならアタシに触るなよ?」


 少女の今度の笑いは、戦闘に臨む戦士のそれだ。相手をけん制するような、そんな笑い方であった。


「ふっ……死ぬのは、お前だがな」


 銀髪の剣士も、それに笑って応える。こちらも、先ほど一瞬見せた優しさなどはなく、ただ戦う事を楽しむような、そんな笑みであった。


 青年は少し離れて、丁度座りやすそうな場所を見つけ、そこに腰かけ、オルゴールのハンドルを回し始める。


(信じてるからな、頼むぞ……)


 青年は無神論者なので、祈るべき神などいない。だが、自分にはどうしようもないこの勝負には、ただ祈ることしか出来ない。信じることができるのは、ただ赤い文様の走る腕の少女のみ――青年は覚悟を決めて、ハンドルから手を離した。


 青年の手の上で、精巧な機械仕掛けが歌いだす。すっかり馴染んでしまった、というほど聞いていないのに、これほどまでに懐かしさを感じるのは何故であろうか。見れば、二人の戦士が、眼を瞑り、自らの得物を構え、そして、集中している――だが、その時、ふと少女の方の口が開いた。そこから紡がれるのは、青年があの夜明けに聞いた歌であった。そして、それに一瞬驚いたのか、銀髪は眼を開けて、少女の方をやや眺めた後、同じように歌いだした――オルゴールの音を背景に、二つの美しい歌声が合わさる。辺りは幻想的な光と、音楽に包まれて――これから峻烈なる瞬間が訪れるだなんて嘘かのようであった。


 解け合い混じった歌声が、だんだんと消え入り――二人にとって、大切な曲なのだ、このメロディがいつ終わるか、二人にとっては分かりきっているはずである――青年の手の中で、オルゴールはしだいに動きがゆっくりになり――そして、二人の戦士が、同時に眼を見開く。


 走る銀の流線、響く剣戟の音、吹き出る蒸気――青年の眼にはほとんど追えなかったが、ネイがその巨大な刃の峰を左手で支え、ジーンの剣を首の手前で止めていた。


「ちっ……!」


 銀髪の剣士が、後ろに跳ぶ。しかし、直後黒髪の少女が地面を蹴り、間合いを詰める。


「オラァ!」


 そして、相手の着地を狙い、剣先を突き出し一気に突撃する。あの銃剣の一撃は、当たればただでは済まない――だが、きっと相手も達人であると信じていたからこその突きだったのだろう、マクダウェルは着地の瞬間、左右に避けることもままならないので、刃の腹を左手で抑え、自らの眼前に押し出し、少女の刃を止めた。


「くっ……!?」


 だが、予想以上の威力であったのだろうか、ジーンの顔が歪む。そして、女の刃にひびが入るのが見える。そこで終わりならば、まだ勝負は分からなかったかもしれない。


 しかし、少女の銃剣は、ここからが神髄である。


「砕けろッ!」


 怒号と共に、少女は引き金を引いた。刀身が火薬によって押し出され、そして、激しい音と共に、剣士の獲物は中央から砕かれた。


「がっ……!」


 そのままでは終わらない。衝撃の余波で、ジーンの体が宙を舞う。壁から伸びる水晶の槍の寸で手前に、女の体が叩きつけられ、美しい髪から帽子が落ちた。


「くっ……まだ……!?」

「……いいや、終わりだよ」


 ジーンが上半身を起こそうとした瞬間、すでに銃剣の切っ先が、女のすぐ先にあった。


「アタシの勝ちで、いいだろ?」

「……あぁ、お前の勝ちだよ、ネイ……」


 ジーンは、笑っていた。だが、それは何かから解放されたような、そんな笑みだった。


「私が恨むべき悪魔は、どこにもいなかったんだ……いたのは、私の知ってる、優しい子だけだったよ……」

「ジーン……」

「でも、まさかこんなに乱暴になってるとは、思いもよらなかったけどね」

「なっ、お前……!」

「ははっ、昔は、あんなに大人しかったのにね」

「……そんな、昔の事は言うなよ。さっきも言ったろ? いつまでも姉貴面してるんじゃないって」

「あはは。しかも口まで悪くなって……」

「……ふふ、それは、お互い様だろ?」

「違いない、あはは」


 二人は、やっと穏やかに、旧知として笑いあった。それを見て青年は、ほっと胸をなでおろすと同時に、何か温かいものを感じていた。


 そしてジーンは起き上がり、服に付いた埃を叩き落としながら、少女に声をかける。


「さて、聞きたいことがあるって言ってたね?」


 少女は武器を収めながら、かつての姉貴分を見つめて、神妙な調子で口を開いた。


「……皆死んだって、本当なのか?」


 それを聞いて、ジーンはまず驚いた表情を浮かべ、だがすぐに納得して、質問に答え始める。


「ふぅ……すまないね。ちょっと話を盛ったと言うか……居るよ、私以外にも、生き残りはね」

「ほ、本当か!?」

「あぁ、私が知ってる範囲だと、私とお前を含めないなら、生きてる可能性がある奴は三人居る。そのうち一人は、お前が出た後に被験者になった奴だから、話は割愛するぞ?」


 少女は、真剣に女の話を聞いている。その真剣なまなざしを、銀髪は真摯に受け止めている。


「……一人は、マリア、ロングコーストのマリアだ。もっとも、お前が居なくなってしばらくしてから、アイツも途中で施設から抜けたんだ。理由は、増える負傷者の救護のため……覚えてるか? アイツの能力は……」

「……他者の生命力の増強、つまり、治癒の能力」

「そうだ。それで、私も外に出てから探したんだが、結局見つけられなかった。だから、少なくとも施設で死んだ訳じゃないってだけで……今はどうなってるかは分からない」

「そ、そうか……それで、後一人は……?」


 少女の顔に、期待が籠っている。きっと、例の妹分が生きていないか――その希望が、抑えられないのだろう。


「……多分、お前はこの名前が聞きたかったんだね。仲良しだったもんな……」


 そこまで聞いて、少女の表情は嬉々としたものになる。生きてるんだ、良かった、少女はそう思ったに違いない。


「でも、聞いて嬉しい話かは、また別だけどね……リサは、少なくとも施設が無くなる直前までは居たんだよ。でも、戦争が終わった直後……気が付いたら、施設から居なくなっていた」

「……え?」

「事情は、ホントに分からないんだ。アイツの能力なら、確かに脱走は出来そうだけれど……でも、派手に証拠が残るはずだからね。脱走した形跡は無かったし、ホントにいつの間にか消えていて、そして……」


 少女の顔が少し曇るのを見て、ジーンは一旦言葉を切った。そして、ややあって、少し申し訳なさそうな顔をして、続ける。


「つまり、施設から力尽くで脱出したのは、私だけなんだよ。だから、消息までは分からない……すまない」


 少女は逆に、ジーンを謝らせてしまったことを申し訳なく思ったのだろう。はっとした表情を浮かべたと思ったら、少し笑顔になって返事を返す。


「うぅん、いいんだ。生きてる可能性があるって知れただけで、十分……これで、また一つ、生きる理由が出来たから」


 それは、間違いなく本心であった――少なくとも、青年はそう思いたかった。今、少女の顔に浮かんでいる微笑みが、彼女自身が無理やり作った笑顔なのだとしても、少しの光明は射したはずなのである。きっと、それはジーン・マクダウェルも同じだったのだろう、少し安堵したような表情を浮かべて、そのまま、優しい声で少女に声をかける。


「……そうか。それで? 聞きたいのはそれだけか?」

「いや、あと一つ……というより、お願いなんだけど。もう、悪いことはやめてくれないか? それで、アタシと一緒に……」


 そこで、少女は話すのを止めてしまった。きっと、一緒に行かないか、施設の生き残りを探さないか、そう言おうと思ったに違いない。それは、ジーンも察しているようだった。銀髪の女は一つため息、そして自らを嘲るような笑いを浮かべた。


「……駄目だよ、ネイ。私は、もうお尋ね者なんだ……罪を犯したんだ。人から物を奪った。そして何より、人も殺した。何人もだ……だから、お前と一緒に歩く権利は、私には無いんだよ」


 きっと、先ほどの果たし合いで、全てを察したのだ。少女がどうやって、この荒野を歩いてきたのか――少女は、施設の事を忘れたりしていなかった。誰を恨む訳でもなく、何かを奪ったりもしてこなかった――そんな優しい子と一緒に行くことが、その汚れた手では、やはり憚られたのだろう。


「そんなこと、ない。アタシも、罪を犯したんだ……」


 少女が呟くように漏らした一言に、ジーンも、ネッドも釘づけにされる。答えたのは、すぐ隣に居たジーンだった。


「えっ……どういうことだい?」

「ジーンが言ってたことで、正しかった事がある……それは……」


 ネイは、ジーンの方を向いた。青年には少女の後ろ姿しか見えない――果たして今、どんな表情をしているのか。


「アタシは、あの人を……」

「……!? ネイ! 危ない!」


 叫んだのは、ジーン・マクダウェルであった。その右手で少女の左肩を掴み、そのまま横に倒してしまう。


 直後、洞窟内に激しい音が木霊する――そして、銀髪の女の胸から鮮血が吹き出し、着弾の衝撃で、その体が後ろに飛んだ。


「……え?」


 その光景を、倒れた少女が眺めている。何が起こっているのか、理解できないような表情で――ただ、そのまま水晶に刺さる、かつての姉貴分の体を見つめていた。


(しまった! 警戒していたのに!)


 こういう可能性も、青年は考えていたのだ。だが、気を抜いてしまっていた――そして、すぐに入口の方へ振り向く。


「布使いの男! 動くなよ!? 今、お前の相方に狙いをつけている!」


 聞き覚えのある、壮年の声。そして、足音が近づいてくる。広間の明りに照らされて――すでに仮面は不要と判断したのか、素顔をさらしている――フランク・ダゲットが映し出された。


「二枚抜きを狙ったのだがな。小賢しくも気付きおったか」


 右手には、先ほどジーンを撃った木製ストック付きの長身回転拳銃があり、それで少女に狙いをつけている。そして左の裾から短い銃身のデリンジャーを取り出し、青年の方に近づき、眉間に突き立ててきた。


「……保安官が人殺しとはね」


 青年が手を上げたまま、憎々しげに吐き捨てる。


「ふん、何とでも言うがいい。そも、ここで行われた殺人は、賞金首と賞金稼ぎが共倒れになった、それだけのことになるのだからな」

「成程、そういう筋書きね……」


 少女の方を、ちらとのぞき見る。ネイは自身が狙いをつけられていることなんぞ意にも介していないのか、銀髪――とはいえ、服の横から覗く髪は赤くなってしまってる――の傍で、必死に何かを呟いている。それが居た堪れなくて、そして、この状況を作った男が許せなくて――青年はフランク・ダゲットをにらめつける。


「……ジーン・マクダウェルは、仲間じゃなかったのか?」

「私の雇い主が、暴走体を倒すのに使えと言って寄こしてきただけだ。ついでに、始末は好きにしろとな。無論、高額の賞金首だ。私一人では手に負えないから、最初は素直に分け前を出そうとしていたのだが、馬鹿なことに的にしてくださいと言わんばかりに棒立ちしてくれてたからな……しかしこいつら、私のペースを乱すだけで、何の役にも立たなかった。むしろ、君たちの方が、私のために良く働いてくれた位だ……そうだ、礼でも言おうか?」

「いや、結構……冥土にサンキューは持ってけないからな」


 しかしこの男、ベラベラと喋る。計画が上手くいって、嬉しくて仕方がないのだろう。だが確かに、自分たちが暴走体を倒し、鉱脈を見つけ、マクダウェル一家を全員のしたのだ。この男からしてみたら、自分たちが相当働いたと言うのも頷ける。後は青年と少女を処理して、自分はさも何も無かったかのように村の男たちを締め上げて、そして雇い主から報酬をせしめるだけ。コイツのために頑張った訳ではないのに――青年は奥歯を噛みしめた。


「……悔しいかね? だが、そんな感情とも、もはやおさらばできるぞ……まずは、お前から……!」


 男の人差し指に、力が入るのを感じる。ここで、終わりか――やはり酋長の言っていたことは、正しかったのか――そう思っていると、何か辺りの様子が変だと感じた。それは、ダゲットもそうであったのか、青年の頭にデリンジャーを突き付けたまま、声のする方を向いた。


「……ジーン?」


 少女の声が聞こえる。それは、今目の前に起こっていることが、信じられないような、どこか呆けた呼びかけだった。だが、それもそのはず――ジーン・マクダウェルが、歩いてこちらへ向かってくる――輝石によって空いた無数の穴があった場所から、蒸気を吹き出しながらである。


「ダげット……お前……裏切るツもりなんダナ」


 どこから音が出ているのであろうか、妙な感じで声が響いている。


「……死にぞこないが!?」


 保安官は青年から銃を離し、二挺の銃でジーンに向かって発砲した。その銃弾は間違いなく刺さったのだが、その場所からは、赤の代わりに、やはり蒸気が噴き出すのみである。


「私ハ……裏切リヲ……許サ……ァアアアアアアアアアアアアアアアア!」


 咆哮と共に、女の体の内から、鼈甲色の水晶が無数に飛びだし始め――そして、全身をエーテルライトのようなものに覆われた、赤髪の化け物へと変貌した。


(ま、まさか、コイツは……暴走体オーバーロード!? 人間が!?)


 青年は、内側に溢れるどす黒いものを感じる。それは、驚愕、恐怖――そしてなにより、絶望。折角、少女と分かりあえたのに、こんな、こんな結末になってしまうなんて――そう思うと、体の力が抜け、青年は動けなくなってしまった。


「く、来るな……来るな!」


 悲痛な叫びを上げながら、保安官は二挺の銃を順々に撃ち続けた。効いたのは最初だけ、今では暴走体の装甲を貫くこともできず、赤髪の化け物のゆっくりとした進撃を止めることが出来ずにいる。


 そして突然、赤い鬼が空間を切り裂くような叫びをあげながら、一気にダゲットに突撃した。男はそれをかわそうとするが、余りの速さに避けきることが出来ないようだった。


「うぐぅうううう!?」


 男の悲鳴。だがそれは、暴走体の拳で中断された――腹に一発、容赦なく撃ちこまれ、男は口から鮮血を吐きながら、遥か後方まで吹き飛ばされた。


 だが、それでは終わらない。まだ男には幾分かの余力はあるようで、這いずりながらも外の光を目指している。それをゆっくりと、ジーン・マクダウェルモノが追い掛ける。青年は、ただ茫然と、男が化け物に追い詰められる様を眺めていることしかできない。


 化け物が、男に追いつく。何か悲鳴が聞こえる。まず、右足がやられたようだ――男の足が、思いきり鼈甲色に踏み抜かれるのが見えた。苦痛に叫ぶ声、そして、それが煩わしいのか、化け物は男の口を押さえてしまった。


 あぁ、終わりだ――アイツは、ここで死ぬんだ。ネッド・アークライトは、どこか他人事のように、そう思うしかなかった。奴は死んで当たり前の奴であるとか、次は自分の番かもしれないなどとは、一切思わなかった。ただただ、眼の前にある暴力が凄惨で、それを見つめるしか無かった。


 だが、それを良しとしない者が一人だけ居た。それは、青年の前を走っていき――その時、やっと青年は我に帰った想いがした――旧知の足にすがりついて、泣きながら嘆願をしだした。


「ジーン、やめて! そいつは、悪い奴だよ……怒る気持ちも分かるよ! でも、死んでいい命なんか無いんだ! 奪っていい命なんか、無いんだよ! だから……」


 だが、かつての優しさなど、もはや微塵にも無い――暴走体は、少女を足蹴にして、吹き飛ばしてしまう。そして、少女を追いかけはじめた青年の手前に、少女の体が落ちてきた。


「あ……うぅ……!」

「ネイ! しっかりしろ、ネイ!」


 青年はひざまづき、少女の上半身を起こそうとする。だが、少女はそれを左の手で制止し、上半身を起こして口を開く。


「止めなきゃ……ジーンを、止めなきゃ……!」

「と、止めるって言ったって、どうやって!?」

「わ、分かんないけど……でも、このままじゃ……!」


 しかし、あの気迫は、大きさこそ人間であれども、最初に出会ったサソリの暴走体を遥かに凌ぐものがある。止められる唯一の可能性は――青年は、少女の右腕を見る。だが、すぐにその考えは打ち消した。


(……この子に、ずっと探していた仲間を、手にかけさせろっていうのかよ、俺は!)


 それは、どだい無理な話であった。しかし、アレは既に、少女の知っているジーン・マクダウェルではない。生ける屍、とでもいうのこそが適切だ――そんな風に考えていると、再び化け物は、這って逃げる男の方へゆっくりと向かいだした。


 放っておけば、きっとまた少女が止めに行く。そのたびに、少女は傷つくだろう――自らを受け入れてもらえないという心の傷は、殴られることよりも痛いかもしれない。あの男がどうなったって知ったことではないのだが――青年は踵を擦り、シリンダーを起動させ、腰から一番丈夫な帯を抜き出し、化け物の腕に巻き付けた。


「……さっき、俺はお前との勝負を投げ出しちまったからな……今度こそ着けるか? 俺との決着を」


 そう言いながら、空いている左の手の人差し指で、化け物を招き寄せる仕草をとってみた。輝石の装甲に覆われた顔にある、赤い眼が青年を睨みつけてくる。それを見て、青年はやはり逃げ出したくなった――それほどの恐怖が眼の前にあった。


「お、おい、お前!?」


 少女が、驚いて青年に声をかけてくる。だが、少女を戦わせる訳にはいかないのだ。それならば、今戦えるのは、自分しか居ないのである。


(……君に恨まれたっていい! だから、アイツは俺が……!?)


 逃げぬために、自分を奮い立たせようとした瞬間、挑発に乗せられて、赤い髪を流しながら、水晶の塊が青年の方へと一気に跳躍してくる。


「……クソっ!」


 その速度は、青年には避けきれるものではない。相手の腕に巻き付けていた帯を離し、青年は防御に専念する。空気が一瞬唸ったと思った直後、青年の胸に、化け物の肩が刺さった。


「うぐっ……!?」


 それは、銃弾なんぞと比べ物にならない威力。踏ん張ることもままならずに、青年の体は、再び後方の広間の方へと吹き飛ばされる。苦痛に悶えながら元居た場所の方を見ると――既に化け物は間合いを詰め、青年に更なる追撃をかけようとして来ている。


「……がぁああああああ!」


 もう一撃もらったら、それこそ意識でも飛んで、そのままやられてしまう。青年はリボンを取り出し、天井から突き出ている水晶にそれを巻き付け、一気に腕を引いた。青年の体が浮上し、暴走体の鋭い右の拳は、唸りを上げて宙を切る。


 だが、安心するのも束の間、天井に近い位置にぶら下がっている青年に再び狙いをつけ、化け物の体が突進してくる。青年は今度はリボンに電流を流すのを止め、そのまま下に落下した。着地の瞬間、上で何かが砕ける音がする――突き出た輝石が、氷柱つららのように落下してくる。


「う、うぉおおおおお!?」


 それを避けるため、青年はやや間抜けな声を上げながら横に飛んだ。何が恐ろしいかと言えば、暴走体が天井を蹴り、水晶の落下よりも早く、青年の居た場所に足を突き立てたことであった。


(くそ! さっきから逃げてばっかりだな、俺は!?)


 もはや相手は理性がないのか、ただ我武者羅に、一直線にこちらを目掛けて飛んでくる。幸いにして、繊維を引っ掛ける場所が多くあるため、複雑な動きで相手を撹乱することは出来る。しかし、こちらからは一度も攻撃が出来ていない。このままではジリ貧で、何時か捕まってやられる、それだけだ。


 ふと、少女の顔が視野に入った。その顔には、どうすればいいのか分からない、そんな表情が浮かんでいる。青年とジーンに戦って欲しくは無い、でも、自分には何もできない、そういう葛藤の中で苦しんでいるようだった。


 だが、ふと少女の顔が、驚愕に変わった。


「おい! よそ見してるんじゃねぇ!」

「えっ……?」


 少女の指示は、余りにも遅く、暴走体の膝が、綺麗に青年の腹に入りこんだ。


「……がはっ!?」


 先ほどよりも、更に威力のある蹴り。口の中に熱いものが逆流してくるのを感じる暇も無く、青年の体は水晶の山に叩きつけられる。口から赤い液体が溢れ、背中と左の掌に激しい痛みが襲った。コートを強化してなければ、深々と刺さっていただろう輝石の槍は、それでも青年の能力を破り、鋼ほどの強度を以てしても、先端の侵入を許してしまったのだ。


 それにしても、相手はどんどん強くなっている気がする――だんだん、威力も速度も、増してきているのだ。最初の状態ですら、勝てる気がしなかったのに、こうなってはしまっては、本当に絶望しか無い。


(……何が、神様の度肝を抜いてやるだよ……このままじゃ……)


 痛みに瞑った闇の中で、死が自分の事を手を招いている、そんな気がしてならなかった。


「ネッド! ネッド! しっかりしろ!」


 少女の声になんとか意識を保ち、青年は顔を上げる。しかし現実は非情で、死の御使いが情け容赦なく、青年をその拳で押し込もうとしていた。


(いや、俺は……!)

「死なないッ!」


 弱い心に負けないために、青年は叫んだ。まだ、生きているのだ、最後の一瞬まで、諦める訳にはいかない。全力の力で以て、コートを強化する。だがそれは防御のためではなく、攻撃のためだ。


「ガァァァアアアッ!」

「うぉおおおおおッ!」


 いつもにも増して、体が熱い――相手の攻撃に合わせて、リーチの勝った青年のコートの裾が、槍の先端となって相手の胸部を突く。激しい音がすると同時に、保安官の銃撃すら跳ね返した相手の装甲が、僅かに削れ、確かな衝撃となって暴走体を吹きとばした。そして直後、背後から蒸気が溢れ、壁の輝石が熱を失い、ただの石と化した。


(……そうか! ここなら、俺にだって周りは武器だらけじゃないか!)


 本来、輝石は精製しなければ有効活用はできない。それは、エネルギー効率が良くないからだ。だが、今はそんなことを気にしている暇は無い。使えるものは使って、それで勝てれば――そう思ったのだが、それは相手も同じことらしい、むしろそれよりなお悪いのだろう、吹き飛ばされたジーンが、辺りの輝石に触れたかと思うと、口の部分がからこの世の物とは思えないような絶叫をしながら、エネルギーを補充している。そしてすぐに胸部の装甲が元に戻り、青年が使ったのよりも多くの輝石が蒸気を噴き出し、そのまま石となっているのが見えた。


「……なんか……もう……お前、ずるくないか?」


 息も絶え絶え、その上でもはや、青年からはこんな感想しか出てこないかった。それにしても、先ほどの傷で動き周ることすら難しい。こちらのダメージは理解しているのか、その場から動けずに息を荒げる青年に対して、その赤い瞳で凝視しながら、ゆっくりと暴走体は近づいてくる。


「くそっ、まだ……だ……」


 だが、青年はそのままその場に膝から落ちてしまう。体から、かなり血が出ている――昨日狙撃された傷口も、開いてしまっている。意識も朦朧としてきた――足音が聞こえてくる――それは、二人分だった。


「……え?」


 青年が、なんとか顔を上げると、少女が両の腕を広げて、青年の前に立っている。


「……もう、やめてよ……お願いだよ……!」

(やめてくれよ……君だけでも、逃げて……)


 先ほど、逃げるように言っておけばよかったのだ。このままでは、二人ともやられてしまう。赤髪の鬼が少女の前に立つ。そして、腕を振りあげた。これから繰り広げられる光景を、青年は耐えられそうにない――それで、反射で眼を瞑ってしまった。


 だが、何の音もしない……恐る恐る瞼を開けて見ると、先ほどから一寸も動かずに、水晶の化け物は停止していた。


「ガッ……ア……ネ……い……」

「ジーン!? 意識が……!」

「グル……ジ…ア…ガ……ッ!」

「ジーン!? ジーン! お願い、頑張って!」


 だが、少女の懇願も空しく、ジーンは再び絶叫を上げた。まだ最後の良心が、暴走する体と戦っているのだろう――ジーン・マクダウェルは広間の中央へと後ずさりをした。


 止まない咆哮、それは、青年の眼からも、苦しんで、もがいているようにも見えた。しかし、哀しみに浸る暇などなく、ジーンの慟哭と呼応して、周りの輝石の光が点滅しだす。どうやら、力が逆流して、それに苦しんでいるようであり――溜まった物を放出するための場所を求めているようにも見えた。


「……分かったよ、ジーン……」


 呟くような声。そのまま、少女は自らのライフルを拾いに行き、先ほど使った空の薬莢を排出し、新たな実包をその中に詰めた。そして再び、腕の文様が赤く染まり、武器を巨大な刃へと変形させる。


「アタシがあげられるのは……こんなもんしか、ないんだけどさ……」


 青年には、その後ろ姿しか見えない。それでも、その身に合わない武骨な刃を構える背中は、なんだかないているように見えた。


「だ、駄目だネイ! 君は……!」


 嫌だったのだ。少女が、傷つくことが――心の枷を増やして欲しくなかったのだ。

 だが、その心は少女にも分かっていたのだろう、哀しげな笑顔で、青年に向き直って、言葉を紡ぎだす。


「……ありがとう、アタシに、気を使ってくれて……アタシのために、戦ってくれて。でも、大切な人だからこそ……アタシは、その罪を背負わなきゃならない」


 そして、両の手で、その優しさとはあまりにも不釣り合いな刃を構え、啼いている赤い鬼と対峙した。


「だから……せめて、安らかな死を!」


 強く言いきって、少女は走り出す。


「うぁぁぁあああああああああ!」


 そして、その先端を突き出す――だが、もはや闘争本能しか残っていない、とでもいうのだろうか、ジーンはその刃を、いとも簡単に腕で払ってしまった。


「くっ……! コイツ……!」


 力負けして後ずさりし、ネイは再び青年の前まで戻ってきた。


「……ネイ、本気なんだな?」

「あぁ……死んでいい人間なんかいない、でも……」


 もう、ジーン・マクダウェルは、死んでいる。卑劣漢に心臓を撃ち抜かれて――だから、あれはジーンだったもの、かつての少女の姉貴分の、哀しい残滓。赤鬼は、哀しそうな叫び声を上げて、広間の中央で暴れている。こちらのことも、もはやよく分かっていないようであった。


「……あんな、死んでまで苦しむなんて、きっと間違ってるんだ」

「あぁ、そうだな……それなら、俺にも協力させてくれないか」


 青年は気力を振り絞って、なんとか立ち上がる。右の掌を握ったり開いたりしてみて、なんとかまだ動けそうであることを確認する。


「……どうする気だ?」

「君も、対峙して分かっただろう? アイツの力は、すでに君の全力すら上回っている……もう一度突貫した所で、跳ね返されるのがオチさ。だから、俺が奴の動きを止める……それで……」


 結局、一番辛い役目は、君に押し付けてしまって――だが、少女はそれに対して、力強く答えてくれた。


「分かった、任せるぞ……それで? アタシは、どうすればいい?」

「あぁ、君の実力なら、クリーンヒットを狙わなければ立ちまわれるはずだ……俺は罠を張るから、君はアイツをそこまで誘導してくれ。深追いはするんじゃないぞ?」

「りょーかい……そんじゃッ!」

「やるとしますかッ!」


 少女の体が疾駆する。直後、金属の撃ちあうような音が響き渡った。こちらも、さぼっている訳にはいかない――青年は辺りの輝石に、幾重にも幾重にも糸と紐を束ねた張り巡らせる。背後から、時折聞こえる音から察するに、やはり少女の方が劣勢のようである。早く、しかし正確に行わなければならない――ネッドは最後の気力を振り絞るつもりで糸を紡ぎ、そしてクモの巣を完成させた。


「……出来たぞ! さぁ、こっちに!」

「了解っ!」


 少女がこちらへ走ってくるその後を、鼈甲色の甲冑を纏った死人が追い掛けてきていた。ネイがある一線を越えた瞬間、ネッドは自らの左右計十本の指に巻き付けた糸や紐に電流を流す。


「……もらった!」


 青年が叫んだ瞬間、繊維が張り、緩めて輪状になっていた部分が暴走体の足を取り、次いで両の子指と薬指を引くと、輝石を軸に巻き付けられていた紐が、器用に暴走体の腕に絡みついた。そして残りの六本の指を引くと、鬼の体中に繊維が巻き付き、その体が宙に張り付けにされた。


「ガァアアアアアアアア!」


 当然、鬼はその繊維を破ろうともがく。だが、青年には秘策があった。繊維を輝石に絡めて能力を発動させることで、硬度を普段より強化していたのである――それも、持っているボビンを全て巻きつけるつもりで使ったのだ。どれ程力が強かろうと、そうそう破れるものではない。


「う、うぐぅうううううううう!」


 しかし、実際は強がりで、本当は指が折れそうな程、暴走体の力は強い。体中の傷から、血が流れるのを感じる。長くは持ちそうにない――だが、そう思った瞬間、何故だか体に力がみなぎった。クモの巣の中心を見ると、水晶の奥から、青年を見つめる瞳が――それは、一瞬赤では無く、本来の眼差しが戻ったように見え――そして、青年と女とは、互いに頷いた。


「……ネイ!」

「あいよッ!」


 見れば、少女はすでに構えて、ジーン・マクダウェルの前に立っている。


「……終わらせてあげる、なんて傲慢だっていうのは分かってる……それでも!」


 駆けだし、大地を蹴って飛びあがる。そして、万感の思いを込めて――全力の力で以て、刃をその胸に突き出した。


「アタシはジーンの死を背負って行くッ! だから……これでッ!」


 だが、輝石の魔力で異常に強化されたその装甲は、少女の一撃を持ってしても容易に撃ち抜けない。少女のシリンダーが、異様に蒸気を発している――それは、少女の能力の負荷に、耐えられていないようであった。


「……お願い! 頑張れ! 撃ち抜いて!」


 少女の祈りが通じたのか、鼈甲色の装甲に、僅かにひびが入るのが見えた。あと、一押し――青年は一瞬だが、水晶の奥の優しい瞳に気付いた――シリンダーがはち切れる瞬間に、少女はその引き金を引いた。


「アスターホーンッ!」


 爆発音、破裂音、確かに胸部の装甲が砕け散り――そして、女に張り付いていた水晶が、砕けて剥がれ落ちる。少女が着地するとともに、ライフルの変形が解け、青年の結界も解かれ、人の形に戻ったジーンの体が、そのまま地面に落ちた――その瞬間、辺りが一気に暗くなる。ネッドとジーンで、この鉱脈の輝石の力を、ほぼほぼ使いきってしまったのだ。後に残るのは、僅かな光だけ。その仄かな輝きは、まるで死者を悼むように慎ましかった。


「……ジーン!」


 叫びながら、少女が女の横たわる体に駆け寄った。青年も痛む体を鞭打ち、座り込む少女の後ろに立った。


「……あぁ、ネイ……」


 ジーンは、虚ろな目で、少女の方を向いた――青年は、もうジーンは動かないと思っていた。だが、最後の奇跡なのか、二人に話す時間が与えられたようであった。穴の開いた服の胸部に、文様が見て取れる――彼女の術式は、そこに刻まれていたのだ。


「……すまない、イヤな仕事をやらせちまった。私のほうこそ、疫病神だったな……」


 その眼は、もはや見えていないのだろう、焦点が定まっていない。髪は元の銀に――というより、もはや燃え尽きた白のようになっていた。服の至る所に穴が開いているが、そこからもはや何も流れていない。血も、蒸気も、何も出ていないのが、返って生の絶対なまでの終わりを暗示しているかのようだった。


「いいんだ……いいんだよ、ジーン、アタシは……」


 ジーン・マクダウェルの上に、水滴が流れていくのが見える。その暖かさは、光の無い世界でも感じられる、小さな優しさであったに違いない。


「あはは、泣いてるんだね……お前は、ホントに泣き虫なんだから……」

「だって……だってぇ……!」

「……そんな泣いてちゃいけないよ? お前は、私を救ってくれたんだ……何より……」


 そこで青年が、小さく咳払いをしてみせる。それに対してジーン・マクダウェルは少し笑って、真意を汲み取ってくれたらしく、青年の方を指さしながら続けた。


「お前は、一人ぼっちじゃない……そうだろ、ネイ」

「そ、それは……」


 少女は、どう返せばいいか、少し戸惑っているようだった。


「駄目だよ、そんな遠慮してるから……幸せだって逃げてくんだ……自分から、掴まないと……」

「でも、アタシの手は……」

「……あぁ、ネイ、手を、握ってくれないか?」


 少女は一瞬躊躇したようだったが、少ししてから、恐る恐るといった調子で、ジーン・マクダウェルの手を、その右手で取った。ジーンは安心したような笑顔を浮かべ、眼を瞑り、そして、少女の手を自らの頬に招き寄せた。


「あぁ、暖かい。お前の手、こんなに……あったかかったんだね…………」


 そして、女の手が落ちた。青年は振り向き、少し離れた所に腰をかける。正直なところ、立ってるのですらしんどい状態である。少し体を休ませなければならない。


「うぁ……うぁあああああ…………!」


 そう、少女の気が晴れるまで待ち続ければ……少しは体にも力が戻っているに違いない。


 坑内の石の明りは、既に完全に失せてしまっている。だが、入れ替わるように、入口から差し込む朝日が、長い夜の終わりを告げていた。


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