2-2 昼下がりの一コマ

 ――遺伝美容整形外科。遺伝子を気軽に操作したり、逆に除去できるようになってから既に100年以上経過し、美容整形の分野でも当然のように遺伝子操作が扱われるようになった為にこの科はいつの間にか世の中に現れていた。人々は、背中に羽をつけたり腕や足に鱗を移植したり、頭頂部にトサカをつけてみたりし始めた。まるで気軽に、アクセサリーの付け外しを行うかのように。もちろん美容外科であるので保険は利かず自由診療であるが、各医院は様々な得意分野や特典、いかに安全で安くて術後が安定していて手術の回数が少なくて済むかを競って人々にアピールしていた。

 これらの病院は医師免許と遺伝子の操作および移植の経験さえあれば名乗ることが可能だったため、コンビニよりも歯医者よりも乱立していた。もちろん競争によって淘汰される病院も多々あるわけで、山賀が経営する遺伝美容整形外科『ベイビーリザード』は新宿区三番街の中にあって、その過当競争の嵐の中を潜り抜けてきたのだ。……もっとも、今現在山賀は医師免許を持っていないが。

 そういう彼女の事情もあって、ベイビーリザードがある場所は非常にわかりづらい。新宿区三番街の地理に詳しい者でも居なければまずたどり着けない。区画整理されていないビル街の、さらに入り組んだ路地裏の中に建っている雑居ビルの一階と地下階を借りて、看板に描かれた小さくカラフルなトカゲが体にベイビーリザードという店名を刻み込み、舌を垂らして患者を待っている。免許はなくとも彼女の腕前は確かであり、口コミでうわさが広まって日々を忙しく過ごせるくらいには患者を得ることに成功しているのであった。ただし、その客層というのは一癖も二癖もある連中であることは言うまでもない。


 遺伝美容整形外科、ベイビーリザードの院長室の中で山賀は総皮張りの立派な椅子に座って目を瞑っている。医者は忙しく、体力を必要とするハードワークだ。少しの時間でも暇があれば寝ておきたい。

 院長室はそれほど広くない。もともと雑居ビルの一角を改築して作った病院なので、それは仕方ないのであるが。デスクと椅子、さらに様々な資料や本を入れておく本棚を置くと、もう部屋のスペースを圧迫してしまう。

 眠っている彼女の前に鎮座する、木製のがっしりとした作りのデスクの上には今日の患者のカルテが挟まっているバインダーと、来院患者のデータがぎっしり詰まったタブレット型のパソコンが乱雑においてある。そのほかには書き物で使用している万年筆と、めったに使わない固定電話がデスクの左上の方に申し訳なさそうな態度で置かれている。

 壁沿いに設置された本棚には様々な症例を記した本、薬に関する本、医療道具のカタログなど枚挙に暇がない。本棚がいっぱいになったのでもう一つを最近買ってまた設置したのだが、それもすぐにでも埋まる勢いで本が増えていく。最近は電子書籍もあるのだからそちらにすればいいのでは?と助手によく言われているが、山賀は物理書籍の匂いやハードカバーの装丁が好きで趣味で集めているというのもある。また、電子書籍は絶版になると出版社の都合か何かで閲覧不可能になることもあり、そういう事態を避けるために紙の本を集めている。全くバカげている。

 

 先ほど注文した定食が来るまでの間、うたた寝を楽しんでいると、懐の携帯電話がぶるぶるとバイブレーションしていることに気づいて目を覚ます山賀。時間を見れば眠っていた時間は十五分ほど。軽い昼寝としてはこの程度の時間がちょうどいいと山賀は自覚している。通話ボタンを押して電話に出る。


「あ、どうも。やまみね食堂のものですけども~。ご注文の定食をお届けに参りました」

「あ、は~い!今から上がるんでちょっと待っててね」


 山賀は院長室から出てすぐにあるエレベーターに乗り込む。五人も乗ればいっぱいになりそうな、狭いエレベーターの地上一階のボタンを押し、ドアを閉めると、音もなくエレベーターは地上階へと上がり始めた。ベイビーリザードの院長室や手術室、診療を行う部屋などはすべて地下にあり、地上階にあるのは受付のみだ。その受付にも誰も座っていない。あるのはタッチパネル形式のディスプレイのみで、患者はそこに名前と要望を記入して診察の順番を待つ。監視カメラも備え付けられているので、警察のガサ入れや、怪しい人物が来ている場合などの対応もできる。

 山賀が地上に上がり、病院の外へ出ると入口の前には白いエプロンと調理服を着た、少しばかり額が後退したおじさんが岡持ちを構えて待っていた。にこやかな笑顔で山賀に話しかける。


「ご注文の定食です。どうぞお召し上がりください。食事が終わった食器類は受付にでも置いていただければ後ほど回収しに来ますんで!」


 岡持ちから定食を入れたお盆を取り出して山賀に渡し、慌ただしくおじさんは岡持ちをエアスクーターの後部座席に備え付けた専用の台に載せ、ヘルメットを被ってカードタイプの鍵をスリットに差し込んでエンジンを掛ける。とはいえ音もなく作動するので、鍵横のランプが緑色に点灯するのが合図だ。地上にエアスクーターを固定させているスタンドのロックを解除すると、道路から数十センチほどの高さにエアスクーターが浮き始める。おじさんは軽く山賀に会釈したのちにエアスクーターを発進させ、自分の店へと偽のエンジン駆動音を立てながら戻っていった。

 山賀はお盆をもって再び院長室に戻り、TVのチャンネルを適当に回しながら定食を食べ始めた。定食メニューはごはん、豆腐とわかめの味噌汁に白身魚のフライとメンチカツに中濃ソースが掛かった千切りキャベツ、そして白菜キムチである。

 この周辺には個人で経営している定食屋は片手で数えられる程度しかなく、あとはジャンクな食事を提供するチェーン店があるのみ。大体が牛丼やラーメンチェーン、良くて労働者向けの安くて量が多いだけの定食チェーンくらいだ。半ばスラム化した街なので低所得者向けの店しかなく、こういったある程度の品質を保持している食事を提供してくれるお店は貴重だ。山賀はできるだけそういう店を利用すべく、月曜日から金曜日にかけてそれぞれ違う店の定食を食べるようにしている。何より、栄養バランスが整っているので日々の栄養補給には持って来いだというのもあるのだが。ジャンクフードなんかを食べていては医者の不養生と言われてしまう。

 医者は忙しいので、ご多聞にもれず山賀にも早食いの習慣がついてしまっている。受け取ってからわずか十分程度で食事を終え、歯磨きもそこそこに予約を入れている患者のカルテに目を通し始めた。


「今日の患者は……と。あ、そんなに予定ないわ。これは診療時間終わったらすぐに帰れそうね。どこに寄り道していこうかしら?」


 壁にぶら下げているカレンダーで日付を確認すると、今日は土曜日だ。遺伝美容整形外科ベイビーリザードは平日の水曜日午後と、日曜日は休診と定めている。ということは、つまり、今日の夜は自由な時間を過ごせるというわけだ。

 仕事が終わった後にやることと言えば彼女の場合は大体決まっている。疲れた体と精神を癒すための予定を考えていると、いつの間にか口の端が吊り上がっている事に気づく。その表情を保ったままカルテを読み終えると、携帯電話にセットしているアラームが鳴り響いた。午後の診療開始五分前の合図だ。山賀はカルテとタブレット型パソコンを小脇に抱え、院長室を出て診察室に移動する。助手は地上階に設置しているプレートを『休憩中』から『診療中』に翻し、地下階に移動して本当の受付カウンターの中に座る。カウンターにはモニターがあり、地上階の患者の様子をうかがうカメラの映像が伝えられる。診療中のプレートを確認して、さっそく予約したらしき患者の姿が見える。


「さぁて、午後の診療をさばきますか」


 診察室の中、椅子に座っている山賀の前に、一人の悩める患者が訪れた。

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2-2:昼下がりの一コマ END 

 

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