3-37:剣豪の腕は未だ鈍らず
護衛を全て倒した石橋は、すぐに次の敵への備えを行う。
とはいえ、あまりにも時間は少ない。護衛が落とした長ドスと銃を奪い、ダクトに隠していた希愛を引っ張り出した。
血のむせるような匂いに顔をしかめながら、希愛は尋ねる。
「これからどうするの?」
「ここから離れる。四階に隠れて、適当な所で背後から襲い掛かる」
「ねえ、やっぱりおじいちゃんとは戦わないとダメなの?」
柄山には猫かわいがりされていた希愛だけに、あんなことを言われてもまだ情は残っているようだった。
「兄ちゃんとおじいちゃんが戦うのなんて、見たくないよ!」
「俺だって本当なら戦いたくねえよ。でもな、希愛。お前はまた研究所に戻る羽目になるぞ。それでいいのか?」
言葉を聞いて、希愛は石橋にすがりついた。
「絶対に、嫌」
「だろう。だから戦うしかねえんだ」
石橋は希愛の手を握り、急いで四階への階段を上がっていく。
もうひとつ、戦いたくない理由があるがな、とぼそっと呟きながら。
カロン、カロンと下駄の音が朝焼けの空に鳴り響く。
柄山はどこに行っても下駄を履く。単に趣味であり、またヤクザの組長としての嗜みだと言っていたが、今時和服を普段着としているのは珍しい。ヤクザですらも儀礼的な場でしか着ない事が多い。大抵の組長の写真を見てもわかるとおり、スーツが大半だ。中には時代遅れのジジイとひそかに揶揄する者もいる。
それでも柄山は着物を着るのをやめない。
着物に刀を構えると実に様になるだろう、それがかっこいいんじゃねえかと柄山はかつて言った。
今、まさにその姿でもって、柄山はビルの中に入っていく。
さながら映画のように。
血と硝煙のむせかえるような匂いがビルの一階に居ても漂ってくるのがわかる。
戦場から離れて久しい柄山には、この匂いがひどく懐かしく感じられた。
かつての記憶が思い起こされる。
まだ、一介の組員だった頃。鉄火場において、いの一番に最前線に出ていたのは柄山だった。長ドス一丁だけを手持ちの武器とし、サラシと褌のみという姿で敵陣の真っただ中に突っ込み、周囲の敵を全て斬り払う姿はさながら鬼人とも言われた。
今となってはそれもまた遠い昔の話。
だが今日、再び鬼は目を覚ます。
肩に刀を担ぎながら、ゆっくりと階段を上がっていく。下駄がカロン、カロンと音を鳴らす。気づかれないように、という気配りなどは彼には必要ない。
三階に辿り着くと、より血腥い匂いと硝煙の匂いは強まった。慣れていない者だとむせるような、強い匂い。
「やれやれ。あれだけ居てたった一人の若造とガキを捕まえられないとはな」
言いつつも、柄山の顔には笑みが浮かんでいた。
ほんの昔、組に入った若造がいつの間にかここまで成長していた事は喜ばしい。
やはり、自分の目には狂いが無かった。
惜しむらくは、未来のある若い芽を摘まなければならない状況になったことだ。
「今更嘆いても始まらんが、な」
三階をくまなく調べたが、どうやらここにはもう居ないようだ。
気配が見えない。
故に柄山は四階へと上がる。ビルに響く下駄の音は、四階に上がり少し廊下を通ったあたりで突如その音を止めた。
数あるオフィス部屋の一つの、出入り口の扉を少し過ぎた所で彼はじっと佇んでいた。
出入り口扉のすぐ脇の壁に正対し、刀を両手に持ち、大上段に構える。
目を瞑り、呼吸を整え、精神を集中させる。
「…………」
着物の下に隠されている筋肉が軋み、唸りを上げる。ぎちり、ぎちりと荒縄が締まっていくような音が聞こえる。
「でやあっ!」
声を発した瞬間、壁には斬撃が二度、いや三度ほど叩き込まれた。
一呼吸で一度、刀を振るったようにしか見えない程の速さだった。
壁に刻まれた切り口は三角形を描き、斬られた壁はやがてずるりと床に落ち、落下の衝撃で崩れていく。
壁の背後には石橋が立っていた。希愛は居ない。
「冗談キツイな、ジジイ」
わずかながら、石橋の服の背中にも刀の切っ先が走った跡が見えた。
「この大道芸が出来るかどうか、チョイとばかり不安だったが俺もまだ老いぼれてはいないようだな」
「化け物かよ」
「いいや、ただの人間だよ。少しばかり、こいつを振り回すのには自信があるがな」
刀の背を肩にトントンとやりながら、周囲を見回す柄山。
「希愛をどこかに隠したか? まあいい。お前を片付けてからゆっくりと探すか」
「俺を尋問するとか言う選択肢は無いようだな」
「痛めつけた所で、お前が口を割るとは思えんからな」
「違いない」
石橋は拾った刀を左手に構え、右手にはナイフを持った。変則ながら二刀流の構えである。柄山はそれを見て眉をひそめる。
「お前に刀の手ほどきをした事はあったが、二刀流まで仕込んだ覚えは無いぞ」
「その後に色々自分でカジった中の一つだよ。まあ、アンタ仕込みの剣術じゃアンタ超えられねえからな。教えてもらった期間はそんな長くねえし、そもそも俺は剣術使いじゃねえからな」
石橋はちらりとナイフを見やる。どちらかと言えばこっちの方が使い勝手が良い。
「にわか仕込みで俺に勝とうなんざ、考えが甘いぞ」
「何とでも言え。何をしてでも生き残るのが正しいって教えたのはアンタだ」
柄山は正眼の構えを崩さず、じりじりとすり足で会話の間にも距離を詰めてくる。
対して、石橋は圧力に押され少しずつ下がっていく。
柄山の腕前は、ほんの少しも鈍ってはいなかった。
先ほどからどうやって仕掛けようかを模索しているが、どうにも先に一撃を入れられるビジョンが見えない。どの攻撃を想定しても受けられるか避けられるかし、返しの一撃を入れられる未来しか見えないのだ。
石橋の背筋に冷や汗が流れる。
「来ないのか? ならばこちらから行くぞ」
柄山は猿叫のような声を上げ、一呼吸で一気に距離を詰めてきた。
猛烈な速さの打ち込み。無駄な動作のない、ほぼ完ぺきな打ち下ろしの一撃を石橋は間一髪でステップで横に躱すが、風切り音で一瞬目を瞑りそうになった。外したとわかった瞬間、二の太刀が横薙ぎで振るわれる。
体制を崩している状態で躱しきれるものではなく、片腕の刀で受けざるを得なかった。それでもナイフを持った腕で支えてやらねば刀ごと押し込まれ、斬られかねなかった。
受けられ、それでも三の太刀である突きが襲い掛かってくる。
かろうじて身を反らす事で、顎先を掠めただけで済んだ。もし避けきれなければ喉を突かれていた事だろう。
三つ目の攻撃も躱された柄山は、一度正眼の構えに戻り距離を取った。
もう還暦も過ぎて居ようというのに、たった一瞬でこれだけの攻撃を仕掛けられるというのはまさに脅威だった。
「やれやれ。昔は一呼吸あればもう二撃くらいは打ち込めたもんだが、年は取りたくねえな。筋力はともかく持久力の衰えが酷い」
わずかに柄山の肩が上下動しているのが着物の下から見える。
やはり、寄る年波にはいくら鍛えているとはいえ勝てないのだ。
そこに勝機はあるはず。
「全盛期の頃のジジイとカチ合わなくて済んで、俺は幸運だな」
「年を食うとよ、気も急いていけねえ。生い先短いからな」
だからもう次で仕舞いにする、と柄山は言った。
「次の予定もあるからな。いつまでもお前らにてこずってるわけにはいかねんだ」
「望むところだ」
柄山は大きく深呼吸し、息を整えた。
鋭い眼光は一睨みで何もかもを竦ませるような殺気が込められている。
来るか。
万に一つの可能性も無い事くらいはわかり切っている。
それでも守らなければならない存在の為に戦わなくてはならない。
「きええええっ!」
柄山の渾身の一撃が振るわれる。
単純な、上段から真っすぐ打ち下ろされる一撃。しかしあまりにも単純であるが故に、そして何度も繰り返された愚直な振りに無駄は一分も無く、凄まじい速さで襲い掛かる。
躱しきれない。受けざるを得ない。片手では押し込まれ、自らの刀ごと斬られてしまうだろう。咄嗟にナイフを床に転がし、両手で持って受ける。
それでも柄山の一撃はすさまじく、刀身は叩ききられ、袈裟懸けに刀の一撃が石橋を襲った。
「ぐおっ!」
装備していたアーマーは斬りつけによる攻撃を想定していた作りにはなっていたものの、刀の達人による攻撃までは防ぎきってくれるものではなかった。
アーマーごと叩ききられ、にわかに出血が起きる。
「浅かったか……」
斬られた刀を捨て、胸を押さえながら石橋はナイフを拾い直し構える。
その時、背後から走ってくる足音がした。
「ダメ! もうやめて!」
「馬鹿! 出てくるな!」
叫び声と共に希愛がオフィスフロアから出て来たのだ。
「でも、でも!」
「いいから、逃げるんだよ!」
咄嗟に、石橋は希愛を脇に抱えて背後の階段を駆け上がり五階へと逃げた。
「ふん、逃げた所で傷を負っている。追跡から逃れるのは不可能だろうに」
だがゆっくりと追い詰めるのも、たまには悪くないだろう。
柄山は刀に付着した血を振り払い、血が滴り落ちた階段をゆっくりと上がっていった。
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