3-34:教祖との戦い
佇むエンノイアと睨みつける石橋が対峙する礼拝堂。
まず静寂を切り裂いたのは石橋だった。
銃の引き金を引き、銃口から弾丸が発射される。
奇怪だった。エンノイアが何をしているのか、何をしたのか、全く理解できない現象だった。しかし何かをやっているのは間違いない。
銃弾を空間で静止させ、床に落としたあの現象をもう一度探る為に撃った。
果たしてどうなるか、今一度石橋は確認したかった。
銃弾は直線軌道を描いて最短距離でエンノイアへと向かう。
「ふふふ。無駄無駄」
エンノイアは依然として力を抜いて棒立ちのままだ。
そして銃弾は、エンノイアの眼前まで一秒も無く辿り着こうとしたその時。
やはり弾はエンノイアの直前で静止し、運動エネルギーを失ってバラバラと床に落ちた。
その時、エンノイアの表情が微笑みから大きく口をニマっと開いたものに変わる。
勝利を確信しているような笑みだった。
「何度撃っても同じ事ですよ」
「やはりな。お前何をやった」
「その身で確かめてみるといい!」
エンノイアが石橋を鋭い眼で睨みつける。
するといきなり、石橋は礼拝堂の入口側の壁にまで高速で吹っ飛ばされる。
「がはっ!」
強かに背中を打ち付け、石橋は肺から空気を絞り出されるかのように悲鳴を吐き出す。
何が起こったのかは全くわからない。何かに押されたのであれば、体に何か圧力めいたものを感じるはず。なのに、何も感じる間もなくいきなり距離が開いたかと思ったら壁に叩きつけられていた。
物理的な作用によるものではない。これは明らかに常人の域を超えている。
「貴様、何の力を得やがった!」
「私は琥珀の中に埋もれていた蚊の中にあった、未知の遺伝子を独自に調べた。そうした所、どうやら過去の人類の遺伝子も存在している事が判明したのだ」
「それが、どうしたってんだ」
「過去の人類は言葉を、文字を持たなかった。ではどうやって意思の疎通を行っていたか知っているかね?」
「そんな事知らねえ。俺は中卒だ」
「ならば君にひとつ授業だ。言葉を持たぬ生物がコミュニケーションを図るには、一般的には身振り手振りや鳴き声もあるが、遥か昔に生きていた人類の一つは、テレパシーで意思疎通を行っていたのだよ」
「馬鹿な、ヨタ話だそんなものは」
「ふふふ。そう思うのもいいだろう。だが事実、私は彼らが持っていた能力を遺伝子解析の末についに身に着けたのだ」
「それが、この能力だとでも言うのか!」
「そうだ。有体に言えば、サイコキネシスという奴だな。言葉が無かったとはいえ、彼らの知能は我々と同程度かそれ以上に高かったと言えるだろうな。実に興味深いと思わんかね?」
「俺にはどうでもいい事だ!」
石橋は壁に叩きつけられた状態から銃を構えて銃撃をまた行うが、どれもこれも先ほどと同じように銃弾は途中で落ちていく。
「何度同じことをやっても無駄だよ」
落ちた銃弾をエンノイアが睨みつけると、何発か浮遊して逆に石橋の方へと高速で向かっていく。
「うおおっ!?」
慌てて走り出し、柱の影に隠れて弾丸をやり過ごす。弾丸は柱にめり込み、威力は銃を撃った時と何ら変わらない威力を発揮しているように見える。
「人間には可能性が満ちている。私はノアの研究、そして蚊にまだあると思われる過去の人の遺伝子を更に調査し、進化の礎とするのだ」
「にいちゃん!大丈夫?」
その時、希愛が子供たちを避難させ終えて戻って来た。
「よくもにいちゃんをやったな!」
キマイラ体の希愛は、その巨体に見合わぬ素早さで襲い掛かる。
獣となった彼女の膂力は恐ろしいほどに強く、人間では太刀打ちできない。特に方舟の遺伝子に適合し、自由自在に獣を呼び出してその力を融合させることにより、自然界にはありえないほどの力を持った彼女であればなおさらだ。
爪が空気を切り裂く。振った爪の速度は音を超え、ブンと言う空気の悲鳴が遅れて聞こえてくるほどに。まさしくエンノイアの眼前まで迫る。
だがそこで、銃弾と同じように希愛の右腕はぴたりと止まってしまう。
「な、なんで!? どうして!?」
いくら力を込めようとも頑として動かない腕。
「自分よりも力のある存在はいない、そんな考えでもしていたかな?」
ニヤリとほくそ笑むエンノイア。
「ノア。君は少しお行儀が悪いな。しつけをし直さねばな!」
エンノイアの目が見開き、額に血管が浮かび上がる。同時にエンノイアが右手を振りかざすと、希愛の右腕は誰かに捻り上げられるかのように動いた。
「あああっ!」
苦悶の表情を浮かべ、脂汗が滲みでる。彼女の皮下には何かが蠢いており、苦痛に苛まれるたびに皮下の黒い何かが浮かび上がり、消える。
「吹き飛べ!」
更に、エンノイアが振りかざした手を振り払うように動かすと、希愛も壁に吹き飛ばされて背中を叩きつけられる。変身した希愛の巨躯が壁に叩きつけられる事で、礼拝堂全体が振動し、天井から埃や破片が落ちてくる。
「私のこの力ですら、通用しないの?」
「単純な力では私に傷一つ付けられやしないという事だよ。ノア」
「お前はその力を得るために、どれだけの人間を犠牲にしてきたんだ」
「石橋さん、人聞きの悪い事を言わないでいただきたい。私の研究の礎になったのだよ彼らは。そしてノアは私の為に、私だけの為に必要な存在なのだ」
「勝手に決めるな(ないで!)」
石橋と希愛は同時に壁から離れ、石橋は右から回り込んで銃撃、希愛はそのまま真っすぐ向かって爪を振るうが、やはりエンノイアのサイコキネシスによって止められてしまう。
力任せに行くのはあまりにも無謀だが、しかし希愛ほどの力を持ってしても彼のサイコキネシスは止められない。石橋の持ちうる武器では希愛にも及ばない。どうすれば奴を止められる?
「ノア! 君は大人しくしていれば危害を加えるつもりはないぞ!」
エンノイアの額には更に血管が浮かび上がっている。
「私は貴方と一緒に行くつもりなんて全くない!」
「仕方がない、少し気を失ってもらうとするか!」
希愛の巨体をまた壁に叩きつける。壁に入っていたヒビが割れて向こう側の外までが見えるようになってしまう。
サイコキネシスを希愛に使った直後、エンノイアのこめかみに血管が浮き出たままなのを石橋は見逃さなかった。
奴はサイコキネシスを使う時に、脳に多大な負荷が掛かっているのではないだろうか?
人間程度の大きさまでなら操作自体にそれほどの力は必要としないだろうが、希愛くらいの大きさ、重さともなれば話は別だろう。
もっと消耗させれば勝機があるかもしれない。
「希愛、あいつはやっぱりサイコキネシスを使うと疲れるようだ。何度もやればきっと使えなくなるに違いない」
「ほ、本当!?」
その言葉を聞いた希愛には笑みが、エンノイアは気づいたかと言わんばかりにわずかに口をゆがませる。
「ああ。だから諦めずにあいつに立ち向かうんだ!」
石橋は叫び、手りゅう弾を投げつけたり何発もアサルトライフルの銃撃をし続ける。
希愛は建物の石柱をはぎ取り投げつけた。
どちらもいとも簡単に止められるが、しかし血管の浮き立ち方とエンノイアの目に血走ったものが出始めて、わずかに息が上がり始めた。
「無駄だ! 何度やってもな!」
肉体的に疲弊が見えても、彼のサイコキネシス能力は衰えを見せない。
アサルトライフルと手りゅう弾も底を尽き、走りながら石橋は高周波ブレードを取り出してエンノイアに立ち向かう。
「おおおおおおおおっ!」
「馬鹿め、そんな単純な攻撃など喰らうものかよ!」
直線的な動きは避けられ、逆に石橋はエンノイアに喉を掴まれる。
「ぐがっ!」
「私が接近戦が何もできない素人だとでも思ったか? 舐めるなよ。あらゆる優れた人間の遺伝子を組み込んで私はただの人を超えたのだ。お前如き、なんらヒトと変わらない奴の行動を封じる事なんぞ造作もない」
「兄ちゃん!」
「いい加減、ノアも少しおとなしくしていろ!」
「ああっ!」
希愛が石橋を助けようと駆け出した所で、もう片方の腕でサイコキネシスを発動し、希愛の動きをその場にとどめてしまう。
「流石に君たちのしぶとさには少しばかり参ったよ。だから石橋君、君は殺す。君のおかげで教団はだいぶ被害を被った。相応の報いは受けてもらおう」
「ぐ、おおおおっ!」
「やめて!!」
苦悶の叫びが礼拝堂に響き渡る。その時、不意に扉が重苦しく開いた。
顔を見せたのはアリサだった。
「おお、アリサ。どうしたんだ? まあ丁度いい。君にこの男を殺させるとしよう。さあ、来なさい」
言葉に誘われるがままにふらふらとエンノイアに近づいていくアリサ。
彼女の瞳は未だに虚ろで、自らの頭で考えられる状況にはないようだ。
エンノイアの近くにまでたどり着く。
「私のポケットの中を探りなさい」
言われ、アリサがポケットを探ると護身用のナイフが出て来た。
アリサはそれを両手で握り、刀身のきらめきを見ている。
「さあ、お前がやるんだ。石橋を、教団の敵を。そうすればお前は更に救われるだろう」
「……そうやって、教祖さまはまた嘘を吐くんだよね」
「なっ?」
ナイフは煌めいた。だがそれは石橋に対してではなく、エンノイアに対して。
「ば、馬鹿な……」
エンノイアのわき腹に、深々とナイフが突き立てられている。じわじわと血がエンノイアの服に広がり、伝って床に血だまりが出来ていく。
アリサは泣きじゃくっていた。
「これ以上、私を、私たちを苦しめないで!」
洗脳催眠は解けていた。恐らくは最初の閃光手りゅう弾の光と音によって。
「散々、私を、私を……!」
それ以上の言葉は出ず、アリサはただただ泣き続ける。涙は止まらない。
「アリサぁ、貴様、許さん!」
「きゃあっ!」
サイコキネシスでアリサは祭壇に叩きつけられ、気絶した。
腹部に突き立てられたナイフはエンノイアに大きな出血を強い、その為に石橋の喉を掴んでいた腕の力は弱まり、拘束は解かれる。
膝立ちになり、苦しそうにあえぐ教祖を見下ろす石橋。
「げほっ、げほっ! あぁ、苦しかったぜ。しかしざまあない姿だな、ええ?」
満身創痍ながらも笑みを崩さない。懐から普段使いの拳銃を取り出し、銃口をエンノイアの額に突き付ける。
「貴様、貴様さえ来なければ、こんな事にはならなかったというのに!」
「違うな。お前がただの研究員でありさえすればこういう未来は訪れなかったし、俺とお前がこうやって対峙する事にはならなかったはずだ。ノアを意のままにしようとか、子どもたちを手籠めにしようとか思いさえしなければな」
エンノイアは手を振りかざし、念じる。
だが何も起きない。既にサイコキネシスを使う力は残されていなかった。
鼻血も噴き出し、目からも血が流れ出る男を石橋は哀れな目で見つめる。
「何故、何故だ!」
「お前は子供たちの尊厳を踏みにじり、人々の命を弄び続けた。お前は神様でも何でもない。それを自覚して、死ね」
石橋は銃の引き金を引いた。
乾いた音が礼拝堂に鳴り響き、教祖を名乗った男は額に風穴を開けてのけぞった。
目をぐるんと上に向け、ゆっくりと倒れていく。
男が倒れた地面には、腰からの出血と頭からの出血でまた血が広がっていく。
銃口から煙が一筋立ち上っていた。
石橋は大きく一つ、ため息を吐いた。
「ようやく、終わった」
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