3-29:再会

 地下三階。

 ここのダクトは全てこのフロアの壁際に配置されているだけで、フロア中央には存在しない。というわけで、石橋はダクトから抜けて三階フロアに降りた。


「ネズミたちともようやくおさらばだ」


 頭に叩き込んだ三階の施設概要を思い起こす。

 今は警報が鳴り響き、薄暗いはずだった照明もオレンジ色の警告灯と天井の白色蛍光灯が点いて明るく保たれている。

 ここも二階と同様に陰惨かつ秘匿されている場所だったはず。

 まず石橋の目の前には部屋があるが、これは牢獄だ。

 二階にある拷問用の部屋とは違い、より扉や部屋自体が厳重なものに変わっている。

 この非常事態の最中にあっても鍵が解き放たれる事がない。中に居るのは完全な獣に変わってしまった実験の被験者であり、警報の音で興奮状態になっている。

 壁やドアに体当たりを続けているが、素材が強化されているのか獣の膂力をもってしても耐えられるほどなのか、多少外に響くにせよ破壊される気配は今のところ、無い。

 希愛が隔離されている部屋に通じる通路はこの階層の中央部にある。

 とはいえ、この階層は特に広い。

 そこまでたどり着くには、迷路と言って良いほどワザと複雑にされた通路を通り過ぎてようやく中央部に行ける。宝物を守る迷宮のように。

 獣の牢獄を通り過ぎ、次に見るのは何だろうか。


 石橋はアサルトライフルを構えて注意深く歩く。

 殺風景な通路を超えると、唐突に病院を思わせる雰囲気の回廊に出る。

 回廊は幅広く、天井も先ほどの通路と比べると人間三人分くらいの高さがある。

 回廊の所々には扉があり、その中には人が入っているカプセルが設置されている。

 中にはキメラ人が入っていた。彼らは一様に呼吸器を付けられ、何らかの液体に満たされた中で眠っている。そのそばには健康を管理する機械が取り付けられていた。

 この施設がいわゆる、キメラ人の獣の要素を除去するための遺伝子治療施設なのだろう。

 彼らは教団の甘言を信じて、あるいは自分の遺伝子を嫌ってカプセルの中に入ったわけだが、果たして本当に遺伝子除去だけで済むのだろうかという疑念は消えない。

 この中には先日の誘拐騒ぎの中に攫われた人も居るかもしれない。実験の為に。

 

「それにしても、重要施設のはずなのに全然警備の連中が居やがらねえ。陽動で目を引いてるとはいえ、おかしい」


 罠かもしれない。

 いや、罠だとしてもここは進まなければどちらにしろ希愛を救う事が出来ないのだ。

 虎穴に入らずんば虎子を得ず、という奴だ。


「最後まで行った所で何が出るか。蛇か鬼か、それともやっぱり人かな」


 独り言ち、回廊の先を進んでいく。

 

 

 回廊は規則的に、延々と続いているように見える。同じような風景はともすれば方向感覚を狂わせてしまう。頭にこの建物の地図を叩き込んでいなければ実際迷ってしまっていただろう。

 次の十字路で曲がる。突き当りを右に曲がる。次の交差路は真っすぐ進む。

 幾度と繰り返し、辿り着いたはずの回廊の行き止まり。そこは白い壁でしかない。

 しかし、手で注意深く壁を探っていくとわずかなへこみがある事に気づく。

 へこみを押すと、ハンドルのようなものが壁から出っ張って来た。

 それを手でつかみ、捻る。

 捻った事で壁の一部が天井に上がった。隠し扉だ。

 更に続く通路。この先に希愛が居ると思うと、自然と歩く速度は速くなっていく。

 遠くにかすかに、鉄の格子が見えたような気がした。

 近づくたびに明らかになっていく。格子にしがみついている人が居る。

 少女がこちらを見ている。

 さらに距離が縮まるたびに、心臓の鼓動が速くなっていく。いつの間にか走っている事に石橋は気づいた。

 古めかしいさび付いた鉄の格子でできた牢屋の扉。

 間違いない。


「希愛!」

「……タカ兄ちゃん? 兄ちゃん!?」

「いま助けてやるからな!」


 石橋は銃を構え、鍵穴に乱雑に銃弾を撃ち込む。鍵は今時珍しい錠前タイプのもので、銃弾をいくらか撃ち込むだけで容易く破壊できた。

 扉を開け、牢屋の中に入ると希愛が石橋に抱き着いてきた。


「やっぱり来てくれたんだね」

 

 希愛の目には涙が滲む。泣き出すかと思われたが、先に泣いたのは石橋だった。

 

「ちょっと、兄ちゃん痛いよ」

「悪かった。お前を一人にしてしまって。辛い思いをしただろう」

「うーん……実はそうでもないかな」

「え?」

「思ってたよりも大事に扱ってもらってたよ。でも、寂しかったのは本当。ずっとこの中に居なくちゃいけないのかなって思ったし」

「そ、そうか」

「なんかさ、兄ちゃんが泣いちゃったから私の涙が引っ込んじゃったよ」


 希愛はにっこりと笑い、わずかに残っていた涙を指でぬぐった。

 対して石橋は涙どころか鼻水まで垂らしてしまっている。


「あーあ、もうしっかりしようよ」


 懐からハンカチを取り出して石橋の涙と鼻水を拭う。

 さながら姉が弟を慰めるかのように。


「……これじゃどっちが大人かわからんな。さぁ、脱出だ」


 手を繋ぎ歩き出そうとした時、希愛は言った。


「待って」

「どうした?」

「アリサもここに居るの。ねえ、アリサを助けて」


 すがるような希愛の瞳。一瞬、石橋の額に皺が寄った。


「何故? あいつは俺たちを裏切り、病院までもを焼こうとした。子どもとはいえやったことは許せる範疇を超えている」

「兄ちゃんが怒るのは無理もないよ。でもね、アリサも教団に、おじちゃんやおばちゃんに無理やりやらされてただけなの」

「……本当か?」

「アリサはね、体中青あざだらけだったよ。ねえ。信じて。信じてくれなくてもいいけどさ、私のワガママを聞いて。アリサを助けて」


 希愛は両手を組んで懇願する。今度こそ、瞳には涙があふれていた。

 石橋は思い出す。あの時、病院を襲った時のアリサはどんな顔をしていただろう?

 笑っていたようには見えた。

 だが、その笑みは本当に心の底からの笑みだったのだろうか。笑わねばならないとしたらどうだったか。

 何よりも、希愛はこんな時に嘘をつくような子ではない。一番自分がそれをわかっている。


「わかったよ。助けに行く」


 その言葉を聞き、希愛の顔色はぱっと明るくなった。


「ありがとう! アリサは多分、教祖と一緒にいるはず。子どもを必ず一人一緒に隣に居させるの、あいつ」

「そうなのか。教祖は今どこに?」

「今日は礼拝堂に行くって。さっきまで実はここにいたの」

「わかった。一旦地上まで行って、お前を由人たちに保護してもらってから向かうよ」

「それは嫌」


 断られ、石橋は目を見開いて希愛を見つめる。

 いつも危ない時は自分の言う事を聞いていたのに、この一番危険な状況で何故反発するのだろうか。駄々をこねるタイミングにしては最悪だ。


「頼むから、ここは聞き分けのいい子になってくれないか。お前を何度も危険な目に遭わせたくないんだ」

「絶対に兄ちゃんと一緒にいる。その方がいい」

「なあ、俺を困らせないでくれよ、希愛――」


 その時、廊下の遥か向こう側から何かが走る音が聞こえた。

 それは人間の立てる音ではない。肉食動物、それも大きく獰猛ながら俊敏な奴が立てるような音だ。同時に息遣いも聞こえてくる。荒く、腹を空かせたような息が。

 果たしてそれが二人の目の前に現れた時、少なからず石橋は動揺した。


「虎嶋……組長?」

「よう、石橋のカシラ。今は破門されて元若頭、だったか」

 

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