3-19:決意

 およそ一ヶ月の入院生活の末に、ようやく希愛は退院できた。

 とはいえ経過を見守るために月に一度は通院することになっている。

 希愛の体は依然として不明な部分が多く、何が引き金となって暴走するかわからない。今までよく無事だったと山賀は言っていた。

 

 先日遭遇した騒ぎが嘘のように、今は平穏な日々を石橋たちは過ごしている。

 石橋は自宅マンションの自室で椅子に寄りかかって天井を見上げて考えていた。

 希愛とアリサの過去を知るべきなのかどうかを。


 新宿に居た頃の希愛の様子なら多少は知っている。

 ゴミ漁りや乞食をしてその日をしのぎながら、いつしか水商売の女に拾われて暮らしていたという事くらいは。何の因果か知らないが石橋と出会う事になったのは希愛にとっては幸運の一言に尽きるだろう。

 出会ってからは普通の子として育ててやりたいという願いを一心に受け、すくすくと成長している。恐らく、今のところは。その未来は多分明るいはずだ。

 

 その前は、一体何をしていたのだろう?


 知らずともいい事だと割り切るのは簡単だ。彼女たちもみすぼらしい過去を探ってほしくないと思っているかもしれない。

 先日遭遇した男は間違いなく希愛を狙っていた。希愛の過去には間違いなく何かがある。それを知らずに過ごしていれば、この先必ずまた同じように危機がやってくる。

 だが危機感と共に、わずかに好奇心も無いわけではなかった。

 二人は一体どこからやって来たのだろうか。

 傷だらけと泥だらけで体一つで、人が多く蠢くこの都市に来て、戸惑いと恐怖は無かったのだろうか。新宿のスラムを這いずり回って子どもが生きてこれたのは幸運としか思えない。希愛もアリサも、誰かに拾われるというのは本当に僥倖だった。

 

 石橋は電話を手に取り、興信所に二人の過去の調査を依頼する。

 ほかにも知っている探偵に同様の依頼を掛けた。

 だが、一ヶ月経過しても全く手がかりすらない。

 興信所も探偵も決して無能というわけではなかったが、石橋が提供できる情報も多いわけではない。ヒントとなるものが欠け、ほぼ勘で動くしか無かったのだ。

 

「やっぱり、民間の奴らにできる事は限られるか」


 石橋はとある相手にまた電話を掛けた。

 

 数時間後。

 石橋は新宿区警察署に足を運んでいた。

 警察署の中はせわしなく警察官たちが動いている。年末だからだろうか。

 受付の不愛想な警官に用件を伝え、しばらくロビーの椅子に座って待っている。

 地味な格好をしているとはいえ、石橋の顔と職業を知っている警官は怪訝な顔をして彼を見つめていた。

 やがて階段から一人のスーツを着た男が降りてくる。椅子に座っている石橋を見つけると、気だるげに顔をゆがめた。


「一体俺に何の用だよ。つーか署に堂々と来るなや」

「ちょっとばかり調べてほしい事がありましてね。戌井刑事」

「お前の頼み事なんか聞くと思ってるのか?」

「少しくらいは借りを返してもらってもいいと思いますけどね。貴方はその辺りは誠実だと伺ってますが」


 戌井はわざとらしく舌打ちをした。

 この気だるそうにスーツを着崩した、白髪交じりで額に皺を強く刻んだ男こそが戌井佳彦刑事である。

 過去に尾熊組と警察の間で何かの取引があったらしく、その際に大きく関わっていた一人が戌井刑事らしい。詳細は石橋も知らないが、とにかく先代との密約があったようだ。

 尾熊組にとっては様々なタレコミやガサ入れの際の情報入手など、彼を便利に使っていた。また戌井もヤクザの情報網を捜査に活用していたのだから、お互いに持ちつ持たれつと言ったところだろう。

 

「うちの娘の事で相談がありましてね」

「娘? お前に子どもなんかいたか?」


 素っ頓狂な声を上げる戌井に思わず苦笑する石橋。


「一人養子として引き取ったんですよ」

「なんだ養子でか。で、その子どもが一体どうしたってんだ?」

「その娘のね、過去を調べてほしいんですよ」

「過去? それこそ探偵や興信所に当たらせればいいだろう」

「ちょっと彼らには手が負えないようでして」


 石橋は山賀から聞いたことと自分が知っている情報を話す。

 怪物に変貌した、という事も含めて。

 口元を押さえ、考え込む戌井。


「にわかに信じられんな。二つ以上の動物の遺伝子が存在して、それらの情報を利用して怪物に変貌する少女……。映画かアニメの見すぎじゃないかって言われるな」

「俺もこの目で見るまでは信じられませんでしたよ。でも実際に希愛は変貌したんです。何らかの実験に巻き込まれていたのは間違いありません」

「国内の研究所や、失踪した子供の情報をあたってみよう」

「希愛が言うには、研究所は木々に囲まれた場所にあったそうです。という事は山の中か、あるいは孤島にあるかもと」

「わかった。とはいえ、俺個人で動くからあまり期待はせんでくれよ」

「それで構いません。今は少しでも情報を集めたいんで」


 それにしても、と戌井はため息を吐く。


「最近は何でも個人的な相談事を持ち掛けられて困る」

「それだけ頼りにされてるんですよ。いい事でしょう」

「お前みたいな奴からの相談はもううんざりだ」


 戌井は用件が済んだならとっとと出て行け、と石橋に言う。苦笑しながら警察署を後にする。他の署員の怪訝な視線を背中に受けながら。

 それにしても、こんなところで怪しげな奴と会ったりするとは戌井はもはや出世する気が無いのだろうか。それとも出世する道を断たれたのか。どちらにしろ、刑事としてはかなり変な奴である事には変わりない。だからこそ頼りにされるのかもしれない。


 その後、残っていた事務作業を片付ける為に組事務所を訪れる。

 久しぶりというほどでもない期間だが、ちょっと見ないうちに尾熊組内部の雰囲気は様変わりしていた。

 組事務所に居る連中は一様にいかつい奴らばかりだが、その中にひょろりとした人間が居ると妙に目立つ。彼らは私服を着ており、若い衆と熱心に話し合いをしていた。新入りという様子ではない。外部の人間か?

 彼らの瞳は妙に輝いていて、興奮気味であった。何かのドラッグをやっているのかという勢いで話をしており、組の者の方が逆に困惑していたが、やがて話が進むにつれて勢いに飲まれて話に熱中していった。

 一体どういう連中なのかと普段の石橋なら疑うはずだが、この時はどこか上の空で何も気に留めずに作業を片付けていた。

 一通り片付けた所で、気づけばとっぷりと日が暮れて夜になっている。


「帰るか」


 石橋は家に戻る。

 部屋に入ると、希愛とアリサが一緒にリビングで遊んでいた。正確には、由人で遊んでいたのだが。由人が馬の格好になっている所の背中にアリサがまたがり、その由人に馬の被り物をかぶせて笑っているのが希愛だ。

 

「いい格好じゃないか」

「そろそろ助けてくれませんか」

「いやー! まだ遊ぶの!」


 アリサの声に、まいったなと馬の口から洩れる。


「もう暗いし、おばちゃんも心配してるだろうからさ」

「由人兄ちゃんと遊ぶの楽しいからもっと遊ぶの!」


 その時、インターフォンの音が鳴った。


「ほら、来た」

「むうううう」


 インターフォンの画面を確認すれば、やはり弁当屋のおばちゃんがニッコリと笑顔を浮かべてこちらを伺っていた。

 

「すいません、うちのアリサがおたくに遊びに来てませんか?」

「ええ、来てますよ」

「あの子ったら、連絡もせずにそっちに行っちゃうんだもの。心配したわ」

「おい、アリサちゃん。おばちゃんが迎えに来たぞ」

「ええ~」


 おばちゃんが迎えに来たことで、渋々ながらもアリサは玄関に向かっていった。

 さすがにおばちゃんのことまでは無視できないようだ。

 ドアのカギを開けると、弁当屋での笑顔と同じ表情でおばちゃんが玄関に入ってくる。


「さあアリサ、おうちに帰りますよ」

「じゃあね、よっちゃんに希愛ちゃん」

「ばいばいアリサ」


 アリサとおばちゃんが帰ったあと、希愛と石橋はいつものように夕食を取って風呂に入る。上がった後は歯を磨き、就寝だ。

 一日の終わり。

 二人は寝室で布団を並べて眠る。わずかに灯りが付いている部屋の中、時計の音のみが鳴り響き、石橋は寝るか寝ないかの間でまどろんでいた。

 その時、不意に希愛が一言口にする。


「タカ兄ちゃん、まだ起きてる?」

「どうした?」


 石橋は希愛の方を向く。


「ちょっと聞いてほしいの」

「ああ」

「昔の話。私のもっと小さい頃。私はね、白い建物の中に居た。大きくて、無機質で、冷たい建物。私の体を見た事ってあったっけ、兄ちゃん」

「あるよ。初めて会った時のボロボロな時に。あと風呂場とかで」

「うん。傷だらけだったよね」

「女の子の体にひどい事しやがるもんだ」

「その施設では、私は何かの実験台だった。何の実験かはさっぱりわからないけど。手術と言っては体を刻まれたり、薬品を注射されたり。私以外にも実験台になっていた子供がいたの。死んだ子も一杯いた。死んだ子はゴミみたいに捨てられて焼かれていた。私もいつかはああなるのかなと思っていた」

「……」

「でも、私は挫けなかったよ。アリサと一緒に、ずっと本を読んで知識を付けて、いつか絶対外に出て自由に暮らすんだって心に決めてた。それは叶った。兄ちゃんに会えて、本当に私は恵まれてるって思った。神様は私を見捨ててなかったって」

「そうだな」

「私の今の夢はね、世界を見て回りたいの。色んな場所を見て、色んな人を見たい。その後はね、恩返しがしたい」

「誰に?」

「兄ちゃんに。だから絶対、兄ちゃんには生きていてほしいの」


 希愛の声は、いつの間にか震えていた。


「あの時、兄ちゃんが死にそうになった時が一番怖かった。私が一人になる事よりも、大事な人が居なくなることの方が怖かった」


 頬を伝って、枕に落ちる涙。

 その涙をすっと手を出してぬぐう石橋。


「ヤクザのお仕事って、私には何をしているのか全然わかんない。でも、凄く危ない事をやってるんだよね」

「そうだな。時々命に関わる事もある」

「タカ兄ちゃんに何かあったら困るし、とても嫌。いなくなってほしくない」


 希愛は真っすぐ石橋の目を見つめた。力強く意思を秘めた瞳。

 

「ああ。俺も希愛と離れ離れになるのは嫌だな」


 口から出た言葉に、石橋自身が半ば驚いていた。

 その答えに、希愛もにっこりと笑った。

 だからこそ、決意しなければならない。

 石橋は明日にでもその意を伝えようと思い、目を瞑った。

 

 

 

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