3-7:奇妙な共同生活の始まり
黒塗りの高級車は音もなく街の合間を潜り抜けていく。
三番街を抜けゼロ番地を抜け、更にその先の高級マンションが立ち並ぶ住宅街へ。
人がうんざりするほど多い東京の街並の中ではとびぬけて人の往来が少ない、穏やかな街並み。たまに街を歩く人々も犬を連れた、いかにも暇を持て余してそうなマダムや年寄りくらいであり、三番街の様にぎらついた欲望を持て余して街を歩く人々の姿は皆無である。街並みを見て、希愛は自分がまるで場違いな所に来てしまった、そんな居心地の悪さを覚えていた。
やがて車はとある高層マンションの玄関先でスピードを緩め、止めた。
どこも立派なマンションだがこの止まった目の前に建っているマンションはその中でもひと際高い。一番大きいんじゃないかと希愛は視線を上げて思う。
マンションの隣には大きな託児所があった。二階建てで、居る子供たちも裕福そうな身なりで自分とは全然違う。子供の面倒を見ている保育士も誰もが優しそうだった。
もし自分がお金持ちの子供だったらばここに居られたんだろうか。
「ついたぜ。降りな」
先に石橋と由人が降り、石橋は後部座席のドアを開ける。
ゆっくりおずおずと、石橋が差し伸べる手を握って降りる希愛。
そうして石橋が歩く後をゆっくりと追う少女。
マンションの一階エントランスに三人が入ると、受付には初老の管理人がうつらうつらしながら座っていた。石橋と由人と、見慣れない少女の姿を伺って管理人は尋ねる。
「石橋さん、随分とワケアリな子を連れてきましたがどうなさいました?」
「仕事でひと悶着あってな。俺が引き取る事にした」
管理人はほう、と声を上げて目を見開く。
「左様ですか。のちほどで構いませんので、管理会社に連絡を差し上げてくださいね。契約上はおふたりでご住まいの契約になっていますので、契約変更の手続きがあるでしょうから」
「おう、わかった」
やり取りの後、エントランスを通り抜けて、エレベータで最上階の60階まで上がる。
希愛が住んでいたアパートと違い、高速で駆け上っていくエレベータににわかに興奮を隠せない。その様子を見ていた石橋の顔は自然と緩んでいた。
「ここが俺の部屋だ」
連れられて入った部屋は、煌びやかなマンションとは対照的にひどくシンプルな部屋だった。
寝室やリビング、台所には必要最低限の物しか置いてない。飾りとなる調度品の品はほぼ無いと言ってもいい。観葉植物がリビングの窓際にぽつんと置かれている程度だ。 物があると形容できる場所は寝室の中にあるクローゼットと、玄関に備え付けの靴を入れる棚くらいだ。
身だしなみに気を遣うヤクザだけあり、スーツやネクタイ、革靴、腕時計やサングラス、ネックレスや指輪の類は数えるのが億劫なほどに多い。あらゆる高級ブランドの物を揃えているが、石橋は身に着けていた腕時計を事もなげにベッドサイドに投げる。
「こんなもん、時間と日にちだけわかりゃいいんだ。金掛けて宝石埋め込むとか無駄すぎるぜ」
うんざりした様子でスーツを脱いでハンガーにかけ、気軽なスウェットに着替える。ここで石橋は、希愛が所在なさげに立ち尽くしている事に気づいた。
「ああ、希愛って言ったっけか。お前は今日からここに住むんだ。何も気兼ねするこたぁねえぞ。そこらにあるソファとか、ベッドに転がって好きにしていいんだ」
言われて、希愛はぎこちなくソファに座る。まだ肩に力が入っている。
「お前、そんなボロボロの服のままで良く今まで生活してたな。新しい服、くれてやるよ。あいにく俺んちにはお前に似合う服なんてないからな、少し待ってろ」
言うや否や、石橋は携帯でどこかに電話を掛け始めた。
「おう、俺だ。女の子用の服、まだあるか? 10歳くらいで痩せてる子なんだが。ある? じゃあ今からちょい車出すから待っててくれ。よし。という訳でちょいと今から出てくるから、その間由人が面倒みるからな」
そして疾風のように石橋は外へ出てしまった。
入れ替わりに頭をポリポリと掻きながら由人が入ってきた。
「参ったな。車を駐車場に入れて兄貴の部屋に入ろうとしたら今度はガキの面倒見てくれって、部下の使い方が荒すぎるって。っても、何をみりゃあいいんだ?」
ソファに座っている希愛を見てため息を吐く。
「俺んちは全員男兄弟だったからなあ。女の子の扱い方なんかさっぱりだ」
「……」
「希愛ちゃんとか言ったっけ。何かテレビでも見るか?」
由人はリモコンに手を掛け、電源を入れる。
3DTVはちょうど国営放送のニュース番組を放映していた。いつものお堅い、しかし落ち着いてはっきりとした口調でニュースを伝えてくれるアナウンサーの姿を映し出している。
「ニュースか」
報道機関はどの局も公正明大を謳っているが、それが欺瞞である事はもはや誰もが知っている。中立を掲げているこの国営放送だって、国の方針に沿った内容しか基本は報道しない。逆に言えば、どの思想にも偏らない中立な報道などありえないのだ。
人々は自らの思想に沿って、合致するものを見たがるものなのだ。
「ニュースなんか見てもつまんねえだろ。なんかアニメでも見るか?」
由人がリモコンを操作し、オンラインサービスで無料で見れる番組をチェックしていると、乱暴にリビングのドアが開かれる音がした。
「なんだぁカチコミか!? って思ったら兄貴じゃないっすか早いっすね。って姐さんも一緒っすか」
「久しぶりぃ由人ちゃん」
石橋が連れてきたのは彼女だった。
すらりと伸びた長身でセミロングの茶髪。多少疲れが見える顔立ちだが、誰もが美人だと言うだろう。なによりも人懐っこい笑顔と雰囲気が魅力的だった。
姐さんと呼ばれた女は、笑顔で腕に何か袋を抱えながら希愛に近づく。
「貴方が希愛ちゃんね。可愛いじゃない。隆之ちゃん良くこんな子を見つけてきたわね」
「偶然だよ。放っておけなくてつい、な」
「うんうん。本当に隆之ちゃんの妹にそっくりねぇ」
言いながら、彼女はビニール袋から何かを取り出した。
それは着古した子供用の服で、どれも多少よれてはいるものの、まだ捨てる程古くはなっていなかった。
「うちの子用だったんだけど、どうかな? 希愛ちゃんにピッタリ合うかな? お、サイズ合いそうだわこれ」
女は次々と服を取り出し、希愛に合わせるとどんどんテンションが上がってくる。
まるで着せ替え人形を楽しんでいるかのように。
「おいおい、あまり次々と着替えさすなよ」
「こら、レディの着替えを男衆がじろじろ見るなんて破廉恥か! はいはい出てって出てって!」
「え、俺の部屋なのに?」
「いいから出てけ!」
「俺もかよぉ」
彼女に追い立てられ、渋々二人は寝室で待つことに。着せ替え人形になっていた希愛も、実際はファッションショーを楽しんでいた。今までボロ布となった服以外にはまともな服を着たことが無い。だから古着とはいえ、様々な服が床に広げられるのを見て目を輝かせていた。
「どれがいい、希愛ちゃん」
「うーん……これ」
色んな服を試着して最終的に希愛が選んだのは、研究所に居た時と同じような白いワンピースだった。結局着慣れた服が一番ということなのだろう。
「良く似合ってるわね。私の娘も生きてたらこんな感じだったかもなあ」
女は残った服をクローゼットのハンガーに手際よく提げていき、今の季節に合わない服はタンスの空いている所にしまい込んでいった。
「はい、ファッションショー終了よ。入ってきていいわ」
その声を聞き、男二人が待ちくたびれたと言わんばかりにぞろぞろとリビングに戻ってきた。壁に掛けられているアンティークの鳩時計は、希愛を連れてきた時から一時間を過ぎている事を告げている。
「あら、もうこんな時間? お仕事に行かなくちゃだわ。じゃあね、希愛ちゃん」
彼女は慌てて荷物をまとめると、そのまま小走りに去って行った。
「あの人、石橋さんの恋人?」
希愛が尋ねる。
「まあそうだな。俺より5歳は年上だが」
「そうなんだ。他にも居るの?」
「いるぜ。それがどうかしたか?」
「んー……なんでもない。それよりも、あの人、何の仕事してるの?」
「このマンションの隣に託児所があったろ? あそこで働いてるぜ」
「道理で姐さん、子供の扱いに慣れてるわけだ」
「道理もなにも、子供居たんだからそれくらい当たり前だろうが」
「それもそうか」
笑い声をあげる由人と石橋。
辺りを照らす日差しは傾いて山の向こうへと姿を隠そうとしている。
「腹ぁ減りましたね。飯にしましょうよ兄貴」
「おう、そうだな」
ふと、石橋は希愛を見下ろした。
「なあ、お前何が食べたい?」
問われ、希愛はきょとんとした。
今まで何が食べたいかなど聞かれたことも無い。
食べ物を与えてくれたヒトミだって貰って来た弁当を有無を言わさずに差し出すだけで、あれが嫌い、これが食べたいなどと言える立場になかった。
何でも食べて生き残る。それしか生きる道が無かった。
うーんと首をかしげて考えた末に、希愛の脳裏には一つの料理が思い浮かぶ。
「カレーライス」
それは本で読んだことがある、子供が大好きだとよく言うおなじみの料理。
「カレーか。やっぱ子供は好きなんだな」
「ちがうの。一度も食べたことない。だから食べてみたい」
希愛のその言葉を聞き、思わず言葉に詰まる石橋。
「ねえ、だからカレーライス作って」
「わかった……。とびきりの奴を作らないとな。俺の料理はプロ級だぜ。楽しみにしてろよな」
石橋はエプロンを締めて厨房に立った。鼻歌を交えながら準備を進め、手際よく食材と道具を準備し、よく手入れされている包丁で次々と具材を一口サイズに切っていく。
「兄貴はカレーにはじゃがいも入れないんすか?」
由人が調理の様子を見て尋ねた。
「煮崩れると舌触りが悪くなるんだ。俺はそれが嫌でな、玉ねぎと人参と牛肉くらいしかいれないんだ」
鍋に切った具材を入れて炒め、水とカレールーを適量入れる。
後は煮込むだけ。
ぐつぐつと鍋の煮える音とTVから流れるバラエティ番組の音声が部屋に響き渡る。
希愛は石橋の調理の様子を興味深くじっと見つめていた。
料理とは一体どういうものなのか。本で読んで知識として知ってはいたが、今目の前でこうやって披露されているものを見ると、なんだか魔法のようにも思える。
「なんだ? 危ないからあんまり近寄るなよ。刃物とかあるんだからな」
知らず知らずのうちにキッチンの中、石橋のそばにまで来ていた事にすら気づかなかった希愛。もっと見ていたい。自然に芽生えた感情。
煮えていくにつれ、カレーの香ばしい匂いが部屋中に漂い始める。
匂いが希愛の鼻腔をくすぐり、急激に胃袋を刺激する。部屋中に響き渡る音量で希愛の腹の音が鳴った。
「……!」
おもわず赤面する希愛。
「はっはっは。腹が減ったか。いいぜ、俺も腕の振るいがいがあるってもんだよ」
石橋は希愛の頭を撫ぜた。赤く仏頂面をした希愛は、しかし石橋の手を払いのけようとはしない。
程なくして、カレーは完成した。
「んん、いい香りっすねえ兄貴」
「盛り付けるぞ。手伝え」
完成したカレーを更に盛り付け、テーブルまで運ぶ。もちろん、味噌汁や付け合わせのサラダ、デザートのヨーグルトも忘れずに。
希愛の初めてのまともな食卓。
「よし、できた。さあ皆で食べよう」
石橋と由人が椅子に座り、次いで希愛もおずおずと椅子に座ってスプーンを手に取ろうとする。その時、石橋がその手を止めた。
「?」
首をかしげる希愛に、石橋は優しく言う。
「食事の前にはまずいただきますって言うんだ」
「そうそう、いただきますね。これは大事よ。礼儀だからな」
「れいぎ?」
「そう。目の前にある食材もみな元々生きてるものだったんだよ。そういう命を頂いて生きながらえるっていう意味でも、皆食事の前には言うんだぜ」
そんな事を考えたことも無かった希愛は、目を丸くしてカレーと石橋とを交互に眺めていた。命を頂く。そうか、全部元々は生き物だったのか。
今までずっと、食べ物と言えば研究所では変なキューブ状の味のない栄養剤と薄いスープで、ヒトミに拾ってもらってからはお弁当を食べるだけで、食べ物が何かの生き物から出来てるんだって考える余裕も無かった。
石橋や由人がやったように、希愛もまねて手を合わせる。
「いただきます」
そして三人は勢いよくカレーをすくいあげて口に入れる。
「!」
希愛の瞳が大きく開かれ、頬が紅潮する。
次々とカレーをすくっては食べる勢いはとどまる所を知らず、あっという間にカレーと味噌汁と、サラダの量が減っていく。あまりの勢いに石橋と由人はその様子を茫然と見ていた。
「うまいか?」
「おかわり」
空になった皿が雄弁に物語っている。希愛はにっこりと笑って石橋に皿を差し出した。
「待ってな」
次に盛られたカレーは、先ほど子供用に盛ったものよりも更に多く盛られていた。
希愛はそれにがっつき、大人二人は微笑みながらそれを見て食べる。
やがて三人ともカレーを食べおえて、食器を片付けている最中に、ふと疑問に思った。
「ねえ、なんで私を助けたの?」
石橋は食器をスポンジで洗いながら答えた。
「さっき、俺の彼女も言ってたろ。お前似てるんだよ、俺の妹に。だからつい助けちまった。本当はそんなつもりじゃなかったのにな」
「兄貴嘘つかんでくださいよ。元々あんた、子供が好きでしょう」
「うるせえな!」
「うわおっかね! 包丁振り回さんでくださいよ! まあそういうこったから希愛ちゃん、兄貴の家は安全だし安心して過ごすといいぜ」
「なあ由人、お前いい加減帰れや」
「一応、俺は兄貴の護衛なんですよ? 帰れと言われて帰るわけがないでしょうが」
「ちっ」
二人のやりとりを見ながら、希愛は自分がいつの間にか笑っている事に気づいた。
研究所に居た時のアリサとのやり取りをなぜか思い出して。
自分たちもこんな感じだっただろうか。
この人とたちなら、きっとうまくやっていける。
何となく希愛はそう確信していた。
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