第22話 START AGAIN

 十月の終わり、朝夕の寒さに身を縮めるようになった頃、雄介とダグラス、そしてコウは、札幌のある場所へ来ていた。

 曇り空の元、塀越しに見える建物は、タツが収監されている拘置所である。三階建てのそれはまるで学校か何かの施設に見え、テレビドラマで見るような『高い塀に隔絶された収監施設』とは違う。雄介は初めて訪れた場所に少し緊張しながら、ハイエースの横で待っていた。


 今日、いよいよタツが出所する。

 逮捕、拘留を経て下された彼の罪状は、ダグラスが読んだ通り執行猶予が付いた。この先は保護司のバックアップの元、シャバで暮らすことになる。

 コウは午前中に一件葬儀が入っていたため、僧侶姿のまま引き受けに行った。中へ入ってもう随分経ったように感じられる。うろうろする雄介とは裏腹に、ダグラスは大きな欠伸をしてガムを口に放り込んだ。


「なあ、アイツ、まだかな?」

「出所は昼の一時ごろって言ってたから、そろそろじゃない?」


 ダグラスは腕時計を確認し、雄介へ応えた。

 何と言って迎えてやろう。

 殴りかかってやりたい気持ちをこめて、雄介が塀の壁を軽く拳で叩く。その脇をフルスモークの黒いレクサスが通り過ぎ、少し離れたところで停まった。

 他にも何台か、人が乗ったまま停車している。隣の公園には座席を倒して休んでいる営業車もいるから、ここの通りは営業の連中の「休憩場」として好まれているのかもしれない。

 しばらく待つと、門からコウがタツを伴って現れた。くしゃくしゃの金髪に猫背気味の様子は、何だか疲れているようにも見える。

 見つけた途端、雄介は急いで歩み寄った。


「この、バカ野郎っ!」


 雄介が叫んだ瞬間、タツは眼を見開き、嬉しそうな顔をした。だがすぐに膝をつき、勢い良く土下座した。


「雄介さん、ダグラスさん、本ッ当にすんませんでした!」

「謝って済むならケーサツいらねーし!」

「ハハハハハ!」


 雄介が叫び、ダグラスが大笑いする。つられて笑ったタツの首根っこを、コウがガツリと掴んだ。


「笑ってんじゃねえぞコラ。お前みたいなバカは、俺の寺で徹底的に鍛え直してやる」

「へっ? 何いや、マジ?」

「おう、このまま寺へ直行だ。いくらダチを庇ったからって、やって良いことと悪いことがある。二度と迷わねえように、まずはキッチリ座禅から教えてやるぜ」


 鬼気迫る笑顔で、コウはタツをハイエースの後部席に押し込んだ。それからダグラスへ車のキーを放り、そのままタツの隣へ乗り込む。ダグラスは涼しい顔で二人を眺めたあと、鼻歌を歌いながら運転席へ乗り込んだ。


 清称寺へ向かう三十分ほどの間、コウは座禅の組み方をひたすらタツへ教えていた。いや、教えたというよりは強制的にやらせた。

 慣れない姿勢に膝や足首が痛むらしく、タツは悪口を吐きながら抵抗した。だがコウはにやりと笑うと、タツへぐっと顔を近付け、精神的な止めを刺した。


「良いか、お前の担当の保護司さんはな、俺んとこの檀家なんだよ。だが忙しい人でな、代わりにうちでお前を預かるってえ話が、既についてんだ。喜べ、規則正しい生活が身について、三食食えて、上手く行けば悟りも開ける。なあ、お前にとっちゃあ最高の更生施設だろ?」

「えっ? いやそりゃむしろ、ムショより怖……うがっ!」

「喝っ!」


 口答えは許さないと、コウの手刀がタツの肩を強く打つ。間抜けな悲鳴が上がるのに構わず、コウは合掌し、口中でぶつぶつと真言を唱えた。

 その後も何度か打撃音に続き、悲鳴と真言が聞こえて来る。雄介はそれを見遣り、小声で隣のダグラスへ問い掛けた。


「なあ、いつまで続くんだ、コレ?」

「ん? そうだなあ、コウさんの気が済むまでかな。タツのおかげでコウさん、何回も聴取受けてるしね。刑事に、欲にまみれた生臭坊主とか言われて、相当ムカついたらしいよ」


 ダグラスはガムを噛みながら、楽しそうにステアリングを握っている。雄介は引きつり笑いを浮かべながら、窓の外に眼を遣った。


 色々あったが、ようやくメンバー全員が揃った。

 結局、ROCKARISEは音源審査に通ったものの、悩んだ末に辞退した。当時はタツの刑期が確定していなかったし、彼の出所がライブ審査に間に合う時期だったとしても、話し合いの行方によってはバンドの存続すら危ういからだ。

 勿論ライブの予定も未だ白紙のままで、この先の活動に関してもはっきりしていない。だがタツが自ら土下座した事に加え、清称寺へ預かりの身となったことで、恐らくメンバー交代や解散などの事態は免れるだろう。

 とりあえず難は去った。そしてまた始められる。喜びを噛み締めながら、雄介は雲間から射した陽光を眩しそうに眺めた。


  ◆


 出所以後、清称寺に身を寄せた――というより軟禁状態になったタツは、逮捕前までに経験したことのないような、規則正しい生活を送っていた。

 朝は日の出前に起床し、身支度のあとに掃除、読経と続く。食事後は写経や雑用をこなし、時にはコウの檀家回りや、大住職の通院のために運転手もした。時間の空いた時には、寺の庭の冬囲いや車の手入れも請け負う。まるで三食寝床付きの住み込み何でも屋だ。

 夜の読経後は自由時間だったが、外出には許可が必要で、それも買い物程度に制限されていた。守らなければバンドはクビだ、とコウに脅されているのもあって、タツは遊びに行くこともなく、練習小屋でギターばかり弾いていた。

 おかげで寺に来て二週間を過ぎたころには、新曲のアイディアが十以上貯まった。かなりのハイペースで曲作りに励んだのは、バンドやメンバーに対する、タツなりの贖罪でもあった。

 バンドの練習も再開した。以前よりは減ったものの、週二回は練習小屋に集まった。先の予定はいまだ白紙のままだ。それでも、いつ声が掛かっても良いように、ライブに出られるだけの用意をしたい、と全員が考えていた。


 雪が街を白く染めた、十一月の深夜、練習小屋に集まった四人は、練習の合間に休憩をとっていた。そこでコウの携帯が鳴った。


「来たぞ、ライブの話。今月末の金曜、フロア69だ」

「まじか!」


 通話を終えたコウの報告に、全員が色めき立った。

 ホールのブッキングライブに一つアナが空き、急遽回ってきた出演依頼だ。フロア69は過去に一度出ただけで馴染みが薄く、ハコもUGAより小さい。その上誰かの「代打」と来れば、告知も満足に出来ない。


「出るか?」

「もちろん!」


 全員即答した。

 早速セットリスト会議が始まる傍らで、ダグラスがタブレットを持ち出し、サイトの更新を始めた。


「スタートアゲイン、だね。代打でも嬉しいなあ」


 ニコニコするダグラスへ、コウが続けた。


「他にもあるぜ、年末の、UGAカウントダウンだ」

「ワオ! それも書かなきゃね。みんな出るでしょ?」

「モチのロン! さー、今年は何やる?」


 タツの一声に、雄介が眉を寄せた。


「もうスカートはかねえからな」

「えー?」

「えーじゃねえ、あんなピラピラしたもんはいてライブやれっかよ、バカじゃね?」

「そうかあ? 結構ウケてたじゃん、特にお前」

「ウケてんじゃねえよ、笑われてんだって!」


 雄介が声を荒げた。

 過去に年越しイベントライブで、ちょっとした賭けに負け、罰ゲームではかされたことがあるのだ。

 むくれる雄介を笑いながら、コウがタツへ問い掛けた。


「しかしよ、何でお前、イベントでスカートはきたがるんだよ?」

「シャレに決まってんだろ。キャプテン・センシブルもカート・コバーンもはいてたし、客を一旦笑わせて、その後ガツンと音で叩き潰してやんのがイイんだよ。今年もはくぜ。普段のガチライブと違って、楽しむために集まるんだ。とことん遊ばねえでどうすんだよ?」


 そう主張すると、雄介が噛みついた。


「だからって女装かよ? アンタのそう言う音以外のセンスって、マジ判んねえ。つうか俺、今年は絶対普通に出るからな!」

「ダーメ。そんなクソ真面目に演って、ドコ面白れえんだっての」

「黙れ、この変態!」


 雄介が思い切りタツを睨み付けると、向かいで事の成り行きを見ていたダグラスがにっこり笑った。


「僕、全身タイツが良いな」

「……は?」

「ほら、顔まで隠れるタイプあるでしょ。アレ、指抜き仕様にして。それなら楽器弾けるし、口元も、そこだけ開けたら歌えるよ。雄介も恥ずかしくないよね?」

「……いや、それはどうよ」

「地味だからダメ? 戦隊みたいにカラフルだったらクールじゃん。あ、何ならメキシコのバンドみたいに、派手な覆面被っても良いよ。僕、ミル・マスカラスね」


 あまりに逸れた提案に、話を振られた雄介はおろか、タツまでが顔を引きつらせる。不思議そうな顔をするダグラスの隣で、コウが咳払いした。


「全身タイツや覆面は、俺が暑いから禁止。スカートは膝が隠れるものじゃねえと、気持ち悪りいから禁止。っつうか、もう十一時だろ。バカ言ってねえで音出すぞ」


 コウが急かすように、バスドラを踏んだ。週に二日、一回二時間の練習は決して多くない。ぼんやりしていればあっと言う間に過ぎてしまう。

 コウの指示により、タツが作った新曲を幾つか合わせる。流れるリズムとギターフレーズに体を揺らしながら、雄介が仮のメロディーを載せて行った。

 一つ一つが形になり、それが繋がって行く。繰り返されるフレーズの中からハーモニーが生まれでる瞬間は、何度体験しても常に新鮮だ。

 曲を創るのに楽譜などいらない。もっとも、音符がおおよそ読めるのは雄介とダグラスだけで、タツとコウはタブ譜しが読めない。それでも良いのだ。ロックはノリとフィーリングが命である。


「今のテイクいいんじゃね?」


 タツが一人頷きながら、音を記録していく。セッションは刹那の連続だ。過ぎれば泡のように消えてしまう。

 記録したものを持ち帰って練り、更に進化させ、また練り直す。その繰り返しで、サイレントルームの曲は完成していくのだ。


   ◆


 曲作りとライブの用意が並行して進められていたある日、コウはタツが寺の一角で休憩しているのを見つけた。

 小春日和の空は高く、雲一つない。温かい陽射しに眠気を誘われたのか、タツはぼんやりした顔で座り込み、大きな欠伸をしていた。朝早い生活に疲れているのだろう。


「眠いか?」


 声をかけると、タツは右手を軽く上げ、もう一度欠伸した。


「寺の生活はどうよ?」

「死にそうデス」


 簡潔で正直な言葉だ。つい笑いながらタツの隣へ行き、煙草をくわえた。


「その割りには頑張ってんだろ、色々」

「ああ、まあな」


 半分閉じた活きの悪い目が、煙草を見ている。差し出すと、タツは軽く拝んでから一本いただいた。


「そういや、雄介の話聞いたか?」

「いや、何も」

「あいつ今、家出中でよ」

「え、何で?」


 経緯を説明すると、にわかにタツの顔が曇った。


「マジか……」

「知らなかったか。やっぱ雄介、言ってなかったんだな」

「ああ。全然聞いてなかった……俺のせいだな」


 逮捕の影響がそんなところまで出ていると初めて知ったようで、タツは苦笑いした。


「雄介は、家出たのは自分の意思で、お前は関係ねえって言い切ってたぞ。しかし、バンドやるために家出るたあ、あいつもバカだよな」


 若いということが、今は少し羨ましい。内心そう思っていると、タツがふと顔を上げた。


「アイツ、今どこに住んでんだよ?」

「友達んとこみてえだな。いや、もう次のヤサにいるのかも」

「そっか……」


 申し訳なさそうな顔をしている。そんなタツへ、静かに切り出した。

 これははっきりしておかねばならない。


「なあ、タツ」

「ん?」

「なんで、庇ったんだ?」


 タツは少し考えたあと、煙草の灰を地面へ落とした。


「……大事な、ダチだから」

「いくらダチでも、向こうはそう思っちゃいないだろ。お前を身代わりにするくらいなんだから」

「……」


 タツはゆっくり煙草を吸った後、おもむろに口を開いた。


「中学んとき、つるんでたやつなんだ。知ってる?」

「アイツか。確か、ヨウジっていったか? 話したことねえな」

「だろうな。アイツ、コウさん避けてたから」

「何でよ?」

「目からビーム出てるから怖いって」

「はあ?」


 コウが思わず噴くと、タツも笑った。


「バンド始めてから、全然連絡取ってなかったんだけど、アイツは俺にとって、兄弟みたいなヤツなんだ」

「へえ」

「同じように片親で、空っぽで、飢えてた。俺にはギターがあったけど、アイツには何もなかったんだ。で、あとはお決まりの転落人生ってワケ」

「そうか。色々あるヤツなんだな。だが、その兄弟に、お前は売られたんだぞ。それでもまだ、大事に思うのか?」


 穏やかな口調で、辛辣な言葉をぶつけた。するとタツは薄く微笑んで、煙草を地に落とし、靴で踏みしめた。

 切ない微笑みだ。この男もこんな顔をするのかと思いながら、コウは持っていた携帯灰皿に煙草を突っ込んだ。


「俺は正直、お前をクビにするつもりだった。でも雄介がダグを巻き込んで、必死に止めたんだ。あんなギタリストはいない、今切るのはもったいない、ってよ」


 タツがはっと顔を上げ、真偽を問うようにコウを見つめた。


「だからついつい、俺もほだされてよ。ほら、仏の顔は三度って言うだろ」

「じゃあ、あと二度は許されるってことだよな?」

「喜ぶなバカッ、それに仏の顔も三度ってのはな、三度目はねえんだよ。無論、俺としては二度目もねえがな」

「すんませんもう二度としません!」


 慌てて謝ったあと、タツは少しだけ目を閉じ、そして決意したように目を開けた。


「アイツとは、縁を切る」

「おう」

「二度と会わない。連絡も取らない」

「是非そうしてくれ、バンドのために。そしてお前を高く買ってる、あのクソガキのためにもな」

「ああ」


 はっきり言い切ったのを見て、コウも深く頷いた。

 言質を取るわけではないが、こうして決心を言葉にすることは大切だ。言葉には力があるからだ。


「バンドも動き出したし、気合い入れなきゃな。お前だって、いつまでも地方のインディーズで終わるのイヤだろ?」

「コウさんは、プロになりてえのか?」


 タツが、ふと顔を上げた。


「このままだと、本格的に坊主になんなきゃならねえからよ」

「大住職か」


 苦笑しながら頷いた。

 父親の大住職は体調が悪く、最近では事あるごとに、寺の後継について話をされるようになった。


「親父もトシだしな。俺も、坊主辞めるならそれなりのモンがねえとな」

「跡継ぎってのも大変っすね、若和尚」

「それで呼ぶなよ。つうか、お前はバンドで飯食いたくねえのか?」


 タツは一瞬言葉に詰まったあと、ふと笑った。


「俺も、いつまでもあのガキの隣でギター弾きてえな。皆と演んの、サイコーだし」

「だろ? それで飯が食えりゃあ、なお良いってもんよ」

「そうだな」


 タツがふと、空を見上げた。その表情は微笑んでいるようにも、悲しんでいるようにも見えて、コウは一瞬声を掛けられなくなった。

 この男も、いまだ何かを抱えているのだろうか。空虚や飢えは満たされたのたろうか。


「若和尚、そろそろ出ますよ」


 若僧が声をかけてくる。檀家の法要に向かう時間だ。


「クスリ関係は、ちゃんと切れよ」

「ああ」

「それから、吸殻」

「へ?」

「そこらに捨てんな。ちゃんとしろバカッ」

「あっ!」


 タツは慌てて吸殻を拾い、コウが差し出した携帯灰皿へ捨てた。







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