第61話・出会えた×喜び
体育館へと戻った俺は、先生に状況の報告をしてから授業へと復帰した。
しかし授業時間は残り数分も無かったようで、あっと言う間に体育の時間は終わってしまった。
どこか不完全燃焼な気持ちのままで体育館から教室へ戻ると、まひろの手荷物と鞄がなくなっていた。おそらくは担任か宮下先生が取りに来たんだろう。
座り主の居ない席を見ながらさっさと着替えを済ませ、俺は持って来ていた弁当を鞄から取り出して机の上に置く。
「龍之介、涼風さんは大丈夫なのか?」
取り出した弁当のおかずにさっそく箸をつけようとしていた俺の前に、弁当箱を持った渡がやって来た。
なぜかは分からないけど、渡は男子の中でもまひろの事だけは苗字で呼んでいる。普段は相当に軽い奴なのだが、どうもまひろにはその軽さも発揮できないようだった。
「んー、結構無理してたみたいだからな。今も多分、保健室で寝てるよ」
「そっか。それじゃあ今日は俺と飯を食うか?」
「おう、いいぜ」
普段はまひとろ一緒にご飯を食べる事が多いけど、たまにまひろが休んだりする時には、こうして渡とご飯を食べる事もある。
美月さんと茜は一緒のクラスになってからはよく一緒にお昼ご飯を食べているようで、おそらく今日も仲良くどこかで弁当を食べているのだろう。
「おっ、そのおかず美味そうだな! いただきっ!」
「あっ!? テメー!」
渡に奪われたおかずの仇を討つべく、俺も渡の弁当へと箸を伸ばすが、コイツは器用に俺の箸を避けておかずを奪われないようにしていた。
――くそっ、ちょこまかと動きやがって。どうやら俺を本気にさせてしまったようだな……こうなったら一切容赦はしないぜ。
「あっ! 廊下を絶世の美少女が歩いてるっ!」
「えっ!? どこどこ!? どっこー?」
渡は弁当を机の上に置いて廊下の方へと向かう。
バカだバカだとは思っていたけど、ここまであっさりと見事なまでに引っかかってくれると、何だか心配になってくるから不思議だ。とは言え、一切容赦をしないと誓った手前、俺は放り出された弁当のおかずを容赦なく食らい尽くしていく。
「龍之介っ! どこに絶世の美少女が居たんだよ!」
「居たさ。お前には見えないのか? ほら、今もそこに居るじゃないか」
俺は平然とそんな嘘をついているわけだが、渡はなぜかその言葉を信じたようで、目を細めて廊下を再び見つめる。そしてその間に俺は渡の弁当のおかずを全て食べ終えた。
――せめて白ご飯に乗っている梅干だけは見逃してやろう。武士の情けだ。
そしてそんな醜い争いに満ちた昼食を終え、午後の授業を迎えてもなお、まひろが教室に帰ってくる様子はなかった。
まだ保健室で寝ているのか、それとも既に家へと帰ったのか、心配にはなるけど再び保健室へ様子を見に行くというのも
午後の授業は午前中よりも三倍気だるさが増すが、何とかそれを乗り越えてようやく放課後となった。
そしていつもの様に帰り支度を済ませて帰ろうと席を立った時、教室にある放送用スピーカーから放送を知らせる音が鳴り響いた。
「二年C組の鳴沢龍之介くん。大至急、職員室まで来るように」
スピーカーから聞こえてきた短く簡潔な呼び出しは、宮下先生の声だった。
本来なら聞こえない振りをして帰りたいところだけど、宮下先生からの呼び出しとなると無視するわけにはいかないだろう。
俺は急いで職員室に居るであろう宮下先生のもとへと向かった。
「おっ、意外と早かったな」
職員室へ入ろうとして引き戸を開けた時、偶然にも宮下先生と鉢合わせをした。
「そうですかね? それより、何の用ですか?」
「すまんな。ちょっと先に保健室へ行って待っててくれないか?」
「はあ。分かりました」
宮下先生はそう言うと、足早に廊下の奥へと向かって行った。
このまま突っ立っていても仕方がないので、とりあえず俺は言われた通りに保健室へと向かう。
「あっ……」
引き戸を開いて保健室へ入ると、そこには制服に着替えたまひろがパイプ椅子に座っていた。
そして俺が入って来たのを見たまひろは、あからさまに身体を硬直させて俯く。
「もう大丈夫なのか?」
だが俺は、何事もなかったかのようにしてまひろに話しかけた。どうせまひろの事だから、体調の事を隠していたという事実を気にしているのだろう。
「う、うん……もう大丈夫……」
そう言ってまひろは顔を上げ下げしながらチラチラと俺の方を見ていた。
「待たせたな」
そんなソワソワと落ち着かない感じのまひろの様子を見ている内に、俺を呼び出した張本人である宮下先生が保健室へと戻って来た。
戻って来た宮下先生はコツコツとヒールの靴音を鳴らしながらまひろの前まで歩いて来ると、おもむろにまひろの手前の床に置かれていた鞄と手荷物を持ってから、それを俺の方へと突き出してきた。
俺は宮下先生の行動の意味が分からず、ぼーっとその様子を眺める。
「どうした? 早く受け取りたまえ」
宮下先生は差し出していた手荷物を更にグイッと突き出して俺の胸に当て、それを受け取るように促す。
俺はその言葉を聞いてようやく宮下先生のしたい事を理解し、慌てて手荷物を受け取った。
「よし、では鳴沢くん。二人で一緒に帰って彼を最寄駅まで送り届けるんだ」
「はっ?」
「せ、先生。僕は一人で帰れま――」
「駄目だ。今日は私の言う事を聞いてもらうぞ」
宮下先生はちょっと厳しい口調でそう言う。そしてそれを聞いたまひろは、ただ黙って顔を下へと俯かせた。
「本当は私が送り届けようと思ったんだが、ちょっと外せない用事が出来たのでな。それで代わりを君に頼もうと思ったわけだ」
俺の右肩をポンポンと叩きながら、ニヤリと笑みを浮かべる宮下先生。
「ちなみにお聞きしますが、俺の意向は無視ですか?」
「ん? 別に聞いてもいいが、拒否は無駄だぞ? これはお願いではなく、養護教諭としての命令だからな」
先程から浮かべている笑顔をなお一層にこやかにしながら、生徒に向けてそんな事が言えるこの人は正直凄いと思った。単純に感心してしまう。
まあ俺だって別に断るつもりはなかったけどな。だけど素直に『ハイ分かりました』と言えないのは、俺が持つ大人への反骨精神から来るものかもしれない。
「分かりました」
「よし、では仲良く帰りたまえ」
「行こうぜ、まひろ」
俺が荷物を持って保健室を出ると、その後を静かにまひろがついて来た。
そして学園を出てからの帰り道。まひろは俺の隣には並ばず、ずっと少し後ろの位置から歩いて来ていた。
ずいぶんと今回の件を気にしているようだが、このまま沈黙が続くのは俺としては好きではない。息が詰まりそうなこの感覚は苦手なんだ。
「そうだまひろ。俺が貸してた本、どこまで読み終わった?」
「えっ!?」
振り返ってそう言うと、俺から発せられた言葉が意外だったのか、まひろは驚いた表情で立ち止まった。
「え、えっと……確か三巻の半分くらいかな」
「てことは……ちょうどあの辺りか。どうだ? 面白いか?」
少し前の事になるが、俺はまひろに好きな某バスケット漫画を貸していた。
「う、うん、面白いよ。主人公はちょっと可哀想なところもあるけど」
「だよな!」
共通の話題にようやく明るい笑顔を見せたまひろと漫画の話をしながら、いつもの様に二人並んで駅へと歩き始める――。
「本当に大丈夫か?」
「うん、大丈夫だよ」
ほどなくして駅へと着き、まひろは俺が持っていた鞄と手荷物を受け取る。俺としてはまひろの家まで付き合ってもいいんだけど、それはまひろが遠慮してきた。
――そういえば、俺って今まで一度もまひろの家には行った事が無いんだよな……。しかも家の場所も知らないし。
「そっか。それじゃあ気をつけて帰れよ?」
「うん」
俺がそう言って自宅へ帰ろうと踵を返すと、突然まひろが俺の腕を掴んできた。
「ん? どうした?」
まひろは何か言いたげに口をもごもごさせていた。
そんなまひろを見ていると、何だか可愛らしいハムスターでも見ている気分になってくる。
「あの、今日はごめんね。迷惑かけて…………」
心底すまなそうに頭を下げる。実にまひろらしい丁寧さだ。
「いいさ。でも次からは具合が悪い時はちゃんと言うんだぞ? 無理をして苦しいのはお前なんだし、俺だって心配になる」
「心配になるの?」
「当たり前だろ? 長い付き合いだしな」
そう言うとまひろは俺の右手を自分の両手でそっと包んでこちらを見てきた。
「ありがとう。僕、龍之介と出会えて本当に良かったよ」
瞳に涙を薄く浮かべながらそんな事を言うまひろ。
――い、いかん……このまひろは今までに無いくらいに可愛い。
俺の中の可愛いメーターの針が今にも振り切れそうになっていた。
「そ、そうか。それなら良かったよ……」
気の利いたセリフの一言でも出せればいいんだけど、そこはやはり日本男児。イタリア紳士のような格好良いセリフや気の利いたセリフなど一つも浮かんでこない。
「それじゃあ、また明日ね」
「ああ。また明日な」
駅の改札を通って行くまひろを見送り、俺は自宅へと向かって歩き始める。
そして帰る途中、まひろに手を握られて見つめられていた時の事を度々思い出してしまい、その度に顔が熱くなっていた。
――やれやれ……ホント、まひろが女子だったら良かったのにな……。
今まで何度も思ったそんな事を考えながら、俺は少しだけほっこりとした気分で家へと帰った。
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