選択の向こう側~如月美月編~

第260話・初参加×あの時の思い

 花嵐恋からんこえ学園に入学してから早くも三年生になり、三日目のお昼休みを迎えた時、俺は同級生でクラスメイトの如月美月さんが発足した制作研究部へと誘われた。

 俺は美月さんのお誘いに対してしばらく考える時間をもらい、色々と考えた結果その制作研究部へと入る事に決めた。こうして俺以外にも数人の仲間が集まった制作研究部は始動を始め、俺達は恋愛シュミレーションゲームの制作を開始する事となった。

 この制作研究部の最終目的は、恋愛シュミレーションゲームを冬のコミックマーケットまでに完成させて売り出す事。その目的の為にやる事は非常に多く、手探りの中で俺達は制作を進めていた。

 そしてみんなで考えた事が本当に少しずつ形になって行く中、最初の難関である夏のコミックマーケット開催の日が訪れる。


「今日も暑いねえ……」

「本当ですね。昨日も最高気温の記録を更新したらしいですから、今日も同じくらいになるかもしれませんね」

「それは勘弁願いたいね……」


 前日にも準備の為に訪れたコミケの会場前。まだ午前7時前だと言うのに、既に沢山の人が会場の付近に訪れている。まあ、それはコミケの初日だから当然なのかもしれないけど。

 そんな様子を見ながら、俺は美月さんと一緒にサークル参加の列へと並んで開場するのを待つ。

 時間が経つ度にどんどんと人は増えていき、それに比例する様にして回りの気温は急速に上昇している様で、噴出してくる汗の量も増す。


「龍之介さん、タオル使いますか?」

「あっ、ごめんね。ありがとう」


 ハンカチで細かく汗を拭っていた俺を見た美月さんが、持っていた鞄から空色のタオルを取り出して手渡してくれた。この気遣いがいつもの事ながら嬉しい。

 手渡された柔らかなタオルをありがたく使わせてもらう事にし、少しだけ広げたタオルを顔全体に押し付ける様にして当てる。すると柔らかなタオルからはフローラル系の爽やかで優しい香りがし、少し気分が清々しくなった。

 それから開場を待つ事しばらく。ようやくサークル参加の列が動き始め、会場の中へと列は進んで行く。

 開場してから中へと入り、両隣に居るサークル参加者に挨拶をしてから商品を並べて準備を進め、開会の十五分くらい前に一斉点検があった後でいよいよコミケの開催となった。


「よっし! 頑張ろう!」


 俺は初のコミケ参加という事もあり、並んでいた時間の疲れも忘れた様にしてテンションが上がっていた。

 今回のコミケ参加、俺達の制作研究部はサークルとしての参加申し込みの抽選には残念ながら漏れてしまった。しかし、渡の友達でサークル参加の抽選に当たった桜井さんとコンタクトを取れた事により、俺と美月さんは委託販売という形で参加をする事ができたわけだ。

 もちろんその代わりにちゃんと手伝いをしなければいけないけど、それは委託販売をさせてもらう事を考えれば当然の事。むしろ俺としてはゲーム屋さんで短期バイトをしていた頃を思い出してちょっとワクワクしている。


「来ましたよ、龍之介さん」

「おわっ! 凄いな……」


 一般参加者の開場と同時に出入口から人が大波の様に押し寄せて来る。その様は圧巻の一言で、どことなく恐ろしくも見えた。

 その人波は決して走りはしないものの、早歩きのスピードでどんどん会場の中へと入って来る。みんなコミケにおける暗黙のルールに従って行動をしているわけだ。

 一定の温度を保っていた会場内は俺を含めたサークル参加者の体温により上昇をしていたんだけど、外で待っていた一般参加者の入場により急激に室温は上昇を始め、十分も経つ頃には凄まじい熱気と蒸し暑さで会場は覆われてしまった。


「これはたまらん……」


 人の体温から放たれた汗などの湿気はとても気持ち悪く、俺は思わず本音を呟いた。


「確かに凄いですね……」


 俺の呟きに対し、美月さんも顔をしかめつつ同意の反応をする。

 美月さんがこんな表情を見せる事は滅多に無いので結構レアな気はするけど、こういうレアはそう見たいものではない。

 こうして美月さんと共にコミケの凄さの一つを体感していていると、俺達が居るサークルの商品が並べられたすぐ前に一人の男性参加者が現れた。その人はおもむろに机に置かれた同人誌を取ると、パラパラと流し読みで内容を見始める。


「……これください」

「は、はい! 一冊五百円です!」


 流し読みをしていた男性は内容が気に入ったのか、すぐさま購入を決めてくれた。

 その男性の声に美月さんは一瞬驚いた様だったけど、すぐさまいつもの優しい笑顔を浮かべながら対応を始める。


「ありがとうございました」


 男性は美月さんに対してスッと五百円玉を手渡すと、買った同人誌を素早く持っていた大きな鞄に入れて別のサークルが出している本を見に行った。


「さっそく売れたね!」

「はい! 何だか緊張しちゃいました」


 売れた本を作った桜井さんは俺達に売り場を任せて他を回ってるんだけど、その本が売れた事に対して俺は柄にもなく興奮をしていた。俺達が作った恋愛シュミレーションゲームの体験版には見向きもされなかったと言うのに。

 でも、俺は嬉しかった。一生懸命に作った物を手に取って買ってもらえる。それがこうして目の前で行われる事に対し、異様なくらいに興奮をしていた。

 そんな風にして美月さんと一緒に喜んでいると、次々に出していた本を来場者が見に来る。そして本を手に取って試し読みをしてくれる参加者に対し、俺は思わず息を飲んでその様子を見つめてしまう。


「これ、三冊ください」

「あっ、はい! 一冊五百円です!」


 二番目に来てくれた人も、流し読みの末に本を買ってくれた。しかも同じ本を三冊もだ。これが世に言う、自分用・観賞用・布教用みたいな事だろうか。

 それからしばらくの間は売り子をしっかりと続け、お昼頃に戻って来た桜井さんと売り場を交代した後、美月さんと一緒に食事を摂ったり会場を見学して回ったりした。


「さすがはコミケだね。俺が想像してたよりも遥かに凄いや。色々と」

「そうですね。私も色々と情報を集めはしてましたけれど、皆さん想像以上の熱気ですね。好きなものに対する愛情や情熱が渦巻いてる感じがします」

「確かにその通りかも」


 混み合っている場所はなるべく避けるようにし、比較的空いている場所を巡っていた俺達は、初参加のコミケを自分達なりに楽しんでいた。

 それぞれ出品している物の違いやジャンルの違いこそあれど、溢れんばかりの情熱を注いでいる事に違いはない。それは同じく恋愛シュミレーションゲームを製作している俺達も同じだから。


「……そういえば龍之介さん。今更だとは思いますけど、本当に茜さんの方へ行かなくて良かったんですか?」


 色々なサークルを回っている最中、美月さんは手にしたバスケットものの二次創作作品を見てからそんな事を聞いてきた。

 美月さんが茜の事を気にしている理由。それは茜が所属しているバスケットボール部のインターハイ出場をかけた予選が昨日から始まっているからだ。

 本当なら茜の応援に行ってやりたいところだけど、今回は制作研究部の活動を優先させた。それはまひろや杏子、るーちゃんや愛紗に用事があって昨日と今日が自由な行動がとれなかったから。

 そんな中で俺までが茜の応援で抜けると、美月さんが一人でコミケでの活動をする事になる。それはさすがに気が引けたので、俺は美月さんについて行く事に決めたわけだ。まあ、コミケに興味があったからというのもあるけど。


「大丈夫だよ。茜にはちゃんと事情は説明したし、茜だって『しっかりと宣伝して来るよーに!』って言ってたしね」

「そうですか。それならいいんですけど……」


 そう言って微笑みはするものの、その微笑みはどこかぎこちない。口ではああ言ってたけど、やはり茜の事を気にしているんだろう。


「まあ、ここは茜の言っていたように頑張ってゲームの宣伝をしておこうよ。冬コミには間に合うように完成させないといけないし、それまでに色々と改善や修正も加えなきゃだろから」

「……そうですよね。しっかりと頑張らなきゃですよね。私は部長なんですから」

「そうそう。その意気だよ」


 ようやくいつものにこやかな笑顔を見せてくれた美月さんに対し、俺もにこやかな笑顔を見せる。

 そして今日一日、俺は美月さんと一緒に売り子として頑張りつつ、制作研究部が作っているゲームの体験版の宣伝販売を頑張った――。




「ふうっ……ようやく終わったって感じだね」

「そうですね。でも、やっぱり楽しかったです」

「そうだね。かなり疲れはしたけど、新鮮な体験が多くて面白かったよ。あ、でも、一般参加で来るのはちょっと嫌かも」

「夏場に外で並び続けるのは大変ですからね。できれば私も遠慮したいです」

「だよね」


 コミックマーケットが終了し、片付けをして桜井さんにしっかりとお礼を言ってから別れた後、俺達は今日の出来事について楽しく話をしながら帰っていた。

 結果として大成功だったとは言えないけど、俺達の用意したゲームの体験版は用意した二百枚の内、四十七枚ほどが売れた。用意した内の四分の一も売れなかったけど、桜井さんからすれば初参加でそれなら上等だとの事だった。

 それを桜井さんから聞いた時は、どこまでもコミケの奥深さを感じたもんだ。そしてそれと同時に、冬コミではもっと売れるようにしたい――という強い意識も生まれていた。

 そんな事を考えていた時、俺は杏子に『コミケが終わったら連絡して』と言われていた事を思い出す。

 しかし胸ポケットから取り出した携帯の画面は真っ暗なままで、電源スイッチを押してもやはり電源はつかなかった。前日にしっかりと充電するのを忘れていたせいで充電が切れていたからだ。


「まいったな……」

「どうかしたんですか?」

「いや、杏子からコミケが終わったら連絡してって言われてたんだけど、携帯の充電が切れててさ」

「あ、そうだったんですね。それなら私の携帯を使って下さい」

「いいの?」

「かまいませんよ。今、杏子ちゃんにかけてますからどうぞ」

「ありがとう。助かるよ」


 美月さんから携帯を受け取り耳にあてがう。

 そして数回のコール音がした後で杏子が出ると、俺はコミケが終わって帰っている途中である事を端的に伝えてから通話を切った。


 ――あっ……。


 杏子との通話を終えて電話を切った後、俺は元に戻った携帯の待ち受け画面が一瞬目に映り、あの時の事を思い出してしまった。


「どうかしましたか?」

「えっ!? ああ、いや、何でもないよ。携帯ありがとね」

「いえ、どういたしまして」


 こうしてドキドキとワクワクに満ちたコミケ初参加は無事に終わった。これからは更にゲームの質を上げながら完成を目指さなければいけない。

 だけど俺はこの時に再び美月さんの待ち受け画面を見てしまった事により、あのゴールデンウイークの時の様に美月さんについて色々と考え込む様になってしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る