第256話・すれ違う二人×覚悟と決意

 自分が着るコスプレコンテスト用の衣装が出来上がった翌日も、俺はいつもと同じ様に愛紗の家へとやって来ていた。

 そしていつもの様に愛紗の部屋で作業をする中、俺は愛紗の作業の邪魔だけはしないようにと、学園の図書館で借りた裁縫の本を見ながらちょっとした小物作りに勤しんでいる。


「ここをこうして、こーなって」


 目の前に居る愛紗は、作業を始めた時からこの様に言いながら作業を進めている。作業をしている時についその過程を口にする人は居るけど、どうやら愛紗もそのタイプのようだ。

 それにしても、コスプレコンテスト自体には相変らず乗り気ではないみたいだけど、こうして衣装を作っている時の愛紗はとても楽しそうに見える。多分、この様に何かを作る事は好きなのだろう。

 普段から家庭的だと思っていた愛紗の更に家庭的で女性的な部分を目の当たりにし、俺の愛紗に対する恋心は尚一層に高まる。

 しかし、その恋心を口にする事は決してできない。なぜなら愛紗には、既に好きな意中の人物が居るのだから。

 それにもしも、愛紗に対してこの気持ちを明らかにしてしまえば、今の関係は崩れ去ってしまうだろう。それが俺には堪らなく怖い。だからこそ、今の状況に甘んじているとも言える。

 少なくとも、俺が愛紗に対して本心を口にしなければ、仲の良い先輩と後輩という関係性は保たれるのだから。

 他人が聞けばどこまでも逃げの発想と思われてしまうだろうけど、恋心を持った人にとって、これはとても重要な事。大切だからこそ、大好きだからこそ失いたくない関係、それが恋をした人を臆病にさせるんだと思う。


「先輩。そろそろお昼の買出しに行きませんか?」

「あっ、もうそんな時間か」

「はい。今日は何を食べたいですか?」

「そうだな……パスタなんてどうだ?」

「いいですね。それじゃあ、買出しに行きましょうか」

「おう。そうだな」


 愛紗の家へと来るようになってから、この様に昼食の食材を一緒に買いに行くのが当たり前の様になっていた。どうも愛紗には外食をするとか出来あいの物を買うと言った考えはあまり無いらしく、基本的には食材を買って手作りをする。

 俺としては一緒に料理を作れるし、愛紗の手作り料理を食べられるのだから嬉しい限りだけど、同時にそれが辛く感じる時もあった。

 だってこれも、コスプレコンテスト用の衣装が出来上がるまでの間の事で、ずっとこんな事が続くわけじゃないから。いずれは愛紗の彼氏になる奴が、今の俺と同じ様な状況を独占し続ける事になるだろう。それが俺にはどうしようもなく辛い。

 だけど俺には、それをどうこうする事はできない。どこまでも現実の厳しさを感じながら、俺は出かける準備を進める。

 そして着替えを済ませてから愛紗の家を出ること約15分。俺と愛紗は買い出しに使っているスーパーへと辿り着いた。


「先輩。パスタの味付けは何がいいですか?」


 店内へと入りカートにカゴを乗せるとほぼ同時に、愛紗がそんな質問をしてきた。

 愛紗の料理の腕は確かだから、どんな料理を作ってもらってもどれも美味しい。だから俺としては、特にどれがいいと言った要望の様なものは無かった。


「あー、別に何でもいいよ?」

「もう……その『何でもいい』って言う答えは、作る人にとっては一番困る答えなんですよ? 先輩の好きな味付けにしたいから聞いてるんですし、はっきりと言ってもらった方が助かります」

「そ、そっか、悪い。えっと……それじゃあ、ナポリタンで頼むよ」

「ナポリタンですね? 分かりました。それじゃあ行きましょう」


 その答えに笑顔を見せると、愛紗は慣れた様子でカートを扱いながら迷い無く方向を定めて売り場へと向かう。

 そんな愛紗の迷いの無さはとても頼もしく、俺は先輩である事も忘れてその後に続いて行く。


「先輩、パスタの太さは何ミリがいいですか?」

「そうだな……いつも食べてるパスタは太目だから、1.8ミリかな」

「本当に結構太めですね」

「ラーメンとかは細麺派だけど、パスタは太目のモチモチした食感が好きなんだよ」

「ああー、確かにモチモチしてますよね。太目のパスタは」


 俺の言葉に相槌を打つと、愛紗は売り場にある多種多様な乾燥パスタ麺の中から指定した大きさの麺が入った袋を手に取り、それをカートへと優しく入れた。

 最近はパスタ麺も1.4ミリか1.6ミリが主流の様で、1.8ミリサイズはあまり店頭では見かけなくなってきているから残念でならない。それにしても、たった0.4ミリか0.2ミリ違うだけで食感はまったく違って感じるんだから、人間の舌というのは本当に敏感なものだと思う。


「――よし。これでいいかな」


 店内を回ること約30分。

 素材や値段、鮮度に拘りがある様子の愛紗は、ようやく集めた素材に納得がいったようだった。


「愛紗ってさ、いつもこんなに拘って買い物をしてるのか?」

「いいえ。普段は今よりずっと大雑把ですよ」

「へえー」


 その言葉を自分に都合の良い様に解釈すると、『先輩が一緒だから拘ってるんです』――とも取れなくはないけど、流石にそれが考え過ぎなのは分かっている。むしろ、お客として来ている俺に気を遣ってくれている――と考えるのが、最も自然な考え方だろう。

 しかし、心の中でその都合の良い考えの方であってほしいと思っている自分が居るのは事実。だけど、そんな考えをすんなりと受け入れられる要素が無いのでそれもできない。現実は本当にどこまでも厳しい。

 それから買い物を済ませて愛紗の家へと戻った俺達は、二人で一緒にパスタ作りに勤しんだ。


「「――いただきます」」


 二人で一緒に作ったパスタを前に両手を合わせ、いつもの様に食べ始める。ここ数日の間で当たり前になった光景だ。


「うん! やっぱり美味しいな!」

「そうですか? それなら良かったです」


 今回は麺を茹でたのが俺で、ソースを作って和えてくれたのが愛紗だ。

 愛紗の作る料理は食べる度に美味しさを増しているように思う。いや、この場合は美味しさを増していると言うより、俺好みの味になってきている――と言った方がいいかもしれない。


「愛紗って本当に料理上手だよな。ここへ来るようになってから、ますます料理が美味しくなってるし」

「本当ですか? それなら良かったです。先輩ならこういう味付けが好みなのかなーって考えて作っているので」

「えっ? わざわざ俺の好みを考えて味付けをしてくれてたのか?」

「あ、いや……その……先輩がわざわざこうして家に来てくれてるんですから、せめて美味しい料理くらいは出したいと思って……べ、別にそれ以上の理由は無いんですよ?」

「そ、そっか。ありがとな、愛紗」

「い、いいえ……どういたしまして……」


 愛紗はそう言うと、顔を横へと逸らして俯かせてしまった。

 俺はと言えば、そんな愛紗の態度と言葉を見聞きして落胆する気持ちを抑えきれずにいた。分かっていた事とは言え、直接本人の口からそのような言葉を聞くと、ガッカリせずにはいられない。

 それから昼食の後片付けをした後、俺達はいつもの様に衣装作りを再開したけど、なぜかちょっと気まずい雰囲気を感じていた。それはもしかしたら、俺だけがそう感じていただけかもしれないけど、何となく愛紗も俺に対して遠慮をしている様な雰囲気を感じた。

 そして結局、この日はずっと気まずい雰囲気を感じながら衣装作りは進み、今日の作業が終わるまでの間で会話を交わす事はほとんど無かった。


「――それじゃあ、また明日」

「はい……気をつけて帰って下さいね」

「ああ。それじゃあな」


 今日の作業もとりあえず終わり、俺は愛紗の家から自宅へと帰る為に帰路を歩き始める。

 いつも愛紗の家から帰る時には異様な寂しさの様なものを感じていたけど、今日のそれは特別大きく感じ、俺は小さな溜息を何度も吐きながら駅への道を歩いた。


「――龍之介先輩!」


 そして帰路を歩き始めてからしばらくして駅へと着いた頃、唐突に後ろから名前を呼ばれ、俺はその方向へと振り返った。


「愛紗? どうしたんだ? 何か忘れ物でもしてたか?」

「いやその……違うんです……。先輩に一つお願いがあって来たんです」

「お願い? 俺に出来る事なら聞くけど。何?」

「えっとあの……文化祭の事なんですけど、一日目のコスプレコンテストが終わった後と最終日なんですが、私と一緒に文化祭を回ってもらえませんか?」

「えっ!?」

「だ、駄目だったら別にいいんですけど……」


 愛紗は何やら深刻な様子でそんな事を言ってくる。

 内容自体は深刻なものではないけど、もしかしたら文化祭の最中にやりたい事でもあるのかもしれない。


「あのさ、愛紗の方こそいいのか?」

「えっ? どうしてですか?」

「だってほら、文化祭って言ったら、好きな人を誘うとか定番じゃないか。それなのに俺と一緒に回っていいのかなって」

「そ、そんな事は先輩が気にしなくても大丈夫です! どうなんですか? 一緒に回ってくれるんですか!?」


 俺の言葉を聞いて、愛紗はいきなり物凄い勢いで迫って来た。そんな愛紗の勢いに、思わず気圧されるように半歩下がってしまう。


「い、一緒に回るよ」

「本当ですか!?」

「あ、ああ」

「約束ですからね?」

「ああ、約束だ」

「そ、それじゃあ、よろしくお願いします。もう約束しましたからね? 後から駄目だとか言うのは無しですからね!」

「分かったよ」

「じゃ、じゃあ、私は帰ります」


 愛紗はそう言ってペコリと頭を下げると、足早にその場から走り去って行った。

 俺はそんな後ろ姿を見ながら、愛紗がいったい何を考えているのか分からず、ただ戸惑っていた。

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