俺はラブコメがしたいッ！

第230話・始まり×思い出

　初心忘るべからず――という言葉は、おそらくどんな人でも一度は耳にしたことがある言葉だと思う。

　これは“何事においても始めた頃の謙虚で真剣な気持ちを持ち続けていかねばならない”――という戒めの言葉なのだけど、この言葉を残したのが能の世界で活躍した世阿弥（ぜあみ）のものだというのを知る人は案外少ないのではないだろうか。かく言う自分も、今日の国語の授業で先生からこの話しを聞くまでは知らなかった。

「えっ？　初心忘るべからずって言葉を残したのは誰かって？　世阿弥でしょ」

　１日の授業も無事に終了し、至っていつもどおりの穏やかな日没を迎えようとしていた頃、自宅の台所で夕食の準備をしている杏子に今日知った知識を早速披露して物知りお兄ちゃんをアピールしてやろうと思ったのだけど、我が妹様はその質問に間を空けることもなくあっさりとそう答えた。

「あ……うん、正解だ」

　こちらとしては『言葉は知ってるけどそれは知らないかな』――みたいな返答が杏子から出て、それに対して俺がさも昔から知ってました感を出しながらそれを教える――という予定だったんだけど、杏子があっさりと答えを口にしたことによりその予定はいとも簡単に崩れ去り、この計画は一瞬にして終わりを迎える形となってしまった。

「で？　それがどうかしたの？」

「いや……別になんでもないよ。ただ聞いてみただけ」

「ふーん、変なお兄ちゃん。あっ、夕食ができるまでもうしばらくかかるから、それまではのんびりしててね」

「はいよ」

　虚しい気持ちを感じながら台所を出て自室へと向かう。こういった時の残念感って半端じゃないんだよな……。

　とぼとぼと廊下を歩いて二階への階段を上り、自室へと入ってから椅子に座って机の上に用意していた筆記具を右手に持つ。

「さて、ちゃっちゃと終わらせるかな」

　今日は珍しく国語の授業で宿題が出ていた。

　その内容は簡単に言えば作文だ。テーマは“高校に入学した頃のこと”――なんだけど、なんで高校生にもなってこんな小学生染みたことをせにゃならんのだと思う。

　しかし宿題である以上、やっておかないといけないので仕方がない。やらずに学校で居残りなんて、まっぴらごめんだからな。

　そんなことを思いながら花嵐恋（からんこえ）学園へと入学した当初のことを思い出す。

　入学当初で思い出深いことと言えば、入学式の翌日にやったレクリエーションは外せない。なぜならあのとんでもないレクリエーションが切っ掛けで、悪友の渡や他のクラスメイトと仲良くなったのだから。

　とても懐かしい気分を感じながら、俺はあの日のことを思い出していく。

×　×　×　×

　長く苦しかった受験勉強の日々も終わり、俺は第一希望だった花嵐恋学園へ昨日入学した。茜やまひろの協力がなければ、きっとこの学園に合格することはできなかっただろう。

　だからあの２人には心から感謝をしている。もちろん受験の間に家事全般をやってくれていた妹の杏子にもだ。

「おはよう、龍之介」

「おう、おはようまひろ」

　相変らずどんな女性よりも可愛らしいまひろと駅前で遭遇し、いつものように挨拶を交わす。小学生時代から変わらないまひろとの日常だ。

「茜ちゃんは一緒じゃないの？」

「ああ。なんかバスケット部の朝練を見学したいとかで、朝早くから学園に行くとか昨日言ってたぞ」

「そうだったんだ。やっぱり高校でもバスケットを続けるんだね」

「みたいだな。まあアイツは元気にコート上を走り回ってるのがお似合いだし、いいと思うけどな。それよりまひろはどうすんだ？　部活には入るのか？」

「うーん……まだはっきりと決めてるわけじゃないけど、いくつか文科系の部活を見学しようかなとは思ってるよ。龍之介はどうするの？」

「俺は部活に入るかどうかの段階で迷ってるんだよな」

「そうなんだ。それじゃあ僕が部活の見学に行く時につき合ってくれないかな？」

「ああいいぜ。どんな部活があるのか見て回るのもいいだろうしな」

　期待に胸膨らみ、色々なことが未知で満ち溢れている高校生活の始まり。あの時の俺は、確かに色々なことが新鮮で真新しく感じていた――。

　学園に着いてから朝のホームルームが終わったあと、俺たちのクラスは昨日の入学式あとに聞いていたレクリエーションの時間を迎えていた。

「いったいなにをするのかな？」

「さあな……面倒臭いことじゃなけりゃいいんだけどな」

　なぜかジャージに着替えてグラウンドへと集合することになった俺たちは、これからなにを行うのかとそわそわしていた。

　そしてクラスの全員がグラウンドへと集合してからしばらくすると、担任の先生がプリントの束らしき物を持って現れ、これから行われるレクリエーションの説明を始める。

「――まひろ、無理はするなよ？」

「うん、ありがとう」

　先生からレクリエーション内容についての説明を聞いたあと、それぞれが決められたら位置へと着いたらいよいよレクリエーションの開始だ。

　レクリエーションと言えば同じクラスの連中と親睦を深めるため、軽い感覚で楽しくなにかをする――という感じが一般的なイメージだと思う。

　しかしこれから行おうとしているレクリエーションは、楽しそうではあるが少なくとも軽い内容ではない。なぜならこれから俺たちが行うのは、昼食の時間まで続く“陣取り缶蹴り”だからだ。

　缶蹴りはみんなも知っていると思うけど、陣取り缶蹴りというのを聞いたのはこの時が初めてだった。

　その内容を簡単にまとめると、まずクラスメイト４０人を缶を守る側３０人、缶を蹴る側１０人に分ける。

　普通の缶蹴りはやる人数にもよるけど缶を守るのが１人から数人と言ったところだろうから、既にこのあたりで通常の缶蹴りとは違うのが分かってもらえると思う。

　そしてこの陣取り缶蹴りが通常の缶蹴りと決定的に違う部分は、蹴るための缶が複数存在しているということだ。

　それは缶を守るために振り分けられた３０人を更に二組のペアに分け、本校舎のグラウンドから運動部専用棟の敷地内にある１５箇所の守るべき陣地内に缶を設置し、缶を蹴る側が守る側の監視をかいくぐって缶を蹴り陣地を獲得するというもの。

　細かなルール説明はこの際省くけど、“守る側は２０分に１回ローテーションでその陣地を守っている１人が別の陣地の人と交代しなければいけない”――と言ったルールがあり、蹴る側にも“２人以上で陣地を攻めてはならない”――というルールがある。

　ちなみに守る側がローテーションで交代しなければいけない時に与えられる５分間は、蹴る側も攻めてはいけないことになっている。

　そういった感じでやたらとルールが存在する陣取り缶蹴りが、今まさに始まろうとしていた。