第221話・思わぬ×事態

 陽子さんと偶然にもコインランドリーで遭遇し、乾燥機が空くのを待ちながら談笑を続け、ちょうど良く空いた乾燥機を陽子さんに先に使ってもらうことにした。洗濯物の量も多いし、時間がかかるのは目に見えていたからだ。

 しかし予想通りと言うべきか、陽子さんは『龍之介くんが先に来ていたんだから』――と、乾燥機を先に使うのを遠慮していたが、洗濯物の量は圧倒的に陽子さんの方が多いんだし、俺はあとから空いた乾燥機を使えばいいから――と言う俺の言葉に戸惑いながらも、『ありがとう』というお礼の言葉と共に乾燥機に洗濯物を少しずつ入れ始めた。こういう遠慮深くて思慮深いところがなんとも陽子さんらしくていい。

 陽子さんが乾燥機に洗濯物を入れるのを見ながら、次に空く乾燥機はどれだろうかと乾燥機についているタイマーの表示を椅子に座った位置から見える範囲で見渡してみる。するとちょうど陽子さんが洗濯物を入れ込んでいる隣の乾燥機のタイマーが残り時間10分を表示しているのが見えた。

 その乾燥機を利用している人物がこの場に居るのかは分からないけど、とりあえず目星だけはつけておくとしよう――。




 目星をつけていた乾燥機が止まると、それに合わせたようにして1人のおばさんがコインランドリーへと現れてその乾燥機の蓋を開けてから中の洗濯物を取り込み始めた。


「あの、次にここを使っても大丈夫ですか?」

「あ、はい、大丈夫ですよ。ちょっと待って下さいね」


 俺の問いかけに手を止めたおばさんはにこやかにそう答えると、先ほどよりも洗濯物を回収する手を早めて乾燥機を空けてくれた。

 洗濯物を取り出して帰ろうとするおばさんに、ありがとうございます――とお礼を言ってから持って来ていた洗濯物カゴを持って乾燥機の方へと振り向く。


「おっと!?」


 しかしカゴを持って乾燥機へと向かおうとした瞬間、自分が座っていた椅子の足に自分の足が引っかかり、持っていたカゴごとその場で転んでしまった。


「いてて……」

「だ、大丈夫!?」

「あ、うん。大丈夫大丈夫。あっ……」


 転んだ俺に手を差し伸べてくれた陽子さんの手を握って立ち上がると、俺が持っていた洗濯物カゴの中が転んだ勢いで飛び出したらしく、俺と杏子の洗濯物が陽子さんが次に乾燥機に入れるために準備していたカゴの中と床に飛び散ってしまっていた。


「ごめんね、すぐに片づけるから」

「ううん、気にしないで。それよりも怪我とか大丈夫だった?」

「あ、うん。ちょっとつまづいただけだから」

「そっか、良かった」


 陽子さんは安堵したような息を吐き出すと、自身の洗濯物カゴの中に入った洗濯物と床に散らばった洗濯物を一緒に集めてくれた。

 なんともかっこ悪いところを見せてしまったけど、陽子さんはそんなことは一切気にしていない様子だった。まあそれも陽子さんなりの優しさだったのだと思う。

 こうしてちょっとしたハプニングはあったものの、お互い無事に洗濯物の乾燥を終えることができた。


× × × ×


「お兄ちゃん、これはいったいどういうこと?」


 コインランドリーから帰ってしてしばらく経った頃、俺はリビングの床に正座をした状態で杏子から問い詰められていた。

 乾かした洗濯物を杏子と一緒にリビングで畳んでいる最中に見つかった“ある物”が原因でこうなっているわけだが、どれだけ問い詰められても知らないものは答えようがない。


「だから何度も言ってんだろ? 俺はそんな物知らないって。杏子が自分で買ってたのを忘れてるだけなんじゃないのか?」

「どこの世界に自分の買った下着を忘れる人がいるのよ……」


 まあそりゃそうだよな――と、杏子の言葉に納得して思わず頷いてしまった。

 俺が正座で妹に問い詰められている原因、それは洗濯物カゴの中に入っていた女性物の白と水色の横縞パンツが入っていたこと。

 もちろん俺にそんなパンツを盗った覚えもないし、拾った覚えもない。覚えがないからこそ杏子からの執拗しつような質問にちゃんとした答えを出せないでいるわけだ。


「でもさ杏子、考えてもみてくれよ。もしかしたら俺の前に乾燥機を使ってた人が回収し忘れてたのかもしれないだろ?」

「お兄ちゃん、乾燥機を使う前に中を確認しなかったの? いつもはしてるのに」

「うっ……」


 そう、杏子が言うように俺はコインランドリーを利用する際は必ず中を確認してから利用を開始する。

 利用する機械の中に洗濯物があるかもしれないから、ちゃんと確かめるように――それは一緒にコインランドリーを利用する際に杏子にも口酸っぱく言って聞かせていたことでもある。そんな俺がそれをおこたったと言えるはずもなく……。


「いや、ちゃんと確認はしたよ」

「だったらお兄ちゃんの言ってることは矛盾しちゃうじゃない」

「そりゃあそうだけどさ……」


 杏子の言っていることはもっともなのだが、分からないことをいくら聞かれようとも答えは出ないのだから仕方がない。


「まあお兄ちゃんが下着泥棒なんてするとは思えないから、乾燥機の中の確認不足ってことだとは思うけど……。この下着の持ち主は困ってるだろうね」

「そうだろうな」


 杏子が手に持った下着を見ながらはあっと息を吐く。

 溜息を吐きたいのは俺の方だよ――と思いつつも、洗濯物を持って帰って来たのは俺だからそうもいかない。


「とりあえずこの件は後回しにして、先に他の洗濯物畳んじゃおう。他の物が出てくる可能性もあるし」

「そうだな」


 そんなことになったら嫌だなと思いつつも、杏子が言うように他の洗濯物が紛れている可能性は否定できない。現にこうして1枚の見知らぬ下着が紛れ込んでいたわけだしな。

 こうして大きな疑問を抱えたまま再び杏子と洗濯物を畳んでいったわけだが、幸いにも杏子が見つけた縞パン以外に紛れ込んでいた物はなかった――。




 陽も落ちた午後20時過ぎ、ベッドの上で寝そべって漫画を読んでいた枕元でスマホが着信音を奏で始めた。その着信音にちょっとビックリしてしまったが、持っていた漫画を横に置いてから着信主を見ると、そこには“雪村陽子”の表示が出ていた。

 昼間に会ったのにどうしたんだろうと思いながらも、急いでその着信を受けてスマホを耳にあてた。


「はい、もしもし」

「あっ、もしもし、突然ごめんなさい。今時間は大丈夫かな?」

「うん、大丈夫だよ。どうかした?」

「あ、うん……ちょっと龍之介くんに聞きたいことがあって電話したの」

「聞きたいこと? なにかな?」

「えっと……あの……」


 そう聞き返すと陽子さんは酷く動揺した感じで口ごもり始めた。その様子からなにかとても言い辛いことなのだろうということは容易に予想できたけど、その内容がどんなものなのかはまったく見当がつかない。

 だからと言って話したいことがなんなのかを急かすと、陽子さんの場合それを余計に言えなくなる可能性が高いからそうもいかないんだよな。

 こんな調子でしばらくごにょごにょと口ごもっていた陽子さんだったけど、ようやく意を決したのか、なんとか俺にも聞き取れるような発声で言葉を紡ぎ始めた。


「あ、あのね、今日コインランドリーで私と会ったあと、なにかなかった?」

「陽子さんと会ったあと? うーん……」


 なにかあったかと言えばあったけど、あの下着の件は関係ないだろうし、余計なことを言って変な誤解をされるのも嫌だったので、とりあえず『特になにもなかったよ』――とだけ答えておいた。


「そっか……」

「いったいどうしたの? 俺と会ったあとでなにかあったの?」

「う、うん……凄く恥ずかしいんだけど、コインランドリーから帰ってからみんなで洗濯物を畳んでたら、下着が1枚足りなかったの」

「えっ!?」


 “下着”――という言葉を聞いて俺の心臓は一瞬大きくドキッと跳ねた。

 まさか俺たちの洗濯物に紛れていたあの下着が、陽子さんが住む下宿先の誰かの物ってことなのか? でもなんでそんな下着が紛れ込んだんだ……。


「あっ!」

「ど、どうかしたの?」


 その時、俺はあることを思い出した。コインランドリーで洗濯物が入ったカゴを持って転んだことを。

 なんてこった……あの時陽子さんたちの洗濯物に俺たちの洗濯物が被さったから、その時にあの下着が紛れ込んじゃったんだ。どうしてこんな簡単な可能性に気がつかなかったんだろうか。

 特になにもなかったと言ってしまった手前、非常に言い辛いところではあるけど、これは素直に言っておかないといけない。


「あ、あのさ、その下着ってもしかして、縞柄のショーツだったりする?」

「えっ!? う、うん、そうだけど」

「ごめん! その下着、俺たちの方の洗濯物に混ざってたんだ」

「そ、そうだったんだ。ごめんね迷惑かけて、今すぐ取りに行くから」

「あ、いや――」


 夜も遅いし俺の方から届けに行くよ――と言いたかったのだが、そんな暇も与えられることなく陽子さんからの通話は切れた。

 慌てているようだったし、その気持ちも分からなくはないので、あえて電話をかけ直すことはせずに陽子さんを迎えるために部屋を出て玄関へ向かおうとした瞬間、ピンポーン――とチャイムの鳴る音が家の中に響き渡った。

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