第208話・記憶×奥底

 小学校二年生の夏休みに入ってすぐの頃、俺は母さんとじいちゃんばあちゃんが住む田舎へと遊びに来ていた。

 普通に考えれば単純に夏休みを利用しての帰省きせいだろうけど、この時の帰省はそんな単純なことではなかった。なぜならこの時の帰省は、俺の心の静養を考えた母さんが企画したものだから。

 もちろん母さんがそう言ったわけではないけど、あの頃の母さんの気の遣いようを考えるとそうとしか考えられない。まあ、この時は母さん自身の心の静養も兼ねていたんだろうとは思うけどな。

 心の静養――なぜそんなことが必要なのかと言うと、それはほんの半年ほど前に父さんを交通事故で亡くしたからだ。

 あの時は本当に突然のことで、父さんの死を受け入れることができずによく泣いていた気がする。母さんはそんな俺を気遣うようにして、極力側に居てくれた。

 小さな頃はそんな気遣いにまったく気がつかなかったけど、大きくなった今ではあの頃の母さんの気遣いに色々と気づく点はある。あの頃は母さんも相当辛かっただろうに、本当にたくさん迷惑をかけていたと思うから、その点は今でも申し訳なく思う。

 そして“あの子”と出会ったのは、田舎に着いた初日のこと。

 田舎に着いてお昼を食べてから散歩へと出かけ、近くにある小さな公園へとさしかかった時、その公園へと入った白のワンピースを着た女の子が青色のハンカチを落としたのが見え、俺は急いでそれを拾ってから大きな木がある方へと向かって行く女の子へとハンカチを手渡しに行った。


「ハンカチ落としたよ」

「ありがとう」


 呼びかけに反応して振り返った女の子は笑顔を見せるわけでもなく、平坦な声音で事務的にハンカチを受け取り、ハンカチを手に持ったまま木陰の下にある小さなベンチへと向かって行く。


「確かあの子、ここに来た時もあそこに居たよな……」


 そう、俺はお母さんとこっちへ来た時にこの公園前の道を通り、その時にあのベンチに座っている女の子を一度見ていた。

 頭を俯かせていたから顔はよく分からなかったけど、風に揺れていた長い髪の毛や白のワンピースという服装を考えると間違いないと思う。

 どことなく寂しそうにベンチに座っている女の子を見ていると、なんだかその姿が少し前の自分と重なって見えた。もちろん本当に寂しいのだとしてもその意味合いは全然違うとは思うけど、なんとなくその子を放っておけない気分になった。


「――ねえ、ここでなにしてるの?」


 意を決してから木陰の下のベンチに静かに座っている女の子の前まで行き、明るい声音でそう問いかける。

 女の子はその声に反応して頭を上げたけど、その表情はハンカチを手渡した時と同じように笑顔一つない。無表情――と言ったらなんだけど、当時の俺にはそんな感じに見えてしまっていた。


「私?」

「うん」

「私は……なにをしてるのかな?」

「えっ?」


 こちらが聞いた質問をそのまま質問として返され、俺はちょっと戸惑った。女の子の様子を見ている限りでは、なにをしていたのか、なにをしようとしていたかなんてさっぱり分からなかったからだ。

 それでも自分なりにありえそうな理由を考え、とりあえずそれを口にしてみる。


「誰かと遊ぶ約束をしてて待ってるとか?」

「ううん、誰とも約束はしてない。いつも独りだから」

「えっ? 友達と遊んだりしないの?」

「うん。私には友達が居ないから」


 先ほどとは違って途端に表情を沈ませる女の子。どういった理由で友達が居ないのかは分からないけど、少なくとも俺にはこの女の子が人に嫌われそうな子には見えなかった。


「……ねえ、良かったら僕と遊ばない?」

「えっ? 私と遊んでくれるの?」

「うん! 僕は鳴沢龍之介。こっちにあるじいちゃんたちの家に2週間だけ泊まりに来てるんだ。龍之介って呼んでいいからね。君の名前は?」

「今居るところでは“みっちゃん”て呼ばれてるの」

「みっちゃんか。じゃあみっちゃん、良かったら僕がこっちに居る間は一緒に遊ぼうよ」

「いいの?」

「もちろん! それじゃあみっちゃん、面白い場所があるから一緒に行こう!」


 ベンチに座るみっちゃんに右手を伸ばすと、恐る恐ると言った感じでその手を握ってきた。

 俺はその手をしっかりと握り、去年見つけておいた秘密の沢へと向かって歩き始める。


× × × ×


「龍之介くん、この生き物はなに?」

「こっちの黒みがかった方がサワガニで、その近くに居る緑色のがアマガエルだよ」

「触っても大丈夫かな?」

「サワガニは気をつけないとハサミに指を挟まれるけど、アマガエルは平気だよ」

「それじゃあアマガエルに触ってみるね。――あっ」


 興味深そうに話を聞いてからカエルへと手を伸ばしたけど、その手がカエルへ触れる直前にピョンとジャンプをして別の方向へと逃げて行ってしまった。

 カエルに触ることができなかったみっちゃんは、残念そうにしながら口を小さく尖らせる。


「カエルの正面から手を伸ばすと逃げられちゃうから、後ろの方から手を伸ばして捕まえるといいよ」

「うん、分かった」


 みっちゃんはにこやかな可愛らしい笑顔を浮かべ、さっき触れることができずに逃げられたカエルを探し始める。

 そしてカエルが逃げて行った方を見回しながら目的のカエルを見つけると、今度は言われたとおりに後ろからそっと近づき、両手でカエルを優しく包み覆うようにして捕まえた。


「捕まえたよ龍之介くん! 手の中でピョンピョン跳ねてるよっ!」


 カエルが包まれた両手を俺の方へ向けて差し出し、嬉しそうにはしゃぐみっちゃん。こういう場所で遊ぶのは初めてだと言っていたけど、カエルを捕まえただけでこのはしゃぎようは凄い。


「わー、柔らかくてぬるぬるしてる」


 片手を離して中に居るカエルをまじまじと見ながら、空いた方の人差し指で恐る恐るカエルを触るみっちゃん。

 すべてのことに興味津々と言った感じのみっちゃんの反応はとても面白く、それから夕陽が沈みかけるまで一緒に楽しく沢遊びを楽しみ、また明日一緒に遊ぶために公園のベンチで待ち合わせをしてその日は別れた。

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