第205話・カワイイ×アイツ

 こうしてまひろの家を訪ねることになった経緯は至極単純。

 制作研究部の活動を行うため、休日である今日に制作研究部の部室へとみんな集合することになっていたのだが、前日になって文化部棟、運動部棟を含めた各施設の安全点検が急遽きゅうきょ実施されることが決まってしまった。

 それを聞いた俺たちは、予定していた部活を代わりにどこで実施しようかと考えた。案としては手堅くファミレスという意見が出たけど、その時にまひろが遠慮がちに『私の家に来ない?』――と言ったのが、今日まひろの家を訪れることになった切っ掛け。

 まひろとは長いつき合いである俺や茜、杏子でさえまひろの家に行ったことは一度もない。と言うか、自宅の場所すら知らなかった。

 そんな背景もあったからだけど、俺は二つ返事でまひろの提案を受け入れた。するとそんな俺に同調するように、他のみんなもまひろの自宅を訪ねることに賛成してくれた。

 興味本位――と言えばそれまでだけど、小学校二年生の時に知り合ってから今まで、まひろの私生活については謎が多かった。

 もちろん色々と聞いてみたことはあったけど、本人があまり私生活のことを話したがらなかったから、俺もなんとなく話したくないのだろうと思って多くは聞かないようにしていた。まあそれは、女性でありながら深い事情で男性として過ごしていた自分のことを知られまいとしてのことだったわけだが……。


「お待たせしてごめんなさい。準備に手間取ってしまって」


 まひろの母親であるアナスタシアさんとロシアンティーを飲みながらしばらくの間話をしていた時、花嵐恋からんこえ学園の制服の上に可愛らしいうさぎのイラストが描かれた黄色のエプロンを身に着けたまひろが、部屋の扉を開けてちょこんと顔を覗かせてから中へと入って来た。

 その姿は二年生の時にあった花嫁選抜コンテストの時よりも可愛らしく、頬についた小麦粉らしき白いあとが、料理を頑張った乙女を感じさせてヤバイ。


「頬に白い物がついてるよ」

「えっ!?」


 自分の右頬を指さして白い粉をつけているまひろにそう言うと、まひろは部屋の片隅にあるインテリアが置かれた場所へと向かい、そこに置いてあった小さなスタンドミラーを手に取ると、さっき俺が指し示した右頬を鏡に映す。


「あっ……」


 右頬を鏡に映したまひろは小さく声を上げてからスタンドミラーを元の場所に置きなおすと、赤く染まった顔でそそくさと部屋を出て行った。


「ふふっ、今日は朝早くから皆さんが来ると張り切っていましたからね。今までは家に居てもどこか寂しそうな表情ばかりだったので、あんなに楽しそうな娘の姿を見るのは本当に久しぶりです」


 部屋を出て行ったまひろを見たあと、アナスタシアさんは本当に嬉しそうな微笑を見せながらそう言った。

 小学校二年生からほんの少し前までの間、男性として過ごして来たまひろ。自宅に帰っても寂しそうにしていたという娘の姿を見て、アナスタシアさんはどんなことを思っていたのだろう。それは俺にはまったくと言っていいほど想像がつかない。

 だけど柔和な笑顔を浮かべているアナスタシアさんを見ていると、ようやく2人の間にも平穏な時が流れ始めたのだろうと思える。


「さあ、昼食が準備されている部屋へお通ししますので、どうぞこちらへ」


 アナスタシアさんはソファーからスッと立ち上がると、この部屋へ通してくれた時のように優雅で気品ある振る舞いで目的の部屋へと案内を始めてくれた。


× × × ×


 たくさんの様々な料理が並ぶ大きなテーブルがある部屋へと通された俺と杏子は、そろそろやって来るはずの制作研究部メンバーとまひろを待っていた。


「すっごーい!」


 落ち着かないほどに広く高級感溢れる部屋を見回しながら静かにみんなを待っていたお昼直前、部屋の扉がガチャッ――と音を立てて大きく開くと、とても聞き慣れている垢抜けた大きな声が部屋全体に響いた。


「茜、声が大きいぞ。ご近所迷惑になるじゃないか」


 ついつい勢いでそう言ったけど、はっきり言って隣家とは相当に距離があるので近所迷惑にはならないだろう。

 しかし倫理的りんりてきな面を考えれば俺の言ったことは間違いではないので、今更そのことを馬鹿正直に言おうとは思わない。


「あっ、ごめんごめん」

「こんにちは、茜さん」

「こんにちは、杏子ちゃん。それにしても龍ちゃんも杏子ちゃんも、来るの早かったんだね」

「まあこっちは特に用事もなかったしな。ところで他の面子は?」

「美月ちゃんたちはちょっとだけ遅れて来るみたいだよ。さっき携帯に連絡があった」

「そっか、それじゃあもう少し大人しく待つか」

「うん。それにしても凄い料理だね。これ全部まひろく――まひろちゃんが作ったの?」


 まひろが本当の自分を見せ始めてからまだ間もないせいか、茜も未だにまひろのことを“まひろくん”――と呼んでしまいそうな時がある。

 でもそれは仕方ない。長年そうやって呼んできたものを、短い期間で完璧に飲み込んで実践できるほど人間は器用にできていないのだから。


「ああ、そうらしいぜ。朝早くに起きてから頑張ってたんだとさ」

「初めて自宅に私たちを誘ったから張り切ってるのかな?」

「まあそんなところだろうな。さっき部屋に来た時も頬に白い粉がついてたし」

「ふふっ、なんだか可愛らしいね」

「だな」


 そこから制作研究部のメンバーが揃うまでの間、俺たち3人はそんな可愛らしいまひろの話に華を咲かせていた――。




「「「「「「いただきまーす!」」」」」」


 茜が来てから10分もしない内に制作研究部のメンバーが次々と揃い、早速食卓へと着いたみんなでまひろが作った料理を食べることになった。


「この天ぷらの盛り合わせ、凄く美味しいです!」

「ほんと? 良かった……」


 目の前にある天ぷらを取り皿に取ってから上品に口へと運んだ美月さんは、ゆっくりと味わうように天ぷらを咀嚼そしゃくしたあとでぱーっと表情をほころばせた。

 そして美月さんからの言葉にまひろは心底ほっとしたように小さく息を吐き出すと、再び不安げな表情を浮かべながら他のみんなへと視線を向ける。


「涼風先輩、この煮物凄く美味しいですけど、味つけにはなにを使ったんですか?」

「えっとね、お醤油の代わりに麺つゆを使ってるの」

「あー、なるほど。それでいりこ出汁だしの風味がいい感じに出てたんですね。納得です。今度私も試してみますね」

「うん」


 感心したようにして再び煮物へと箸を伸ばす愛紗。その食事を楽しみながらも美味しい料理への研究を怠らない姿勢は見事としか言いようがない。


「りゅ、龍之介くんはどう? お口に合うかな?」


 愛紗から視線を戻したまひろと偶然視線が合わさると、今度は俺に対してそんな質問が投げかけられる。

 そんなまひろの表情には強い緊張のようなものが見られ、俺もその雰囲気に釣られて思わず妙な緊張をしてしまう。


「あ、ああ、もちろん凄く美味しいよ。花嫁選抜コンテストの時にもまひろの料理は食べたけど、あの時よりも更に美味しくなってると思うよ」

「あ、ありがとう……龍之介くん」

「お、おう……」


 恥ずかしそうにしながらも口元を緩めている様は、とても嬉しそうにも見えた。

 それにしても……こうして女性ということが判明した今、前から感じていたまひろの可愛さは2倍にも3倍にも跳ね上がって感じられる。しかも花嫁選抜コンテストの料理審査の時と同様に、制服にエプロン姿というのがまたいい。

 あの時はまひろを男性だと思っていたから妄想の中で女性のまひろを想像するしかなかったけど、今はそんな想像をする必要がない。だって目の前の席に座って居るまひろは、正真正銘の可愛らしい女の子なのだから。


「ねえ、鳴沢くん、花嫁選抜コンテストってなに?」


 まひろのあまりの可愛らしさに右手で軽く頬をぽりぽり掻いていると、興味津々と言った感じでまひろの右隣の席に座っていた桐生きりゅうさんが声をかけてきた。まあ、なにごとにも興味を示す桐生さんらしいとは思うけどな。


「去年学園がやったイベントで、学園長の知り合いが花嫁衣裳のパンフレットの作成のためにモデルを学園の生徒に頼んだんだよ。それでそのモデルを務める人物を選ぶコンテストを行ったってわけ」

「へえー、私もそのお話に興味があるなあ。ねえたっくん、そのお話、詳しく聞かせてよ」


 桐生さんに続いてまひろの左隣に居るるーちゃんまでもが、花嫁選抜コンテストの話を聞きたがった。

 まあるーちゃんもどっちかと言うとこういったことに興味を持つ方だから、展開的にこうなるもの仕方がない。


「じゃあリクエストに答えてその時の話をしようか」

「やった! さすがたっくんだね」

「へ、変な話はしないで下さいね!? 先輩!」


 なぜか慌てふためく愛紗に『変なことなんて言わないよ』と言いつつ、俺は食事を楽しみながら懐かしい花嫁選抜コンテストの話をした。その懐かしい去年の思い出話は大いに盛り上がり、みんなととても楽しい昼食タイムを過ごすことができた。

 そして昼食後に今日の本題である制作研究部の活動を始め、久しぶりに全員集合をした状態での活動を無駄にしないようにと一生懸命に活動に勤しむ。


× × × ×


 陽も落ちてすっかり辺りも暗くなった19時頃、俺たちはまひろの自宅玄関を出て帰路につこうとしていた。


「あー、結構頑張ったよなー」


 身体の中に溜まった疲れを追い出すように両手を上げ、身体全体をらせるようにして大きく伸びをする。


「ホント、お兄ちゃんよく頑張ってたよね」

「こうして全員が揃う機会はあんまりないからな。こういった時にできることはしておかないと」

「お兄ちゃんにしては珍しく真面目だよね」

「おいおい杏子、誤解を招くようなことを言うなよ。お兄さんはいつでもどこでも真面目じゃないか」

「「えー!?」」


 その言葉に対してほぼ同時に声を上げたのは妹の杏子と茜だった。

 ちょっとしたボケのつもりでそう言ったのだから、それなりにいいツッコミがくるのを期待していた。

 しかし2人の口から出たのは反論でもツッコミでもなく、『えー!?』と言う不満げな一言のみ。どうせなら『そうだよねー、って、なんでやねん!』くらいベタなノリツッコミでも入れてもらった方がまだいい。


「はいはい、俺が悪うございましたよ……」


 2人のボケ殺しに溜息をついたあと、俺は両肩を落とした。

 この2人にこの手のボケは通用しないようなので、今度は本気の返答をされないようなボケで挑むとしよう。


「ふふっ。では皆さん、今日は遅くまでお疲れ様でした。まひろさんもご自宅を活動の場として提供していただきありがとうございます」

「ううん。こちらこそ、わざわざみんなに来てもらって嬉しかったです。良かったらまた遊びに来て下さいね」

「はい。それじゃあ皆さん、駅まで一緒に帰りましょう」


 まひろの言葉に対してにこやかな笑顔を浮かべて短くそう返事をすると、美月さんはみんなの方を見てそう言ってから帰路を歩き始めた。

 そしてみんなもまひろに向けてそれぞれお礼を言うと、美月さんに続くように帰路を歩き始める。


「じゃあまひろ、今日はありがとう。また学園で」

「うん。あっ、龍之介くん、ちょっといいかな?」


 一番最後に挨拶を済ませて杏子たちの方へ向かおうと振り返って歩き始めた途端、すぐさま呼び止められる。


「ん? なに?」


 その呼びかけに対してきびすを返すと、まひろはスッと側まで寄って来てから遠慮がちに小さく声を発した。


「次のお休みの日だけど、予定は空いてるかな?」

「次のお休み? うん、別に用事はないけど」

「それじゃあ良かったらだけど、その日に少しだけつき合ってくれないかな? ちょっと龍之介くんに相談したいことがあるから」

「相談? なんか深刻なこと?」


 まひろが女性であることを明かしてからまだ間もない。だから“相談”という言葉を聞いて、もしかしたら女性であることを明かしたことでなにか不都合なことが起こっているのかもと少し心配になった。


「あっ、ううん。全然深刻な話とかじゃないの。ただその……ちょっと恥ずかしいからあんまりみんなには知られたくないだけで……」


 白い肌を赤らめながらもじもじとするまひろの姿はかつてないほどの可愛らしさを感じさせ、俺の中にある保護欲を激しく刺激する。

 こんなことなら男性だと思っていた時期に遠慮なく抱き締めておけば良かった――などと、よこしまな考えすら浮かんでしまう。


「なんだかよく分からないけど、俺でいいなら相談に乗るよ。次の休日でいいんだよね?」

「うん」

「それじゃあ、次の休日の13時にいつもの時計搭下で待ち合わせでいい?」

「うん、それでいい。ありがとう、龍之介くん」

「お、おう……」


 その愛らしい微笑みに胸を撃ち抜かれそうになり、思わず視線をらす。

 まひろが女の子だったらいいなと思い続けてそれが現実になったというのに、それが現実になった途端、色々と意識してしまってまともにその姿すら見れなくなる。本当に困ったものだ。

 しかしよくよく考えてみると、まひろが男性として過ごしていた時からまひろに対しては心ときめく感情があったわけだから、実際はその時から大した心情の変化はしていないのかもしれない。


「お兄ちゃーん! 早く来ないと置いて行くよー!」

「おーう! 今行くー! じゃあまひろ、また明日」

「うん。また明日ね」


 右手を小さく上げて手を振るまひろに向け、俺も同じく小さく右手を振ってから杏子たちのもとへと向かう。


「みんなに知られたら恥ずかしい相談か……いったいなんだろ?」


 まひろが恥ずかしいと感じそうなことを思い浮かべながら、相談の内容を予想し始める。

 しかしまひろが恥ずかしいと感じそうなことは思いのほか多く思いつき、結局どんな相談内容なのか予想すらつけることができなかった。

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