第178話・相談×答え

「失礼します」

「ん? 君か、どうしたのかね。春休みは始まったばかりだぞ?」


 春休み初日。俺は制服を着て花嵐恋からんこえ学園にある保健室へと訪れた。


「宮下先生にちょっと聞いてほしいことがあって来たんです」

「そうか。ではとりあえずそこの椅子に座りたまえ」

「はい」


 宮下先生は自身が座っている席の近くにある椅子を指差すと、そこに座るように促し、机の上にあるポットから急須きゅうすへとお湯を注ぎ始めた。


「まあ大したもてなしはできないが、とりあえずお茶でも飲みたまえ」

「ありがとうございます」


 お礼を言ってから机の上に出された湯呑みへと手を伸ばし、中にある温かいお茶をすする。

 鼻を抜けて行く緑茶の優しい香りと、舌に感じる適度な渋み。温度も熱過ぎず温過ぎず、とても飲みやすい。


「――それで、聞いてほしいこととはなにかね?」


 何度か湯飲みへ口をつけたあと、まるで俺が心を落ちつけるのを待っていたかのようにして宮下先生がそう尋ねてきた。


「…………ある人物からとても大事なことを告白されたんです。それは俺にとって凄く信じられないことで、でも話を聞いた今では色々と合点がいくこともあって――」


 我ながら訳の分からないことを言っていると思う。

 しかし俺は胸の中にある思いや感情を、上手く言葉として表現できなかった。

 そして次に口にしようとする言葉が思い浮かばずに沈黙してしまう。


「――それは涼風まひろと涼風まひるのことかね?」

「えっ!?」


 しばらくの沈黙が保健室を包んだあと、宮下先生が発した言葉に俺は激しく驚いた。


「ど、どうしてそれを!?」


 俺が驚きと共に身を乗り出してそう尋ねると、宮下先生は“やはりか”――と言った感じの表情を浮かべてから湯飲みの中のお茶を口にする。

 そして続きの言葉を切望していると、宮下先生は“落ち着きたまえ”と言わんばかりの視線を向けてから湯呑みを机に置いて続きを話し始めた。


「1週間ほど前だったか、涼風まひろがここに一つの話をしに来た。『自分たち兄妹について、大切なことを告白しようと思っています』――とな。そして君はその話を涼風まひろか涼風まひるのどちらかに打ち明けられた。しかしその内容を聞いて、自分でもちゃんと心の整理がつかずに戸惑っている――と言ったところか?」

「…………」


 まさに宮下先生が言ったとおりの思いだった俺は、なにも返答することができなかった。

 そして相変らずの鋭い洞察力を見せる宮下先生に対し、俺は恐れにも似た感覚を覚えていた。


「なにもそんなに驚くほどのことではないよ。君たちの関係性や繋がりなどを考えれば、それほど解答が難しい話でもないからな」


 宮下先生は飄々ひょうひょうとした感じでそんなことを言う。本当にこの人にはすべてを見透かされているようで怖くなる。


「宮下先生は知っていたんですか? 2人の秘密を」

「ああ。しかし涼風まひるについて知ったのは、君よりもずっとあとだ。それは時期的なことを考えても間違いない」


 その言葉を聞いた俺は、なんだか少しだけ安心してしまった。宮下先生がすべてのことを俺よりも早く知っていたわけではなかったからだ。

 はっきり言ってそのこと自体は取るに足らないことかもしれないけど、やはり長年親友として接してきたという思いがあったせいか、俺には妙なプライドのようなものがあった。


「先生、俺はどうしたらいいんでしょうか?」

「ふむ、君はいったいどうしたいのかね?」


 質問をしたにもかかわらず、すぐさま質問で返されてしまった。

 それが分からないから質問したのに――と思っていると、宮下先生は微笑を浮かべながら口を開いた。


「“それが分からないから質問したのに”――と言った顔をしているな」

「うっ……」


 再び図星を突かれて表情を歪ませると、宮下先生は席から立ち上がって窓の方へと歩き始めた。


「君たちが今まで積み上げてきたものは、私には分からない。そして君がした質問の答えは君にしか出せない。しかし私にも言えることはある。君は既に答えを出しているのではないか?」


 その言葉を聞いて俺はドキッとした。本当にこの先生にはテレパシーのような能力でもあるのではないかと思ったからだ。


「……どうしてそう思うんですか?」

「人は大きな決断や物事の判断に迫られた時、自分とは違った意見を聞きたくなる。それはもしかしたら、自分の考えていることより更に良い考えを授けてくれるかもしれない、より良い道へと進むためのヒントが得られるかもしれない――そんなことを考えるからだ。しかし大概の場合、そんな良策などはでないものだ。そしてそれは、質問をしてくる本人が一番理解しているはずなのだよ。なにせそこまでの間で、たっぷりと悩み考えているはずなのだから」


 窓の外へと向いたまま、宮下先生は話を続ける。


「そして人が相談を持ち込む時には、もうその時点で答えが決まっていることが多い。ではなぜ答えが決まっているのに相談をして来るのか……それは背中を押して欲しいからだ。自分が正しいと、自分の考えが間違っていないという後押しが欲しいからだ。君もそうなんじゃないか?」


 そこまでを口にした宮下先生は、窓に背をつけてから優しげな表情で俺を見つめてきた。


「――確かにそうかもしれません……」

「それなら迷うことはない。君が信じたように進めばいい。失敗を重ねたとしても、それを教訓にしていけばいい。人は失敗を、後悔をする生き物だ。君だけじゃない、涼風だって色々な後悔や失敗をしてきたはず。そしてそれを君は知ったはずだ。それを知った上でどうするかが重要なことなのだよ。だから人の意見などはあてにするな」


 一つ一つの言葉が染み入るように心へと響いてくる。

 そうだよな、こんな大事なことを人の意見に委ねようなんて駄目だよな。


「……ありがとうございます、宮下先生。なんだかモヤモヤした気分が晴れたような気がします」

「そうか。君たちがどんな道を歩むのかは分からないが、精一杯頑張りたまえ」

「はいっ! ありがとうございました!」


 俺は椅子から立ち上がってお礼を言い、深々と頭を下げた。

 そして保健室を出て自宅へと帰りながら、一つ一つ自分の中にある思いを確認していた。

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