第174話・気になる×中身

 俺にとってのバレンタインデーは、リア充予備軍を本当のリア充へと昇格させるための行事としか思っていない。

 なぜならバレンタインを契機につき合い始めたりするやつらも多かったし、なによりつき合うまではいかないまでも、お互いを意識する切っ掛けになることは確かなようだったからだ。

 しかしまあ、女の子が好きな男の子に愛の告白とともにチョコを手渡す――などと言った風習はもはや過去のものらしく、そんなことを純真無垢に行っている女の子など、もはやほとんど居ないだろう。

 そう言った意味では、日本が作り出した独特のバレンタイン風習は既に終わっていると言えるのかもしれない。

 それにしても、バレンタインデーの初期こそ好きな相手だけに手渡していたであろうチョコも、今では義理チョコをはじめとした様々なチョコのバリエーションが増えたために、男子へのあからさまなばら撒き行為が行われるようにもなっている。これには今の男子もさぞガッカリだろう。

 しかも渡す瞬間に『義理だから』――なんて余計な一言がつけ加えられたら、ときめきもドキドキもあったもんじゃない。むしろそんな分かりきった一言がつけ加えられたら、ホワイトデーのお返しがしんどく感じてしまうくらいだ。

 そんな事態を考えると、この花嵐恋からんこえ学園に入学して良かったと、この日は特にそう感じる。

 中学時代まではクラスのあちらこちらでチョコレートを手渡す姿が横行していたものだが、この学園に通う生徒のカップル率、つまりリア充率は7割を超えているため、基本的に彼氏以外の男子にチョコを渡すと言った光景はほとんど見られない。これ以外に至っては、ほぼ女子同士での友チョコ交換会みたいになっているのが現状だ。

 まあ、目の前でイチャイチャされながらチョコの受け渡しを見せつけられないだけマシってことだな。


「龍ちゃん龍ちゃん、ちょっとちょっと――」


 あと10分もすれば朝のホームルームが始まろうかという頃、右斜め前の席に座っている茜がそう言いながらこちらに向かって手招きをしていた。


「ん? なんだ?」


 小刻みに動かされている手招きを見た俺が椅子から立ち上がると、茜も椅子から立ち上がってから廊下の方へと歩き始めた。

 歩く度に揺れ動く長いポニーテールの茜の右手には、可愛らしいうさうさのイラストが描かれた黄色の手提てさげ紙袋が握られている。

 そんな茜の手に握られている紙袋を見た俺は、なんとなく茜が俺を呼び出した理由を察し、黙ってあとをついて行った――。




「はい、龍ちゃん。ハッピーバレンタイン!」


 朝のホームルームを目前にして生徒の姿もまばらになり始めている廊下を歩き、誰も居ない踊り場へやって来ると、茜は右手に持っていた紙袋を両手でしっかりと持ち直してからにこやかな笑顔でそれを手渡してきた。


「毎年ありがとな、茜。杏子もきっと喜ぶよ」

「ううん、私もお菓子作りは楽しいから気にしないで。それに杏子ちゃんも毎年楽しみにしてくれてるみたいだから」


 茜は毎年バレンタインデーには、凝ったチョコレートのお菓子を作ってプレゼントしてくれる。それは杏子が甘い物好きで、チョコレートも大好物だと知っているからだ。


「あっ、龍ちゃんの分もちゃんと入ってるから、味わって食べて感想を聞かせてね」

「おう、ありがとうな」

「うん。じゃあ、教室に戻ろっか」


 紙袋を受け取ってお礼を言うと、茜はご機嫌な様子で教室へと戻って行く。

 杏子が妹になって2年目のバレンタインデーあたりから、茜は毎年こうしてチョコのお菓子をくれるようになった。

 甘い物好きの杏子にはたまらなく嬉しいプレゼントだろうから、毎年楽しみにはしているようだ。実際に毎年俺が茜のプレゼントを持って帰ると、真っ先にそのプレゼントに飛びついて来るくらいだからな。

 まあ俺としては妹が喜ぶ様を見るのは嬉しいので、茜には毎年感謝している。

 それに杏子へのプレゼントのついでにこうして俺の分も作ってくれるんだから、本当に律儀なやつだと思う。

 俺はご機嫌な様子で教室へと戻って行く茜の後姿を見ながら廊下を歩き、教室の自分の席へと戻る。

 そしてそれからほどなくして、朝のホームルームが始まった。


× × × ×


「龍之介、今日はどこでお昼ご飯を食べる?」


 午前中の授業がすべて終わってお昼休みへ突入すると、いつもの小さなお弁当を持ったまひろが声をかけてきた。


「そうだなあ、教室か学食か……まあ俺はどっちでもいいけど、まひろはどうしたい?」

「えっーと……じゃあ、龍之介さえ良かったらだけど、中庭のベンチで食べない? 今日は陽も照ってて暖かいし」


 確かにまひろの言うように、今日は久しぶりの天気の良さで太陽が心地良い陽気を放っている。昨日まではまだまだ身震いする寒さではあったけど、こんな時くらいは思い切って外での食事を楽しむのも良いかもしれない。


「そうだな。せっかくのいい天気だし、ちょっくら中庭に行きますか」


 俺はそう言うと、鞄から弁当箱と水筒を取り出して席を立った。


「おっし、じゃあ行こうぜ」

「うん」


 俺がそう言って歩き始めると、まひろも返事をしてから同じく横に並んで歩き始める。

 三学期が始まった時に一緒に行った水族館で色々と気になることを言っていたまひろではあったが、俺はあの時のことを一切詮索はしていない。

 もちろん気になっていないわけじゃないけど、『ちょっと考えたいことがあるんだ』――と言って見せたあの真剣なまひろの表情を考えると、そう簡単にあの時のことを聞くことはできなかった。

 まあそれでも、あれからまひろの様子にはそれなりに気を遣っているし、今のところはいつものまひろとなんら様子が変わることはないので大丈夫だろう。

 そういえば今日はまひろにしては珍しく、弁当箱以外に小さな黒と白のストライプ柄の紙袋を手に持っているが、食後のデザートでも入っているんだろうか――。




 まひろと一緒に訪れた中庭で、ちょうど良い陽気に包まれながらのんびりとベンチに座って昼食を摂ったあと、俺は空を仰ぎ見ながらふうっ――と大きな息を吐き出した。


「あー、食べた食べた」

「相変らず龍之介はお弁当の量が多いね」

「そうか? あれくらいは普通だと思うけどな」

「そうなの? でも、僕には無理だなあ」

「あはは、確かにその小さな弁当でお腹がいっぱいになるまひろには無理だろうな」


 心地良い陽気が身体を通して内側へと染み込むように浸透してくる中、俺はいつものようにまひろと他愛ない会話をしていた。

 今日は昨日まで寒かったせいもあるのか、中庭でイチャつきながら昼食を食べているリア充どもの姿はかなり少ない。まあおかげで、人がイチャつく姿をあまり見ずに昼食を食べることができたのだから良かった。


「――そういえばまひろ、その紙袋にはデザートでも入ってるのか? だったら早めに食べておいた方がいいぞ?」


 しばらく2人でなんてことはない日常会話を続け、そろそろお昼休みも終わろうとしていた頃、俺はまひろの持って来ていた紙袋のことが気になってそう言った。


「あっ、うん……そうだね」


 まひろは俺の言葉に紙袋の存在を思い出したかのようにそう言うと、少し伏せ目がちになりながらその紙袋へと視線を移す。

 そしておもむろにベンチに置いていた紙袋を両手に持つが、そのまま紙袋を開けるわけでもなく、黙ってそれを見つめていた。


「どうかしたのか? まひろ」

「あ、ううん、なんでもないよ。はい、これ」


 沈黙したまま紙袋を見つめていたまひろに再び声をかけると、まひろは俺の問いかけに答えてから持っていた紙袋を手渡してきた。


「えっ? 俺に?」

「うん」


 驚いた俺がそう聞くと、まひろはにこやかな笑顔を浮かべて頭を縦に振った。

 俺は少し戸惑いながらも、素直に差し出された紙袋を受け取ってから袋を開ける。

 そして開いた袋の中を上から覗きこむと、小さなピンク色のハートが散りばめられるように描かれた包装をされた、指輪ケースくらいの小さな箱が入っていた。包装の雰囲気などを見る限り、どうやらバレンタインチョコのようだが……。

 まさかまひろも渡のように、強敵と書いて“とも”と読む、強敵ともチョコを渡してきたのかと一瞬思ったが、まひろはそんなアホな真似をするようなやつではない。だとすると、残された可能性は一つだ。


「そっか。これ、まひるちゃんからか。ありがとな、帰ったらお礼を言っておいてくれ」

「……うん。じゃあ、教室に戻ろっか」

「おう、そうだな」


 まひるちゃんからこれを渡すように頼まれていたのであろうまひろは、その用件を達成すると、そう言ってベンチから立ち上がる。

 それを見た俺はベンチに置いていた弁当箱の入った袋と水筒を手に持ち、ちょっと嬉しい気持ちでまひるちゃんからのバレンタインチョコが入った紙袋を抱え、まひろと一緒に教室へと戻った。

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