第166話・聞こえない×言葉

「ちょっと待っててもらっていいかな? 軽く片づけをして来るから」

「うん、待ってるね」


 スーパーでの買い物を終えたあと、一緒に夕食を作って食べようと言うるーちゃんからの提案を受け入れ、俺はるーちゃんと一緒に我が家へと帰って来た。

 まさかこんなことになるなんて出かける時には思いもしていなかったので、リビングはそれなりに散らかっている。

 俺は自分の荷物とるーちゃんの荷物を手に持ってから台所へと向かい、とりあえず冷蔵品だけを急いで冷蔵庫の中へと入れ込む。

 それから急いでリビングの片づけをし、ある程度綺麗になったところで玄関に待たせていたるーちゃんを招き入れに向かった。


「――るーちゃん、待たせてごめんね。さあどうぞ」

「あっ、うん……それじゃあ、お邪魔します」


 るーちゃんは少しぎこちなく返事をすると、恐る恐ると言った感じで靴を脱いで廊下へと足を上げ、靴を揃えてから俺が案内する方へと歩き始めた。

 リビングへと通したるーちゃんをソファーへと案内して座ってもらい、俺は台所で温かい緑茶を二つの湯飲みにれてから、るーちゃんが居るリビングへと戻る。


「寒い玄関で待たせちゃってごめんね。料理の前に少し身体を温めて」

「あっ、ありがとうたっくん。でも、そんなに気を遣わなくていいから」


 俺がクリスタルガラス製のテーブルにお茶が入った湯飲みを置くと、るーちゃんは申し訳なさそうな表情を浮かべながらそんなことを言ってきた。本当に遠慮深いよな、るーちゃんて。


「まあまあ、せっかく我が家に来たんだから、存分にもてなされてくれた方が俺は嬉しいよ」

「そうなの? じゃあ、お言葉に甘えて……」


 それでもるーちゃんはやはり遠慮がちにそう言いながら、テーブルの上に置かれた湯飲みへと手を伸ばす。


「――美味しい」


 にこっと笑顔を浮かべながら、俺に率直な感想を述べるるーちゃん。その屈託のない笑顔に、思わずドキッと心臓が跳ねた。


「そ、それは良かったよ。じゃ、じゃあ俺は料理を作るための準備をしておくから、準備ができるまでのんびりしてて」

「うん、ありがとう」


 俺は自分の動揺をるーちゃんに悟られまいと、そう言ってから逃げるように台所へと向かった。


「はあっ……なんでこんなに焦ってんだろう」


 るーちゃんの笑顔を見てドキッとしたのが分かっていながら、ついそんなことを口走ってしまう。

 やはり遠い過去の話とは言え、俺がるーちゃんを好きだったという事実は変わらない。つまりこの胸のドキドキは、俺にとって朝陽瑠奈という女の子が、いつまでも特別な存在だということの証明なのかもしれない。

 そんなことを思いながら気恥ずかしさで熱くなる顔をブンブンと左右に振りつつ、俺は2人で料理をするための準備を始める――。




「やっぱり普段から料理をやり慣れてる人って違うね」

「そうかな?」

「うん。俺もそれなりに自炊はしてる方だけど、今のるーちゃんみたいに手際良くはいかないからね」


 一緒に料理を作り初めて20分。俺は始めて見るるーちゃんの手際の良さに驚いていた。

 その手際の良さを見る限り、俺の知り合いの中では料理の腕が一番だと自負している茜と比べても、なんら遜色そんしょくがないように感じる。


「もう、お世辞なんて言ってもなにも出ないからね?」


 照れたような笑顔を浮かべながらそんなことを言うるーちゃん。その笑顔が元から可愛いるーちゃんの可愛さを何倍にも増す。


「お世辞なんかじゃないさ、本当のことだから」

「そ、そうなの? ありがとう……」


 るーちゃんは先ほどよりも更に顔を紅くしながら手元の包丁を動かし、まな板の上のニンジンを小さく刻んでいく。相変らずこういった褒め言葉には慣れていないようだ。

 とりあえず今るーちゃんが刻んでいるニンジンで、今日の料理を作るための材料の下準備は終わり。

 俺は冷蔵庫から冷ご飯が入った容器をいくつか取り出し、それを電子レンジへと入れてから軽く温める。今日の晩御飯の一つである具材たっぷりチャーハンを作るためだ。

 おかずはハンバーグと目玉焼きをトッピングしてロコモコ風にする予定。これならるーちゃんがお母さんのために持ち帰っても、すぐに温めて食べることができるからな。


「――よし、ご飯の用意はできたよ」

「ありがとう、たっくん。じゃあ私はハンバーグの種を作るから、ちょっとボールを押さえてもらってていいかな?」

「了解!」


 俺はハンバーグの種を作るための具材が入った深めの大きなボールを両手でしっかりと持って固定する。

 それを見たるーちゃんは、ビニール製の透明な料理用手袋をはめてからゆっくりとボールの中にある材料を混ぜ込んでいく。


「――んんしょっと、ふうっ……」

「大丈夫るーちゃん? 交代しよっか?」


 ハンバーグをこねる作業というのは、思いのほかしんどい。結構体力がいる作業だからな。


「ありがとうたっくん。でも大丈夫!」


 にこやかな笑顔を見せながら、なおもハンバーグの種をこねていくるーちゃん。彼女がそう言うのなら、俺はそれを見守ることしかできない。

 俺はるーちゃんのサポートに徹しながら、2人でやる初めての料理作りを楽しんだ――。




「「いただきます」」


 料理の準備を含めてから約1時間半。

 俺とるーちゃんはようやく出来上がった料理をリビングへと運んで、晩御飯にありつこうとしていた。

 目の前にはるーちゃんが一生懸命に作ってくれた美味しそうなロコモコ風具だくさんチャーハンがある。

 俺は早速スプーンを手に持ってチャーハンをすくい上げ、それを口の中へと運ぶ。


「ど、どうかな? たっくん」

「――うん! すっごく美味しいよ!」

「本当!? 良かった……」


 俺の感想に安心したような表情を浮かべたあと、るーちゃんもスプーンを持ってから料理を口に運びだした。

 料理を作る時の手際も相当良かったが、料理もこれまたかなり美味い。

 こう言ってはるーちゃんに対して失礼とは思うけど、はっきり言ってるーちゃんがここまで料理ができるとは予想外だった。この料理スキルは是非ともお嫁さんに欲しくなってしまうレベルだ。


「――ふうっ……ごちそうさまでした」


 るーちゃんが作った料理をすべて平らげた俺は、温かい緑茶が入った湯飲みを手に持って口元に運び、それをゆっくりとすすっていた。


「満足してもらえたかな?」

「うん、もう大満足だよ。久々に食べ過ぎちゃったくらいだし」

「そっか、良かった」


 るーちゃんは嬉しそうな笑顔を浮かべ、いつもとは少し違った感じの明るい声音でそう言う。


「るーちゃんのお母さんはいつもこんな美味しい料理を食べてるんだね。羨ましいよ」

「そ、そう?」

「うん、またるーちゃんの作った料理が食べたいね」

「あ、あの……たっくんがいいならまた作りに来るけど……」

「本当!? じゃあ時間がある時にでもまたお願いするよ」

「う、うん……分かった」


 るーちゃんはなんだか照れているような表情でそう返事をする。いったいどうしたんだろうか。

 それから2人でお茶を飲みながら少し雑談を交わしたあと、俺はるーちゃんのお母さんのための料理をタッパーに詰め、るーちゃんに手渡す準備を始めた。


× × × ×


「ごめんねたっくん、まだ片づけも終わってないのに家まで送ってもらうなんて」


 るーちゃんが持って帰るための料理を手渡したあと、俺はるーちゃんを自宅まで送るために2人で街灯の灯りだけが頼りの夜道を歩いていた。


「そんなこと気にしなくていいよ。美味しい料理も作ってもらったし、なにより女の子を夜道で1人歩きさせるわけにはいかないからね」

「そっか。ありがとね、たっくん。今日は結構緊張しちゃったけど、一緒に料理も作れてとっても楽しかった」

「るーちゃん、緊張してたの? そうは見えなかったけどなあ」

「そう? たっくんの家がある場所は知ってたんだけど、入るのは初めてだったから凄く緊張してたんだよ?」


 思い返してみれば、俺も小学校の時にるーちゃんの家に行ったこともお邪魔したこともなかったな。それと同じで、るーちゃんを我が家に招待したこともなかった。

 あれっ……だとするとちょっとおかしいな。


「ねえ、るーちゃん。なんで俺の家の場所を知ってたの?」

「えっ? あっ、それは――」


 そのちょっとした質問にるーちゃんは進めていた足を止め、気まずそうな表情を見せながら黙ってしまった。

 俺としては深い意味があって聞いたわけではなかったので、るーちゃんのそんな反応に少し戸惑ってしまう。


「――実はね、一度だけ来たことがあったの。たっくんのお家の前まで……」


 るーちゃんが足を止めてから再び口を開くまで、実際は10秒も経ってはいなかったと思う。

 だけど俺にとっては、それがとてつもなく長い時間に感じた。


「えっ? それっていつの話?」

「それは……小学校の時にこの土地を離れる前日、どうしてもたっくんのことが気になって先生にたっくんの家の場所を聞いたの。たっくんに謝ろうと思ってたから……結局は謝れなかったんだけどね」


 るーちゃんは苦笑いを浮かべながら申し訳なさそうにそう言った。

 彼女は彼女で、あの時の出来事からずっと、色々なことを悩み悔やんでいたのだろう。なんとも根が真面目なるーちゃんらしいと思う。


「そうだったんだ……ありがとね、るーちゃん。そんなに俺のことを心配してくれてたなんて嬉しいよ」


 それは素直な俺の気持ちだった。

 あの時は色々と複雑な思いを抱えていたけど、こうして知らなかった真実を知ることで、色々とすっきりしたこともある。


「うん……ごめんね、たっくん」

「謝らなくていいよ、もう十分にるーちゃんからの謝罪は聞いたから。これ以上の謝罪はもらい過ぎになっちゃうよ」


 俺は少し冗談めかした感じでそう言った。その方がるーちゃんも気が楽だろうと思ったからだ。


「ありがとね、たっくん。やっぱりたっくんは昔から変わらないなあ」

「そう? 自分では結構変わったと思うんだけどなあ。身長は結構伸びたし、身体つきだって結構良くなったと思うし」

「もう……そういうに――ところも変わらないなあ」

「えっ? なんて言ったの?」


 なにやら小さくるーちゃんが呟いていたようが、その言葉がはっきりと聞き取れなかった。


「ううん、なんでもない。さあ、早く行こう。このままじゃたっくんも私も風邪ひいちゃうから」

「う、うん……」


 るーちゃんはなにかを誤魔化すようにしてにこやかな笑顔を浮かべ、ササッと止めていた足を前へと進め始める。

 そしてるーちゃんの家に着くまでのわずかな間、何度かさっき聞こえなかった言葉について聞いてみたが、結局最後まで上手い具合に話をはぐらかされてしまった。

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