第118話・無垢×その想い

 夏というのは実にいい。季節によって良さというのは色々あるけど、人の気持ちを開放的にすると言った意味では夏が一番だろう。

 パラソルの下に敷いたレジャーシートを横にずらした場所に俺は寝そべり、そのかたわらでは麦わら帽子を被ったまひるちゃんが楽しそうに俺の身体に砂をかけている。


「まひるちゃん、大丈夫?」

「はい! 大丈夫です!」


 俺の問いかけに元気良く返事をし、一生懸命に砂を被せながらパンパンと手の平で砂を固めていくまひるちゃん。自分で作り上げていくその作業が楽しくてたまらないんだろう。

 まあ、その気持ちは分からないでもない。小さな頃は砂遊びに夢中になったりもしたし、俺と茜のどちらが砂山にトンネルを掘るかで喧嘩をしたりもしたから。

 しかし、さすがにこの歳になって堂々と砂遊びをする事は無い。普通に公園で俺くらいの奴が砂遊びをしていたら、間違い無く怪しい奴として認識されるだろうしな。

 だが、こういった場所では小さな子供の様に遊んでいても、誰も変には思わないだろう。人の感覚というのは場所によって変わると言うが、これが母なる海の成せる神秘のパワーなのかもしれない。

 この様にふと小難しい事を考えてしまったりもするけど、結局のところ楽しんでいるまひるちゃんを見ているのが楽しいわけだ。


「ちゃんと水分補給をしながらやるんだよ?」

「はいっ!」


 素直に返事をしてはいるけど、身体に砂をかけていくのに夢中になっているみたいだから、本当に分かっているのかが心配になる。まあ、俺が注意して時々声をかければ問題は無いだろう。

 そう思いながら笑顔のまひるちゃんを見ていたものの、泳ぎ疲れていたせいか、ついそのままウトウトと眠ってしまった――。




 夢を見ている事はすぐに分かった。なぜなら俺は今、小学生の時に転校して来たまひろを目の前にしていたからだ。

 あの頃からまひろは本当に可愛らしく、その可愛らしさは年を追う毎に増してきている様に感じる。

 走馬灯。そう言ってしまうと不吉な言い方になるけど、まるでそんな感じのダイジェスト映像でも見るかの様に、まひろと知り合ってからの出来事を俺は再体験していた。

 こうして凄まじい速度で過去を再体験をしていた俺は、ついに先月の出来事に行き着く。それは、花嫁選抜コンテストでの出来事。つい最近の出来事だというのに、凄く懐かしく感じる。

 そして場面は早送りの様に移り変わり、花嫁衣裳撮影へと切り替わった。

 この出来事は今でもはっきりと覚えている。何せお姫様抱っこをしたまひろから、ほっぺにキスを受けた場面だから。

 あの時の俺が抱いた気持ち。それは他人が聞くと変に思われるかもしれないけど、正直嬉しかった。ちなみに、キスをされた事が嬉しかったわけじゃない。

 まひろとは親友だけど、アイツとは派手に遊んだ事や一緒に遠出をした事が無い。思い出と言えば、学校の登下校中での出来事がほとんど。後はたまに休日にゲーセンで遊んだりとか、本当にそんな些細な事ばかり。

 それはそれでいい思い出なんだけど、花嫁選抜コンテストにおける出来事は、俺にとって初めてまひろと一緒に派手な事をしたという嬉しい思い出でもある。

 そんな思い出の再体験をしていると、いよいよあのキスシーンが訪れようとしていた。

 この場面に辿り着いた俺は、あの時の自分とリンクしていた。しかし夢だからか、お姫様抱っこで抱えているまひろの重さや体温、その感触すらも感じない。

 だけど、記憶に残っているその感覚が甦ってくる気はした。


「あなたに出会えて、本当に良かった――」

『えっ?』


 夢の中のまひろからそんな言葉が発せられた後、俺の左頬に温かく柔らかな感触を感じた。

 そしてその瞬間、俺の意識はゆっくりと覚醒を始めて現実世界へと戻った。


「ん……まひる……ちゃん?」

「あっ!?」


 目が覚めた俺の目の前には、凄まじく顔を近付けているまひるちゃんの顔があった。


「……何でまひるちゃんがこんな近くに?」


 俺は未だ夢見心地な感じで、つまりは寝ぼけた感じでそう尋ねた。


「いや、あの……何か見ましたか?」


 まひるちゃんは顔を紅く染め、うろたえる様にしながらそう聞いてくる。

 俺はその質問に対し、寝ぼけた頭で考えながら答えた。


「うん……キスされ――」

「ええっ!? あ、あれは違うんです! つい……と言うかその……あの、えっと…………」


 俺が発した言葉は途中で遮られ、まひるちゃんは大きな声を上げながら更に慌てふためきだす。

 その慌て様子を見た俺は一気に意識が覚醒し、さっき遮られた言葉の続きを口にする。


「お、落ち着いてまひるちゃん! 俺はまひろにキスされた時の夢を見てただけだから!」

「えっ? お、お兄ちゃんに……ですか?」


 それを聞いたまひるちゃんは、パタパタと忙しく動かしていた手の動きを止めた。


「そうそう。まひろから聞いてないかな? 花嫁選抜コンテストの話をさ」

「あっ、聞いてます。そういえば確か、お兄ちゃんのほっぺにキスをしたところを撮影されたとか聞きました」

「うん。ちょうどその時の夢を見ててさ、ほんの少し前の事なのに、何だか凄く懐かしい感じがしたよ」

「そ、そうだったんですね。ちょっとビックリしました……」


 まひるちゃんは右手を胸まで持ってきて、心底ほっとした様にしながら大きく息を出した。

 それにしても、何をそんなに慌てていたんだろうか。


「そういえばまひるちゃん。『あれは違うんです!』とか言ってたけど、いったい何の事だったの?」

「えっ!? わ、私そんな事を言いましたか?」


 俺がそう尋ねると、せっかく落ち着きを見せていたまひるちゃんの様子が変わり、再び慌て始めた。


「えっ……言ってたと思うけど」

「き、気のせいですよ!」

「本当に俺の気のせい?」

「ほ、本当ですよ!? もう、お兄ちゃんはきっと寝ぼけてたんですよっ!」


 力強くそう言われると、俺も自信がなくなってくる。何せあの時は、本当に寝ぼけていたから。


「そっか。でも、いい夢を見たよ。そういえばあの時、何か言葉が聞こえた後で頬に温かくて柔らかい感触があったんだよなあ」

「うにゅ…………」


 俺がそう呟くと、まひるちゃんは妙な声を上げて再び顔を赤らめながらその場で立ち上がった。


「ど、どうしたの?」

「もうっ! お兄ちゃんなんて知りません!」


 そう言ってそっぽを向くまひるちゃん。

 俺はそんな様を見て少し焦ってしまい、慌てて謝る。しかし。


「意地悪なお兄ちゃんは、帰るまでそこから出してあげません」


 可愛らしく口を尖らせながらそんな事を言う。


 ――何この愛くるしい子!? 今すぐ砂から出て抱きしめたいっ!


 そう思いはするものの、まひるちゃんはかなり念入りに砂を固めていたのか、腕はおろか指一本すら動かせない状態だった。


「ま、まひるちゃん。俺が悪かったから、ここから出してくれよ」

「ダメです。私を置いて寝ちゃったお兄ちゃんは、そのままでお仕置きしちゃうんですから」

「ええっ!?」


 この後、俺はまひるちゃんにたっぷりとくすぐりと言う名のお仕置きを受けた。

 それにしても、まひろしか知らないはずの俺の弱点である首を的確に狙ってきたって事は、まひろがまひるちゃんに俺の弱点を喋っていたって事かもしれない。これは今度まひろを問い詰めて、俺の弱点を喋っていたらジュースでもおごらせよう。

 こうしてくすぐり地獄を受けていた俺は、まひるちゃんのお願いを一つ聞く事を了承する事でそのくすぐり地獄から解放された。

 そんな俺にまひるちゃんがしてきたお願いは何ともシンプルなもので、『また一緒に遊んで下さい』というささやかなものだった。ホント、無欲と言うか何と言うか、可愛らしいもんだ。

 約束をして砂から掘り起こされた後は、時間の許す限り一緒に海の遊びを楽しみ、初めてのまひるちゃんとの海遊びは楽しい思い出と共に過ぎ去って行った。

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