俺はラブコメがしたいッ！

二年生編・夏休み

第101話・過去×現在

　二年生になってからの一学期も、気付けばあっという間に過ぎ去り、今日から高校生になって二度目の夏休みを迎えていた。

　過ぎ行く時間があっという間だと感じるのは、平凡であっても幸せな日常を送って来たという証拠なのかもしれない。

「これはどこに持って行けばいいですか？」

　夏休み初日の午前１０時過ぎ。

　荷物が詰め込まれたワゴン車からダンボール箱を取り降ろし、近くに居たスタッフにそう尋ねた。それから俺はスタッフに言われた場所までダンボールを運び、そっと板張りの床に置く。

　見た目は大きな箱じゃないのに、実際持ってみるとかなりの重量感だった。いったい何が入っているんだろうか。

「大丈夫？　それ、見た目より重かったでしょ？　音響機材が入ってるから」

「なるほど。だから見た目に反して重かったわけか」

　セミロングまで伸びたサラサラの黒髪を揺らしながら箱の中身の事を教えてくれたのは、同じくらいの大きさの荷物を抱えた雪村さん。

　こういった時にでも気遣いを忘れないのが素晴らしい。流石は雪村さんと言ったところだろうか。

「それじゃあ、足下に注意して運んでね。怪我しちゃったら大変だから」

「了解！」

　雪村さんはそう言いながら足下に箱を置くと、にこやかな笑顔で再び荷物を取りに向かった。

「よし。俺も頑張るか」

　雪村さんに負けない様にと、気合を入れて次の荷物を取りに戻る。

　本来なら夏休み初日である今日からバリバリと遊び倒すところだけど、俺は今、地元から遠く離れた地に来ていた。

　いったい何をしにこんな遠くまで来ているのかと言うと、夏休みに入る三日前に雪村さんから電話で連絡があって駅前の喫茶店で落ち合う事になり、そこで今回の演劇合宿に三日間だけ手伝いに来てくれないかと頼まれたから。

　何でも裏方としてついて行くはずだったスタッフの一人が怪我で最初の公演に行けなくなり、急な事でスタッフの代えもきかず、そこで悩んだ末に雪村さんは俺を頼ったとの事だった。

「本当にごめんね、龍之介くん。せっかくの夏休みにこんな事を頼んじゃって」

　再びワゴンから荷物を抱えて戻って来た時、すれ違い様に雪村さんがそう言ってきた。

「気にしなくていいよ。自分で協力するって言ったんだから。それに三日目にある舞台、結構楽しみにしてるんだからさ」

「そっか。ありがとう、龍之介くん。私、頑張るね！」

　――そうそう。やっぱり雪村さんはこうじゃないと。

　にこやかに、それでいて元気にそう答える雪村さんから再び活力を貰いつつ、お昼の時間まで他のスタッフと一緒に荷物運びに精を出した。

「――あー、疲れたー！」

　すっかり空になったワゴン車の中を遠くから見ながら両手を上に伸ばし、身体を後ろへと仰け反らせた。

　身体の仰け反りと共に上へと向いた視線の先に見えるのは、夏にしては珍しく青々と晴れ渡った空。そんな晴れ渡る空には、嫌味な程にギラギラとこちらを照らしてくる太陽の姿がある。

　――たくっ……少しは加減して地球を照らしてくれないと、汗が止まらなくなるじゃないか。

　そんな事を思いつつ、日陰に置いていたペットボトルを手に取って蓋を開け、それを口へと運ぶ。

「温いな……」

　携帯に送られてくるニュースによれば、外気温は既に３４度を越えているらしいし。日陰とはいえそんな炎天下の中に飲み物を置いていれば、こうして温くなるのも当然だろう。

　清涼感こそ既に失われているものの、それでも喉の渇きを潤すには十分だ。こんな状況で贅沢は言ってられないからな。

「龍之介くん、お疲れ様。はい、これ」

　首に掛けていたタオルで汗を拭っていた俺の前に雪村さんがやって来たかと思うと、目の前にジュース缶を一つ差し出してきた。

「お疲れ様、わざわざありがとう。遠慮無くいただくよ」

　お礼を言ってから差し出された缶を受け取り、プルタブを開ける。すると雪村さんは俺の隣に座り、同じくもう片方の手に持っていた缶のプルタブを開けてそれを口につけた。

「冷たくて美味しいね」

　雪村さんの言葉を聞いた俺も、渡された飲み物に口をつけてそれを飲む。

　キンキンに冷えたジュース缶は、ただ手に持っているだけで冷たくて気持ちがいい。そしてさっきの温い飲み物と違い、冷たい刺激と程良い炭酸の刺激が火照った身体と喉を駆け抜けて冷やしていく。

「ホントだ。冷たくて美味しい」

　こちらに顔を向けて微笑んでくる雪村さんに、俺も自然と微笑み返す。

「この劇場ってずいぶん大きく見えるけど、どれくらいお客さんが入れるの？」

「確か客席数五百くらいだったと思うよ。だからここは小劇場って分類に近いのかな」

「へえ。これだけ大きく見えても小劇場なんだ」

　俺は演劇とかそういうのにはまったく詳しくないけど、毎回こうして機材を運んだりしてから公演をやるんだろうか。だとしたら凄い大変だ。

「私は地方でこうやって演劇をして回るのは初めてだから、ちょっと緊張しちゃうな」

「そうなんだ。でも、雪村さんならきっと上手くやれるよ」

「本当？　本当にそう思う？」

　雪村さんは不安げな表情を浮かべながらそう聞いてくる。

　何て言うか、最近は俺の中で少し雪村さんへの見方というか、彼女から受ける印象が変わってきていた。

　バイトで知り合った当初の彼女は、凛としているけどハキハキしてて、それでいて自分から人を引っ張って行く感じの人に見えた。もちろん、今でもそう思っているけど。

　だけどバイトを辞めてからプールで再会し、携帯番号とアドレスを交換して以降、少しずつではあるけど、彼女の中にある弱さというのが垣間見れるようになってきた。

　そりゃあ、どんなに完璧そうに見えたって雪村さんも人間なんだから、弱さの一つや二つあって当然だろう。

　しかし不思議なもので、俺にとって完璧にすら見えている雪村さんが、こうやって弱い部分を見せる様になってきているというのは、結構ビックリする事だ。そんなイメージとの違いに複雑な思いがある反面、何だか嬉しく思う気持ちもある。

　まあそのイメージだって、俺が勝手に作り出したものだ。ゆえにそのイメージを当人の知らないところで勝手に偶像化し、それを押しつけてしまうのはあんまりだろう。

　難しい言い方をしたかもしれないけど、簡単に言ってしまえば、こういった雪村さんも雪村さんなんだと受け入れる事が重要という事だ。

「もちろんだよ。だから期待してるね」

「うん。でも、何だか期待されるのもプレッシャーだなあ」

「そっか。それじゃあ、期待しないでおく――って言った方が良かったかな？」

「もうっ！　龍之介くんの意地悪！」

　ちょっと意地悪にそう言うと、雪村さんはアヒルの様な口をしてむくれる。その表情がまた可愛らしくていい。

「そういえば、雪村さんのお父さんやお母さんも演劇を見に来るの？」

　何となくそんな事を聞くと、今まで浮かべていた雪村さんの笑顔がスッと消え、その表情が曇った。

「どうかしたの？」

「あっ、ごめんなさい……」

「いや、別にいいけど。俺、何かまずい事を聞いちゃったのかな？」

「ううん。そういう訳じゃないの……」

　苦笑いを浮かべながらそう答える雪村さんの態度が少し気にかかった。

「…………私ね、演劇をやる事を両親に反対されてるの」

「えっ？」

　それからほんの少し沈黙の時間はあったけど、手にした飲み物をグイッと飲んだ雪村さんは、まるで呟く様に小さくそう言った。

「私には小さな頃からの夢があったの。いつか役者になって、沢山の人の心に残る演技をしたいっていう夢が」

　俺の方へ視線は向けず、遠く青い空を見つめながら話す。

「小さな頃はお父さん達も、私の夢を笑顔で聞いてくれてた。でもね、大きくなるにつれて、みんな私の夢を笑顔で聞いてくれなくなった。そして中学校の進路相談の時、はっきりと反対されちゃったの。『演劇をやる事は認めない』って。それで大喧嘩になっちゃって、結局は『どうしてもやりたいなら、自分で全部やれ』って言われて、それで自分が小さな頃から貯めてた貯金とかを使って今こうしてるんだ」

「そうだったんだ……」

「でも一応ね、今度舞台をやる事は手紙で伝えてあるの。多分、来てくれないとは思うけど……」

　雪村さんは寂しそうに、そして悲しそうにそんな話をしてくれた。

　この話は俺にとって衝撃的だったと言える。だって俺の知っている雪村さんは、喧嘩などから程遠いイメージの人だから。

　生まれ育った場所から離れて生活しているのは知っていたけど、それも家族から温かく送り出されての事だろうと、俺は勝手にそう思い込んでいた。

　そういえば以前、再会して間も無い頃の雪村さんと公園で話した時に、『やりたい事があって、それをもし止められたらどうする？』みたいな話をされた事があったけど、もしかしてその時の話は、両親の事と関係していたのだろうか。

　そんな事を思いつつ、寂しそうに話す雪村さんの言葉に耳を傾けていると、この施設の出入口から一台の車が入って来た。

「あっ！　注文してたお弁当が届いたみたい。龍之介くん、取りに行きましょう」

　さっきまでの寂しげな表情はどこへやら。雪村さんはいつもの優しげな微笑を浮かべながら立ち上がり、お弁当屋さんの車へと近付いて行く。

　色々と聞きたい事もあったけど、そこに踏み込むにはあまりにも雪村さんの心の内側に入る事になる。大事な舞台を前にして、要らぬ話をして心を乱しては申し訳ない。だから今は何も聞かないでおこうと思う。

「龍之介くーん！　早くー！」

　お弁当屋さんの車の前で手を振りながら、笑顔で俺を呼ぶ雪村さん。

　今はとりあえず、雪村さんやみんなと一緒に舞台の成功の為だけに頑張ろうと思い、俺はスッと立ち上がってから車の方へと向かった。