第66話・理想×現実

 花嫁選抜コンテストの応募箱が職員室前に置かれたこの日、最後の授業を受けていた俺は、ただひたすらに黒板の上に設置されているアナログ時計の小刻みに動く秒針を見ていた。

 あの秒針があと三周もする頃には、本日の授業は全て終了。後は家に帰って明日までのんびりとするだけだ。

 そんな事を考えている内に、いよいよ時計の秒針が最後の一周へと突入した。刻まれていく時間を見ながら、俺は心の中でカウントダウンを始める。

 三、二、一と数えるそのカウントダウンが終了するのと同時に、学園内に授業の終わりを告げる鐘の音が鳴り響く。先生は黒板へと向けていた視線を生徒達の方へと向け、授業の終わりを告げた。

 後はいつものように、日直が最後の号令をかけて終了だ。


「ああー、今日も疲れたな~」


 教科書を机の中にしまい込み、椅子に座ったままの姿勢で腕を大きく上に伸ばして身体を仰け反らせる。

 同じ姿勢を続けていた身体が伸びていく中、あちらこちらの関節がポキポキと音を立てていく。決して良い事ではないけど、これって結構音を出すのが癖になるんだよな。気持ちよくて。

 ひとしきり身体を伸ばしてから体勢を元に戻し、机の横にある鞄を手に取る。


「もう帰るの? 龍之介」


 右隣の席に居るまひろが、片付けをしながら問いかけてくる。


「おう。授業が終われば帰宅部の俺は帰るだけだしな」

「龍之介も何か部活をすればいいのに」


 高校に入った当初は何か部活をしようかとも考えていたんだけど、結局は入学して色々と目移りをしている内に面倒になって入るのを止めた。

 時にはそれを後悔する事もあった。だけどかったるい授業後に部活に勤しみ続ける殊勝な真似は、おそらく俺にはできなかっただろう。だから今では帰宅部で良かったと心底思っている。


「俺は誰にも何にも縛られず、自由気ままに生きるんだよ」


 我ながらカッコイイ事を言ったと思ったが、まひろは俺の事を苦笑いしながら見ていた。


「それじゃあ龍之介は、どんな部活なら入部したいと思うの?」


 手に持った鞄を机の上に置き、質問の答えを模索してみる。


「そうだな……俺以外の部員が全員可愛い女の子で、楽しくゲームをしたり、お菓子を食べながら談笑したりできる部活なら入りたいな」

「あはは、龍之介らしいね」


 まひろは俺の発言をバカにするでもなく、ただそう言って微笑んでくれた。


 ――ああ……まひろみたいな彼女がほしい……。


「相変らず龍ちゃんは頭の中がおめでたいね」

「でも、本当に龍之介さんらしいと思いますよ」


 近くの席に居る茜と美月さんにもこの話が聞こえていたらしく、二人は思い思いの言葉を投げかけてきた。


「まひろと美月さんはともかく、茜は相変らず毒を吐くよな」

「龍ちゃんがアホらしい事を言ってるからだよ」

「それじゃあ茜、お前に質問するけど、お前は美男子に囲まれて生活するというのを想像した事は無いのか?」

「そ、それは……」


 ――無いわけないよなー、茜。俺は知ってるんだぜ。お前がそういった逆ハーレム物の作品を読んでる事をな。


「どうした茜? 答えろよ」

「そ、それは……思った事が無い事も無いけど……」

「そうだよなあ! てことは、お前も俺と同じ穴のむじなって事だよなあ?」

「うっ……」


 茜はう~う~と小さく唸りながら、こちらを見て悔しそうにしている。どうやら今回の舌戦ぜっせんは俺の勝ちのようだ。


「じゃあ龍之介さんは、さっき言っていたような部活があったら入部するんですか?」

「えっ? あー、まあ、そんな部活があれば考えるかな」


 美月さんの質問に答えると、『そうなんですね』と言って微笑んでいた。

 でもまあ、実際にそんな美少女が沢山居る部活に入ったら、緊張して何も出来ないと思うけどな。

 しかしながら、男なら人生で一度はそんなハーレムを味わってみたいと考えるのは至極当然の発想であり、男子の憧れとも言えるだろう。だが実際は、女子しか居ない環境に男一人が放り込まれるのは非常に肩身が狭い思いをするらしい。

 これはそれを体験したある友達の話になるが、そいつはクラスで唯一の男子で、入学当初こそ俺に対し、『うらやましいだろう』などと自慢していたんだけど、それも三ヵ月が経つ頃にはコロッと変わり、『周りに女子だけしか居ないって、結構辛いもんなんだぜ……』と言い出す始末。

 俺も最初こそハーレムでいいよなと思っていたけど、現実ってのを聞かされていく内にその憧れも段々と薄くなっていき、終いにはそんなハーレム思想にある意味で恐怖さえ抱くようになっていた。

 しかしそれでもハーレムに憧れを抱くのは、俺が男であるがゆえの性かもしれない。


「そんじゃまあ、俺はそろそろ帰る事にするよ」


 机上の鞄を再び手に取って立ち上がり、まひろ達にひらひらと手を振って教室を出て行く。

 そして一階へと下りる階段の途中で、昼休みから姿が見えなかった渡と遭遇した。


「おう、渡。今までどこに行ってたんだ? サボりか?」

「いやいや、ちょっと今まで職員室に居たんだよ」


 ――お昼から今まで職員室に居ただと? コイツ……いったい何をやらかしたんだ。


「今度はいったいどんな犯罪行為をしたんだ?」

「お前さ、いったい俺をどんな奴だと思ってんの?」

「手のつけられない変態」

「バッサリと言い捨てるねっ!」


 じと目で見ていた俺に向かって、渡は激しくツッコミを入れてきた。


 ――何この鬱陶しい生き物……宇宙人が引き取りに来てくれないかな……。


「まあ何でもいいや。じゃあな」

「おいおい!? ちょっと待ってくれよ!」


 渡の横を通り過ぎてから階段を下りようとしたその時、肩をグイッと掴まれて動きを止められた。


「何だよ。俺はもう帰るとこ――」

「それよりもさ! 俺が職員室で何をしてたのか気にならないか?」


 こちらの言葉を遮りながら、自分の言葉を重ねてくる渡。男でも女でも同じだが、こちらの発言に自分の発言を重ねてくる奴はイラッとくるんだよな。


「だからアレだろ? お前が何かの犯罪行為をしでかしたから、反省文を書いて今までずっと正座させられてたって話だろ? そんな話に興味はねーよ」


 ぶっきら棒にそう言って再び階段を下りようとしたが、渡は俺の腰にしがみついて『話を聞いてくれ!』と懇願してきた。


「ちょっ!? 何してんだお前は! は、放せっ!」

「少しでいいから話を聞いてくれ――――!」


 俺の腰にしがみついたままでそんな事を叫ぶ渡。腰にはしっかりと両手がまわされてロックされ、まともな身動きが取れない。

 こんな姿をもし誰かに見られたら、俺はあっち系の人だと勘違いされるだろう。


「頼む龍之介! 付き合ってくれ――――――――っ!」

「アホかお前は!? 大事な部分を抜かすな!」


 その時、ボトッと何か重いものが床に落ちたような鈍い音が上の踊り場から聞こえ、俺はその方向を見た。


「せ、先輩…………」


 そこには驚愕の表情で俺達を見ている愛紗の姿があった。


「ち、違うぞ愛紗! これは違うからなっ!?」

「先輩が……先輩がそんな趣味だったなんて――――!」

「ま、待て愛紗! 頼むから待ってくれ――――――――!」


 愛紗の耳にその言葉は届かなかったらしく、俺達の横を凄まじい勢いで通り抜けて去って行った。知らない人でも勘違いされたくないのに、よりにもよって知り合いに見られたあげく、その相手が一番誤解を解くのが難しそうな愛紗だとはついてない。

 結局その後、俺は渡の話を聞くからと言って解放してもらったのだが、内容を聞いてみれば大した事はなかった。

 要点を掻い摘んで言うと、渡が午後にまったく姿を見せなかった理由は、花嫁選抜コンテストでの司会進行を頼まれ、その打ち合わせをしていたからだそうだ。たったそれだけの事を聞く為に、俺は愛紗にいらぬ誤解をされてしまったという事になる。

 そして俺の腰にしがみついて叫んでいた渡は、愛紗の存在に気付いていなかったらしく、俺があらぬ誤解を受けた事を話すと、『わりいわりい』と言って謝ってはいたものの、その表情には一切の反省の気持ちを感じなかった。


 ――くそっ……今度コイツの下駄箱に偽物のラブレターを入れて、終始その反応を楽しんでやる。

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