第3話〔5〕本根のところ

 

 

 

 

 

プリムラ「ダリアさま!

何ということです!」

 

 

 ルナがコリウスを引いて、あるじたちとともに裏門のほうへ到着すると、開かれた門のかたわらで大声を張り上げるプリムラの姿があった。

 

 

ダリア「わぁぁん!

プリムラがおこったぁ!」

 

 

 彼女の前でべそをかいているのは、あのふてぶてしい態度でふんぞり返っていたはずのダリアだった。

 

 

プリムラ「ええ、怒りますとも!

勝手に馬を持ち出して、城の中をめちゃくちゃにして、大勢の人に迷惑をかけたわけなのですから!

ちょっとは反省なさい!」

 

 

ダリア「わぁ~ん!

ごめんなさい!」

 

 

プリムラ「ダリアさまや他の方が大ケガをされたら、どうするおつもりなのです!」

 

 

ダリア「はい……!

ごめんなさい!」

 

 

 その様子を、3人と1頭は近くで立ち止まって静かにながめていた。

 

ルナはプリムラが外仕えのメイドとしてダリアに接する姿を初めて見るのだが、まるで母が子をたしなめてでもいるようだ。

 

 さらにルナはパレンバーグ伯爵の顔をもうかがってみると、彼はやさしげな面持ちで小さくうなずきつつ、ただ2人を見守っているだけだった。

 

ひとしきり声を張り上げたプリムラは最後に、泣きじゃくるダリアのかぶりをとてもいとおしそうにいだいてさしあげる。

 

 それらはもはや、主従以上の関係のようにも感じられた。

 

もしかすると彼女はすでに、メイド以上の存在としてこの親子に受け入れられているのではないだろうか。

 

やがて伯爵がゆっくりとダリアのそばまで歩み寄っていったが、彼に叱咤しったの言葉は聞かれず、ただ皆が無事であったことを喜ばしく言って2人ともを抱きしめていた。

 

 その後、夜も遅いということで城主のはからいでパレンバーグ親子を一晩もてなす運びとなった。

 

暴れ馬が駆けめぐった城内は、嵐が去ったあとのように散々な有り様ではあったが、幸いケガ人と呼べる者は一人もなかった。

 

 これにて一件落着、と踏んでいたのだが、しかしルナだけはすぐさまデイム・ルーディから呼び出しを食らい、コリウスを勝手に乗り回したかどで手ひどくしぼられてしまったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

ルナ「にゃぁぁぁぁ…………」

 

 

 翌朝、彼女は自室のベッドの上で、苦痛のあまり自分ののどから出たうめき声によって目を覚ました。

 

昨夜のデイム・ルーディの怒鳴り声が、いまだにミミから離れない。

 

上体を起こして窓のほうを見流してみれば、射し込む朝日は白々しかった。

 

 こんな日は早々にあるじの寝室へ押しかけていって、やさしくなぐさめてもらうに限る。

 

ルナは目をこすりつつ生あくびを吐き出すと、起きがけの気だるさを払いのけてベッドを抜け出した。

 

 寝巻きをぬぎ払って顔を洗い、髪とシッポをブラシでとかしてエプロンドレスを装着する。

 

 

ルナ「よしっ!」

 

 

 姿見で服装の乱れをチェックして、気合の入ったところで南向きの窓へ。

 

いつものようにそこから外へ飛び出すと、物慣れた身ごなしで壁面を登っていった。

 

 

ルナ「にゃっ、にょっ、ほっ、と」

 

 

 やがてバルコニーにたどり着くと、テラス窓を引き開けてその部屋の中へと侵入した。

 

そこは城主の寝室。

 

今朝も変わりなげな室内の様子を確かめておいて、さっそくルナは天蓋付きのベッドへもぐり込んだ。

 

 

ルナ「アステルサマ~♪

……んにゃ?」

 

 

 もぐり込んではみたものの、あるはずのものが見つからず、少々面食らってしまった。

 

ふとんの中で手を伸ばしてみても、広くてあたたかい彼の背中が無いのだった。

 

すでに起床して部屋を出ていってしまわれたか、ベッドはもぬけのからだった。

 

 アステル不在が判明し、ルナはかけぶとんごとバサリと上体を起こして、全く不機嫌な顔でため息。

 

 

ルナ「……にゅ~」

 

 

 もう朝食に向かわれたか、こんな早くに出掛けていったとは思えないが。

 

とにかく彼女は、いったんベッドを降りて落胆した様子で戸口に向かった。

 

 静かにドアを開け閉めして部屋を出て、まだうす暗い廊下をしのび足で歩き出す。

 

3階のダイニングルームにも、2階のバスルームにも寄ってみたが、あるじの影はなかった。

 

 1階のリリィの部屋を訪れているのかもしれないとも思って階段を下りてゆくと、ほんの一瞬、ネコのミミが彼らしき声を捉えた。

 

それは地下から聞こえてくる。

 

かすかにあるじ以外の声も混じっていたので、こんな時間にしかも地下室で何をされているのかと不思議に思って、ルナはそろそろと地下への階段を下りていった。

 

 地下通路はさらに暗く、奥の半開きのドアから光が漏れていなければ、手探り足探りでよほど慎重に進まなければいけないところだ。

 

 

ムスリカ「ようやくここまで出来上がったか……」

 

 

アステル「はい、皆よくがんばってくれてます」

 

 

 近付く間にミミに届いた人声によって、あるじとパレンバーグ伯爵が医療具室で何やら話しているらしいことが分かる。

 

 

ムスリカ「しかし、何度も言うが、これはとても危険な代物だよ。

物質的にも、ね」

 

 

ルナ(……?)

 

 

 用もなく部屋に立ち入ることはルナでもはばかられたが、伯爵の不穏な言葉でこれ以上進むこともできなくなってしまった。

 

 

アステル「承知しています。

それでも、ここでやめるわけにはいきません。

もちろん、先生にはご迷惑をおかけするつもりもありませんので」

 

 

ムスリカ「迷惑なんて、思ってはいないよ。

そもそも私はラジオロジー専門だし、本当にそんなことが可能かどうか、興味を持ったのは本心からだ。

それに、研究自体も最終段階に差しかかっている。

最後まで君に付き合わせてもらうつもりだよ」

 

 

 どうやら秘密めいた話らしかったので、ルナは思わず壁を背にして息を殺した。

 

あるじと伯爵が、1年ほど前からこの部屋で研究を行っていたことは知っていたが、くわしい内容までは知らされていなかった。

 

 伯爵は“放射線医学”の専門医ということらしいのだが、ルナにはそれがどういうものなのかも想像すらつかない。

 

いったい城主はこの城の地下で何をしようというのだろうか。

 

 

声「ルナ?」

 

 

ルナ「ヒッ……!」

 

 

 来た方向からいきなり声をかけられたので、口から心臓が飛び出しそうになってネコらしくない悲鳴をこぼしてしまった。

 

ルナが振り返ってみると、意外なほど近くにプリムラがいた。

 

 

プリムラ「どうしたんだい……?」

 

 

ルナ「あああ、にゃんでもにゃいにゃ~♪

にゃはははは……ι」

 

 

【コンコン、コン……】

 

 うたがわしげに彼女に迫られたものだから、ルナは内心ぎくりとしながらも、平静をよそおって半開きのドアをノックした。

 

 

ルナ「ルナでございますにゃ~」

 

 

アステル「待って、今行くよ」

 

 

 動揺まじりの声で室内へ呼びかけると、すぐにあるじが返事をした。

 

わずかばかりとは言え、盗み聞きをしてしまったことを気付かれてはいまいかと、ルナは後ろめたい気持ちになって落ち着けなかった。

 

 やがて片手に燭台を持ったアステルが、パレンバーグ伯爵とともに現れる。

 

 

ルナ「プリムラが来たにゃ……」

 

 

プリムラ「アステルさま、ムスリカさま、間もなく朝食の支度がととのいます。

だんなさま、お車のキーをおあずけいただけますか?

オートモービルは飛行船の下につり下げておきますので……」

 

 

ムスリカ「おお、そうか、ではよろしくたのむ」

 

 

 言われて伯爵はズボンのポケットからキーを取り出し、それをプリムラに手渡した。

 

ルナの気のせいかもしれなかったが、2人の間に昨日のようなまごまごしさが消えていた。

 

 本来はそのような態度なのだろう。

 

外仕えのメイドとして立派に仕事をこなしているプリムラの姿がかいま見え、ルナも何だかほこらしく思えてくる。

 

 

アステル「では、そろそろ食事にしましょう、先生」

 

 

ムスリカ「ああ、朝早くに起こしてしまって申し訳なかったね」

 

 

アステル「とんでもない。

こちらとしても、成果をお見せする良い機会になりましたから」

 

 

 そうして城主らは朝食へ向かっていった。

 

 ルナは去りぎわにもう一度だけ医療具室の扉を見返っておいた。

 

燭台の火明ほあかりが行ってしまうと、ますます暗くてネコの目でもよく見えなかった。

 

 たとえ従者に秘密にしていたとしても、アステルであれば良からぬことというわけではないはずだ。

 

それはルナも充分わかっている。

 

パレンバーグ伯爵が危険だとまで警告したものを皆に知らせずにいらっしゃるのも、それが最善と判断したためなのだろう。

 

 結局ルナは、地下で見聞きした事がらを胸の奥にしまっておくことに決めた。

 

何があったにしても、ルナはただあるじの支えになれさえすればいいのだから、と。

 

 それからすぐに、少し早めの朝食となった。

 

ダイニングルームへと起き出してきたダリアは、昨日のプリムラのがよほど効いたのだろうか、この日はとても行儀よく振る舞っていた。

 

面持ちこそ寝起きの不機嫌面をしていたが、かいがいしく食事の世話をするメイドたちにも大人しく従っていた。

 

 城主と伯爵親子の会食が終わる頃になると、伯爵が乗ってきたオートモービルを、ダリアが乗ってきた飛行船の船体につり下げる作業も完了していた。

 

これで皆一緒に帰ることができる。

 

 全ての用意がおこたりなく整い、一行は飛行場へと移動した。

 

 

ムスリカ「色々と世話になったね、アステル君」

 

 

アステル「いえいえ、またいつでもお越し下さい」

 

 

 整備士や操縦士の待つ飛行船を前にして2人が、別れのあいさつを交わす。

 

その間にダリアがプリムラを連れて、手前にひかえるルナの所までやって来た。

 

 

ダリア「おい、ルナ。

き……昨日は、迷わくをかけた。

ごめんなさい……」

 

 

 おそらくこれも、プリムラに仕込まれたのだろう。

 

ダリアはどうにもぎこちなく、偉ぶりながらもこちらにあやまった。

 

 

ルナ「フフフ、もう気にしてないにゃ♪」

 

 

ダリア「そうか!

じゃあまた、乗馬をおしえてくれ!

今度はちゃんと乗りこなして見せるからな!」

 

 

プリムラ「ダリアさま……」

 

 

 ルナが笑顔を返すと、途端に彼が調子付いてたいそうなことを言い散らすものだから、プリムラが彼の背後からせめ立てるように呼びかけた。

 

 

プリムラ「んもぅ、全く学習していらっしゃらないんだから。

帰ったら、お勉強の時間を倍にしてさしあげないといけませんね」

 

 

ダリア「えええっ、それはこまるぞプリムラぁ……!」

 

 

ルナ「フフフ……♪」

 

 

 人差し指を彼の鼻先に差し付けていじわるっぽくさとすプリムラと、心底困った顔で彼女を見上げて情けない声を上げるダリア。

 

まるで本当の母子おやこのように接する2人の姿が、ルナはほほえましく思えてならなかった。

 

 

プリムラ「……ルナ。

あたいも何だか、その……色々とふっきれたよ」

 

 

 再び彼女のあるじとなったダリアを見やりながら、プリムラが言った。

 

 

プリムラ「あんたも、がんばりな……」

 

 

ルナ「プリムラ……」

 

 

 今度はこちらに目をやって、短いをよこした。

 

 

ルナ「うん、ありがとにゃ♪」

 

 

 彼女の意をくみ取って元気よく返事をすると、プリムラも満足げに笑ってうなずいた。

 

 

プリムラ「さあ、出航のお時間ですよ。

ダリアさま、お急ぎ下さいませ」

 

 

ダリア「わぁん、待ってよ~」

 

 

 ついとくびすを返して品よく歩き出すプリムラと、せわしくあとを追うダリア。

 

彼女は確かに今、パレンバーグ家へ“”と口にしていた。

 

本音のところ、プリムラにとって自分の家はすでに向こう側となっていたのだ。

 

 考えてみるに、アステルへの想いに踏ん切りを付けるべく、彼女はここへもどってきたのかもしれない。

 

“色々とふっきれた”。

 

その言葉の意味するところは想像するしかなかったが、危急に際してプリムラはダリアを守り、ルナはアステルを守った。

 

ただそれだけのことだったのだ。

 

 伯爵たちが他の搭乗者とともにゴンドラへ乗り込むと、いよいよ出発という段になった。

 

城兵と飛行場番たちが協力してを解くと、飛行船はゆっくりと地を離れる。

 

ゴンドラの窓から手を振るダリアの姿が見えた。

 

船体は順調に高度を上げてゆき、白い気嚢きのうが日の光を受けてきらきらと輝き始める。

 

 

ルナ「アステルサマ」

 

 

アステル「ん……?」

 

 

 小さくなってゆく飛行船を見上げつつ、ルナはあるじの名をぽつりと呼んでみた。

 

 

ルナ「…………」

 

 

 彼は知っているだろうか。

 

自分がこんなにもあるじを想っていることを。

 

 

ルナ「……何でもないにゃ♪」

 

 

アステル「……そっか」

 

 

 この気持ちにはっきりとした答えが欲しくて、時おり無分別むふんべつな質問を彼にぶつけそうになってしまう。

 

しかし2人は主従という関係。

 

 “ルナを外仕えに出すつもりはない”

 

その言葉が聞けただけでも満足しなければならなかったし、今はその言葉だけで満足だった。

 

 従者の一人に過ぎないルナは、アステル・メルヴィルのかたわらに咲く一輪の花としていつまでも彼のそばにいたいと強く願いながら、雄大な山脈を越えてゆく船を遠く見守っていたのだった。

 

 

 

 

 

── つづく ──

 

 

 

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