第22話 編集部に行ってみよう

 駒胞さんがうっかり里を焼いてからまた一ヶ月ほど過ぎた。

 世間では、もうシェイプシフターたちが人権を得て、平気で動物の姿で闊歩していたりする。

 彼らは動物に変身できることで、普通の人間以上のことが出来るアドバンテージがあるため、ちょっとした特権階級だった。

 マークは、人間でありながら、あたかも彼らの王だった。

 彼が管理を行っているためか、表向き社会に大きな波紋は生まれてきていない。

 だが、マークが例えどんな傑物だったとしても、世の中の隅々まで目を凝らすことはできまい。


「あー、またシェイプシフターが人を殺したってさ。こわいねー物騒だねー」


 僕はサンドイッチをぱくつきながら、ネットを徘徊していた。

 まとめサイトなんかを見ると、いちいち例の巨大掲示板でニュースを探さなくても、面白いネタが転がっているものなのだ。


「先生、食べながらパソコンは駄目ですよ。キーボードに食べ物が落っこちます」

「ああ、ごめんごめん」

「それに子供ができたら、先生のやり方見て真似しちゃいますよ」

「ぶふぅっ」


 盛大にむせた。

 僕はあなたにまだ手を出していないはずですが!


「私は作る気満々ですよ!」


 20年前のハウトゥ本を高らかに掲げるのはやめるんだ、駒胞さん!

 しかもそれ、先月見た恋愛の本じゃないよね? もっと先に進んだ本だよね?


「先生はもう落としたと判断しました」


 勝手に判断しないで!?


「なので、この間の本は燃やしちゃいました。もともと姉さんがいらないからってくれた本ですし」

「えっ、せっかくあんなに読み込んでたのに、勿体無くない? また使うかもだし」


 すると、駒胞さんはにっこり微笑んで見せた。


「狼は、心に決めたつがいと、一生添い遂げるんですよ?」


 だから、もう恋愛のハウトゥはいらないということか。

 ちょっと、いやかなりドキッと来た。

 いつもはこういう話題になるとはぐらかして来たんだが、そろそろ真剣に答えないと失礼だな、なんて思うようになって来ている。

 やはり、ここは僕も男として責任を取るべきなのではないだろうか。

 何の責任なのかはよく分からないが、とにかくそう言うものに違いない。


「よし分かった。それじゃあ、役所が開いたら書類取ってきて結婚しよう!」

「やった!!」


 そういうことになった。

 元来僕はものぐさで、明日出来ることは明日以降に伸ばす人間である。

 基本的に無気力で何事にも熱意は無く、若い頃に鍛えた筆力で駄文を書き散らして生きてきた、自他共に認める駄目な人であった。

 だが、ここ最近はどうだろう。

 駒胞さんが我が家に住まうようになり、僕は自らに活力が漲っているのを感じている。

 なんとこの僕が、自分に自信を持つようになってきたのだ!

 人間、変われば変わるものである。

 どんな自分に自信が無い男でも、空から降ってきた女の子がいきなり自分を好きだと言ってくれれば変わるのだ。たぶん。


「そうなると、編集部に報告に行かないといけないのではないだろうか」

「そうですねえ。最近顔を出さずにメールでやりとりばかりですし。山本先輩元気でしょうかね」


 山本氏か! 何もかも懐かしい。あのぬぼーっとした顔も、以前はじっと見てると無性に腹が立ってきたものだが、今思い返せばそう悪いものでもない。

 むしろ今ならハグしてキスだってしてやれそうだ。今の僕に怖いものは無いぞ。

 僕達は朝食を終えると後片付けをして、一時間ほどの食休みに入った。

 つまりごろごろするのである。

 その後、準備をした上での出立となった。


 さて、役所に行って婚姻届を出そうと思ったのだが、一つ問題が発生した。

 駒胞さんはまだ17歳だったのである。

 ご両親の許可が必要なのだ。

 ご両親はこの間、遺影に挨拶したばかりである。


「死んでるから許可はもらえませんよね」


 とか窓口の前で話をしてたら、どうやら両親ともに亡くなっている場合は許可はいらないらしい。

 用紙を受け取っていろいろ書き込んでいたら、駒胞さんが転入届けを出していなかったのが発覚した。

 転入後14日以内に提出しなければいけないものらしく、とりあえずギリギリ14日ということにして、なんとか乗り切る。みんなは真似してはいけない。

 もろもろの書類作業を経て、提出は後日にしよう、ということになった。


「お役所って面倒ですよねえ」

「まあ、一生一度の一大事だからね。めんどくさくもなるよ」


 証人印も必要と言うことで、山本氏と僕の友人に押してもらう事にした。

 これはますます編集部に行かねばならない。

 ふと、アポも何も取っていないことに気がついたので、連絡を入れた。


「あ、山本氏? 僕だけど」

『ああっ、綿貫先生!? た、たすけてえー』


 なんとも情けない悲鳴が聞こえてきた。

 山本氏が情けないのはいつものことなのだが、たすけてーとは尋常ではない。彼は情けないことを言った後、必ず人のせいにするか人にやることをおっ被せようとするのである。


「駒胞さん、山本氏がピンチらしいぞ」


 山本氏がまだ何か喋っていた気がしたが、僕は通話を切って駒胞さんと相談した。


「先生、それはいけません」

「うん、山本氏の危機はいただけない」


 何せ婚姻届に証人印を押してもらわねばならないのだ。


「そうじゃないです。先生は私を名前で呼ばなくてはいけません」

「アッー」


 そうか、苗字も同じになるんだった。


「さあ呼んでください」


 さあ、さあ! と迫る駒胞さん。

 なんという圧力。彼女と向かい合うシェイプシフター達の気持ちが分かった気がするぞ。

 僕は一世一代の勇気を振り絞って、


「り、り、立夏さん」

「はい!」


 駒胞さ……立夏さんは、とてもいい笑顔で答えて、僕を下の名前で呼んだ。

 うひょー、照れくさいぞ。

 しばらく二人でにやにやしていたが、何か忘れている気がする。


「あ、山本氏」

「たいへん!」


 慌てて僕らはタクシーを呼び止めると、飛び乗った。

 一路、出版社へ。



 僕の本や、連載を載せた雑誌を発行しているのは瓢箪書房という抜けた名前の小規模出版社である。

 自社ビルなど持っておらず、雑居ビルの4階を間借りしていた。

 なにやら、その雑居ビル周辺が騒がしい。

 がやがやと人の波が溢れているではないか。何かの祭りだろうか。


「あれは、シェイプシフターたちですね。集まって抗議しているみたい」


 立夏さんの言葉を聞いて目を凝らしてみると、なるほど、彼らが持っているプラカードみたいなものに差別反対的な言葉が書いてある。

 瓢箪書房は、つい最近出した雑誌でシェイプシフター特集をやっていた。

 そこで、人知を超えた存在に対する畏怖もある、的なことや、彼らの危険性を正直に書いていたから、たぶんそこが彼らの気に障ったのだろう。

 しかしこれはいけない。

 言論弾圧じゃあないか。


「よし、とりあえず突っ切ろう。運転手さん突っ込んで」

「無茶言わないでくださいよ!」


 しまった、立夏さんと一緒だと割りと無茶なことになったりするので、その乗りでお願いしてしまった。

 僕らはタクシーを降りると、ぶらぶらとデモの群れに近づいていった。

 まさに群れである。中には何人も動物の姿になっている。

 立夏さんが彼らの中で、拡声器を持っている大猿に近づいていった。


「あ、すみませーん。ちょっとそれ貸してもらえますか」

「いや、今使ってるんだけどね」


 大儀そうに振り返った大猿の顔が引きつったのは見ものだった。


「いいいい、イヌガミの……! どどどど、どうぞどうぞ」


 手渡してきた。

 うちの嫁はさすがである。

 立夏さんは手渡された拡声器を口元に当てると、


『すみませーん! 通りたいので道をあけてくださーい!!』


 とボリュームマックスで大声を出した。

 デモのあらゆる喧騒をかき消すほどの大きな声である。

 全員が一瞬ぴたっと止まって、慌てて振り向いた。

 人間でも動物の姿でも、反応は一緒なんだなあ。

 彼らは立夏さんの姿を視認したものから、慌てて道を開け始める。

 僕は彼女の後ろにくっついて、彼らをきょろきょろ見回しながら進んだ。


「やべー、イヌガミの媛が来ちゃったよ。なんでだよ」

「思ってたよりちっちゃいじゃん。やれるんじゃないの?」

「ばっか、夜刀の連中、イヌガミの媛一人に全滅させられたんだよ、里攻めの時!」

「鬼熊の長老もやられたんでしょ?」

「子供の頃に狗裂の家を断絶させたんだって!」


 なんか好き勝手言ってるぞ。

 でも、多分、真実もかなり混じってるんだろうな。

 僕らはガラスが割られた雑居ビルの入り口を入っていった。

 正面エレベーターは止まっている。

 立夏さんはくんくんと辺りの空気のにおいを嗅ぎながら、


「何人か入り込んでますね。先生、注意してください」


 そう言いながら、手近な掃除ロッカーを開けて、頑丈そうなモップを手に取った。

 僕は金属製のちりとりを手に取る。

 おっ、なんか映画みたいだぞ。

 僕らは非常階段を、じりじりと進んでいく。

 この階段はとても狭くて、踊り場に点灯する電球の明かりが心もとない。

 そこかしこに薄暗がりがあって、何かが潜んでいてもすぐには分からないような不気味さがあった。

 以前来た時はそれをネタにして笑えたが、何かが潜んでいるのが現実になると、さすがに笑えない。いや、乾いた笑いが出る。


「……」


 立夏さんが僕を手で制して、握り締めたモップの柄を長く伸ばした。

 どうと言うことはないただの手すりに見えるところを、コン、と叩く。

 いや、ぼすっと音がした。

 あっという間にそいつが姿を現す。

 暗がりに紛れて、手すりや階段の色に潜んでいたのだ。

 それは、人間ほどもあるカメレオンである。手のひらサイズならまだ可愛げもあるが、こうも大きいとただただ不気味だ。


「しゅっ」


 そいつは息を吐き出す音とともに、凄い速さで舌を伸ばした。太くて分厚い舌だ。人間のパンチくらいの威力はあるんじゃないだろうか。

 立夏さんは手すりに隠れるようにして、舌を頭上にやり過ごす。

 そのままの体勢で、手すりをすり抜けるように合間を縫ってモップを伸ばすと、カメレオンの前足を強く突いた。

 奴は慌てて舌を巻き戻す。


「私もこういうのは初めてですねー。この人、多分外人ですよ」


 化人の里にはカメレオンになるようなのはいなかったらしい。

 立夏さんもこいつのデータを持っていないのか、戦い方が慎重である。

 とにかく動きの緩急が激しい。

 ピクリとも動かないかと思うと、次の瞬間には物凄い速さで階段を上ったりしている。

 下手に追いかけると危険だと考えたのか、立夏さんは僕とともに踊り場に残った。


「うーん、あれ、どうしましょうかねえ」

「はい、とりあえず盾」


 ちりとりを手渡した。

 僕は手ぶらになるのもなんとなく寂しいので、下から金属のバケツを持ってくる。


「それです!」


 立夏さんが力を込めて囁いた。


「今度カメレオンの人がいたら、それを思いっきり叩いてください」

「おっけー」


 そういうことになって、二人でのしのしと上るのを再開した。

 どこかにいるだろう、と気を張っていたせいか、今度は僕のほうがそいつを発見するのが早かった。

 3階へ通じる非常扉が開きかけていたのだが、その開きかけた一部分がちょっと青っぽくなっているのだ。

 立夏さんが叩いたあとではないか。

 僕はすぐさまバケツを思い切り叩いた。


「!?」


 すると風景がずれた。僕のバケツにびっくりして、集中力が途切れたのかもしれない。

 奴は開きかけの扉と、奥行きそのものに擬態していたのだ。立体感すら錯覚させる恐るべき変身!

 そいつの気がそれた瞬間、立夏さんの姿が消えた。

 モップの柄が僕の目の前にある。

 それを高飛びの棒みたいにして飛んだのだ。

 天井はそれほど高くないから、小柄な立夏さんしかこんな芸当は出来まい。彼女は階段の天井を蹴ると、加速してカメレオンに襲い掛かった。

 この急襲に、向こうも緩急どころの話ではない。慌てて3回の奥へ逃げようとするカメレオンだったが、その頭めがけて、立夏さんは体重を載せてちりとりを叩き込んだ。

 カメレオンの離れた両目の間の、角が何本かへし折れる。

 奴はちょっとだけ停止していたが、すぐに目玉をぐるぐる回転させて、ぐったりとその場にへたりこんだ。


「Oh my God……」


 あ、外人だ。


「さすがです!」

「それほどでも」


 第一の関門を越えた僕らは互いを称え合い、ハイタッチした。

 さて、カメレオンの人をゴムホースでぐるぐるに縛り上げた僕らは4階へ突き進む。


「たすけてぇー」


 あっ! あのぬぼーっとした声は山本氏!


「山本先輩、今行きます!」

「生きていろよ山本氏!」


 僕らは非常扉を勢いよく開けると、瓢箪書房編集部へ飛び込んだ。

 編集部は惨憺たるありさまだ。

 編集長氏は昏倒しており、他の編集者たちも縛られたり、棒で叩かれたりしている。

 山本氏も縛られていたが、僕らを見るなり、


「うわあああー、綿貫先生ー!」


 と声を発して、ぬるん、と縄を抜けてこっちに走って来た。


「なに!?」


 と目を剥いたのは、編集部を今まさに占拠したばかりのシェイプシフターたちである。

 山本氏はぬぼーっとしているから、縄で縛られたくらいでは拘束できないのだ。

 うなぎのシェイプシフターかもしれない。


「綿貫先生だ!」

「駒胞ちゃんも来てる!」

「来ちゃ駄目、駒胞さん! 逃げてえ!」


 巻き起こるざわめきの中、女性編集者が叫ぶ。

 自分のことより後輩を心配するとは、すばらしい。

 だが、そいういうわけにもいかないのだ。


「待つのです! 伝えたいことがある!!」


 僕は、自分にこんな声が出せたのか、というくらい大きくてはっきりした言葉を発した。

 思わず、編集者たちも、シェイプシフターたちも僕を注視する。

 僕は照れを振り捨て、すぐ横の立夏さんの肩を抱き寄せると、


「僕たち、結婚します!!」


 と叫んだ。

 一瞬の静寂。

 そして、


「おめでとう!」


 山本氏が叫んだ。

 編集部の面々も、それに押されるように、次々と、


「おめでとう!」

「幸せになってね!」

「綿貫先生このやろー! うまくやりやがって!」

「式はいつ?」


 とか言い始めたので、シェイプシフターは「えっ!?」っていう顔をした。

 つまり隙が出来たのだ。

 それはほんの一分ほどの出来事だったろう。

 編集長氏が突然立ち上がり、その場から飛び上がった。

 彼は180センチはある体に、がっしりと肉をつけた偉丈夫である。

 その体が宙を飛び、豹の姿をしたシェイプシフターめがけて、それはそれは見事なドロップキックを放ったのである。

 充分な勢いが乗った一撃に、豹はそのまま受身も取れずにガラス窓に叩きつけられ、窓枠ごと下へ落ちていく。

 続いて、振り返った大猿のシェイプシフターめがけて、編集長がそいつの眼前、置かれた椅子を駆け上がりながらのシャイニングウィザード!

 巨躯に顎を打ち抜かれた大猿が昏倒する。

 まだ人の姿のまま残っていた数人は、立夏さんがブックスタンドを次々放り投げて迎撃した。

 瞬時に殲滅完了である。


「ししょう!」


 とか立夏さんが叫ぶので、「えっ」とか思った。

 編集長氏と立夏さんが固い握手を交わしている。

 後で聞いたら、真空飛び膝蹴りとか、肉弾戦は編集長から習っていたらしい。

 編集長、週末は地方でインディーズプロレスのリングに立つ肉体派である。

 彼女は女子プロレスの星になれる逸材だ、とか言うので、勘弁して欲しい。



 ともかく、編集部を奪還した僕らは、シェイプシフターたちを縛り上げてデモ隊と交渉した。


「君たちが退かないと、彼らを茹でてたべるぞ!」


 僕の交渉術の発揮しどころである。

 デモ隊が愕然とした顔でこちらを見てくる。


「カニバリズム反対!」

「それでも人間か!」


 文句を言うので、とりあえず他のテナントにあった大なべを持ってこさせて、水を入れて火をかけさせた。


「くそ、こいつ狂ってやがる!」


 失敬な。

 カメレオン氏の尻尾の先をちょこっと切り落として……ぎゃおう、と凄い悲鳴が聞こえたが無視する……煮立ったお湯に入れてやった。

 シェイプシフター達の顔色が変わる。


「わ、わかった。お前の本気は認めよう。我々は今回は退去してやる」


 まだ虚勢を張った事を言うので、編集部一同、バケツやギターやブブゼラを鳴らして威嚇する。

 こちとら弱小出版社、怖いものなど無いのだ。

 するとどうやらこちらの誠意が通じたらしく、彼らは「人間こええ」とか言いながら去っていった。

 話せば分かるのだ。


 かくして、僕らは婚姻届に、証人印を一つ押してもらう事に成功したのである。

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