第52話

 アスワドは大きく息を吐くと、しばらくして薄く笑った。

「この神殿が全ての始まり」

 落ち着きを取り戻した顔で懐かしそうに辺りをゆっくり見渡す。

「だからここの封印を解いて君たちを呼び寄せた。遺跡捜索に解術師は必ず同行するからね。後は斡旋所の担当者に君を指名するようにちょっとだけ暗示を掛けて完成。古代種の遺跡と聞けば君は必ず請けるでしょ?」

 最初から仕組まれていたことへの驚きとまんまと嵌められた自分に悔しさが募る。

「呪術が増幅する結界も張っておいた。弱くなっているとは言え、王とまともにやり合うにはが悪いからね」

 アスワドは倒れたままのレイをちらりと見て満足そうに笑った。

「こんな状態で呪術を掛ければ彼が死んでしまう! そうなったらあなたのしたことは全て無駄になる!」

 視線を少し下げ、再びアスワドを見た。

「間違っているとわかっていても恨まれても、それでも生きていて欲しかったんでしょ?」


 呪術も、それを行使する人も嫌いだ。けれどそこに「助けたい」という思いがあったのだと、レクスの記憶を聞いた時に感じていた。勝手な思い込みだったかもしれないけれど、どこか裏切られた気分だった。


 アスワドは驚いたように目を瞠り「覚えていてくれたのか」と呟いた。後悔と謝罪を滲ませた表情で倒れたままのレイに視線を向ける。その表情は先ほどまでとは違い、困ったような嬉しそうな複雑な微笑を浮かべていた。


 サラはアスワドの先ほどまでの言葉と今の表情に違和感を覚えた。

 ほんの僅かなことだが、彼を助けてくれたその人をまだどこかで信じていたかった。


「あなたは、本当は――」

 けれどその後の言葉は小さな悲鳴に変わった。突然、髪の毛を鷲づかみにされ強引に上に引っ張られた。両手で髪の毛を抑えながら何とか立ち上がる。痛みに目には涙が浮かんだが、歯を食いしばり叫び声だけは上げなかった。

「そんなに話すのが好きなら、口が閉じないようにしてやろうか?」

 苛立つ声のフロウは、サラの目の前で返り血の着いた刃を閃かせる。恐怖で動けなくなったサラの右頬にそれを押し当てゆっくりと動かした。鋭い痛みが走る。恐怖と痛みを堪えるために目を固く瞑った。

「だーかーらー! 彼女の傷は治せないって言ったでしょ? 聞いてた、僕の話?」

 軽い口調とは裏腹に苛立ちを含んだ声で刃の動きが止まった。

 近づいてきたアスワドにフロウは舌打ちしながらも新しい血で濡れた刃を下ろした。

 恐る恐る頬に触れると染みるような痛みがあった。指先には血が付いていた。

「これから死ぬまで一緒にいる巫女の顔は綺麗な方が良いでしょ?」

「契約さえしてしまえば、あとは閉じ込めておくさ。生かさず殺さずな」

 口元だけで笑うフロウはサラを再びのぞき込んだ。

「たまには遊んでやってもいいが」

 品定めするような視線にすくみながらもサラは必死に睨み返した。


「ちゃんとしないと死んじゃうよ。人間は弱いからね」

 フロウはアスワドの言葉に動きを止め、しばらくして「お優しいことで」と口の端をつり上げた。

「だから捕まえた女の記憶を消してわざわざ逃がすなんて面倒なことをしてたのか?」

 サラはアルトマン家で捕まった時のアスワドの言葉を思い出した。


『ハズレだったら記憶を消して逃がしてあげる』

『でも今あいつ機嫌が悪いから、嬲り殺さないように大人しくしていてね』


 あいつ、と呼んでいたフロウは捕えた人間を逃がすことはしないだろう。けれど今まで捕まった解術士は言葉通り、記憶を消されただけで命に別状はなく発見されている、とカイは言っていた。どうやらアスワドが独断で逃がしていたようだ。


 アスワドは一瞬だけ険しい顔をしたが、すぐにおどけた表情に戻った。

「『死体』で見つかるのと『生きている』のでは大きく違う。現にあんたたちはあちこちでわかりやすい面倒を起こしたから騎士団に目を付けられて動けなくなっていたじゃない」

「古代種の力をもってすれば恐れるものはない。邪魔なら殺せばいい」

「だけどまだ古代種じゃないでしょ?」

 翼がないもんねと、アスワドはからかうように笑った。

「そうだ。だからまだ死ぬわけにはいかない。一族はもう俺だけだ。暴走や発作を抑えるには王の巫女が必要なんだ」

 熱く語るフロウに対し、アスワドは冷めた表情を浮かべている。

「古代種になり損ねた他の同胞と、あんたらが捕まえた巫女はどうしたのさ」

「出来損ないや役立たずの巫女など邪魔なだけだ」

 それまで冷静だったアスワドの瞳が鋭く光った。

「――巫女も殺したのか?」

「当たり前だ。生かしておく意味はない」

 フロウの答えにアスワドは小さく舌打ちをした。

「あんたが出来損ないの仲間入りする前に、彼女と契約したほうが良いんじゃない?」

 低い声でそう言うと、アスワドは外套の中に入れた手で何かを取りだした。手にしていたのはくすんだ銀色が年代を感じさせる腕輪だった。独特のアラベスク模様にサラの目は釘付けになる。

 アスワドは腕輪を食い入るように見つめるサラに気付き、微笑んだ。

「君も知っているでしょ? かたえの腕輪」

 サラは視線を腕輪からアスワドへ移した。

「巫女との契約に必要な道具だけど、これは――」

 アスワドは左手も同じように懐に入れ、同じように何かを取り出した。

「必ず対で存在する、二つで一つの腕輪なのさ」

 アスワドの左右の手にある二つの腕輪は、縁を彩る小さな石の色が青色か赤色かの違いだけの、同じ物だった。

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