第4話 澪と宮司

 神社の片隅を、半透明な白い球体がふわふわ浮いていた。

 不思議なそれは、ある一部の人々がオーブと呼ぶものに似ていた。

 ふわりふわりと、頼り無げで今にも消えてしまいそうな儚い光にもまた、神の喚んだ雨が当たる。

 すると、消えそうだった光は雨水が当たる度に光が増し、真っ白な球体は、さらに薄青い輝きを放つまでになった。

 球体は意思を持つ物の様に、社殿の奥に飛んでいく。

 行くべき場所を、心得ているかの様に迷いなく。


 社殿の一室、拝殿と呼ばれる部屋に宮司がいた。彼は神が放つ神気を感じ取って、その懐かしい気配に胸を震わせていた。

 夢ではないのだと。

 そこに、ふわふわとか弱い光が現れた。

 存在する為の力が弱いせいか、近づくまで気付けなかった。この光もまた、彼には懐かしい気配の持ち主だった。

「ようやく、会いに来てくれましたか」

 細い目をいっそう細めて微笑む。

 右手を差し伸ばせば、光は迷いなくその手のひらに向かった。

「澪さん」

 答えるように光が震えた。


 自分が死ぬ瞬間を、彼女は知った。

 朝、目覚めようとした意識とは裏腹に、体は全く動かせなかったのだ。

 腕どころか、指先ひとつ、ピクリとも動かない。

(ついにこの時が来たのね)

 それは仕方がない事なのだ。死を受け入れた彼女の魂は、既に肉体から離れ、宙へと浮かんでいた。

 老いた己の死体を上から眺める。

 苦しむことが無かったせいか、その顔は穏やかで、ただ眠っているだけのようだった。

 澪は自分の長かった人生を、なんとはなしに振り返った。

 戦争の最中さなかに強制的に結婚させられ、その夫を戦争で失い、息子と駆け抜けた戦後。孫が二人出来、さらには曾孫まで得ることが出来た。

 わりと幸せだった。

 澪の異常に気付いた家族がその遺体の周りに集まる。曾孫の水希が取り乱して泣く様に、心が痛むのと同時に、惜しまれる喜びを知る。

 自分の人生に心残りはない。

 そう思っていたが、今目の前で泣き濡れる少女を見れば、彼女を残して逝くのは忍びない。

 少女を宥める他の家族の事も心配だ。

 それにーーー。

(あの人に会いに行かなくては…)

 最期は必ず会いに行くと決めていた。死んだのち、ここまでしっかり意識が保てるとは思っていなかったが、しっかり思考出来ることは有難い。

 彼の元へ。

 澪の魂は己の望みのまま、家族の元を離れる為にふわふわと部屋を出ようとした。

 だが、彼女はそのまま行くことは出来なかった。

 自分を引き留めるのは、水希の涙ではない。何か、言葉に出来ない。予感といえば良いだろうか。

 澪は、自分がずっと使ってきた文机のへ向かった。上に置いてあるのは、青い石のついた首飾り。水希にあげた筈のそれがここにあるのは、可愛い曾孫が

「おばあちゃんがまだ持ってて」

と返して寄越したからだ。

「だって、この石が本当に守ってくれるなら、おばあちゃんのこと、守って欲しいよ」

「私ははだいぶ守ってもらったからねぇ。これからは水希のことを守ってもらいたいんだけど…」

「いいの!」

 そうやって、話をしたのは年の暮れの事だったか。あれから数ヵ月で、澪の寿命が尽きるとは、二人とも思っても見なかった。

 石の元まで辿り着くと、澪の魂はその中に入り込んだ。魂のままフラフラしているのは良くないと、前に聞いたことがあった。すんなりと受け入れられた澪は、そこを仮の宿とすることにした。

 石の中は思った以上に心地好かった。そしてそのまま、眠るように意識を失った。


 手のひらの魂は、どことなく弱っているようだった。

 光はか細く、頼りない。

 宮司は手のひらをそっと口許に持っていく。魂に向かって、口づけするかの様にそっと吐息を吐いた。

 宮司自身の生気を澪に分け与えたのだ。

 魂は光を強くし、人の形を成した。

「遅くなってごめんなさい」

 巫女装束姿で二十歳前後くらいの女が宮司に抱きついた。水希に面差しが似ている。

「ずっと、逢いたかった」

「私も待っていました」

 答えるように優しく抱き締めた。

 宮司の胸に頬を押し付け、互いの存在を確かめる。魂に実体などあるはずがないのに、二人は互いを感じていた。実体を持てるほどの力を、宮司が与えたからだ。

「でもゆっくりはしてられそうにないわ」

 うっとりと夢見心地の表情は一変、きりりと顔を引き締めた。

「あの子の必死な呼び声が聞こえたわ。私はあの子の力にならないと」

 状況はよくわからない。ただ闇雲に水希を護るために自分の中にあった‘’エネルギー‘’を出し尽くしてしまったことだけがわかっていた。あの神の起こした雨の力と、今分け与えられた宮司の力が無かったら澪の魂はほどなく消えていただろう。

「何があったのか教えて。あなたの知っていることを」

 生前同様にきびきびとした態度に、宮司は天を仰ぐ。

「…お変わりないようですね…」

 死んで性格が変わることはないようだ。

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