第52話 月面ランナウェイ ハイパーオリンピック

 立てばシャクヤク、座ればボタン、歩く姿はパックンフラワー。


 日本のことわざだ。ヤマトナデシコと言う単語があるように、日本人は古来より女性の美を花に例えて賞しているようだ。


 立てばシャクヤク。シャクヤクってどんな花か知らないが、立ち姿を想像するにネギのようなものだろう。サクラコの細い脚はまさにそれだ。


 座ればボタン。ボタンって花も見た事ないが、サクラコが座ってゲームしてる様子から想像するにブロッコリーみたいなものだろう。胡座をかいて少し猫背になるサクラコの後ろ姿はまるでブロッコリーのよう。


 歩く姿はパックンフラワー。サクラコの海のうねりのような寝癖は歩く度にわっさわっさ揺れる。その姿は歩くパックンフラワーそのものだ。


 どうして寝癖を直さないのか。サクラコがあたしのツインテールをセットしてくれてる時に聞いてみた。その答えは、ギャップ萌えの演出、だそうだ。


 ヴィー子と言う完璧な容姿のアンドロイドを一体飼っているので、自身がその対極の存在になる事で、二人は(一人と一体と言うべきだろう)完全なるヴィーシュナ・サクラコとして君臨できるのだ。


 とかなんとか言っていたが、おそらくウソだ。サクラコの低血圧はよく知っている。単純に朝は器用な動きが出来ないだけだろう。


 それでも、よく考えてみれば、コータくんと言う存在をがっちり捕まえて離さないって事実があるので、あながちギャップ萌え説もない訳ではないのかもしれない。




 そしてまた、ギャップ萌えに誘われた虫が一匹、パックンフラワーにとまろうとしていた。


 月面都市のジムはいつも賑わっている。


 月面都市と言っても、そこに地球と同じような都市空間が広がっている訳ではなく、さまざまな都市機能のうちの野外と言う要素を排除した屋内型複合商業施設のようなものであり、いわば自宅と職場と学校と商店街が同じフロアにある巨大多層構造マンションの集合体なのだ。


 それ故に、月面で暮らす人々はレクリエーションとして身体を動かすスポーツ的な娯楽に飢えていて、スポーツジムは月面都市と言うケージにおけるハムスターの回し車の役割を果たしているのだ。


 今日はサクラコの週に一度のジム通いの日。ルピンデルさんとミナミナさんと都合を合わせて集まって、たっぷり数時間かけて汗を流し、帰りに消費したカロリーを甘いもので補充しつつお喋りに花を咲かせる日だ。


 待ち合わせの時間よりも一時間早くジムに入り、サクラコは入念にストレッチを始めて、あたしはあたしで身長と体重を測定して今日の運動メニューの診断を受け、そしてサクラコが身体を伸ばしているスペースに戻ってみれば、早速ナンパされているサクラコの鬱陶しそうな顔が目に入った。


 ああ、またか。


 月面は出会いが少ない。少な過ぎる。ルピンデルさんは常々そんな愚痴をこぼしている。確かに、昼夜の概念がほとんどない月面では生活サイクルは個人個人が個別の24時間をフル活用している。サイクルが合わなければ、会わない人とはとことん会わないのだ。おまけに屋外と言う考えがないために、職場と自室との往復以外に不必要に出歩く要素がほとんどなく、職場関係以外の人と話す機会なんてまったく自然発生しない環境だ。


 そんな訳で、軽装で肌の露出度が増し、気持ちも開放的になるジムでのナンパなんてしょっちゅうであり、サクラコとあたしとで撃退マニュアルも作成してある。


「ママ、えっと、誰?」


 ファーストアタック。いかにも何にも知らないお子様風にサクラコに話しかける。大抵の男はこの一言でギョッとする。下手すりゃ高校生にも見えかねない日本的な童顔で華奢なこの子が、子持ち? こんな大きな子供がいるのか、と。


「ブリギッテ、おかえり。こちらは今声をかけられたんだけど、あなたの新しいパパになるかもしれない人」


 追撃。この時点でほとんどの男は撤退気味になる。いきなりパパって。その覚悟があるか?


「そう、ですか。では、パパ候補者に質問です。あなたは資産をいくらぐらいお持ちですか? あたしの将来にとって大事な案件なので正確に答えてくださると助かります」


 とどめの一撃。こんな親子に付き合ってくれる物好きは今のところゼロだ。今日のナンパ男も「悪かったよ、邪魔しちゃって」と苦笑いで退場した。


 あたしとサクラコはパチンと手を合わせてその情けない背中を見送った。もしも下心抜きのまともな出会いを期待していたのなら公的な結婚相談サービスの利用をおすすめする。


「ありがと。さ、あの二人が来る前にひとっ走りしちゃいましょ。ブリギッテは準備大丈夫?」


「おっけーよ」


 サクラコは腕をぶるんぶるん振り回しながら、画面付きのランニングマシンまで歩いて行った。あたしは今更ながらアキレス腱をくいっくいっと伸ばしながら大股でサクラコの後ろを着いて行く。


 ここ最近のあたし達の流行りはランニングマシンでハイパーオリンピックをプレイする事だ。


 画面付きのランニングマシン筐体はローラーベルトの速度に合わせて画面でさまざまな映像を再生できる。最もポピュラーなのは世界中の絶景ビューポイントを走り回る映像だ。


 そしてその発展型としてリアル志向とアンリアル派と二つの種類の筐体がある。


 一つはリアル志向としてヘッドマウントディスプレイを装備し、やたらとリアルなCGのドイツの古城周りをジョギングしたり、ハワイのキラウエア火山周辺を散歩したり、まさしくヴァーチャルなランニングだ。


 あたしとサクラコがプレイするのはもちろんアンリアル派のランニングマシン筐体の方。こちらはローラーベルトが入力インターフェイスとなっていて、アクションゲーム感覚でランニングマシンを操作してその作用が画面出力されるのだ。


「しっかしボタン二つだけでここまで熱くなれるからこのゲームって不思議な魅力があるよね」


 サクラコがランニングマシン筐体にハイパーオリンピックをダウンロードしながら言う。あたしは膝屈伸しながら答えた。


「100メートル走なんてひたすらボタン連打するだけだもんね。でもそれが面白いし」


 ハイパーオリンピックには操作ボタンが二つしかない。走るためのランボタンとジャンプするジャンプボタンの二つだ。ただひたすら無心にランボタンを連打し、そのスピードを競い合うゲームだ。


 ある時はジャンプボタンで幅跳びの踏み切りタイミングとジャンプ仰角を決定したり、ハンマーを遠くへ投げたり、ハードルを飛び越えたり。メニューによって違う楽しみ方がある。それでも一番はやはり100メートル走対戦モードだ。もう無駄に熱い。このゲームの発売当時、いったいどれだけの人がコントローラをダメにしただろうか。


「コータくんが言ってたけど」


 サクラコはレトロゲーマーだけれども、そこまでゲーム知識が深い訳じゃない。ただレトロゲームに多く見られるシンプルさが好きなゲーマーだ。ゲーム知識のほとんどはコータくんの受け売り。丁寧に教えてくれるのはうれしいんだけど、あたしも何度もコータくんから聞いてる事ばかりだ。


「このゲームは現実とリンクしていて、それが熱くさせる理由なんだよ」


「100メートル走の世界記録に手が届くギリギリの難易度調整でしょ?」


「そうそう。超すごい頑張れば、現実世界の世界記録をクリアできるんじゃないか、世界新記録樹立かってワクワク感がすぐそこにあるってのがいいよね」


「月面記録はもう全然違う数字になっちゃってるけどね」


 あたしは跳びはね防止ハーネスを装着してランニングマシンのベルトの上にそうっと乗った。準備OK。月の低重力下では踏み込みの力が身体を宙へ持ち上げてしまう。ハーネスがないと速く走れない。月面オリンピックの100メートル走の月面記録は確か15秒台だったはず。走り幅跳びは20メートル突破してたかな?


「こんなゲーム制作者側の意図と言うか、心意気を感じられるゲームって私は好きだな」


「100メートル10秒切ってみろってビシビシ感じるもんね。あたしも好きよ」


 サクラコもハーネスを装着し終えた。さて、走りますか。


「スタートするよ? いつものように、負けた方が晩ご飯当番ね」


「望むところ。いつでもどうぞ」


 ハーネスラン二ングは体重が軽い方が有利だ。ハーネスの引っ張る力の方が体重に勝って、ローラーベルトに押し付けられるようにして走れるからだ。サクラコ、今晩のメニューはクリームシチューをお願いしますよ。




「で、あんた達何してんのよ」


 おっと。ミナミナさんの登場だ。ルピンデルさんはまだかな?


「見て通り、ハイパーオリンピックプレイ中よ」


 サクラコがミナミナさんを下から見上げて言った。


「ミナミナのボディって、下から見上げると迫力あるのね。男達が土下座する理由がわかるわ」


 ほんとだ。ミナミナさんのダイナミックな身体付きを下から見上げると、もうぼんっきゅっぼんって使い古されたフレーズがピッタリだ。ほんと、何を食べればこんな風になれるんだろうか。


「上から見れば、確かにあんた達は親子ね。ほんとよく似てるわ」


 あたしとサクラコは、結局ローラーベルトの上を足で走るだけでは好記録が望めないと早々に走るのを諦めて、ローラーベルトの側に跪き、両手でドンドコとベルトを叩いていた。この方が速い速い。


 ミナミナさんから見れば、二人でランニングマシンをボコボコ叩いて何やってんだって話だが、この方が速い速い。


「アフリカ少数民族の雨乞い太鼓ダンスかと思ったわ」


 いや、この方が速い速い。

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